デザインフェスタ 62で出会った、ありえない才能たち──誰も思いつかない世界

デザインフェスタという場所は、アートの祭典というより“才能の渦”だ。上手いイラスト、丁寧なハンドメイド、綺麗な工芸──それらも確かに並んでいる。だが僕が惹かれるのは、そうした直線的な評価軸の作品ではない。「どうしてそんな発想ができるの?」
そう思わず足を止めてしまう、異彩の塊。誰も歩いてこなかった道を、自分の感性だけで切り拓いてしまうような人。そんな人に出会えるのが、デザインフェスタの面白さだ。同じように才能に価値を見出す人たちが集まるのも特徴だ。
挑戦者たちを惹きつける土壌
会場を歩いていると、ふいに オノダエミさんが声をかけてくれた。彼女のキャラクター「ひま太郎」は、止まることなく売れ続け、次々と人が手に取っていく。そこへ偶然、海外で活躍する マインドワークスエンタテインメントの近藤健祐さんが現れ、海外でのキャラクタービジネスの話題になる。

聞けば、彼は主にアジアの可能性をさらに拡大していくフェーズに来ていることを口にし、更に、バーレーンなどの新たなところにも積極的に進出して、その可能性の発掘に努めていることを話している。
そうかと。キャラクターはもはや国境を持たず、個人発の創作が世界中で共有される時代だと改めて感じた次第だ。そんな最中、オノダさんが「あ、紹介したい作家さんがいるんです」と言った。
そこからさらに、“ありえない才能”たちの連鎖が始まる。それが、kucchさんだった。今回の記事は、僕が出会った中でも、新たに気になった作家たちについて書こうと思う。
キウイバードをキャラクターにする、静かな情熱の人──kucch
まず、kucchさんの才能は、キウイバードの男の子のキャラで発揮され、派手さではなく“静かな熱量”に宿っている。まず彼女の口から、驚くべきことを聞かされた。キウイフルーツの名前の由来は、鳥にある。実は キウイフルーツはキウイバードに似ているから名付けられた。

つまり、鳥のほうが先。その事実を聞いた瞬間、思わず 「あっ」 と声が出た。ブースには所狭しと、鳥のキャラクターが描かれている。そうか、これが、キウイバードだというのである。
kucchさんは会社員時代、このキウイバードを知ったときに「なんでこんな可愛い鳥をみんな知らないんだろう」と感じたという。そこで、自分の得意なイラストとグッズ制作の技能を活かして、キャラクター化を始めた。
もともと、会社員時代からキャラクターグッズを形にする経験がもともとあったから、それを活かして、商品化を進めていく。なかでも、新作のライトキーホルダーは実にユーモア。スナックの看板のような仕様になっていて、光が灯る。グッズデザイナーとしての経験が感じられる完成度だ。

さらに、最近では、自主制作誌「キウイマガジン」を作り、キウイくんの日常や世界観を丁寧に描いている。また、ファンを巻き込む工夫をしており、SNSで“いいね数だけ仲間を描く”という企画を呼びかけ、そこで226いいねが集まったことから、その数だけ書き込まれた鳥のイラストを大きく掲載した。
彼女の仲間である、オノダエミさんと同様に、キャラクターに息を吹き込む。だから、話しだすと止まらない。作家の個性含めて、このキャラクターの魅力を高めている。
謎解きを超えて、“体験そのもの”をデザインする人──やまださんち
謎解きゲーム体験を提供

さて、この会場には奇想天外な人が多い。特に、強烈な衝撃を受けたのが「やまださんち」だった。彼女は絵を描くというよりは、着眼点の面白さで魅了する。大きく分けて、謎解きとエリンギ。エリンギ?
ともかく、謎解き、LINE連動、QRコード、ギミック、…とにかく 彼女の作品のジャンルは一つに収まらない。
たとえば謎解きゲーム。そのうちの一つは、名刺のように見えるカードからいきなり物語が始まる。一緒に同梱されているのは、新聞仕立ての紙面。これもまた、読んだ瞬間に“謎の世界”へ引き込まれる要素。
別の作品では、付属のQRコードを読み込むと、スマホに“依頼メール”が届き、そこからストーリーが動き出す。ハサミを使って仕掛けを解くものもある。つまり、“ギミック → ストーリー → 解決”という構造がすべて一人で完結していて、そのクオリティは個人の遊びを超えたレベルだ。彼女の魅力は「体験そのものを設計してしまう力」 だ。
印象的だったのは、彼女が語った一言。
「謎解きが好きで、やっていたんですけど、意外と、作る方が好きだなって」
この“意外と”に、才能の本質が宿っている。才能とは努力の積み重ねではなく、自然とできてしまうことだ。それが彼女の場合、“人が楽しむ体験そのものを作れる”という領域に現れている。
エリンギすらゲームに
やまださんちの作品は、もともとボードゲームのイベントに出展したところから始まっている。その制作の流れの中で、あの“エリンギを擬人化したゲーム”も生まれている。聞いたときは思わず「どういうこと?」と戸惑うのだけれど、話を聞けば聞くほど、その発想の源が腑に落ちてくる。
きっかけは、彼女がスーパーでエリンギを買うときの独特な観察眼。
パックに入ったエリンギを見ながら、「この子たち、家族みたいだな」と感じていたという。たしかにエリンギは一本ずつ微妙に形や佇まいが違う。パックはセットだから、複数あって、そこに“人間の営み”を見つけたのが、発想の出発点だ。
ゲームはとてもシンプルで、4枚のエリンギカードを並べ、その中から一つを選び、他のプレイヤーにヒントだけで当ててもらう。
たとえば、語り部役のプレイヤーが「最初に漫才師になって、舞台に立って“どーもー!”と挨拶してそうなエリンギはどれ?」と言うと、他の人がカードをよく見て当てていく。

よく見ると、たしかに“一発目の挨拶が似合うエリンギ”がいるから面白い。(写真では一番左)。
人間のしぐさや雰囲気を、キノコの形から読み取るという発想に、思わずうなる。
でも、選び出したカードのエリンギを見ると、確かにそれにふさわしい佇まいをしている。“語り部がどのエリンギを指しているか当てるゲーム”になるなんて、普通の感性では絶対に辿り着けない。
一見ふざけているようで、根底には緻密な観察と構造化力がある。デザフェスという雑踏のなかで、まぎれもなく“異彩”を放つ存在だった。
石のようでいて粘土。素材の裏側で世界観をつくる人──こまつちさと

次に心を奪われたのは、こまつちさとさんの作品だった。ブースの前で立ち止まった瞬間、思わず「石ですか?」と聞いてしまった。
だが返ってきた答えは、「粘土です」。その瞬間、脳がひっくり返ったような感覚を覚えた。触れたわけではないのに、見るだけで“石の冷たさ”を感じる。
しかし実際は“粘土の温度”でできている。この素材の裏切りこそ、こまつさんの独創性の核だ。作品は小さな生き物のようでもあり、オブジェでもあり、無機質と有機質の境界が曖昧な造形をしている。
そこへ最近は、帽子を手縫いで乗せたり、ピアスとして展開したりと、“造形 × 身につける”の世界へも広がっている。面白いのは、年に2回、作品に“別バージョン”が生まれること。
石のようなシリーズの一方で、貝殻をテーマにした作品もある。どれも粘土で作られているのに、素材の見え方がまるで違う。粘土という素材が持つ “変身の可能性” を、
技術以上に“感性”で引き出しているのだ。こまつさんの作品には、説明のいらない説得力がある。それは、造形そのものに“意図”が宿っているからだ。
偶発ではなく、確信を伴った手つきで世界を形にしている。見れば見るほど「この世界観にしか存在しないキャラだ」と思わせてくれる。
やまださんちの“爆発型の才能”とはまた違う、静かな独創性。しかし心に残る強度は同じだった。
言葉の温度を、そのままアクセサリーにする人──キシモトチサト
キシモトチサトさんの作品は、アートよりも“詩”に近い。言葉そのものが好きで、フリーライターの言葉に影響を受け、“言葉が持つ温度”を立体にしてしまった作家だ。
彼女の代表作は、吹き出し型のキーホルダー。上にはリボンのような物がついている。そう。その仕上がりは、お守りのようでいて、いつもその言葉を握りしめるわけだ。

ただの可愛い雑貨ではなく、「言葉が生まれる瞬間をそのまま形にした」 ような存在感がある。それが僕は、女性にとっての安心感をもたらす材料のように思えて、足を止めたのだ。文字に宿る 気配 を閉じ込めた感性にこそ、この商品の真骨頂がある。女性的感性はそういうものを求めるからだ。
キシモトさんの話は止まらない。実はこのお守り風のものも、最初は作り込みすぎたとか。レーザーカッターを扱い、細かいパーツを一枚ずつ切り出し、三層構造のパーツを組み合わせる──そんな“こだわりの塊”のような作品づくりだった。
しかし、この丁寧すぎる工程が、やがて大きな壁になった。作品がシリーズとして人気を集めはじめ、イベントのたびに数が必要になる。けれど、どれだけ時間を割いても追いつかない。品質を落とさずに量産するには、どうすればいいのか。
そこで彼女は、今回初めて制作の一部を業者に依頼するという選択をした。
吹き出し型というシンプルな形状に移行したことで、表現の本質を損なうことなく、制作の負担も軽くなった。自分の手で作る部分と、外に任せる部分。その境界を丁寧に見極めながら、作品の世界観を守るための「持続可能な制作方法」を模索しているのが印象的だった。
“言葉のニュアンスを形にしたい” という純粋な動機で作っている。現に、デザフェスには“可愛い雑貨”は無数に存在する。だが言葉の温度そのものを形にできる人は、滅多にいない。
独創性の源泉──僕がデザフェスで“探しているもの”
デザインフェスタを歩いていて、僕が探しているのは「上手い作家」ではない。ありえない発想をしている作家だ。やまださんちの“体験を作る才能”。こまつさんの“素材の裏切り”。キシモトさんの言葉を素材にするセンスであり、“言葉の温度”。
ジャンルは違っても、彼らはみな 「誰にも似ていない世界」を持っている。そんな“異彩”に出会ったとき、僕はいつも胸が高鳴る。創作は、上手いか下手かで測るものではない。世界をつくれるかどうかだ。
今回のデザインフェスタでも、それを強く感じた。その“異彩”こそが来場者の心を刺激し、今日も会場を満たしていたのだ。
今日はこの辺で。







