「売れるため」だけでは生まれない──デザフェス63で出会った、“自分を満たす表現”の話

デザインフェスタに行くと、いつも不思議な感覚になる。企業の展示会に行くと、「誰に売るか」「どう伝えるか」「市場はどう動くか」という視点で物事を見る。しかしデザフェスでは、その順番が少し違う。まず最初にあるのは、「これが好きだ」という気持ちだ。空が好きだから描く人がいる。クマが好きだから作る人がいる。ゲームが好きだからキャラクターを生み出す人がいる。絵の中に入りたいから刺繍で絵画を再現する人がいる。
もちろん売れることは大切だ。しかし会場を歩いていて感じたのは、それ以前に「自分を満たすための表現」が確かに存在しているということだった。
そして不思議なことに、その熱量こそが、人の心を動かしていた。今回はデザフェス63を歩きながら出会った作家たちを通じて、「表現とは何か」を考えてみたい。
可愛くなくても、人は惹かれる──表現に正解はない
まず最初に印象に残ったのは、いわゆる「可愛い」とは真逆にある作品たちだった。
一般的にクリエイティブの世界では、「可愛い」「美しい」「かっこいい」といった分かりやすい価値が求められることが多い。しかし会場では、むしろ意図的に不格好さや違和感を取り込んだ作品が強い存在感を放っていた。
応援団のようなキャラクターたちというとチアリーダーを思い浮かべるだろうが――ご覧の通り。ブサかわキャラ『DUO』はその逆をひた走る。

そして、汗だくのおじさん。ヒメゴリラさんの描くイラストは、いわゆる万人受けするデザインではない。

だが、だからこそ目が止まる。人は時として、整ったものよりも個性のあるものに惹かれる。案外、家族連れが足を止めてくれるのだという。
考えてみれば現実の人間も同じである。完璧な人より、少し抜けている人の方が愛されることがある。欠点や癖があるからこそ記憶に残る。
つまり表現とは、美しさの競争ではない。これぞ、デザインフェスタである。
未完成だから面白い──ハンコ作家が教えてくれた余白の価値
なるほど、そう来たかと思ったのは、ハンコ作家の住本千尋さんである。ハンコもまた、ある意味では完成された商材だ。押した瞬間に役割を果たし、作品として完結する。
ところが、この作品は違った。むしろ未完成であることが価値になっている。
たとえばこちら。筆を大きく振りかぶる書家が描かれている。しかし、よく見ると肝心の文字がない。

代わりに、筆先がこちら側へ向かって伸びている。つまり、この続きを書くのは作者ではなく、使う人なのである。
ここに「ありがとう」と書けば、その書家が書いたように見える。「様」と書けば、その書家が宛名を書いているように見える。
さらに面白いのは中央部分だ。墨汁を垂らしたような跡が最初から描かれている。一見すると失敗に見える。だが、この跡があることで、もし文字を書き損じても、その部分を塗りつぶせばいい。
すると不思議なことに、失敗が失敗ではなくなる。最初から作品の一部だったかのように馴染んでしまうのである。
普通なら消したいミスを、味に変えてしまう。書き損じさえ作品の中に取り込んでしまう。
これは単なるハンコではない。人間の不完全さまでデザインした作品なのだ。
空は描けない──だから描き続ける
空を見上げる代わりになる作品
展示されていた作品の多くがすでに売約済みになっていて、思わず足を止めた。どんな作品を手掛けているのだろう。そう思って話を聞いたのが、「麗しの空」を手掛ける作家、leiさんである。
彼女が掲げるコンセプトは「心に夢と癒しを」。

都会では、忙しさやビルに囲まれた暮らしの中で、ゆっくり空を見上げる機会が少ない。だからこそ、自分の作品が誰かにとって“空を見上げる代わり”になればいい。そんな思いで、幻想的な空や宇宙の世界を描いているという。
作品の中には人工物も人の姿もほとんど登場しない。そこにあるのは自然と幻想的な生き物たちだけだ。
まるで現実から少しだけ離れた世界へ迷い込んだような感覚になる。
さらに、作品によっては小さなラインストーンが埋め込まれている。光の当たり方によって星のようにきらめき、見る角度によって表情を変える。その演出もまた、空や宇宙が持つ幻想性を引き立てていた。
表情が異なる空
思えば、実は空というのは、描けそうで描けない。なぜなら毎日違うからだ。季節によって違う。同じ場所から見上げても違う。朝と夕方でも違う。だから終わりがない。
コロナ禍をきっかけに田舎へ移住したら、そこには際限なく広がる空があった。
広い空を見上げるうちに、心が穏やかになった。だから描きたい。ただ、それだけなのだ。この話を聞いていて興味深かったのは、「依頼されると描けなくなる」という言葉だった。
言葉を選ばずに言えば、作品とはわがままなのである。自由だから描ける。描きたいから描ける。デザインフェスタは、そうではない価値観を思い出させてくれる場所でもある。
絵の中に入りたい──刺繍で名画を再解釈する発想
graffyというブランドを手掛ける作家の作品には驚かされた。ゴッホや、モネなど、有名絵画を刺繍で再現しているのだ。
最初は「面白いアイデアだな」と思った。しかし話を聞くと、もっと深い理由があった。刺繍糸には立体感がある。ラメ糸には光沢がある。
つまり絵筆のタッチに近いのである。絵画を拡大すると筆跡が盛り上がって見えるが、刺繍も同じように糸が立体になる。だから再現方法として相性が良いというのである。

話が弾んで、「メトロポリタンミュージアム」という曲が好きだと話していて、それは、絵の中に入っていく物語の歌だという。そして彼女自身も思った。大好きな絵の中に入りたいよねって。その結果、身につけるアートという発想にたどり着いた。なるほど。
絵画を鑑賞するだけではなく、身につけることで絵の世界へ近づく。単なるオマージュではなく、憧れを実現する方法として刺繍を選んだのである。
表現とは模倣ではない。憧れを自分なりの方法で翻訳することなのだと感じた。
ギークな世界をアナログで作るという逆説
ギークな世界が創作の原点になる
GeekGirlPyonさんも印象的な装いで、聞けば、ゲームが好きで、キャラクターが好き。だからゲームに出てくるようなドット絵のキャラクターをモチーフに創作している。
実は彼女、元システムエンジニアだという。
ポケモンやパックマンといったレトロゲームを愛し、自らを「ギークガール」と名乗る。ドット絵やゲーム実況だけでなく、キャラクターグッズ、コスプレ、ファッション、ハンドメイドまで幅広く手掛けており、現在は「デジタルとアナログの間」をテーマに活動している。
そう聞くと、なるほどと思った。なぜなら、彼女の作品そのものが、そのテーマを体現しているからだ。ゲームという極めてデジタルな世界に魅了されながら、完成品を見ると、むしろアナログなのである。
デジタルへの愛がアナログを生む
粘土。塗装。コーティング。すべてが手作業だ。

「球体を作り、身体を作り、足を付けるんです。そこからアクリル絵の具で塗装し、最後に樹脂コーティングを行います」
話を聞いているだけでも、手間がかかるのはわかる。しかし、彼女はそれをやる。なぜなら、その手間のかかるアナログな作業そのものが好きだからだ。もっとも、そのためには理由が必要になる。既存のキャラクターでは、自分の表現したい世界をすべて託せない。
だから自ら生み出す。ゲームの世界から飛び出してきたようなキャラクターを。
そして、そのキャラクターたちを粘土で形にし、色を塗り、磨き上げていく。そこには不思議なパラドックスがある。デジタル文化への愛が出発点なのに、辿り着く先は極めてアナログなものづくりなのである。
しかし考えてみれば、それも自然なことかもしれない。好きな世界を、今度は自分の手で触れられる形にしたい。画面の向こうにある存在を、自分の現実へ連れてきたい。そんな想いがあるからこそ、あえて時間も手間もかかる方法を選ぶのだろう。
これもまたクリエイティブである。
クマが人生を作る──創作は自分を満たすためにあっていい
人生そのものがクマだった
最後に心に残ったのは、クマ作家のcoucou nounours(ククヌヌ)さんだった。変な言い方になるが、彼女は「人生そのものがクマだった」。
クマが好きであることが、自分のアイデンティティになっている。だからこそ、一番魅力的だと思うクマの姿を追い求める。その結果として生まれたのが、ていねいに手作りされた「ククヌヌベア」である。
一体一体が手作りだから、同じものはひとつとしてない。表情も違う。形も違う。それぞれに個性がある。
さらに、キーホルダーやカードケースといったアイテムにも展開されており、クマという存在が日常の中に自然と入り込んでくる。
クマが持ち主を可愛くする
話を聞いていて面白かったのは、彼女自身が服飾系の学校で学んできたことだった。だから作品も単なるぬいぐるみではない。
ファッションの感覚がある。例えば、彼女自身が身につけていたクマのポーチ。もちろん、それ単体でも可愛い。しかし本当に面白いのは、持ち主と組み合わさった時である。
この日、彼女は淡いピンクのワンピースを着ていた。そこにクマが加わることで、不思議と全体の世界観が完成する。クマが主張するのではない。

クマが持ち主の魅力を引き立てるのである。たとえ同じ服でなくても、シンプルなワンピースや普段着に合わせるだけで、その人らしい可愛らしさが生まれる。
持ち歩くことで愛着が生まれる。生活の中に溶け込むことで魅力が増していく。彼女自身のアイデンティティは、作品を通してさらに輪郭を帯びていく。
創作の原点は、自分の心を満たすこと
デザフェスを歩きながら、改めて感じたことがある。今回紹介した作家たちは、それぞれ全く違うものを作っている。しかし、その根っこには共通するものがあった。まず、自分自身が好きであること。自分自身が満たされること。だから作る。
その結果として、誰かの心が動く。
実際、デザフェスの後には、何人もの知人のクリエイターともやりとりがあった。例えば、SNSでこんな言葉をかけてもらった。
「大賑わいの会場の中で見た石郷さんの笑顔は、まるでオアシスのようでした🥲😇(立ち仕事久しぶりで、まだ疲労困憊の女)」(原文まま)
そう言ってくれる人もいたし、僕をモチーフにしたイラストまで描いてくれたのはpiyokoさんだ。

ご覧の通り、「すとっぴ」というキャラでグッズを手がけている。

つまり、作品をきっかけに会話が生まれ、会話をきっかけに関係が生まれる。
その人の想いに触れた時、作品は単なる商品ではなくなる創作の原点は案外シンプルだ。まず自分の心を満たすこと。そして、その熱量が誰かの心を動かし、人とのつながりを生み出していくこと。
デザインフェスタ63は、そんな当たり前だけれど大切なことを、改めて思い出させてくれる場所だった。
今日はこの辺で。







