大事なのは何を作るか ガチャ 伝道師 語る おもちゃの歴史
「 ガチャ 」の専門家、築地ファクトリー代表取締役社の小野尾勝彦さんが おもちゃの歴史 の話をしていて、日本のものづくりの強さを実感した。ただ、同時に日本人は「どう売ろうか」ばかりで「何を作ろうか」という部分から避けているようにも思えた。
日本は本来、ものづくりの国である。世界に名だたる自動車然り、それを得意とするが、今はそれも見る影もない。それがどの業界にも共通して、足踏みさせている要因にも思えたので、記事にした。
みなさんは「ガチャ」をご存知だろうか?
「ガチャ」とは硬貨を入れてレバーを回すと、カプセル入りの玩具が出てくる“自動販売機”のことを言っている。よくおもちゃ屋の横で置かれている。小野尾さんは「ユージン」という会社がタカラトミーアーツに社名変更する前の時代から「ガチャ」に関わっていて、その道の専門家である。
さてさて、そんな「ガチャ」であるが、実はその起源はアメリカでの販売にあって、その中身の殆どが日本製であった。高度経済成長とは関係なく、それこそ戦争の前かららしく、日本は生粋のものづくり国である事に驚いた。
だから今から遡ること1930年代から日本の葛飾区や墨田区には、町工場で溢れていて、そこで作られたブリキのおもちゃ等をアメリカへと輸出していたわけだ。玩具大手のタカラトミーにしてもそこから始まっている。
日本のおかげでアメリカのガチャは成立していた
話を「ガチャ」に戻そう。この「ガチャ」はL.O.ハードマンという人が興した、ペニーキングという輸入商社によってアメリカ国内にもたらされた。その名の由来も、アメリカの硬貨1セントの事をペニーと読んでいたからで、硬貨を握り締めて楽しむあのスタイルはその当時からのものだったのだ。
ただ1930年代の「ガチャ」はカプセルにも入っておらず、ひねって出てきたのは剥き出しの「ガム」と「おもちゃ」だったという。そう。このおもちゃの部分こそが、日本の工場により作られていたものだったのだ。
ここから日本はどうなったのか?
海外で輸出し、高い評価を受けて、売れていた日本の商品であったわけだが、1971年になると変動為替相場制になり、円高になって、輸出できなくなると、それよりも日本で作り日本で売るスタイルに注力するようになった。
この段階でもまだ、日本には数多くの工場が存在して、それで栄えていたと言って良いが、1990年を過ぎてから、商品を手がける工場は、コストの安さゆえ、日本から中国へと移っていくのだ。
アイデアを再現できる幅の広さが商品力となる
そうなる中、日本は自分達のものづくり魂に誇りはなかったのか。そんな僕の問いに、小野尾さんは言う。「確かに、安ければいいわけではない。けれど、安ければ安いほど、具現化できるアイデアの幅が広がる。企画者としては、これが大きかった」と。
だから、次第にアメリカは中国に製造を依頼し、おもちゃ関連で言えば、アメリカにとって日本の存在感はそれほどでもなくなっていったのである。
1990年後半に入ると、それを証拠に日本の玩具メーカーはこぞって海外で販売されているものを日本に持ってきて販売するようになる。「ファービー」などが良い例で、アメリカのTiger Electronics社が1998年に発売したおもちゃであり、遅れること1999年5月に日本でトミー(現タカラトミー)から発売されたのだ。
それが今やアメリカがメーカーで製造は中国の工場が担い、一方で、日本のメーカーは開発できる予算がないから、マーケティング会社と化していく。
“考える人”不足の日本の現状
そうなれば、メーカーから開発に詳しい人が徐々に減少していくし、企画が減っていく。メーカーというよりは、そこへの持ち込みが増えて、日本のメーカー全般に“考える”人がいなくなってきた、ということか。
小野尾さんもそれに賛同し、呟いた。「周りにいる人は若い人も含めて皆、優秀だけど、でも作ったものを売ることは得意でも、売れるものを作る発想がない」と。
だから、小野尾さんは昨年、築地ファクトリーという会社を作り、人を驚かせる商品を出し続けたい、と自ら商品作りをするサポーター側にまわろうと考えたわけだ。現場まで降りていってメーカーの後方支援すれば、もっと魅力的な商品ができるかもしれないと夢を語る。
そして、ガチャへの想いは誰よりも強く、だからこそ、日本ガチャガチャ協会をつくり、ガチャに関する知識をまとめたサイト「ガチャガチャラボ」も作った。
また、中国はあれだけの市場でありながら、まだ「ガチャ」が浸透していない分、新たな挑戦のしがいがあると言った。この人の企画魂は、未知なるものを作れる未開拓の中国に向いている。
海外をも従えて自ら発案して攻めていく覚悟
聞いていて思ったのは、確かに昨今、日本の企業はいくつかの企業が統合して、海外に通用する力を備えようとしている。けれど、日本人が自らの発想を生み出し、それで海外を従えて自分のところで責任を持って、ものを作るという「チャレンジ」が求められているのだろうと。
すると、小野尾さんもうなづき、ガチャやおもちゃが急成長していくのを間近で見ていた一人として、「一番、そのほうが結果的には儲かるわけし、それがブランドとして定着する。なぜなら、一度作ったものが3年後、5年後とまた長く売れ続けて、その会社の土台となるから」と言って、あるべき未来への期待を語った。
冒頭に話した通り、だから、これは業界関係なく、思うのだ。日本人は「どう売ろうか」ばかりではなく、そもそも「何をどう作ろうか」という部分を考えるべき時にきていると。大なり小なり、今の日本には不足している思考である。それをなくして、真に「発展する日本」の未来はないのではないかと考えるのである。
今日はこの辺で。