楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー 2024 総決算!〜栄光の瞬間と挑戦の軌跡〜
その瞬間は、まるで運命に導かれたかのように訪れた。今から10数年前——。喫茶店でバイトをしながら、ほんの小さな一歩から始まった事業。しかし、それは既存の常識を次々と覆し、遂には楽天市場の頂点「ショップ・オブ・ザ・イヤー」へと辿り着いたのだった。
まさに「事実は小説よりも奇なり」だ。栄冠を手にした「甲羅組」、そしてその先頭を走る田辺晃司店長。彼を長年応援し続けた店舗の面々も、ただただ「凄すぎる」と感嘆するばかり。この日、ショップ・オブ・ザ・イヤー2024の舞台で、一つのドラマが幕を開けたのだ。
・一年の集大成、SHOP OF THE YEAR
改めて、楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー(楽天SOY)について説明しよう。「楽天市場」に出店する全国の店舗の中から、その年のベストショップを決定する栄誉ある表彰制度である。
毎年開催され、約5万以上のショップから選ばれるその競争率は熾烈を極める。受賞基準は、流通総額(売上高)、売上達成率(前年との成長率)、注文件数に加え、顧客の投票数やレビューが反映される。
つまり、ただ売上を伸ばすだけではなく、「真っ当に商売をしながら躍進し、顧客からの信頼を得た店舗」こそが、頂点に立つことができるのだ。そんな熾烈な競争を勝ち抜き、名を刻んだ田辺さん。その快挙を目の当たりにし、取材を忘れて拍手を送るしかなかった。
はっきり言うけど、グランプリの甲羅組だけではなく、このイベントに集まるお店の全てが、奇跡である。
なぜなら、冒頭、楽天グループの武田和徳さんが言っていたが、確率から言って部門賞は0.2%。多くの店舗にとってここに立てることが誇りの証でもある。先日、女性のあした大賞で「サステナブル」ジャンルで表彰された竹虎 山岸さんの姿はここにもあり、その時代の様相を映し出す。
ちなみに、部門賞からさらに絞り込まれた上位10社の総合賞となると、0.02%という狭き門である。だから、受賞店は皆一様、喜びを示しているのだ。
・総合賞受賞の歓喜! 3店舗が語る成功の秘訣
・リカーBOSSの”縁の下の力持ち”力
3位に輝いた「リカーBOSS 楽天市場店」は、富山県に拠点を置く酒類専門のショップだ。
「お酒なんて、近所のスーパーでも買える——」。そう考えるのは簡単だ。しかし、彼らはそこに甘んじることなく、顧客が「より快適に」購入できる環境を徹底的に追求した。それが最近の倉庫建設にあって、いかに、欲しいときに手に入れられるかにこだわった。
「日頃からたくさんのご注文をいただいているお客様、そして従業員や協力メーカーの皆様に心から感謝したい」。
リカーBOSS代表取締役 梶沢 佳孝さんの言葉には、北陸の小さな企業が、倉庫の設立という挑戦をしながら地道に成長を遂げてきた誇りが込められていた。
・アイリスオーヤマの”サプライチェーンマネジメント”力
2位は「アイリスオーヤマ公式 楽天市場店」。東北出身の筆者としても、これは感慨深い。宮城県を代表する企業であり、その経営姿勢は地元で圧倒的な支持を集めている。
彼らはメーカーの側面がある。サプライチェーンを徹底管理し、流行を素早くキャッチ。生産から物流までを一貫して手掛けることで、価格競争に陥ることなく独自の価値を創り出してきた。
「今年は苦しい一年だったが、受賞という形で努力が報われたことが嬉しい」。
仙台のメンバーもオンラインで見守る中、彼らは2025年に向けた新たな挑戦を誓った。
・グランプリは甲羅組、リスクをとってやり切る力
・破天荒な挑戦、確固たる信念
そして、栄光のグランプリに輝いたのは「越前かに職人甲羅組」。
すでにカテゴリー賞を受賞し、田辺さんとの会話の中で彼の“進化”を感じていたが、この結果にはやはり驚いた。彼をよく知る著名な店舗は、この事実を耳にするなど、口を揃えてこう漏らした。「凄すぎて、言葉にならない」。この言葉は決して誇張ではない。
これに先駆けて、彼らはカテゴリー(部門)賞を受賞していた関係で、田辺さんと話す機会があった。そこに彼なりの型破りな物語とその伏線をしっかり回収する、グランプリに相応しい甲羅組の成長を感じさせるものがあった。
その型破りは、今に始まった事ではない。
思えば2年前、田辺さんは1万7415.63平米の巨大な工場兼倉庫を建築した。そのスケールに、誰もが目を見張った。創業からわずか12年。通常なら30年、40年かかるような偉業を、彼は成し遂げた。
・出荷拠点であり、生産拠点
コロナ禍で需要が急増し、出荷拠点の整備は急務だった。しかし、彼が見据えていたのは単なる物流拠点ではない。「ここで新商品を生み出し、さらに市場を開拓する」。 その確固たる信念が、大胆な投資へと繋がったのだ。
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これは彼の行動を一貫していることを裏付ける。
というのも、そもそもカニもそうなのだ。敦賀だけでなく、海外からもカニを仕入れることで、販路を広げてきた。その結果、安定した供給体制を築き、新たな市場へ挑戦する土台ができた。ウクライナ情勢の影響で一時は海外からの調達が難しくなったが、それも乗り越え、さらに成長を続けている。
話を戻して、この拠点の建設当時は空きスペースも見られたし、慣れない環境で勉強し合うスタッフの姿もあった。だから、僕はこの日会うなり、その施設の置かれた環境をたずねた。「どうです?施設。最近は」と。
すると、この2年で、スペースやリソースの活用が本格化しつつある。そう答えてくれた。これにより、さまざまな商品の企画が可能になり、進むほどに売上の成長が加速していく見込みなのだ。
当初、施設を見た店舗達はあまりにの大きさに呆気に取られた。でも、そのはたから見れば、唖然とするような投資はしっかり、回収し始めているのである。
・新たなマーケットを取りに行き続けた
しかも見逃しがちであるけど、甲羅組が、部門賞で受賞したのは「海産物ジャンル」だけではない。「スイーツお菓子部門」でも受賞しているのだ。これこそが僕は田辺イズムだと思っている。
さらに、「カニだけじゃないですもんねぇ」。そう僕がいうと、田辺さんも「そうですねぇ」と笑顔を浮かべた。縦を二つ見せてくれたのだ。
つまり、甲羅組の名とは裏腹に、他のジャンルへの進出が、企業としての高い売上を作る。
でも、先ほどのカニで培った本質はぶれていないのだ。まずは商品開発にあり、その生産と物流の両面から、顧客満足度に努めるその姿勢。それを貫くことで、同じ要領で他のジャンルに派生させ、企業価値を最大化させている。
一回、多くのユーザーを獲得できれば、あとは商品力がものを言う。この商品力は、早く届くという部分にまで配慮してのこと。だから、先ほどの投資が活きる。
田辺さんがそれをやり遂げるのには必然だったのだ。それほど、多くのコメントを聞いたわけではない。けれど、言葉少なに、短いインタビューでも、それらのやり取りだけで十分。その勝因は見えてくる。
忘れてはならないのは、彼から感じるのは、底知れぬ人の可能性だ。
なにせ、彼の一年目は、喫茶店でバイトをしながら、この事業をやっていたからである。僅か10数年で、グランプリなのだから、感慨ひとしおだったろう。田辺さんの登壇スピーチはそれゆえ、胸を打つものだった。
そして、心を動かすスピーチへと至る
敢えて、そのスピーチをここに記したい。
「私たち甲羅組は2011年に創業し、福井県敦賀市という地方の町で、今年の3月で14年を迎えます。
創業当初は本当に大変でした。資金も取引先もなく、私の住んでいたアパートの一室からのスタートでした。お金がないので、銀行から借りるしかない。そこで、事業計画書を書かないといけないと知り、インターネットで調べながら作成しました。
その時に掲げた目標は、「10年で年商50億円」。しかし、銀行の担当者からは、「夢を追うのは良いことですが、現実を見てください」と言われ、最終的に「10年で年商10億円」の計画で融資を受けることになりました。
それでも、10年後の売上は100億円を超え、今では137億円にまで成長しています。
この経験を通して伝えたいことは、事業を続ける中で、夢を持ち、自分を信じることが大切だということ。そして、そこには楽天市場というプラットフォームがあり、一緒に夢を追いかけてくれる仲間がいたことが、何よりの力になったということです。
私は特別な才能があるとは思っていません。それでも、もっと上を目指していきたい。そして、この結果に甘んじることなく、明日からまた初心に戻り、仲間とともに精一杯頑張っていこうと思います」。
仲間と共にさらなる高みへ
「人の可能性は無限大」——そう確信させられるスピーチだった。
創業当時、資金はなく、取引先もない。それでも、銀行融資を得るために手探りで事業計画書を作成した。そこに書いたのは「10年で年商50億円」。
「現実を見てください」と冷たく突き返されて、修正した計画は「10年で1億円」。それがどうだろう。
10年後、彼が描いた未来は、はるかに超えた。売上は100億円に到達。
それは夢ではなかった。未来は銀行の想像を超えていた。破天荒に見えて、実は極めて論理的。その挑戦には計画と実行が伴っていた。そして、彼の周りには甲羅組を支える、多くの仲間がいた。
それにしても、田辺さんは多分、昔から少しも変っていない。いつも攻めの姿勢で、新しいマーケットを開拓することに全力投球。多くの人がリスクを恐れ、守りに入るところで、田辺さんは真逆の道を突き進む。その差が、この大きな成功につながったのだ。
ご本人が語るように、「自分を信じて、仲間と共に乗り越える」ことで、一見夢物語のような未来が現実になっていく。それが証明された瞬間だ。
僕が知る田辺さんは、店舗の皆からイジられて、愛されている普通のそこら辺にいそうな「あんちゃん」である(失礼!)。でも、そんな彼が、わずか10年ほどで「グランプリ」として名を呼ばれる。その姿に、誰もが希望を感じた。
事実は小説よりも奇なり。僕は、取材を忘れ、目を潤ませ、ただ拍手を送っていた。
今日はこの辺で。