Textile Monster 圧倒的な存在感は カテゴライズされないことで生まれる
僕らの中には定番って存在している。例えば「洋服といえば、これ」という具合に、共通したイメージがある。けれど、そういうカテゴライズされない世界もある。実は、その中にこそ、自分らしい世界の表現や価値があるのではないか。そう謳い、勝負を続ける若きクリエイターに出会った。 NATSUKI HANYU さんだ。自らを“Textile Monster”と表現する。
“Textile Monster”NATSUKI HANYU は 素材を最大化させる
1.学校でやっていた「工作」の延長線上
テキスタイルというのは布製品における生地の様なもの。それを変幻自在に、彼女は表現のツールにして、全く新しい価値を創造している。写真の“衣装”は、僕らの着る服とは全く一線を画したもの。写真の通り、印象的なモチーフである。
主にダンサーなどに貸し出しをしているそうで、それで生計を立てるのは厳しい世界だ。けれど、それでもやるのは、なぜだろう。「自分の世界観でものづくりをしていくのが性に合っていて、それが私にとって意味があることだから」。そう彼女は話すのである。
こちらはInstagram。その評価は着実に。紅白歌合戦でも出ていて、ビックリ。
とにかく一つ一つの発される言葉遣いが印象的。自分の作品は、学校でやっていた工作の延長線上にあるもの。だから、自分のことをデザイナーと呼ばない。そしてデザイン画も描かない。
2.彼女の作品はいつも素材から始まる
え?描かないんですか?。そういうと、うなづいて、この写真の白い“衣装”を紹介してくれた。
実は、全て紙で作られている。その紙は捻って紐状にしてそれを重ね合わせることでできている。紙が重なりあうことで、サクサクっと音が奏でる。御岳だけではなく、音も含め、大事な表現の一つだとか。
たいていのデザイナーは絵を描いてから、素材選びをする。だが、彼女は素材から入る。デザイン画も描かないで、純粋にその素材で「何ができるか」を考えるのだ。だから、途中でデザイン自体が変わることもある。
この「何ができるか」という言葉の意味するところはなんだろう。それを映像にしたら、広がりが出るとか、そういう具合である。素材を触ったりしながら、思いを巡らせ、アイデアを膨らませるのだそうだ。
ちなみに、この“衣装”も布を割いて紐にして、手編みにして徐々に衣装としての体裁ができ上がっていく独特のスタイルを経て作られたものだ。
素材の奥深さは、ダンサーと“衣装”の表現力で最大化される
1.素材は踊るダンサーの士気をもあげる
彼女の手がけた“衣装”でファッションショーも見せてもらった。けれど、表現を身にまとっているという感覚に近い。ダンサーもダンサーで、これを素材にどういう動きがよりその素材感を引き立たせるか、そのモチベーションは跳ね上がる。
2.なぜカテゴライズする必要性があるのか
初めから終わりまで、形にとらわれない。最後に彼女が話してくれた言葉が、その考え方を表現している
「『あなたはデザインの方向へ行くのか』『アートの方向に行くのか』。先生からそう聞かれることが多かったのです。でも、その考え方自体が私にとっては違和感があるんです」と。なぜ違和感なの?そう重ねて聞くと、だって・・・
「なぜ、そこにカテゴライズされなきゃいけないのか」。
僕らが生活する「社会」って枠に当てはめるとそこに“舗装された道がある”ように思える。確かに、多くはその枠に当てはめたくなる。なぜなら、将来が保障されていて、安全牌のように思えるからだ。
けれど、確かに白いキャンバスに縦横無尽に思うがまま、描き続けていく人生の方が、きっと、人とは違う自分にとって納得いくものになるのかもしれない。その意味では彼女の価値観は正しい。
若きクリエイターのチャレンジに拍手を送りたい。自分の世界観に貪欲に向き合うその姿勢は、きっと舗装されていない未知なる道を道に変え、想像し得ない未来にこれまで無かった形で人々を感動させるのだ。
今日はこの辺で。