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一世紀 走り続けた 須田本店 水郷のとりやさん 羽ばたく為に いざ次の100年へ

 商いの原点は品にあり。商品力があってのお客様である。そんなわけで僕は千葉の水郷という場所へやってきた。「 水郷のとりやさん 」を運営する 須田本店 代表取締役 須田健久さんと会うため。まさに、彼は商品力を上げるため、一つの挑戦をしようとしていた。

水郷のとりやさん 地元に愛される店

1.東京から約2時間 水郷で見たものは?

 彼らは「水郷のとりやさん」の名の通り、鶏肉・鶏卵及び焼き鳥などの加工食品を販売していて、この日、なぜ須田さんは僕にきて欲しいと言ったかというと、それらの商品を作る工場を新しく建設するというからだ。結果、事業にまつわるいろんな側面を見て、働くって何か、ネットがもたらした価値って何か、それを痛感させられたので、記事にさせてもらった。

 早速、朝一番で、水郷のバス停に降り立つと須田さんがいつものように、笑顔で現れた。早速車に乗り込むと、「結構、田舎でしょう」そう言いながら、野畑の道を軽快に走り、会話も弾む。

2.転機となったバードランド

 思いがけず、話題は彼が「バードランド」というお店で勤めていたことに及び、彼が社長に就任するまでの話を聞かせてもらうことになって、少しその話もここでさせてもらおうと思う。何故なら、それが、彼が今の“とり魂”を担うに至る原動力になったからだ。

 「本当は最初は旅行代理店に勤めたかったんですけど」と笑い、学生時代、「バードランド」という店との出会いでガラッと変わった。それは実にひょんなきっかけ。たまたま父がTVで見ていた焼き鳥屋さんがそれで「お店を見に行こう」と誘われて連れられて行ったのが最初である。

 「いや〜和田さんには色々教わったなあ」心なしか彼の表情はお店の社長 和田利弘さんの話題に及ぶと、穏やかなものへと変わる。「(和田さんの)地元が茨城なんですがそこの鶏を使いたいと。すると生産者にも意見を言うんです『こうあるべき』と。」一番印象に残ったのは?と聞くとまた嬉しそうな様子。

 「たとえばね、細部にこだわるんです。そのやり方で正しいの?って『考えろ、考えろ』と。今、うちもそうなんですけど、従業員には(イートインコーナー向けで)親子丼を『作る』ときに『みつば』と『わけぎ』を置くんですけど、どっちが右で、どっちが左がいいかって。置く場所によって作業の動線がクロスするかしないかで生産性が違ってくるわけです」そんな感じで、話は尽きない。

3.やきとり一筋の人生

 素を正せば須田さんの家は須田本店と言って、代々地元に愛される庶民派のお店だ。だから、このお父さんもこのお店で加工品とか、焼き鳥を扱っていて、須田さん自身、自分もその跡を継ぐのだろうと漠然と思っていた。

 ただ、今触れた大学生時代に関して言えば、そこまで実は乗り気とは言えず、その理由は焼き鳥につきものの「安くてナンボ庶民の味方」的な一方的なイメージに抵抗を感じていたからなのだ。ところが、彼がこのバードランドに行って、その固定概念を覆されたのは、その彼がイメージしていた真逆、ワインに合わせて飲むようなオシャレな雰囲気で来ている人も洗練されていたからだ。

 こういう焼き鳥屋さんって「アリ」なんだ?と。それがこの須田本店を継ぐ時がきたら、という気持ちを早まらせることになった。また、そのバードランドの出会いがいかに衝撃だったかは行ったその翌日にはアルバイトさせてくださいと申込したほどである。

 それこそ彼は3年間、勤めて今思えば、「やきとり」についてのこの上ない修行の場となって、そして旅行代理店なんて、考えることもなく須田本店にやってくるのである。客観的に見てこれが彼の人生にとって、素晴らしい選択だったと僕は思っていて、それはこの後の文章を読めばわかる。

4.自然の中で“羽を伸ばす”とりの姿

 ちなみに、そのきっかけを作ってくれたお父さんにも思いがけずお会いした。というのも、バス停から僕を乗せた須田さんの運転する車が直行したのが鶏舎だったから。今この場所を受け持っているのはお父さんであり会長の 須田幹雄さんである。

 

 「どの辺にこだわっているのですか」そう聞くと、「農家で育てていくようなイメージですかね。農家の方々は家で鶏を育て、鶏は自由に外へ出て、また食べに帰ってくる、そういう自然に生きる感覚を大事にしています。だから、鶏舎の横で、鶏を放し飼いにしている」と。自然との触れ合い、大事ですね、と僕がいうと「そうです。自然を受け入れ、そこに鶏を放ち、馴染んで、自然に返していく。それが大事ですよ」まるで、子供を思う親のように愛情たっぷりに、須田さんのお父さんはそう教えてくれたのである。

 扉を開けて、特別にその鶏舎の中を見せてくれて、遠巻きに鶏を確かに確認した。写真でもお分かりいただけるだろうか。この日は風が強かったせいもあって、鶏も寒かったのか外に出るより、屋内でおしくらまんじゅうしているかのように肩を寄せ合っていた。

とりと共に羽ばたいた須田本店

1.一世紀の時を「とり」と走り続けた須田一家

 元々須田本店は、1921年、今からちょうど100年前に、須田敬三郎さんという方が創業したことに始まる。農家から卵を買って東京の市場へと卸を行い、傍でお店をやっていた。

 話を聞けば深いのだが、時代に合わせて、さまざまな変遷を経て今に至り、2代目の須田秀雄さんは、鶏を飼い始めて処理場を作ることになって、自分が飼っていた鶏を捌いて、それをお店で販売するようになったのである。つまり、ブロイラーに着目して卸事業によって例えば、企業などにお肉を卸して、料理や材料に使ってもらうことを考えて、事業を拡大する。

2.ブロイラーとしての肉に着目

 そして先程、登場した健久さんの父 幹雄さんの時代になりブロイラーの生産改良に挑むことになって、それが「水郷とり」という部分に繋がる。鶏というのは飼育日数を伸ばして餌を与え、飼育日数を伸ばすとお肉が硬くなると言われる。だから例えば、地鶏はブロイラーよりも3倍ほど、長く飼育するので硬くなるのだけど「水郷どり」はそこまでいかない程度でとどめているのが特徴。

 先ほど、鶏舎での話が鶏への愛に溢れていたのは、彼自身が生きる鶏と共に、事業の成長を担ってきたからなのであろう。それで幹雄さんの代で「やきとり」を販売することになった。わからないものだなと思うのは、後々、そのやきとりこそが通販として販売しやすかったことだ。それは幹雄さんも考えなかったことだろう。温め直しても柔らかいという強みはここにも活きた。

近隣だけではなく、日本中を相手に

1.え?ここ、事務所なんですか?

 さて、須田幹雄さんへの挨拶もそこそこに車はお店へと向い、店に入ろうとする僕に、「その前に裏へまわっていいですか?」と健久さんが一声かけた。それらの焼き鳥などの商品を作る加工場にも案内してくれて、それこそが、今までずっと使い続けてきた加工場である。

 写真を見ていただくとわかるが、衛生環境に努めながら、スペースを工夫して加工品を作り、生産性を高めている。その隣の別室では出荷のスペースがあって、うずたかく段ボールが積まれていた。へえと僕は唸った。本当にお店の裏で、ネット通販の商品にも対応して、出荷もしているのかと思うと、現場の方々の努力には頭が下がる思いだ。

 それと同時に、ネット通販の果たした功績を思うのだ。元はお店と卸だったわけで、それらの事業のキャパシティでは収まらないくらいに飛躍させる要因になったのだから。本当に印象的だったのはその後に紹介してくれたネット通販の部隊の事務所。「え?ここは、、、」思わず、僕が漏らしたのも無理はない。その入り口は、普通の住宅の玄関であって、そこから事務所へと通じる。

 まさに「ハウルの動く城」のようにして継ぎ足し、自宅を改造して仕事場を作っていかなければならないほどで、ついには冒頭にある通り、新しい加工場の必要性を思わせるに至らせるわけだ。その変化はドラマのようで、ネット通販ってここまで人々の人生を変えたのかと思った。

2.パソコンを使いこなくとも挑戦 でも今がある

 応接室、、、という名の実家だから、お茶を入れてくれたのは会長の奥さん。

 僕がそれとなく話を振ると「当時はパソコンが一台しかありませんでした。2001年くらいでしたから、ネットをやっている人なんて、そんなにいないですしね。それでもお正月、新聞で『これからはそういう時代だ』というのを会長が見まして、よし!やろうと言いまして」と語り出した。

 「その年の秋には『楽天市場』に申し込みをして、50歳を過ぎて覚えられないから、と。最初、パソコンのスイッチはどこですか?って状態で電源の入れ方も分からず話題になりました(大爆笑)。最初の頃は1個売れるのが嬉しくてメール一つで大騒ぎ(笑)。でも、私が受注をやり、そのうち、それで追いつかなくなって、息子の力を借りることもあったりしてその成長は嘘みたいな本当の話です」と続けた。

 正直な話、それまでの事業に限界が見えていたというのものも事実で、ネット通販はそこへの期待へ込められたもので、今思えばその一歩の重さはあまりに大きい。皆、そうやって頑張って今があるんだ、きっと。

ネット通販で会社は変貌を遂げる

1.1000円ポッキリで一度ポッキリ折れた心

 結果、それは息子の須田健久さんに譲られることになる。今の出荷量を見ると、さぞかしここまで順風満帆だったろうと思ったけど、不思議なほど、健久さんは正直に話してくれて、見えないところで苦労していることも肌で感じた。

 その後、先ほど挙げた「バードランド」での修行を終えて、須田本店に入ってきた健久さんは当初、このネットショップの担当に就任するも、途方に暮れた日もあった。売上を作ろうと「1000円ポッキリ」という商材を販売。とにかく食べてもらって気に入ってもらう意味合いで、その名の通り、1000円で売ってしまう大盤振る舞いである。

 ただ、確かに数は売れたが、当然ながら原価に見合った価格ではないから赤字。売れば売るほど、社内は疲弊していく有様でスタッフとの距離も生まれていったのだという。

2.須田本店の新たな節目『水郷のとりやさん』

「心配してくれた仲間の店舗が、自己啓発セミナーに誘ってくれて。でも、自己啓発がどうこうではなく、そういう部分に頼ろうとしていた自分にそんなんじゃダメだと思って、変わりました。何のために仕事をしようかという話になって、それでいうなら家族や従業員の幸せだなと。果たして、それは何だろうと考え『お客様の食卓に笑顔をもたらせる』そこを起点にビジネスを、と考えて、顧客満足度を意識するようになったんです」と。

 しばし時を経て、楽天から紹介されたのは「感動ムービー」。「価値を伝えるためには感動を伝えなければいけない」という話で、そういう事を形にすることが、それが健久さんのいう顧客満足度への考えと重なった。そういったことを通して、自分の考えていることと従業員の考えていることの溝が徐々に埋まっていった。「まさに、その辺りから今の『水郷のとりやさん』としての基盤ができました」と振り返る。

 これを以て須田本店としての新たな節目が『水郷のとりやさん』として刻まれたわけだ。

3.社員と共に作った結晶がここに

 100年を迎えた今、健久さんの代になって、史上初めて須田本店の「工場」としての建物を建設することになるのである。どこにあるのかと聞くまでもない。お店以上に大きな建物が店の前にそびえたっていて、それこそが新生「工場」である。彼の新しい挑戦の舞台である。

工場から新たな「水郷のとりやさん」が巣立つ

1.出荷が追いつかない 

 思えば、ネットへの受注が増え、それでもスタッフは助けてくれた。手狭になってもなお、ダンボールの配置を工夫して、器用にまわして、その場所の価値を最大化に努めてきたスタッフ。でも、そんなスタッフが「これ以上の出荷は厳しいかも知れませんね」珍しく言ったのが、今から二年前のクリスマス。「もう決断の時が来ているのだと実感しました」と健久さんは語る。

 1日に何千件というダンボールを倉庫にしまっておかなければならないのに、倉庫もない。 

 何より出荷ができなくて、その為にはお店を閉めなきゃいけなかった。クリスマスシーズンは1週間ほど、お店を閉めていたほど。だから「最初は『出荷』の場所を用意しようと思っていたのです」と健久さん。ところが、「それでも出荷は少ない時もあるわけで、もし1日かからず終わってしまった時に、そこでのスタッフはどうするのか」彼はそう思って「工場」にしようという決意に至るのだ。

 彼自身、ネット通販を通して、多方面にチャネルを持っていることの大事さを学んだというのもある。時にこのコロナ禍、リアルの厳しさも痛感しているから、尚更だ。こうやって場所を作って人が育ってくれば製造のキャパシティも増えてくる。すると今ある作業場を改装して、火を入れる作業ができて製造能力を高められれば、百貨店のギフトにも対応できそう。そんな風にして工場の建設に舵を切った。わずか一年ほど前のことである。

2.お客様を想い、スタッフを想う

 設計図を取り出しながら、彼は感慨深げに、その工場について話してくれた。

 入り口付近にはエアーシャワーがあってそれを吹き付けて中に入ると、そこが作業場になっていて、そこは広くスペースを取られている。当然、ここで捌いた鶏が串で刺されたり、加工されていくわけだ。そして、それらは一旦、保管する為の冷蔵庫なども用意されていて、お客さまに届く準備が整う。思いがけず、こんなことを須田さんが言った。

「実は、石郷さんの記事のことがずっと頭の片隅に残っていて、それを少しでも形にできればと、この新しい加工場の設計にも加えたんです。だから完成前だけど、見てもらいたかったんです」と言い「へ?」と僕。

3.他には到底できない仕事をしたい

 「うまいもの大会の記事で、『失われたと思った日本の商店街がここにあった』と記事に書いてくれていたでしょう。本当にそうだよなと思って。だから、機械を導入することも考えたのですが、僕らのお店がやるのはそこじゃないと思ったんです」そう話した。

 正直に言えば自動化できるものは結構あって、長い目で見たら、その方がコストが抑えられるかもしれない。でも、彼が強調するのは、「それではできない仕事」だと。「うちらで、作ったものは他では作れないよね」そう言われるようなものをと熱っぽく語る。それには一つ一つ手作業で、思いを込めてここからお客様へ送り出すことだと思ったからそれを考慮した設計になっていて、それこそが商店街の温かさだと。

 広く取られた加工場もそうだし、2階にある社員用の休憩所もそうだ。一人一人の価値を重んじて、それを丸ごと力に変えて、商品として生み出していこうという気概がここにはある。

 ここには先程も触れた通り、出荷場も併設していて、冷蔵庫と冷凍庫を完備。ここで梱包作業をしていき、箱詰めしたものはそこに入れて、出荷のタイミングになれば、それを出してトラックに積む。

 トラックはここに横付けできるように設計されている。それは出荷数が増えた今、頻繁に道路に運送会社が出入りしてできたのも地元の方々の協力を得ながらだから、あまりそれで負担をかけさせないようにとの配慮からだ。

4.この加工場は通過点に過ぎず「始まり」

 「正直、これで売り上げが増えるわけではない」と引き締まった表情で語る須田さん。機会損失をしていたものは取り返せるかもしれないけど、そこではない。こうやって地元の人たちや社員の人たちの士気が向上することによって生まれる付加価値に期待しているという。それが「あの会社に入りたいと思えるようになって、雇用を生む」と。

 不思議な話だが、その言葉の節々には、彼が苦しんでいた時代に気づいた「従業員にとっての幸せは何か」というメッセージを思い起こさせるものがあって、それが今までお世話になった地元に対しての恩返しとしているようにも見える。

 だから、言い聞かせるように彼は帰りの車の中で「やりましたね!と言われます。完成したことで目的を果たしたみたいな話も聞かれます。だけど先程、話したことの通りで売り場が増えたわけではないから、『ここから何を生み出せるか』であり『始まり』なんです。僕も含めて社員と共に『他にはできない価値』を生み出したい」と熱っぽく語るのである。

 一世紀 走り続けた 須田本店 が次の100年に向けて、動き出した。この工場は須田さんが大事に育む「水郷のとりやさん」を軸に、誇りある伝統を背負って、もっと羽ばたく為のスタート地点なのである。飛びたて、その工場よ。

 今日はこの辺で。

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