145とは?

「145マガジン」創刊に至る経緯

創業者の愛称です。

自分らしい事業のあり方は何か。不器用ながらひたすらずっとそこに“挑戦”し続けてきた。

上っては落ち、落ちては上り

 145マガジンの「 145 」は創業者 石郷 学(Manabu Ishigo)の愛称です。そんな僕はこれまでジェットコースターのような人生。でも諦めない限り、落ちぶれても必ず人は浮上できます。それだけは自信を持って言えます。

 僕は、記事を書く相手と、読む人の間に入り、両方に笑顔をもたらしたいと考えています。そのポリシーを形にするために、メディアを創刊しました。そこに辿り着くには、実に様々な挑戦がありました。それで得られた経験がこのメディアの在り方、価値観を形成しています。

 過去を振り返ると大きく3つに分けられます。よくもこんなに挫折を繰り返しているものだと思います。

記者編:ダメなりに見つけた僕なりの活路

1.奮起できないかといった先がメディア

 「なんでこうもうまくいかないものなのかな」そう呟いていました。社会人になりたての僕です。就職氷河期といわれながらも、周りが就職する中、僕はうまくいきませんでした。そして、今からは想像がつきませんが、僕の社会人デビューは弁護士事務所。法学部出身で、大学の教授からの後押しもあって、取り組んだのです。

 ところが、細かい作業についていけず、人間関係もうまくいかず、2週間でクビです。

 大学を出ていながら。親に申し訳なくて。仕方なしに、ハローワークで仕事探しを始めた時に、職業紹介の講座に巡り合うのです。何を思ったのかそこで、僕は「人の話を聞くのが好きだ。それを活かせる仕事をしよう」と思い立って、「メディア系の企業を目指す人の講座」にいく事になるのです。

 それでようやく、見つけて面接を通過できたのが、キャラクター業界の業界紙「ファンシーショップ紙」の東京ピーアール企画という会社で、記者としてスタートを切るのです。

2.何を書いても修正の赤字だらけ

 その記者って肩書きがついた名刺を見て、心が躍ったのも束の間。記事そのものに躓くのです。何を書いても赤字で埋め尽くされ、苦痛の日々。文章が下手だったんですよね。

 ただ、「お前の文章はまどろっこしいんだよ!」テーブルの上で、その業界誌の社長と二人だけで、そうやって指導を受けながら、僕は鍛えられました。(口は悪いのですが、あたたかい人で僕にとっては恩人です。)

 ただ、思いがけず、僕にとっての転機が訪れます。そのメディアの看板編集者である先輩が会社を辞めたのです。とはいえ、僕より文章も上手で優秀な後輩編集者が入ってきたから、僕のイメージは変わりません。ただ、そこで開き直ったんです。僕は文章の上達を心掛けつつも、「僕は切り口や企画力で勝負しよう」そう心に誓うのです。

大ブレイクを目の当たりにする

1.サン宝石で初めて感じる「掴んだ感じ」

 何をネタにチョイスするのか。そこに意識を向けるようになって、僕は変わることができました。日経MJで「サン宝石」という会社が、原宿にお店を構えるというニュースを見かけたのが、そのきっかけでした。

 ブレイクする予感がして、人生で初めて人から言われる事なく、自分で取材先にアポイントを入れて、調整して取材に臨んだのです。そして、その光景を見て驚くのです。

 サン宝石のお店前では、中学生くらいの女子が長蛇の列を成していました。この商品を買うのをいまや遅しと待っていて、買うまで一時間半待ち。その熱狂ぶりがわかります。それで「これだ!」と思いました。この中学生の世代が読む「ニコラ」「ピチレモン」「ラブベリー」などを買い漁って、自腹で払って研究したのです。

2.エンジェルブルーのナカムラくんだってキャラじゃないか

 そして、出会ったのがナルミヤ・インターナショナル。エンジェルブルーなどのブランドを手がけていました。これらのブランドに関心を抱いた理由は、どこにあるのか。それは、中学生のために用意された洋服だから、です。「お下がりじゃなくわたしたちのものよと」。自分達を主張するところに当時の中学生を唆る要素があったのです。

とにかく情報収集に明け暮れました。

 また、「エンジェルブルー」では「ナカムラくん」というキャラクターがいました。「これならキャラクターグッズを作れるではないか」。そう思った僕は、編集後記に書き込むなりして、地道に自分の主張をし続けるわけです。文具をやるべきだ!と。

 それは至極当然で、小・中学生が一番、使うものって何?って言うと文具なんです。だから「それが出たら、かなりの爆発力があるよね」と。

3.全く未開の地を切り拓く

 するとある時、営業から「お前、やってみるか」と言われます。実は、文房具会社が動いていて、そのナルミヤブランドの文具が出ることが決まったと。だから、広告依頼するのに合わせて「書いてみるか」と。

 「やります!」即答です。特に新聞のページ数が多い夏の号だったことも奏功しました。ナルミヤ特集だけでなく、中学生向けのコスメなどが出ていることも時代の変わり目であることを示し、4ページもその企画に割く気合の入りよう。ジュニアモデルの取材まで入れて、隅から隅まで、こだわった初めての特集でした。そして、本当に驚くべきことが起こります。

記者をやりつつ、ブランドを展開

1.ナルミヤ文具が大ブレイク

 109-2にあるナルミヤブランドの横で文具売り場が開設され、その発売日には行列ができていました。そのレベル感は、サン宝石で見たものより勢いのあるものでした。結果、僕の特集が多くの人の脚光を浴びることになりました。

 手のひらを返したように、「石郷さんはなんで、あれわかったの?」「教えてほしい」と多くの人が僕に話を聞きにくるようになります。ここを境に「できない記者」という僕の評価は一変してしまいました。

「よし!今度は本人を呼んでみよう!」

 僕はその業界紙でのイベント「異業種交歓会」にそれらのジュニア・モデルやニコラの創刊編集長 宮本和英さん、ナルミヤ・インターナショナル当時の社長成宮雄三さんを招くなど、様々な企画を手がけます。

 僕は徐々に記事を書くだけではないちょっと変わった名物記者へと変わっていくのです。ダメ記者だっただけに、反動が大きい。

2.ライターなのにブランドを立ち上げる

 そしてまたもや変わった行動に出ます。この辺から、今の僕の片鱗が出てきます。「nocola」モデル 小林涼子さん、「ピチレモン」モデル 御前美帆さんら女子中高生と共にブランド「ラブサイン」をその「ファンシーショップ紙」内で立ち上げることを会社に提案するのです。

 実はこの発想自体は、先ほど、登場した業界誌の社長のアイデア。それは交通標識をハート型にするというアイデアで「恋のサイン」というのを出していたのです。

 そこで、僕はそれをリニューアルして、モデルと一緒に考えてコンテンツ化する方向にしたのです。なぜなら、彼女世代で多くの話題を占めるのは「恋バナ」だから。

 だから、コンセプトは“恋する気持ち”。それを商品の一部に入れて、自分の意思表示をしようというテーマにしたのです。ちょっとドキドキしますよね。

3.等身大の女の子の気持ちを形にする

 あわせて、彼女達の声に耳に傾け、それを商品開発に反映するという視点を持ち込みました。それゆえ、モデルを交えての商品会議は頻繁に行い、結果、その意味でも、多くの人の話題を集めることとなりました。

 10社以上から関連グッズを発売させるに至り、誰もが知る「リプトン」のキャンペーンに起用。そのほか、下の写真の通り、ファンタのキャンペーンにも使われ、キャラクター業界にそれなりの存在感を示します。

未来への夢が変わった出来事

1.運命のサンシャインシティアルタ

 そして、僕にとっていよいよ、生涯忘れられない経験がおこります。

「三越伊勢丹からラブサインに話が来ています」「え?マジで?」

「先方曰く、サンシャインシティアルタの1階で6坪なのですが、ワゴンを貸しますとのことです。『ラブサイン』のミニショップを1週間程度、やってみませんか」と。

 「やりたい!」そう言って、僕は「ラブサイン」のライセンシーの方々を集めて、「ここへの商品提供をお願いできないだろうか」そう頭を下げました。記者経験しかないので、掛け率云々、全く小売を知りません。無謀なこの提案に、ライセンシーたちは賛同し、晴れてここにショップを出すことになります。

2.無理やり店を成立させる

 色々奔走したのを今でも忘れません。店をやる段階で、お店のレジに立つ人がいない。慌てた僕は、お茶の水美術学校で先生をしていた駒井さんに相談します。

「生徒にお願いして、バイトに立ってもらえないだろうか」。

 駒井さんは、元ソニー・クリエイティブプロダクツで以前からその存在は知っていたので、藁をも縋る想いでお願いしました。

 一心不乱に動く僕。こんな破茶滅茶な僕だから、手を差し伸べたくなるのでしょうかね。それがただただ、嬉しかった。

 例えば、これから始めようという時、「花が届いています」と言われたんです。その場に、行くと本当に「祝!ラブサインショップ」と書いてある。最近まで一緒にこの「ラブサイン」で関わってくれていた方からのお祝いでした。その彼女は産休で現場を離れていたけど、「何かできることはないか」と動いてくれたのです。

3.思いがけないモデルの発想

 そして、忘れられないのは、一緒に「ラブサイン」に取り組むモデルがきてくれた日のことです。その時、事件は起こりました(笑)。福袋の商品を売り出したものの、全く売れていません。

 「どうしよう。。。」僕は一人悩んでいる中、モデルの小林涼子ちゃんがパッと駆け寄ってきたんです。

 「これをつけたらどうですか」

 そう言って自らカバンを開けたら中から「ラブサイン」でのアクセサリーのサンプルが出てきました。彼女曰く、その福袋の価値を、少しチラ見せするのです。

 「よし!そうしちゃおう」そう僕が言うと、皆が、それをせっせと福袋のホッチキスで止めていきます。

 すると、、、あの一個も売れていなかったその福袋を持って、長蛇の列ができたのです。

 そうなると皆の気持ちがノってきます。モデルを含めた店頭に立つ皆が、一生懸命に声がけをし始めるのです。

4.発想から生まれた長蛇の列

 また、レジをやっていたお茶の水美術学校の生徒たちは、ポップを描き始めるんです。それも、自分達にできることは何かと自分で考えた結果です。中には「先生に言われたから来た」という乗り気ではなかった子も、それを率先してやっているのです。感激しますよ。

 自分達の才能をフルに使って作った、ポップは強い。今度はその商品も売れ始めていくんです。賑わう店内、皆で一緒になって呼びかけていく姿。そこでの一体感は、僕の生涯、一生忘れることはないでしょう。

忘れられない一体感は果敢に挑む自分を作った

1.「ありがとう」に対してのまさかの返事

 そして、そのきっかけを作ってくれたモデルの小林涼子さんに「本当にありがとう」と言ったときに、彼女はこう言ったんですよね。

 「石郷さんは、始まる前にこう言っていたよね。ここに並ぶ商品は、あなたたちの声を取り入れて、作ったものです。だから、ここで一つでも多く売って、恩返しをしなきゃならないってね。」

 だから、自分で考えて、それを提案したんです、と。

2.記者だけではない自分になろう

 これには、僕、泣いてしまいました。その気持ちが素敵です。僕はこの経験が今も僕にとっての宝物です。

 一歩、踏み出すことで道は開けて人の心は動く。動いた人の心はまた別の人の心を揺さぶる。これらがあったことで、僕の中の「メディアに勤めて一生飯を食えるようにする」という就職時の夢は変化していくのです。

145はマガジンは「ヒットの生まれ方と育て方を考えるメディア」。キャラクターなどのコンテンツ関連と新しい小売りの最新情報、商品開発の実態を追うメディアです。
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