SNSの外側の価値に光を当てる 「 FEWMANY 」の“作家”愛
ここ最近、「個の時代」で自分を表現しやすくなって、その才能が評価されやすくなる一方で、必ずしもそういう SNS などの活用が得意ではない“作家”さんに光を当てるかも大事な使命だなと。多くのアーティストを輩出してきた「 FEWMANY 」の竹尾さんの話を聞いて思ったことだ。
FEWMANY 彼らが描く作家の発掘術
1.直営店で物を売りながら商品で作家に光を
「FEWMANY」は多くの作家と組み、商品を企画して、製造も行うことで、作家に光を当てる。しかも、彼ら自身が、マルイアネックスにある直営店を持ち、その他、「LOFT」等にも商品を卸して、その最大化に努めるわけである。僕は以前から、可能性ある作家に光を当てる竹尾さんの姿勢には共感していた。
最近は、キャラクターのヒットは、作家のセルフロモーションの要素が強く作用することも多く、そこで、ものすごく力がある作家は、個人では手に負えなくなって、企業(ライセンサー/版権窓口)に任せて、運用する例が増えてきているという。
それはそれで、今の時代を生かした成長であり、個人の努力がしっかり反映される一方で、店側が、「Twitterでフォロワーが何人か?」という基準で、売れるかどうかの判断をする傾向になってきているので、「FEWMANY」は、そこで自分たちの存在価値を感じているという。
2.FEWMANY なりの 作家 との向き合い方
「認知度はあって数万人のフォロワーがいれば、売れるか。いやそうではない。」そう竹尾さんは言う。その話が深いのは、目利き的要素が必要だとする点だ。作家さんの描くテイストを見抜いて終わりではない。彼の中で、同時に、物販であれば、どう落とし込めばいいか。それが頭にある。
そこで初めて、フォロワーが少なくとも、商品化で光り輝く作家の原石を探し当てられる。寧ろ、彼らはそれをプロとしてやることに意味がある。確かに、それこそが商品化の真骨頂だ。商品なので、アーティストの個性をその商品の性質と調和する。うまくいけば、それが商品の付加価値を高める、というわけだ。
彼らがLOFTと組んで、やっている「POP BOX」というブランドでは、それを貫く。聞く限り、これこそが小売店のできる価値なのかも、という気もする。売れているから集めるではなく、商品本位で買いたくなる商品を生み出す空間。そういう意味合いで、その場を提供している。すると、その場所を含めて、そこには長く一定のファンが集まり続けて、新作が出るたび、買ってくれるのだという話をしていた。セレンディピティである。
3.商品化により光を得た作家たち
こちらの作家は村田なつかさん。
村田さんとの繋がりは、深く12年に及ぶ。「POP BOX」にも出ていて、この作家に至っては自分で商品を作ってもいる。絵だけではなく、商品づくりの姿勢にも魅せられて、ファンが購入する。作家自体も絵だけではとどまらず、商品を作って真に繋がりたいと思っているから、ある意味、相思相愛である。
ネットがもたらした革命に才能が発掘されることは、きっかけとしては素晴らしい。ただ、それと商品力は別の問題である。素材と料理は異なる。竹尾さんたちは、その意味で料理にこだわっているわけだ。語弊を恐れず言えば、キラキラ光る素材ではなくても、いぶし銀でもその料理の仕方で、ファンは必ずついてくる。竹尾さんの話が大事なのは、インフルエンサーになることばかりが作家のあるべき唯一の答えにならないようにするべきだとするところだろう。
また、店もメーカーも売れていることをフックに商品を作ることが正解ではないということを強く認識するべきではないだろうか。商品とコンテンツは持ちつ持たれつで、ヒットを生み出すのだと思う。
今日はこの辺で。