わからないから始めよう──『Z世代の頭の中』牛窪恵 著を読んで感じたこと

これまで仕事柄、Z世代についての話を聞く機会は多かった。けれど、先日あらためて気づかされたのは──Z世代とは、突然変異のように生まれた「まったく新しい人種」ではないということだ。むしろ、その価値観や感性は、前の世代から連なる“必然”として形づくられてきたものだった。
東京・新宿の紀伊國屋書店で行われた、牛窪恵さんと石原壮一郎さんによる講演。その余韻に浸りながら、僕は一冊の本を手に取った。『Z世代の頭の中』──ページをめくるごとに、思わず唸ってしまった。
1. 「24時間戦えますか?」が通じない時代に生まれた子どもたち
Z世代を理解するには、まず他の世代との比較から捉えるのが有効だ。
たとえば、昭和から平成初期にかけて育った世代──彼らは、ある種の“同調圧力”の中で生きていた。画一的な価値観が支配し、「こうあるべき」に従うことで安心感を得ていたのだ。学校も会社も家庭も、社会全体が同じ方向を向いていて、多数派に乗ることが“正解”とされていた。
一方で、Z世代はまったく異なる環境で育っている。生まれたときからSNSやネットが身近にあり、日常的に世界中の価値観に触れてきた。多様性が当たり前になった社会では、「かつての常識」はあっという間に「今の非常識」に変わる。それをリアルタイムで目撃してきた彼らにとって、物事を鵜呑みにすることはむしろリスクでしかない。
だからこそ、Z世代の中から「それって、おかしくない?」という声が上がるのは、極めて自然なことだ。
たとえば、昭和の象徴的なコピー「24時間戦えますか?」──当時は働く人の“熱意”や“根性”を称賛する言葉だったが、今の感覚では「パワハラの肯定」にすら見えてしまう。ドラマ『101回目のプロポーズ』もそうだ。かつては“純愛”とされていた一途さが、今では「しつこくて怖い」「断られているのに諦めない人」と捉えられることもある。
価値観の前提が180度変わった今、かつての“美徳”は、むしろズレたものとして映る。そのズレにまず気づくこと。そこからしか、本当の対話は始まらない。
2-1. SNSに最適化された“自分”という存在
Z世代とは、ざっくり言えば1996年以降に生まれ、スマホやSNSと共に育った世代を指す。物心がついたときには、すでにネットが生活の一部になっていて、情報は常に“自分に最適化”された形で届いていた。
彼らの思考は、他人の投稿やトレンドを通して緩やかに形成されていく。直接的に「こう思う」と表明するよりも、「それ、わかる」と何かを介して共鳴するほうが自然なのだ。そしてそれがやがて“自分らしさ”として定着していく。
この「誰かを通して自分をつかむ」感覚が、Z世代における個性の捉え方の根本にある。これは僕が思うところの話だ。
自然に表れる個性ではなく、共鳴できる対象を通じて構築される“外付けの個性”。
その形があるからこそ、LGBTQのような従来の規範からは外れてきた価値観も自然と受け入れられるし、「男らしさ/女らしさ」といった古い記号からも距離を置くことができる。この部分はこの本でも指摘している。
2-2. 「推し活」は“自分らしさ”の着替えである
その意味で、Z世代は、価値観の“選び方”がうまい。
SNSを通じて無数のスタイル・思想・世界観に日々触れながら、その中から「これ、なんかいいな」と感じたものを拾い上げる。そして、それを纏うことで自分らしさを形づくっていく。
推し活もそのひとつだ。
アルゴリズムに乗って届いた動画や投稿をきっかけに、最初は軽い気持ちで見始めた対象が、次第に「気になる存在」へと変わる。気づけば日々の投稿を追いかけ、やがてライブや現場に足を運ぶようになる──そんな自然な流れが、彼らにとって“自分を構成する当たり前”になっている。
たとえば、僕が通っているマッサージ店のスタッフは、毎回のように推し活の話で盛り上がる。Instagramで見つけた人物に惹かれ、ついには静岡まで泊まりがけでライブに行ったという。彼女にとってその“推し”は、趣味を超えて“日常の景色”になっているのだろう。
Z世代にとって、自分のことを明確に語るのは難しい。けれど、“誰かを通して語る自分”なら、自然に表現できる。誰かを応援する熱量の中に、自分の存在を投影する。それが、彼らの“最適化された自己表現”という感覚なのだ。
3-1. 不安定な時代をくぐり抜けた「冷静な自己防衛」
けれど一方で、彼らZ世代の成長期は決して穏やかではなかった。東日本大震災、気候変動、そしてコロナ禍──社会全体が揺れ、何が正しいのかすら見えにくくなっていく中で、彼らは思春期を過ごしてきた。
そんな時代背景を経て育ったからこそ、Z世代の本質には「冷静な自己防衛」がある。
他人より目立つことより、まずはリスクを見積もり、自分の輪郭を崩さないようにすること。何かに全力で突っ込むよりも、慎重に選び取っていくこと。それが彼らの“正しい行動”として根付いている。
とはいえ、それは決して怠惰ではない。むしろ、常に不確かな未来と向き合ってきたからこそ編み出した、“誠実な戦い方”すら言える。牛窪さんの本を読んでいると、その態度の背景には、社会そのものの不安定さに加えて、デジタル環境の影響が色濃く存在していることにも気づかされる。
3-2. 「すぐ答えが出る」社会が生んだ慎重さ
Z世代にとって、情報は常に手の届くところにある。SNSを見れば友達の近況も、TikTokを開けば今の流行も、タグをたどれば答えすらすぐに見つかる。牛窪さんの言葉を借りれば、「あらゆるものがすでに用意されている時代」なのだ。
だからこそ、何かをゼロから試すよりも、最初から“失敗のなさそうなルート”を選ぶ感覚が強い。
たとえば、商品を買うときはレビューをチェックし、遊びに行く場所はインスタで下見する。何かを選ぶ前には、“その先にどんな景色があるのか”をあらかじめ把握してから動く。
つまり、「最短で最適な答えが得られる」ことに慣れた彼らにとって、リスクの多いプロセスをあえて踏む必要がないのだ。
それが、彼らの“慎重さ”にもつながっている。焦らず、過剰に熱くもならず、最小限の負担で最大限の納得を得る。そんな合理的な思考は、デジタルの中で育った彼らにとって、自然な選択なのかもしれない。
4-1. 「タイパ」が正義?──効率を最優先する日常
Z世代のキーワードとして、今やすっかり定着した「タイパ(タイムパフォーマンス)」。倍速で動画を見て、通勤時間には副業の情報をチェック。仕事も恋愛も、いかに“効率よく回せるか”が正義のように語られている。
たとえば、気が合わない人とは無理に付き合わず、仕事で合わない環境には長居しない。割とあっさり切り捨てる判断が早い。そう聞くと、辛抱が足りない、打たれ弱い──そんな印象を抱くかもしれない。けれど、それは表面的な捉え方にすぎない。
牛窪さんの調査では、第一志望の会社に入社したその日から、すでに転職サイトをチェックしているZ世代の姿が紹介されている。ここにあるのは「浮気心」ではない。むしろ、「いつ状況が変わっても、次の一手を持っていたい」という“備え”の感覚。常に自分のアップデートを意識し、数手先を読む。その冷静さと機動力が、彼らの慎重な行動に繋がっている。
4-2. 焦燥が彼らを動かしている
この「効率至上主義」のように見える思考の奥には、実は強い焦燥がある。AIの台頭、就職市場の過熱、終身雇用の崩壊──次々と変わる時代に、自分が取り残されるのではないかという不安。その危機感が、彼らを「今すぐ動く」方向へと駆り立てる。
「何がタイパだ、苦労は買ってでもしろ」と言いたくなる人もいるだろう。
だが、Z世代が語る“タイパ”という言葉は、決して“怠け”の裏返しではない。
むしろ、「停滞=リスク」と捉える彼らにとって、アップデートされ続けなければならないという感覚が、ごく自然に身についているのだ。
自分を取り巻く環境の変化を察知し、行動する。倍速で生きるという選択は、彼らが時代に置いていかれないための、真剣な生存戦略でもある。
5-1. 「副業=裏切り」ではない──価値観の更新
かつて副業は、“会社への裏切り”と見なされるものだった。終身雇用が前提で、ひとつの組織に身を捧げることが誠実さの証とされていた時代。だからこそ、定時後に別の仕事をすることは、「本業への集中が足りない」「社外へ機密が漏れるのでは」といった不信感さえ抱かれていた。
しかし、Z世代にとって副業はまったく異なる意味を持つ。彼らにとってそれは、「リスクヘッジ」であり、同時に「自己実現」の場でもある。
将来の不確実性が高い時代を生きる彼らは、一社だけにキャリアを預けることにむしろリスクを感じている。複数の選択肢を持ち、自分の価値を拡張しておく。それが、Z世代にとっての自然な“備え”であり、生き方そのものなのだ。
実際、中には「副業を認めてくれる会社に感謝している」と語る若者もいるという。
その感覚は、昭和世代の「忠誠心」とはまるで違うフォルムで成立している。つまり、忠誠とは“縛られること”ではなく、“許容されていることへの共感”に近い。信頼があるから自由がある。自由があるからこそ、関係性を大切にしたい。そんな逆転した価値観が、Z世代の働き方には宿っている。
5-2. 「意味のある時間」を生きるという選択
副業の内容も、単なる“収入の足し”というより、“意味のある時間の使い方”を求めているケースが多い。
たとえば、ボランティア活動の運営サポートや、環境保全プロジェクトの手伝いなど。社会貢献的な文脈に身を置くこと自体に、Z世代は強い意義を感じている。彼らが副業に求めているのは、収入だけではない。むしろ「自分が誰と、どんな時間を過ごしているか」の方が重要なのだ。
このような行動原理を「最近の若い者は…」と切り捨てるのは簡単だ。だが、彼らのふるまいは、むしろ社会の閉塞感や未来の不透明さに対して、地に足のついた“適応”をしているにすぎない。
理解されにくいのではなく、まだ翻訳されていないだけ。そこを読み解く目を持てば、Z世代の言動は決して突飛なものではなく、現実的で理にかなった“選択の積み重ね”なのだと見えてくる。
6-1. 恋愛より“推し”──欲望のかたちが変わっただけ
恋愛もそうだ。かつてそれらは人生の中心にあった。
昭和や平成初期の価値観では、恋をしてこそ一人前、恋人がいない人生はどこか“足りない”ものとして描かれていた。ドラマ、音楽、広告──その多くが恋愛をテーマにし、社会全体が“恋愛こそが感情の最上位”という前提で動いていた。
しかし、Z世代にとってはその前提自体が、すでに崩れている。
彼らの多くにとって、「恋愛はしてもしなくてもいいもの」。それよりも、推し活のように安心して没頭できる対象が、日々のときめきを与えてくれる。推しは裏切らないし、コスパも良い。恋愛のように気まずくなったり、傷ついたりする心配も少ない。
恋人や恋愛を“人生に不可欠なもの”と考える人の割合は、年々下がっている。けれど、“ときめき”がなくなったわけではない。人は相変わらず、何かに夢中になりたいし、心を動かされたいと願っている。その“注ぎ先”が、恋愛から他のものへと広がっているだけなのだ。
6-2. なぜ“推し”は心を満たすのか
そこで注目を集めるのが、推し活だ。それがここまでZ世代に支持される背景には、“安心できる感情の居場所”としての機能がある。
誰を推しているか──その選択自体が「自分はどういう人間か」をさりげなく語ってくれる。そこには、自分を明確に語ることに不安を感じる時代特有の、“補助線としてのアイデンティティ”がある。
さらに、推しをめぐる活動は、共感や共有がしやすい。SNS上で推しの話をすれば、すぐに仲間ができ、共鳴し合える。Z世代にとって、これはまさに承認欲求と所属欲求を満たす“心理的なコミュニティ”でもある。
しかも、推しは裏切らない。恋愛のように気持ちのすれ違いで傷つくこともなければ、嫉妬や重荷もない。
だからこそ、Z世代にとっての推し活は、単なる趣味ではなく、「安心して自分を投影できる空間」であり、「心の体温を整える習慣」でもあるのだ。推し活が“爆発的に広がった”のではない。むしろ、彼らの社会環境・心理状態・つながり方の変化によって、“そうならざるを得なかった”のかもしれない。
それは、時代に合わせた“新しい自己肯定のかたち”なのだ。
7-1. 上司に求められるのは「エラーを許容できる人間味」
価値観が変われば、職場での人間関係も変わる。Z世代は、上司に「完璧さ」や「威厳」ではなく、「一緒に悩める柔軟さ」や「アップデート可能な姿勢」を求めている。
彼らは、スマホのように“日々アップデートされていく存在”でありたいと願っているからこそ、上司にも“エラーを許容できる人間味”を求めるのだ。
昭和的な「背中で語る」スタイルは、もはや信頼につながらない。むしろ、「ちょっとこれ苦手なんだよね」と素直に打ち明けられる上司の方が、ずっと信頼される時代になっている。
Z世代にとって、上司は“導く存在”というより、“共に考える伴走者”であってほしいのだ。その信頼の起点は、完璧さではなく、「不完全でも成長しようとする姿勢」にある。つまり、指導するより、アップデートし続ける姿勢が、信頼を深めていく。
その姿勢が、関係性の信頼を深めていく。
7-2. 家庭でも変化する「近すぎる親子関係」
同じように、家庭での人間関係も大きく変わってきている。とりわけZ世代の親子関係は、これまでにないほど濃密だ。入社式に親が同伴するケースもあるという話は、その象徴だろう。
その背景には、少子化による一人っ子の増加、共働き家庭の一般化、そして“お金をもらう父親”よりも“生活を共にしている母親”の存在感の強まりがある。かつてのような「親は親、子は子」といった線引きは曖昧になり、親も子も孤立しがちな社会において、お互いが“心のよりどころ”になっている面がある。
とはいえ、その距離の近さは必ずしもポジティブなものばかりではない。
「親に申し訳なくて就職先を変えられない」「母がかわいそうで実家を出られない」といった声がZ世代からも聞こえてくる。
親子関係が濃密であるがゆえに、自立にブレーキがかかってしまう──。それもまた、Z世代特有の葛藤と言えるだろう。
8-1. わからなさを恐れず、歩幅を合わせる
ここまで見てきたように、Z世代の行動や価値観には、彼らなりの理由がある。情報に囲まれた環境、不安定な社会、親密すぎる人間関係──そうした背景があるからこそ、彼らはときに自分の殻に閉じこもる。
その姿を見て、「何を考えているのかわからない」と感じることもあるかもしれない。でも、それを“わからない”ままで終わらせるのではなく、まずは「わからない」と認めることが、対話の第一歩になる。
無理に近づいたり、媚びたりする必要はない。むしろ、彼らの歩幅を尊重しながら、自分のペースを合わせていくことが大切だ。違いは埋めるものではなく、理解するもの。
Z世代との関係性においては、“完璧な理解”ではなく、“歩幅を揃えようとする姿勢”が、もっとも大きな信頼につながるのかもしれない。
8-2. 「世代論」を超えて──この本が教えてくれること
Z世代のふるまいは、「最近の若者は」と表層的に片づけられがちだ。けれど、牛窪恵さんの著書『Z世代の頭の中』は、そうした短絡的な視点とは一線を画す。
本書が優れているのは、Z世代単体を語るのではなく、親世代・上司世代とのつながりや、時代背景も含めて“構造的に”読み解いている点にある。なぜ彼らはそう考えるのか、なぜそう行動するのか──その背景にある「社会の変化」を丹念に追いかけることで、ようやくZ世代の輪郭が見えてくる。
Z世代の実像に迫るには、彼らを“異物”として見るのではなく、今という時代の中で“必然的に育ってきた存在”として捉える視点が必要だ。そして、それを可能にしてくれるのが、牛窪さんのように、複数の世代を長年にわたって取材し、俯瞰してきた書き手の存在なのだ。
なぜ彼らはそう生きるのか──その理由を、私たちはもっと丁寧に知るべきなのだ。あなたがZ世代に抱いていた“もやもや”は、ほんの少し、形を変えて見えてきたのではないだろうか。
今日はこの辺で。