“ここがヘンだよ! 小売 の構造” 卸売 の規模感に 時代錯誤 ?
コロナ禍でガラリと変わった小売の様相。そんな中で、現時点において「小売」の構造が時代に適応できているのか、疑問に思った。そこで、僕は元大和総研チーフコンサルタントで デジタルコマース総合研究所 本谷 知彦さんに話を聞いてみた。シンクタンクとして経産省のEC市場調査を7年連続で行い、ネット通販に限らず、広く小売に関してのデータを集めているからだ。その数値で違和感を感じたのは卸売の規模感である。
小売の売上総額<卸売の売上総額
改めて、それをデータで見てみよう。本谷さんが示してくれた中で気になったデータは、こちら。日本の小売における売上総額の数値である。
小売業の売上総額は、財務省法人企業統計が公表したところでは、140兆円にのぼる。ところが、それに対して卸売業の総額は約350兆円。その数字が気になった。なぜか?通常、メーカーは商品をまとまった数量を生産して問屋に卸す。それを譲り受けた問屋は、小売店向けにそれぞれの売れる数量に小分けにして卸す。それぞれが取り分をとっていくから、本来、小売店で販売される「定価」が一番高い。
「卸値」はというと、業種により差はあるが定価と比べるとその半分程度、である。だとすると、小売業の流通額が一番高くなるはずなのだ。ところが、卸売業でやり取りされている売上総額の方が高い。350兆円だから、小売業の総額(140兆円)の金額の倍以上だ。
問屋は一つでなく複数存在して立場を守っている?
問屋の方が商品が流通している?この点、本谷さんはこう分析する。実は、「問屋と言っても一つではないのです」と。つまり、複数の問屋にまたがって、小売店に行っているからなのだ。メーカーから決まった一次問屋、そして、二次問屋を経て、ようやく小売店にたどり着く。
だからその分、卸売業の流通額が増えるのである。だとすれば、この数が正当なのかもしれない。
かつてのルールで言えば、リアルでの店舗に卸すことを前提としている。その問屋の存在は仕方あるまい。しかし、今はデジタルで効率化を図れる時代である。わざわざここまで色々な問屋を経由する必要がないのではないか。
一次問屋、二次問屋が存在する理由は、なぜか。問屋が下請けの問屋を持つことで適切な規模で商品が行き渡る。つまり、「規模に合わせて効率を重視した結果」なのだ。でも、こうなると、問屋の存在感は強くなる。だが、選り好みが生まれるのはやむを得ず、商売上、小さなところにチャンスが回ってこない傾向もあるのだ。
僕も以前、小売に関わっていたことがあるけど、仕入れる商品の数量が少ないと断られる。「それはうちではなく、うちの下請けの二次問屋を使ってほしい」と当然に促される。大きな問屋が受け付けてくれないのである。
規模の小さな店は諦めざるを得なかった構造
だから、仕方がない話ではある。しかし、扱う規模が小さくなる店ほど、二次問屋ないしは三次問屋の利用を促される。その分、様々なところの取り分が増えて、自分の取り分は減少する。ということは、小さなところはメリットがなく成長の見込みもない。そういうことになる。
だから、小さな店舗は消えていく運命にある。大きなお店ばかりが有利になってくるのは、こういう問屋の構造ゆえである。ただ、よく考えると、これは一つの商品が大量に売れることを前提としている。つまり、この構造自体もマスをベースにしたものであったと思うのだ。
その中で、ネット通販がもたらした革新とは何か。まさに、そういうルートを通らずとも、直接、お客様と渡り合えるようになったことにある。特に、D2Cの到来はそれにより小さな企業にチャンスを与えた。
バルクオムなどは男性向けの化粧品というニッチなニーズながら、成功した。というのも、ネットなどで身の丈に合わせて投資をして、それで利益率の高さとともに、少しずつ拡大。そこで資金を回収して、そのニッチな層であったはずだが、大手ドラッグストアに並んでいる。
新しくお客様と接点が生まれる中、卸は今のままでいいのか?
だから、そこで話が戻ってくる。同じくネットは、問屋の構造にも切り込めないのだろうかと。それと同時に、このような時代にあって、この小売の構造は適切なのだろうかと。そして、余分にかかるコストを軽減し、それを別のサービス向上などに還元できないだろうか。まさにこの構造の根本にある一次問屋の変貌が肝となりそうだ。
「一次問屋にはどんなところがあるのか」と本谷さんに質問した。すると、例えば、食品で言えば「三菱食品」が挙げられる。では、(その企業に限らず)一次問屋と言われるところのその卸先にはネット企業の名前があるのだろうか。その答えはNO。すると、殆どがリアル系の企業であった。
下の図を見ればわかる。
やっぱり流通そのものはリアルを軸に形成されているのではないか。時代錯誤を感じなくもない。
なぜネットの取引先がないのか
何故三菱食品の卸先に「ネットがない」のだろう。
これも本谷さんと話して、そもそも、ネットの概念に「問屋」という概念が存在していないからと。
例えば、「マツモトキヨシ」のような薬のチェーン店、「ヨークベニマル」のような食品のチェーン店。それらのチェーン店は、その土地における買い物の利便性を高めるわけだ。
薬、食品と特性(ジャンル)に寄せて商品を集めて、売り場を分け、そこに人を振り分ける。それで人を集中させるわけだ。ところが、この概念がネットとは一致しない。つまり、リアルのマス・マーケティングの概念とネットとの間には親和性がない。だから、最初から問屋はネット系に卸すことを意図していないわけである。
だから、逆にいうと、リアルの店舗がデジタル化する必要があるということなのだろう。
リアルはリアルで保持しながら、それらをデジタルと掛け合わせて、顧客単位で繋がるのである。そのとき、「三菱食品」のような一次問屋は、その存在のあり方を変えざるを得ないタイミングが来るに違いない。なぜなら、今度はリアル店舗が数ではなく、人で絞りをかけて、入荷数を減少させるからだ。それはデジタルによって。
卸の構造は時代とともに変化すべし
結果的に、二極化が進むだろう。リアル店のうち、小さなところは淘汰される。でも、それでも、生き残る中小企業をフォローしないと、今度は一次問屋が数を捌ききれなくなる。おのずと、二次問屋の存在感は薄れていくだろう。結局、ネットを起点にして、大量な数を捌く一次、二次の問屋構造は縮小していくのではないかと予測できる。
その時に、一次問屋はリアル重視でいいのだろうか。デジタルを取り込みながら、構造自体を徐々に変えていき、歪になったその構造を脱却して、偏った利益構造を変えていかなければ、多分、日本は沈んだままだろう。
これだけ大きなコロナ禍にあっても、問屋は、既存の得意先である小売に寄り添ったような施策を打つのみである。ここの部分を、自ら改革して、その粗利の配分を変えていくことになれば、真に小売はデジタルの恩恵を受けて、利益が多くの働く人に還元される。
他国のGDPが成長しているのに、日本だけ立ち止まったままである。
だから、大きすぎる問屋業の売上総額に、日本の変われない実態を見たのだ。利益が生まれる構造になっていないのだ。だから、デジタルをてこに、まずはここの部分にネットがメスを入れることが、実は失われた30年を取り返す要素になるのではないか。この膨れ上がった問屋の構造にメスが入ることで、必ずやそれが日本の未来を明るくすると考えるが、皆さんの答えは如何だろう。
今日はこの辺で。