キャラは、命の分け方かもしれない ―― デザインフェスタ Vol.61で出会った7人の作家たちの物語

キャラクターを描くということは、絵を描くこと以上に、自分の内側から何かを切り出す行為なのかもしれない。2025年夏、東京ビッグサイトで開催された「デザインフェスタ Vol.61」。その雑踏の中で、静かに、でも確かな温度を持って心に残った7人の作家たちがいた。
昭和レトロな動物キャラから、食材に命を吹き込んだキャラ、そして紫陽花の色の違いに感情の揺らぎを込めたものまで──彼らの語りには、それぞれの”命の分け方”があった。
セルフプロデュースで世界とつながるキャラクター戦略
NFTで累計3,500万円を売り上げたROKUさん。そのモチーフとなったのは自作キャラクター「JUNKeeeeS(じゃんきーず)」である。その後、デザインフェスタで様々な商品を展開し、世界観を表現。今は改めて、アナログの重要さを実感し、そこに打ち込む。今回は、自ら漫画化。冊子にして自主制作・販売まで。

また自身も、KDDIやカプコンのアンバサダーも務めるなど、その活躍はデジタルの枠にとどまらない。マーケティング、コラボ企画、最近は学校の講師まで。「キャラを描くだけでなく、キャラを動かす」ことの時代性をまざまざと示してくれる。
最近、思わぬ伏兵が注目を集めているとか──その名も「ポテトくん」。

本体とも言える「JUNKeeeeS」からスピンアウトして生まれたキャラですが、いまやその存在感は侮れない。
ガツガツと前のめりな印象が強い「JUNKeeeeS」に対して、ポテトくんにはどこか“付け入る隙”がある。だからこそ、愛されやすいのかもしれません。ふと、「この作家さん、もしかして女性ですか?」と聞くと、「そうです!」とにっこり。
この女性的なコミュニケーション性の高さ──案外、この作家さん、もっと伸びていく気がしている。ある意味、キャラクターの広がりが“彼”の人脈によって成り立っていることの証と言えるだろう。
「ころとまる」:懐かしさに宿るやさしさ
「昭和っぽいと言われるんですけど、それが嬉しくて」──そう笑った作家のブースには、ゆるやかな線と優しい色味の動物キャラクターたちが並んでいた。そのレトロなテイストは偶然ではなく、意図的なものだという。
きっかけは、親が持っていた昭和時代の少女誌。そこに描かれていた“今とは違う可愛らしさ”に心を惹かれ、「自分でも描いてみたい」と思ったのが始まりだった。

中でも看板キャラの「ころとまる」は、どこか懐かしさを感じさせる動物の姿をしている。
もともと、昭和のテイストを取り入れながらさまざまな動物を描いていた中で、ふと「自分が飼っているフェレットをこの世界観で描いてみよう」と思いついたという。かつてこのテイストでよく描かれていたのは猫だった。だからこそ、あえてフェレットに置き換えてみることで、どこか既視感がありながらも、唯一無二のキャラクターが生まれたのだ。
その創作には、好きなもの、可愛いと思えるもの、そしてどこか“子供心”のような純粋さが溶け込んでいる。
ノスタルジーとは、ただ懐かしむためのものではなく──今の自分の“心の芯”を静かに呼び起こしてくれるものなのかもしれない。彼女の作品は、そんな大切なことを、そっと思い出させてくれる。
「牛乳坊や」:海外にもこぼれ出す、まろやかな日常感
tanakasakiさんの描く「牛乳坊や」は、牛乳パックからぽてっとこぼれ出る、小さくてまろやかなレアキャラだ。レトロなタッチと、どこか憎めない表情が特徴的で、雑貨に展開されると、その空気感はしっかりと手元にも伝わってくる。
最近の動きとしては、彼女のキャラクターがアメリカや台湾など海外にも届いていること。「アメリカで“日本から来た”って言うと、すごく喜んでもらえるんです」と、海外のイベントでの反応を嬉しそうに話してくれた。
キャラを思えばこそ、グッズの中での色や形を再現する難しさと向き合う。自身で描いたキャラは、昇華転写という技法で商品に仕立てる。(※デザインを専用の転写紙に印刷し、熱と圧力で素材に転写するプリント方法)。依頼する先によって特徴が違うからそれを活かして、依頼先を決め、商品を定着させる。

その丁寧なものづくりと、“言葉を超えて届くキャラ”が、国境を越えて静かに広がっている。
ちゃんりづ「トゥインクリングアイズ」:目に光を宿す理由
顔に焦点を当てた絵が印象的なちゃんりづさん。活動し始めてから2年ほどだが、一貫して、このテイスト。なぜなら、共通して目が輝いている。彼女は、トゥインクリングアイズと呼んでいて、それでポジティブさを表現したいのだという。
ポジティブという事は前を向いている。前を向いていると、自ずと目に光が入ってくるというわけであり、それを絵で表現しているから、このテイストになるというわけなのだ。

絵を通して、人に前向きな気持ちになってほしいという意味合いなのだ。最近、世間的に諦めの風潮が強いけど、逃げる事なく、前を向いて歩き続けてほしいという今ならではのメッセージが込められている。
なぜ、そこまでこだわるの?と聞くと、「自分が頑張っていないと、生きてる意味が分からない」。前向きであること。それは時に無理をしているようにも見えるが、彼女にとっては生きるために必要な姿勢。今があるのは、そうやって、奮い立たせて頑張ってきたからこそ。
そのポジティブシンキングを持つ事は、その人自身の生きる意味になる。ポジティブシンキングが生きる力であり、その生きる力を皆にもってほしいから、その原動力を、キャラに込める。
キャラの瞳に宿る光は、そのままちゃんりづさんの生き方そのものだった。
azumor「モッティー」:命ある食べ物に、楽しさを
azumor(あずもあ)さんが描く“モッティー”は、肉や野菜など食材をキャラクター化したシリーズ。きっかけは日常。スーパーで食材を見ていて「これキャラになるかも」と思ったのが始まりだ。
ゴボック爺さんは、ゴボウいう具合に、食材などがモチーフになっている。けれどそれは、ただの可愛さだけではなく、“命の尊さ”をユーモアで包んだような存在だ。

「私たちって、食べて当たり前と思っているわけじゃないですか。でも、店に並んでいるごぼうだって命。それをいただくことって、ありがたいことですよね」
なるほどね。面白いなあ、何気ない日常も人が変われば、その視点も表現の仕方も変わっていく。食と命と創作が、軽やかに、でもしっかりと結びついているのを感じた。
Nagi「PHINK」:紫陽花の色に映す、感情のグラデーション
「紫陽花って、土壌によって色が変わるんです」
その一言から始まったNagiさんの語りは、静かでありながら、確かな芯を感じさせた。キャラクター「PHINK」は、紫陽花をモチーフにした存在。その色の違いには、人の心の移ろい──環境によって変わる感情のグラデーションが重ねられている。

「子供の頃から、梅雨の季節のあの色合いが好きで」──そう語るNagiさんのまなざしには、柔らかな情熱が宿っていた。
紫陽花の色は、実は土壌の栄養成分や酸性度によって繊細に変化する。そんな植物としての仕組みに“好き”の延長で気づいた彼女は、そこに感情の揺らぎや多様性を重ね合わせ、紫陽花をさまざまな色で表現するキャラクターへと昇華させていった。
PHINKは、今後商標登録も視野に入れているというから、その“紫陽花愛”は本気だ。「土の成分で花の色が違うなら、私たちの心の色も、育つ環境で変わるんじゃないか」そんな小さな哲学が、静かに、そして優しく、キャラクターの色合いに宿っていた。
サカノシタクロリ「ちっこい映画鑑賞者」:まち針の先に物語を宿す
極小サイズの粘土作品を、まち針の先に宿らせる作家・サカノシタクロリさん。そのブースに並んでいたのは、ただ“かわいい”だけでなく、思わずストーリーを想像してしまうようなミニチュアの数々だった。

中でも印象的だったのが、「映画鑑賞をしている人」をモチーフにした作品。まち針の先端、米粒ほどのスペースに、静かに椅子に腰かけ、スクリーンを見つめる小さな人物が座っている。「まさかポップコーンは持ってないと思いますけど(笑)」と語るその声には、どこか作品への愛おしさと、見る人への遊び心が滲んでいた。
彼女にとって作品とは、誰かの日常の中に“ちいさな物語”を届ける存在なのだ。はじめは自分用に作っていたというが、今では「お客さんのように見てくれる人」が増えたという。静かに、でも確かに心に残るその世界観は、見る人の暮らしの片隅に、そっと“たのしみ”を差し出してくれる。
命の分け方としてのキャラクター
キャラは、絵として見ればただの図形かもしれない。でもその奥には、それを生み出した人の「想い」や「記憶」や「願い」が詰まっている。どの作家も異なるジャンルや表現方法を持っていた。
けれど、共通していたのは、キャラに“命のような何か”を分け与えているという感覚だった。描くことは、命を分けること。そして、その命が、誰かの心でまた芽吹く。
面白いのは、それを受け止める人によって受け止め方が違うことだ。めめという作家さんが、二人の女性が並んでいる絵を描いて、こう言っていた。

人によっては双子だと思う人もいるし、合わせ鏡と思う人もいる。それは人ぞれぞれで受け止めて貰えばいいと。作品は手がける人の表現を超えて、受け止める人の感性でさらに開花する。それこそが、キャラの力であり、アートの奇跡だと思う。
今日はこの辺で。