Who is 145?

「145マガジン」に至る経緯

不器用ながらひたすらずっと“挑戦”し続けてきた。

 僕はメディアに関わることを意図して、就職したのにも関わらず、辞めてしまいます。ダメ記者だと言われるところから始まって、業界内で名物記者と言われるほどにまでなったのに。でも、そこで変わったのです。記者だけではなく、キャラクターブランドを運用して、新規事業を起こすことを体感して。自らが提案した企画や商品で、世の中を動かしてみたいという夢が大きくなるのです。

ジュエリーの経験を経てモデルと組んで

1.下代で2万以上で送料無料

 自ら企画を起こすためには小売を知らないといけない。挑戦の意味で、スパッと記者を辞めて、飛び込んだのは、敢えてキャラクター業界以外でした。門を叩いたのは、なんと畑違いのジュエリーのEコマースサイトだったのです。それが「ジェイウェルドットコム(Jwell)」です。ところが、、、、

「下代で20,000円以上で、送料無料でいいから」。

 取引条件で当たり前にいう用語の一つも意味が理解ができなかった。「そんな言葉も知らないの?」という話ですが、記者だったので小売の知識は皆無。それが当時の僕でした。それだけ無茶な挑戦をしているってことでもあります。おまけに僕は細かい作業が苦手。Eコマースでの業務内容を知るために、カスタマーサポートの仕事もさせてもらえば、なんとまあ手際の悪いこと。

2.最初のジュエリーの商品企画

 でも、会社からは商品企画のチャンスをもらって、甲府の工房Gleamさんとモデルとジュエリーを作り始めます。モデルは「うてちん」こと右手愛美さん、彼女のモデル仲間の追留愛美さん、加戸佑香利さん。

 例えば、「ハワイアン風×ひまわり」ネックレスなど、アイデアは良かった。ハワイアンジュエリーというと、まずハイビスカスやプルメリアをイメージするでしょう。でも、右手さんはそれをひまわりにしたんです。

 ただ、僕がダメでした。掛け率等のビジネスが少しわかったとはいえ、彼女たちの意向をフルに盛り込んで、割高な商品となってしまったのです。その上、プロモーションをかけることすら企画できませんでした。大コケです。すみません。

3.ペットアクセも『THE KISS』と企画

 さらに、『THE KISS』というブランドに訪問します。Jwellの田代社長がザ・キッス(当時、東京トレーディング)の李社長に話を進めてくれたのです。それは、「ペットと彼女のペアアクセ」という企画でした。「これからの男性は彼女のワンちゃんにもプレゼントして男の株、あげなきゃね!」。それが僕の考えた視点でした。

 『THE KISS』はペアアクセサリーで有名だったのです。ただ、それはカップルを意識したもの。ならば、切り口を変えて、ペットとのアクセサリーを手がけたわけです。

 しかしこれも尖った企画すぎてそこまで売り上げが伸びなかった、、、もう心から反省。酷いものです。貢献できない自分は「自ら商品を企画するには商品の仕入れから学ばないと」と考えて、ここで新たな旅立ちを決意します。

ジュエリーでの失敗を糧に取り返す「みっこジュエリー」

1.商品MDにトライ

 それが当時のフィール・ジーで、アイフリークという上場企業の子会社でした。

 不思議なご縁で、以前、僕は記者をやりながら「ラブサイン」というコンテンンツをディレクションしていた時に、最もヒットしたのが、アイフリークのデコメール(今で言うところのLINE)でした。

 その会社で、デコメールの価値を上げるために、デコメールでギフトを送る(今でいう「LINEギフト」のようなもの)ギフト事業が立ち上がったのです。運営する会社がフィール・ジーで、僕はそのMD(マーチャンダイズ:商品計画)として採用されるのです。

2.図らずも再び、ジュエリーの商品企画をすることに

 当然、商品の仕入れなどを主にやっていました。けれど、仕入れ商品をやるには限界が出てきたのです。そこで、差別化をするために、オリジナル商品を自社で作ろうという発想に至ります。

 それで「non-no」トップモデル矢野未希子さんとのジュエリー企画を社内で提案しました。それで、そこでどうしても矢野未希子さんが良かった。

 なぜでしょう。その反省点としては、上記に書いたジュエリーにおいて、伝える力が圧倒的に弱かったからです。モデル云々よりモデルという良い素材がありながら、ターゲットを意図せず、それを活かせなかった僕に責があります。

3.ファンを抱えるモデルの才能を応援し、道なる商品を手がける

 その点、矢野さんは「non-no」の看板モデルで、6誌にモデルとして出ていました。そこで見えたんです。お客様と商品との接点が。

 要は、その先にファンがいるから、そこを通じてアピールすればヒットの確度は上がる。そこに彼女の才能を掛け合わせれば、両者は紐づきます。そうすれば、これまでにない女性にとって喜ばれるジュエリーが人々の手に渡ると考えたのです。

 とはいえ、これに対しては風当たりが強かった気がします。一つは、デジタルコンテンツの会社なのに、商品の在庫を持って販売するのかという話。

 もう一つは「メーカーですらない」会社が、トップのファッションモデルにお願いできるものなのか。一緒にジュエリーを作る話に乗るはずがない。そういう意見が多かったと記憶しています。

4.みっこジュエリーが実現

 でも、本当に人生とはわからないものですよね。

 僕は、そのトップモデル矢野未希子さんとのジュエリーをその事務所に行って、直談判。周りを驚かせたのは、実際に、その交渉を決めてきてしまうのです。記憶が確かなら、大手ブランドからのオファーもあったと言われていたように思います。それでも、その事務所は、僕と組む事を選んでくれたのです。

 忘れもしない、矢野未希子さんが当時、所属する事務所フロス 落合社長。彼女が「石郷さんにお願いしたい」と言ってくれたのは、なぜでしょう?

 それは、実は、僕が以前、ラブサインというコンテンツで、その事務所のモデルと一緒に商品開発をしていたからです。落合さんは、そこでのモデルとの取り組みをマネージャーや本人から全て耳にしていました。

 それで、今でも忘れないのですが、その社長に言っていただいた言葉が・・・

「過去を振り返っても、あれだけ、うちのモデルが仕事に率先して一生懸命に打ち込むのは、そうはありませんでした。だから、石郷さんならうちの矢野も大事にしてくれる。だから、この件、石郷さんにお願いします」

 信じられませんでした。本当に感激しました。そのジュエリーの企画の背中を後押ししてくれたのは、まさにその社長だったのでした。人生は一続きなのだと思いました。どんなことも無駄じゃない。

5.会社の決起会で賞を受賞

 さて、そこで始まった矢野未希子さんとのジュエリー企画。彼女の主張は尊重させつつ、原価と卸値と、そして上代(定価)のバランスを考えました。その戦いの軌跡は下の写真の「ほぼ日手帳」にも表れています。広辞苑並の分厚さになっていました。笑。

 また、社内の在庫に対しての声を受けて、考えたのはネットを重視すること。受注をベースに生産をかけることでコストを抑えるようにしました。幾度となく打ち合わせを繰り返して、実現に漕ぎ着けます。

 当初は自社でのオリジナル商品を謳っていました。結果、扱いたいというお店の要望も強く、売り先を増やして展開をしました。プロモーションの大事さを痛感していたので、non-noやSteady.、Amebaブログなどと連携していきます。加えて、各々の通販に提供することを条件に掲載を勝ち取るわけです。

 中でも、忘れられないのは、non-noのオリジナルバージョン。

5.non-noの最初のページにみっこちゃんのジュエリーが

 仕掛けも抜群にハマりました。「non-no」の表紙をみっこちゃんが飾り、めくった最初のページにみっこジュエリーが掲載されて、それがnon-noの通販ページに飛べるようになってます。

 そりゃ売れます。その日の朝、何冊もnon-noを買い込んで、それを会社の朝礼で説明した時の興奮は忘れられません。

 当時の会社の社内で表彰されるに至り、その盾には矢野未希子さんのサインを書いてもらい(下写真)今も大事にしています(笑)。

 真似は嫌だから、キャラクター業界以外に飛び込み、掛け率すらわからないくせに、商品を作ろうと挑む。そして、実際、ジュエリーを作れば、見当違いで当たらない。でも、結果、過去やってきたことが、自分を後押しして、矢野未希子さんとのジュエリーではヒット。

 そして、なにより嬉しかったのは、そのジュエリーの時に言われた、ひとまわり離れた経理の方の「感謝の言葉」でした。

 「娘にジュエリーをプレゼントしました。あれだけ笑顔を交えながら、楽しく娘と会話をしたのは久しぶりです。ありがとう」。

 ああ、僕はサンリオの辻信太郎さんとは違った形で、少し近づけたかもしれないと。「人と人の間に入り、両方に笑顔をもたらす」。それは大きな自信になりました。

145はマガジンは「ヒットの生まれ方と育て方を考えるメディア」。キャラクターなどのコンテンツ関連と新しい小売りの最新情報、商品開発の実態を追うメディアです。
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