ユーグレナ出雲充が語る挑戦の本質──“前提”を超えるDX×GXと500回の失敗

本稿は、オムニチャネルDay2026に登壇した株式会社ユーグレナ代表取締役・出雲充氏の講演を受けての考察である。ユーグレナ(ミドリムシ)は、植物と動物の両方の性質を併せ持つ微細藻類で、59種類もの栄養素を含む特異な存在だ。2005年創業から20年、同社は売上500億円を超え、初配当を実施する転換期を迎えている。だが、この数字だけでは出雲氏の本質は見えない。
彼の話は、成功談というよりも“失敗の連続”だった。教科書に「大量培養はできない」と書かれたミドリムシに挑み、500回以上の実験を繰り返す。2年間まったく売れないサプリメント。資金の逼迫。それでも撤退しなかった理由は、合理的な計算では説明がつかない。
それは、栄養失調に苦しむ人々を目の当たりにした原体験にあった。
そして彼が語ったのは、挑戦の本質である。DXがGXを動かす。挑戦は共創によって加速する。そして、イノベーションは「試行回数×科学技術」で決まる。
予定調和ではない。むしろ“ぶっ飛んでいる”。だがそこに、AI時代にこそ必要なヒントがある。
1.バングラデシュで人生は変わった
1-1.バングラデシュで突きつけられた現実
出雲充氏の挑戦は、研究室から始まったわけではない。原点は、大学1年の夏に訪れたバングラデシュである。当時、世界最貧国と呼ばれていたその国には、人口1億7000万人が暮らしていた。そのうち6000万人が農家で、1日中働いても日収はおよそ100円。だが彼が衝撃を受けたのは、単なる所得の低さではなかった。
人々は米を食べていた。空腹ではない。むしろ、日本人の約4倍、年間200キロもの米を口にしている。それでも栄養が足りない。カレーの鍋に具がない。肉も魚も卵も牛乳もない。慢性的な栄養不足が、子どもたちの成長を止めていた。
栄養失調は、あとから取り戻せない。子どもの時期に欠けた栄養は、身体的な発育だけでなく、知的発達や免疫力にも影響する。将来の選択肢そのものを奪ってしまう。目の前の現実は、「かわいそう」という感情ではなく、「このままでいいのか」という問いを突きつけた。
1-2.理屈ではなく、前提から始まった挑戦
ここで彼が立てた問いは、ビジネスとして成立するかどうかではなかった。どうすれば、少ないコストで、効率的に栄養を届けられるか。貧しい地域でも持続可能な形で広げられる食材は何か。
その答えとして浮かび上がったのが、ユーグレナ(ミドリムシ)だった。植物と動物の両方の性質を持ち、59種類もの栄養素を含む微細藻類。理論上は理想的な食材だ。だが教科書にはこう書かれていた。「屋外での大量培養はできない」。
合理的に考えれば、ここで諦める。研究テーマとして選ばない。投資家も銀行も首を縦に振らない。
だが彼は飛び込んだ。それは、理屈よりも先に決意があったからだ。栄養を届けるという目的が、前提になった。この時点で、すでに彼の思考は「勝てるかどうか」という土俵に立っていない。社会課題を解くという前提の上で、挑戦を選んでいる。そしてこの選択が、のちに500回を超える失敗を受け入れる覚悟へとつながっていく。
2.「できない」と書かれた教科書に飛び込む
ユーグレナという素材に辿り着いたとき、出雲氏の前に立ちはだかったのは、希望ではなく“否定”だった。教科書にははっきりと記されていた。屋外での大量培養はできない、と。
つまり、研究としては成立しても、産業にはならないという宣言である。
大量培養ができなければ、価格は下がらない。価格が下がらなければ、途上国に届けることはできない。社会課題の解決という目的は、机上の理想で終わる。合理的な判断であれば、ここで撤退する。別の研究テーマを探す。投資家の目線で考えれば、成功確率の低い領域に時間も資金も投じないのが正解だ。
だが出雲氏は違った。彼が立っていたのは「成功確率が高いかどうか」という土俵ではない。「本当に必要かどうか」という土俵である。
大量培養はできない、と書かれている。それは“できなかった”という事実であって、“できない”という真理ではないのではないか。もし誰も本気でやり切っていないのなら、その前提自体が更新されていない可能性がある。
ここで彼は、現象をいじるのではなく、不思議な話、同日、聞いたDG TAKANOの高野さんの話にも通じるように見えた。前提を疑う。技術がないのではなく、方法が見つかっていないだけではないか。研究が足りないのではなく、挑戦の回数が足りないだけではないか。
その結果が、500回を超える実験である。成功率は1%にも満たなかった。だが試行回数を重ねれば、成功確率は累積していく。2回目は1.99%、3回目は2.97%。理論上、459回挑戦すれば99%に到達する。
この発想は、単なる楽観ではない。失敗を“コスト”ではなく“確率の蓄積”として捉える思考である。教科書に書かれた「できない」という前提は、試行回数を重ねることでしか覆せない。ここに、出雲氏の挑戦の本質がある。
3.500回の失敗は“無駄”ではない
出雲氏は「試行回数×科学技術=イノベーション」と語った。
この式は、一見すると単純だ。だがその前提には、常識と真逆の姿勢がある。通常、失敗は避けるものだ。効率を高め、リスクを減らし、成功確率を上げる。AI時代においてはなおさらである。データを分析し、無駄な挑戦を排除し、最短距離で成果に辿り着く。合理的に考えれば、それが最適解だ。
しかし、出雲氏の歩みは違う。ユーグレナの大量培養は、初期段階ではほとんど成功しなかった。資金はショートし、銀行からの融資も止まり、会社存続の危機にも直面する。それでも撤退しなかった。
なぜか。
彼にとって失敗は“無駄”ではなく、成功確率を押し上げるデータだったからだ。1回の成功率が1%でも、2回、3回と重ねれば確率は累積する。100回挑戦すれば63%に届く。459回で99%に達する。数学的に見れば、失敗は確率を高めるための過程である。
ここで重要なのは、成功を「当てにいく」発想ではないという点だ。挑戦を重ねることでしか見えない景色があると知っているから、止まらない。合理の外側に踏み出す覚悟が、試行回数を支えている。
そしてこの姿勢は、単なる根性論ではない。科学技術と組み合わせることで、失敗は学習データに変わる。だからこそ「試行回数×科学技術」なのである。
無駄に見える挑戦を許容する設計。それが、イノベーションを生む土壌になる。合理だけでは、到達できない場所がある。
4.GXはDXと結びついたときに力を持つ
出雲氏が強調したのは、GX(グリーントランスフォーメーション)は単独では成立しないという点だった。環境に良いことをする、社会に優しいことをする。それ自体は尊い。だが、それだけでは選ばれ続ける企業にはなれない。
今のミレニアル世代やZ世代は、デジタルネイティブであると同時に、ソーシャルネイティブでもある。彼らにとって、デジタルで可視化されていないものは存在しないのと同じであり、グリーンでないものは選択肢に入らない。
ここで重要なのは、GXが理念にとどまらないことだ。DXによってデータ化され、数値化され、透明性を持つとき、GXは初めて実体を持つ。環境負荷を減らす取り組みが、具体的な数字で示され、顧客と共有される。その循環があって初めて、持続可能なビジネスになる。
ユーグレナの歩みも同じ構造だ。バイオ燃料、栄養食品、化粧品。社会課題を軸にしながらも、ECやデータ活用によって顧客基盤を拡大し、売上500億円に到達した。理念だけで走っていない。DXによって事業として成立させている。
GXは理想、DXは実装。この両輪が噛み合わなければ、持続しない。そして若い世代は、この両方を同時に求めている。だからこそ、挑戦は社会とつながったときに力を持つ。
5.トランスフォーメーションは「変態」である
出雲氏は、トランスフォーメーションを「変態」と表現した。
幼虫がさなぎになり、蝶へと姿を変える。生物学でいう変態は、形が少し変わることではない。まったく別の存在へ移行することである。企業のDXやGXも同じだという。既存事業の延長線上で少し改善することは“平時の挑戦”である。しかしトランスフォーメーションは、氷が水に、水が水蒸気に変わるような相転移だ。過去の成功体験が、そのままでは通用しなくなる瞬間である。
この局面で必要なのは、巨大なアセットや経験値ではない。むしろ、それが足かせになる。過去にうまくいった方法ほど、手放しにくいからだ。
そこで氏が挙げたのが、「よそ者・若者・変わり者」である。外から来た人間、成功体験に縛られていない世代、常識に違和感を持つ人間。彼らに権限を渡し、何百回もの試行を許容できるかどうかが分水嶺になる。
トランスフォーメーション期には、3回やってダメなら撤退、という発想では足りない。100回でも足りないかもしれない。459回やって初めて確率が反転する。そこまで挑戦を続けられる設計を、リーダーが用意できるかどうか。
競争よりも共創。内向きよりも外向き。変態は痛みを伴う。だがそれを経なければ、蝶にはなれない。
6.AI時代にこそ、人間の“無駄”が価値になる
出雲氏の話は、終始ぶっ飛んでいた。
合理だけで測れば、やらない選択ばかりだ。教科書に「できない」と書かれたテーマに飛び込み、500回失敗し、売れないサプリメントを抱え、資金が尽きかけても撤退しない。
だがそこに通底していたのは、感情的な無謀さではない。前提の外に立つ覚悟だった。AIは合理を導く。最短距離を示す。無駄を削ぎ落とす。
しかし、その合理の枠内に未来がないとき、どうするのか。
出雲氏は、理屈よりも先に「やる」と決めた。バングラデシュで見た現実が、判断の出発点になった。そこから先は、試行回数を重ねる。失敗を積み上げる。共創を広げる。AIは答えを出す装置かもしれない。だが、その問いを決めるのは人間である。問いが既存の前提に縛られていれば、AIはその枠内で最適化するだけだ。
だからこそ、無駄に見える挑戦が必要になる。合理を飛び越える決断が、未来の種になる。AI時代において必要なのは、完璧な戦略ではない。
未開な領域へ踏み出す勇気と、それを許容する設計だ。ユーグレナの20年は、そのことを証明している。
今日はこの辺で。







