小売店とメーカー 在庫の責任はどちら?米国事例に学ぶ
アメリカ に目を向けるとウォルマートは店とメーカーとの役割を上手に分担している。つまり、お互いの力を最大化している。リンクス代表取締役 小橋重信さんは海外で小売の躍進の舞台裏を話してくれた。日本の商いは独自なものではあるけど、敢えて違いを知ることで日本の小売店やブランドの飛躍に繋げたい。
日本独特の“小売店”を理解すると 未来 が見える
1.ウォルマートの「第1世代」流通
ウォルマートはそれまで(第一世代では)販売しながら、在庫に関してのコントロールを自らが担っている。その代わり、販売価格によって需要を調整してきたわけだ。ゆえに、メーカーはそこから寄せられる発注に基づき、商品を納品していた。下の図の通りである。黄色は責任の範囲である。
ただ、その場合、メーカーは売れる部分の情報が得られていない。だから、小売店からの「発注データ」をもとに、生産をかけることになる。
2.それに対して「第2世代」流通とは
ところが、近年、在庫の持ち方が変わってきた。これを「第二世代」という。
ウォルマートなどの小売店は、その受注予測の精度を高めていくことになり、その情報をオープンにするのである。すると、今度は徐々に在庫管理の部分がメーカー側に移っていくことになる。すると、自ずと生産と管理が直結するようになっていくわけだ。下の図の通りで、黄色の部分が移っているのがわかるだろうか。
3.第二世代では商品の生産性が向上
なぜ、この移行がウォルマートなどの躍進へとつながったのか。
小売店は必要数量だけを納品することになる。メーカーはその精度の高い受注予測に基づき、必要な数量のみを生産すればいい。だから商品の生産に無駄がなくなり、効率が良くなった。まさに、発想の転換である。誰が在庫に関しての意識を持つかで、仕組みそのものが変わったという話なのだ。
だからこそ、エブリデー・ロープライスもしやすくなる。安いと言ってもそれは、在庫一掃のセールとは全く異なる。最初から、粗利を考慮して然るべき数量が生産できる。だから、逆に本当の意味で適正な価格が実現できている。
大量に作ってお店に任せるという大量生産の考え方から脱却できたのは、小売店のデータ収集力が向上したことが背景にある。アメリカの場合、小売店の規模が大きいので、それでもそれなりの数量は確保できて、販売力も高いから、一気にその流れが進んだのだ。
日本が「第一世代」流通のままには理由がある
1.日本独特の事情が商品の生産性を悪くしている
では次に「第二世代」を日本でもこれを取り入れることはできないのか。
日本においては、上記の図でいうところの「中間在庫」の部分が完全に切り分けられて、問屋や商社に置き換わっている。だから、下手すると在庫は問屋や商社が抱えている。結果、小売業全体でも、その存在感は非常に大きく、問屋での流通額が小売店での流通額を上回る。
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だから、小売店の情報も、メーカーの情報も、問屋でストップしてしまう。それで、ブラックボックス化しやすくなり、生産性が高いとは言えない。
そうだとすれば、そもそも、問屋を介した仕組みにこだわる必要性があるのだろうか。そう疑問を投げかけたが「そこの変化が日本では難しいんです」と小橋さん。
2.小さな店が点在するのが日本の特徴
「これは日本の商いの特徴なのです」と。
日本というのは元々、大規模店舗は少なくて、家の近隣に中小規模のお店がかなりの数多く存在する。だから例えばウォルマートのような巨大店舗に行って、色々な商品をある一定の期間分、まとめ買いをすることはない。頻繁に近所のお店に、通っては商品を購入することが習慣として定着している。
それが各地に点在して、その地方独自の商圏を形成したわけだ。故に地方ごとにメーカーの数も多いし、独自の小売店の数も多い。かつての日本の地元の商店街には、それこそ米屋や文房具屋や洋服屋まで何でも存在して経済圏を形成していた。
3.小さな商圏へと細やかに流し込む問屋が必須の日本
すると、個性が入り混じった様々なお店を、ジャンルごと束ねるためには商社や問屋の存在が欠かせない。
ただ、そこでネットは情報革命を呼び起こした。だから必要なデータを可視化して、ダイレクトにお客様にアプローチできる環境を作り出して、問屋の存在意義をなくしたわけだ。とはいえ、根が深いのはそれが一部、影響を及ぼしたのは、町の本屋や電気屋くらいの話なのである。
つまり、問屋が淘汰されつつも、未だそこで商売が成立しているのは、依然として日本では近所で買えてしまう環境があるからで、その生活習慣が変わっていないからだ。おまけに、働く人もいるから、食品系などにおいては特に、そこから脱却できてはいない。ウォルマートが以前、日本に進出してきたときに撤退せざるを得なかった事実とも一致している。
日本は代々、地元の商店との距離感が近い
1.だから問屋と商社は欠かせない
しかも、小橋さんは「まずはダイエーなどの大型のスーパーが登場した。その後、コンビニが出現。日本にあった商店街のお店などが、コンビニに業態へと転換させることで、それを維持してきた」。そう話す。そうか、ネットが浸透する前は、コンビニがあったか。
確かに、子供の頃、友人の米屋がコンビニに転換していた。当時は、「なぜ米屋をやめてしまったのだろう」。そう思ったものだった。
でも、コンビニは理にかなっていたのだ。
2.コンビニが地域を守るインフラとなった
品数を豊富にし、POSに基づき、その地域に即した商品供給を行った。そうすることで、共通化させて自らがプラットフォームになったわけだ。そこを起点に、地域密着のお店を誕生させ、中小の店舗を守った形になった。
なるほど、これは根が深い。この構図は「日本ならでは」だったのかもしれない。島国でここの地域を守ろうとする精神と利害が一致している。だから、コンビニは商社と密接である。ただ、そのコンビニもピークアウトを迎えた。
参考:ネット通販はこうして生活を変える 経産省 電子商取引に関する市場調査 令和三年度
つまりコンビニもまた、それ単体では地域を守れる力を持てなくなりつつある。さあ、その時、皆さんは何を思うだろう。
3.地域を守るのはデジタルと配送か
日本は何を素地にして、今までのような各々の地域で気軽に買い物ができるような環境を失わずにいられるのだろう。その答えは、やっぱりデジタルなのではないか。
第一世代から第二世代へと移った過程を見てもらった。日本は必ずしも、第二世代にはならない。ただ、デジタルは年々、精度の高いデータを安価に、もたらしてくれているから、少なからず、第二世代の発想に近づいていくのではないかと思う。
不思議な話、昨今、D2Cが盛んで、小さな商圏が生まれやすくなっている。つまり、かつてでいうところの個人商店は、さらに、増えていくべきなのだろう。
これからの日本はそれを奨励しつつ、原点回帰なのではないか。
誰でもECに参入できるよう、敷居を高くすることのない、新しいインフラが、求められている。デジタルを通して顧客とつながり、データ分析により生産性高く自ら商品を作り出す。そこに、お客様へと安全に、届ける配送網が整備されることこそ、一番、日本に求められている、新しい“世代”の自分たちらしさではないか。今こそ、日本の商店街を呼び戻し、個々が以前のように、お店を持つ時代なのではないか。
あくまで仮説であるけど、皆さんは、いかがだろうか。
今日はこの辺で。