Who is 145?

「145マガジン」に至る経緯

 145マガジンの「145」は僕、石郷 学(Manabu Ishigo)の名字の当て字です。そんな僕、石郷 学がどんな思いでこのメディアを立ち上げたのか、その原点は僕の過去の話にあります。

ファンシーキャラクターの業界で

 僕は、もともとキャラクター業界の業界紙「ファンシーショップ紙」の記者出身で(ちなみにサンリオ担当でした)。とにかくできない記者で、何を書いても赤字で埋め尽くされ、苦痛の日々でした。ただ純粋に、キャラクターが好きだったので、やり続けられたと言っても過言ではありません。

 ダメ記者のイメージはずっとありました。でも、粘り強くその文章の書き方については、当時の社長とずっと膝を突き合わせ、話し合い、書き続けていました。その御恩は忘れません。

 ダメ記者だったイメージが一新したのが、当時、敏腕の編集の先輩が退任した時です。その先輩がいなくなったからこそ、先輩がいなくてもやれるだけの力を備えようと思ったのです。文章力を高めつつも、まずは自分の企画力で勝負しようと考えました。これが良かった。

 当時のアパレルブランドのヒットを予感することに繋がったのです。ナルミヤブームです。これは来る!と予感し、他より先駆け、深く記事で追うことで、その文具の発売日、僕は驚きの光景を見るのです。ナルミヤ文具の売り場は物凄い行列で、僕はその予測を当てることになり、自信をつけました。

ラブサイン
ラブサインのモデルや一緒に手掛けた方々

 何か一つ強みを得ると強いものです。ライターなのに「nocola」モデル 小林涼子さん、「ピチレモン」モデル 御前美帆さんら、女子中高生と共にブランド「ラブサイン」をそのメディア内で立ち上げることを会社に提案して、それを具現化しました。(それが上の写真です。)

 それは10社以上から関連グッズを発売させるに至り、リプトンのキャンペーンや、ファンタのキャンペーンにも起用されるなどの成果を見ました。

 この頃になると、記者なのに記者らしくなく、また少しばかり脚光を浴びる立場になっていきました。全く人生とは予想できない展開が起こるものです。

ジュエリーの経験を経てモデルと組んで

 その後、ライターの経験だけでは商いを理解しきれないと気づくと、なんと無謀にも記者を辞めてしまいます。ジュエリーのオンラインストア「Jwell」で小売を知り「うてちん」こと右手愛美さんらとジュエリーを企画しますが、そこまで大きな売り上げを叩き出すことができず、商品企画の難しさにぶつかります。

 その後、アイフリークで、ギフトサイトの商品MDを経験。ジュエリーの時代の仲間の後押しもあり、思いがけずリベンジの機会が生まれます。モデル矢野未希子さんとのジュエリーの企画を社内で提案。前のジュエリーでの経験を糧にしてディレクションを行い、non-noやSteady.、Amebaブログなどと連携してヒットにも恵まれて、当時の会社の社内で表彰されるに至りました(下写真)。

矢野未希子さんと
モデル矢野未希子さんと会社から授賞した賞を手に喜びの記念撮影。

 その後、ジュエリーにとどまることなく健康食品の企画にも挑戦。きっかけはダイエットサプリが当時、大抵大きなボトルに入っていることへの違和感。「これでは女性は恥ずかしいのでは」と直感。敢えてフリスクケースに入れて、必要に応じて持ち歩けるというコンセプトで売り出しました。

サプリをフリスクケースに入れたポケス

 そんな新感覚ダイエットサプリ「ポケス」もヒットとなり、手掛ける企画の幅も広げて、その後、自分の人生にはなかった営業の経験も初めてしました。

 その後、独立をして自分考案の洗顔ジェルを販売。ただ、自分を過信していたのかもしれません。良い商品を作れば売れるという変な確信が仇となり、原価の高い洗顔ジェルを作ってしまいました。全国の温浴施設を自ら実演して歩き、売れなくて、途方に暮れたことは、数しれません。

 その後、もう独立なんかするものかと思い、ビューティゲートという美容系の問屋に助けてもらい(拾ってもらいと言ったほうが正しい)、お仕事をさせてもらいながらも、ある時、とある言葉が耳に残ります。父が「(お前は)好きなことを仕事にしているんだよなぁ」という言葉。讃えるようにそう言われた時に、何か「そうではない」と感じたのです

 好きな事を仕事に、その言葉で言うなら記事を書いていたときなのではと。編集者としての道を模索することになるのです。

苦しい経験もありながら、EC業界メディアの編集者に

 そこで、思いがけず、出会ったのはEC(ネット通販)業界の専門メディア「ECのミカタ」でした。思いがけず、僕はまたも編集者となりました。まあ、そんなボロボロの経験もしているので、ゼロからやろうと。いち記者として入社して、なんでもやろうとそう志を新たに取り組んでいました。前の記者の時代は、編集長にはなれなかったので、今思えばこれが編集者としてのリベンジだったのかもしれません。

EBSでも講演しました
EBSでも講演しました

 その点で言えば、編集長にも就任しました。僕はどちらかというと感覚的に動くタイプなので、定番的な記事というよりは、自ら切り口を次々考えて、取材を繰り返すうち、目標達成と共に、そこでの功績は讃えられその結果に至ります。

 以後、僕はメディアを運営する立場で、編集部を率いて、また講演などの機会にも恵まれ、全国を行脚し、大袈裟かもしれないけど、少し名の知れた存在になりました。それは、メディアの信用を高め、ブランド価値を高めるようという気持ちの裏返しで、編集長として気づけば約5年近く務め上げました。僕自身の成長とともに、ECのミカタは大きなメディアへと成長しました。MIKATAの創業者の方に怒られるかもしれないけど、だから、ECのミカタは今でも自分の子供のようなかわいい存在です。

様々なジャンルに飛び込んだのは個性になった

 じゃあなぜ、起業か。僕はわがままゆえ一つのジャンルにとどまらず、EC業界、美容健康業界、ジュエリー業界、キャラクター業界とあらゆるジャンルを経験して、結果的に、唯一無二な人生の歩み方をしました。

 そして、その時々に人に支えられてきました。だからいつしか僕のテーマは「恩返しをしたい」。そして、そこで出会った仲間と、今一度、やっている事に僕の筆で光を当てて、讃えたい。また、一緒に企画や商品を作ったりもしてみたい。だから、業界の垣根を超えたこのメディアの創刊を着想することになります。このメディアは記事は勿論のこと、企画や商品が生まれるプラットフォームであり、コミュニティでありたいと思っているから、会員制にこだわり、記事広告を排除して、忖度なく記事を書きたいとポリシーを立てました。

 だから、メディアであり、コミュニティである。

 不思議なものですが、ダメ記者と言われた僕ですが、今ではその文章にファンがいます。だから、繰り返しますが、僕は僕の視点で書き続け、そしてそれを通して共感を生んで、素晴らしい人、商品、企業に光を当てたい。また、その共通の価値観を持った人同士で、何かまた世の中をあっと言わせる商品なのか、シーンなのか、コンテンツなのか、それを提案してみたいのです。

 のぼり下りのある人生ですがまた登り坂を駆け上がっていきます。どうか型破りで、でも人間想いで、素敵に世の中を変えていきましょう。

 ※最後に、先日、OZIEの店長にして、柳田織物 代表取締役 柳田 敏正さんからお誘いがあって、こんな動画で想いを語っていますので、よろしければ、ご覧ください。

こんな僕ですが、どうか、宜しくお願いします。

「145マガジン」は、小売業界とキャラクターコンテンツに焦点を当て、魅力的な商品や売り場に活気をもたらす人や企業に迫り、その裏側にあるドラマを追うメディアです。
詳しくはこちら

最新記事

会員登録してメディアに参加!

京都の高級食パン!宮原華音が初体験するその味は?

人気記事アラカルト

過去の記事もみてみよう

2021年1月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031