今、海外に出ないでいつ出る?松浦啓介が語る“日本企業が世界へ飛び出すべき理由”

「海外に出なければ、日本企業はもう生き残れない」──そう断言するのは、シンガポールと日本に拠点を持つPR企業「THUNDERVOLT ASIA」代表、そして国際ビジネス連結機構 代表理事 松浦啓介氏だ。2025年3月、彼の口から飛び出したのは、数字に裏打ちされた現実と、自身の失敗を含むリアルな体験、そして何より、日本企業が持つ“もったいないほどの可能性”だった。
今なお、多くの中小企業が「日本国内での成功の先に海外がある」と信じ、行動を後回しにしている。しかし、それこそが最大のリスクだと松浦氏は語る。円安という追い風、世界で評価される日本ブランド──すべての条件が整っている今こそ、未来を変えるタイミングである。彼の言葉には、熱量とともに「危機感」が込められていた。
第1章:「出るなら今しかない」
松浦啓介が語る、海外へ踏み出した個人のリアルな軌跡
「海外でやらなきゃダメだ──」そう考えた松浦啓介さんがシンガポールに渡ったのは2017年。
仕事も実績もないまま、とにかく“現場”に身を置くことを選んだ。結果から言えば、そのスタートは決して華々しいものではなかった。右も左もわからない環境で、最初の仕事にこぎつけるまでに苦労を重ね、ようやく月100万円の売上が立ったかと思えば、コロナで一気にゼロに。そこから再起するための道のりは、並大抵のものではなかったという。
「でも、出なきゃ何も始まらない」──それが彼の結論だ。
多くの人は、海外進出に対して「準備不足」「リスク」「情報不足」といった不安を抱える。
しかし、松浦さんの語るリアルは、その不安すらも「現場に行けば全部わかる」と切り返す。経験してわかる失敗、そして掴めるチャンス。実際、彼が現地で出会い、獲得したネットワークが後のビジネス展開の土台となっている。
「日本にいるだけでは見えないことがある。それを自分の足で確認するだけで、未来が大きく変わる」──松浦氏のストレートな言葉には、行動こそが最大の資産である、という確信が滲んでいた。
第2章:0.43%という衝撃
中小企業の海外進出が進まない構造的な“壁”とは?
松浦啓介さんの口から、ある数字が語られた──「0.43%」。
これは、日本の中小企業のうち、海外に進出している企業の割合だという。あまりに小さく、耳を疑う数字だ。だが、これは紛れもない現実。人口減少・少子高齢化が進む日本国内で、限られたパイを奪い合うビジネスはもはや“限界”を迎えているにも関わらず、多くの企業が海外に背を向けているのだ。
なぜ、海外に出ようとしないのか?
松浦氏は、そこに“構造的な遅れ”があると分析する。ひとつには、「言語や商習慣の壁」「法規制への不安」など、未知への恐れが根強く残っていること。もうひとつは、「まだ日本でやり残したことがある」「国内で成功してから」などといった、“順番待ち”のような思考に陥っていることだ。
しかし、氏は明確に否定する。
「日本での成功は、海外では通用しない」。実際、台湾で流行しているフェムケアやサプリメントのブランドは、日本では無名であるケースが多いという。逆に言えば、知られていない企業でも、最初から“海外を狙って”展開しているブランドは、確実に成果を出しているのだ。
市場はすでに動いている。
台湾では、日本のサプリメント企業に1.5億円のオファーが、マレーシアでは一社から3000万円の受注が寄せられる──松浦氏が支援に関わった事例は枚挙にいとまがない。「海外の中小企業ですら日本進出を狙っているのに、なぜ我々は動かないのか?」その問いかけは、会場に重く、そして熱く響いた。
第3章:世界が欲しがる“日本ブランド”
台湾・マレーシア・シンガポール…現場で湧き上がるリアルな需要とオファー
「日本って、まだそんなに魅力あるの?」。そう思っているのは、日本人だけかもしれない。
松浦啓介氏は、海外の現場を歩き、耳を傾け、そして確信している。「今もなお、日本ブランドの信用力は圧倒的だ」と。実際、彼の元には数々のオファーが寄せられている。
たとえば、台湾のフェムケアブランドからは1.5億円、上場企業のサプリメント会社からは2億円規模の依頼が舞い込んできた。これは決して誇張ではない。現場で動いたからこそ、手に入った案件である。
こうしたニーズは、単に「日本製だから売れる」という一昔前の幻想ではなく、“ちゃんと売れる仕組みを整えれば、しっかりリターンが返ってくる”という、実に合理的な期待値に基づいている。
たとえば、マレーシアではたった3つの商品しか持たないネットワークビジネス企業が、日本製品の品質と信頼性に目をつけ、松浦氏の紹介を通じて初回3000万円の発注を決めた。しかもこれは継続的に受注が続く前提の話だ。
海外市場を狙うからこそ花開くことがある
一方で、日本ではあまり知られていないアパレルブランドやサロン系のブランドが、台湾や中国では“行列ができる”ほどの人気を誇っている例もある。
これは、日本の「知名度の高いブランドだから売れる」ではなく、「最初から海外市場を狙って動いたブランドだからこそ届いた結果」だという。
つまり、チャンスはすでにそこにある。ただ、それを掴みに行く者が少ないだけ。
松浦氏の言葉を借りれば「予算は出る。人も動く。けれど、日本人が動かない」。これが、今のアジア圏での日本企業の現状なのだ。情報を持ち、現地とつながり、ビジネスに変える。それだけで、誰も見たことのない景色が広がっている。
第4章:海外進出は“丸投げ”では成功しない
展示会や支援会社に頼るだけでは、何も始まらない理由
「展示会に出展して終わり。レポートだけが残った」。これは、松浦啓介氏が何度も耳にした“失敗の定型パターン”だ。
海外進出において、「支援会社に任せていればなんとかなる」「現地の知り合いがいれば進められる」といった“他力本願”な姿勢が、結果として何も成果を生まない。むしろ、無駄に高額な費用だけが積み上がり、「うまくいかなかった」という苦い経験だけが残る。
その原因は何か?
松浦氏は「目指すゴールがズレている」と言い切る。たとえば展示会への出展自体が“目的”になってしまっているケース。出展した先にある販路や流通、人材の確保といった“仕組み作り”がまったく伴っていないことが多いという。また、海外支援を謳う企業のなかには、知識も戦略も持たず、ただ“現地にいる知人”をあてにしているだけという例も少なくない。
実務面の軽視は命取り
さらに、物流・通関・現地法人の設立・多言語対応など、実務面で求められる要素も多岐にわたる。にもかかわらず、「EMSで送ればいいでしょ」「とりあえず英語できる人を立てれば何とかなる」といった安易な発想で乗り込んでしまえば、現地バイヤーから“相手にされない存在”として早々に弾かれるのが現実だ。
松浦氏は強調する。「海外進出は、“現地のリアル”を知らなければ絶対にうまくいかない」。
台湾で日本人が外国人ブースに出展しても、まともに商談すらできないケースも多い。
なぜなら現地の人から見れば、言語も文化も商習慣もわからない“異国の存在”にすぎないからだ。むしろ、現地法人を設立し、現地の人と連携して同じテーブルにつく。そうした“地道な準備”こそが、長期的に信頼を築く鍵になる。
結局、「誰かに任せれば成功する」ほど、海外進出は甘くない。自ら学び、考え、行動し、そして信頼できるパートナーと共に戦略を練ること。松浦氏が身をもって体験してきたことだからこそ、その言葉は重く、そしてリアルに響く。
第5章:成功の鍵は「知識」「戦略」「アライアンス」
今、動くことでしか掴めない──“共に世界へ”の未来図
「海外進出には3つしか要らないんです。知識と、戦略と、アライアンス──これだけ」
松浦啓介氏は、その言葉を何度も繰り返す。それは、自らの失敗の数だけ、確信に変わった成功の法則だった。
まず“知識”とは、単に海外市場のトレンドを知ることではない。
物流、通関、法律、多言語対応、現地法人、現地人材──すべての現実に即した情報を意味する。「EMSで送れる」だけではビジネスにならない。「売る仕組み」を設計するには、“現場を知る者”の知識が必要不可欠なのだ。
次に“戦略”。
多くの日本企業は「売れるから海外へ」ではなく、「なんとなく出ればチャンスがあるかも」とぼんやり構えてしまう。だが、松浦氏が関わってきた成功例は、すべて“最初から海外市場を主戦場と定めていたブランド”ばかりだ。つまり、後手ではなく、最初から“狙って”仕掛けることこそが、勝ち筋を引き寄せる。
闇雲ではなく信頼できる存在があってこその突破口
そして、最後が“アライアンス”。
いかに自社で準備を整えても、信頼できるパートナーがいなければ突破口は生まれない。松浦氏が築いたのは、台湾、マレーシア、シンガポール、ベトナムなど、アジア各地に広がるネットワーク。その中には、政府関係者、財界人、メディア、ECプラットフォーム、さらには富裕層までが含まれている。
彼らと繋がることで、イベントは国を挙げたレベルに引き上げられ、テレビや新聞で報道される。日本の信用を“リアルなアクション”に変えられる環境が整っているのだ。ときにはたった5万円の寄付で、国からの感謝状を得るという「営業最強ツール」を手に入れたこともある。
松浦氏は最後にこう語る。「これは我々の活動に“参加してくれ”じゃないんです。“一緒にやろう”ってことなんです」。
自ら代表理事を務める一般社団法人国際ビジネス連結機構で、月3万円というハードルを下げた会員の価格設定は、「儲けたい」ではなく「巻き込みたい」という意志の表れだ。すでに一歩踏み出している者たちが、後に続く仲間を“本気で歓迎している”空気がある。
日本の商品には、まだまだ世界に通じる力がある。だが、それを未来に繋ぐには、動く“人”が必要だ。
「過去の日本の栄光に甘えていたら、次世代には何も残せない」──そう語る松浦氏の背中には、希望と責任と、そして強い覚悟が刻まれていた。
今日はこの辺で。
