逆境から未来を切り開く――松崎淳が描く挑戦の軌跡
今のスマートな考え方からは想像もつかない。美容健康系ECのコンサルタントやスペシャリストを企業に送り込む仕事をする松崎淳さん。その人生は、平坦な道ではなかった。35歳までは、転職を繰り返す「ジョブホッパー」として社会的に不安定な状況にあった。しかし、天真堂という化粧品OEM企業との出会いが、彼の人生を劇的に変えることになる。過去の挫折と再起を経て、自らの価値観を再構築し、現在は新しいフィールドで活躍する彼の軌跡を追う。彼の物語は、挑戦を恐れずに一歩踏み出す勇気を、僕らに与えてくれる。
迷走の中で見つけた転機
不思議な話だけど、彼の話によると、実は日本の就職氷河期に苦しんだかつての若者。それは、ネット系の企業によって改めて救われたのではないかという思いを強くした。
松崎さんは日本体育大学を卒業後、教員になる夢を断念した。いうまでもなく、そこに多くの人が殺到し、そして語弊を恐れず言えば、あぶれた。それで、就職活動を開始するものの、その先の未来にキャリアビジョンを描くことなく、迷走することになった。
流れるままアパレル業界へ飛び込むも、長続きしない。最初の会社は2年ほどで辞めた。とにかく、「社会を舐めていました」と松崎さん。そして、ついに追い詰められることになった。
その後も転職を繰り返し、ついには心身を病むほどの状態に陥ったのである。すでに結婚していて、家族の支えを受けながらも、一時は1年半もの間引きこもる生活を送る。この時期、彼は社会との繋がりを失いかけていたのである。
言葉を選ばず言えば、こうやって“腐って”いって、社会に未来を見出せず、諦めた人も少なくなかったのではないか。でも、彼は違っていて、まさに人との出会いが自らの人生に明るい材料を灯すことになる。
天真堂で得た学びと自己成長
そんな彼の転機は、20代の頃に築いた人間関係から訪れた。松崎さんは社会との距離を置いていた。そんな同僚からの誘いすらも、拒絶しようとしていた。だが、信頼していた仲間だという理由もあって、食事をともにした。
そして、そのかつての同僚に自分の今の状態を全て打ち明けた。そして、うちに来ないかと声をかけてくれて、入社することになったのが、天真堂。
松崎さんがどれだけ不安だったかを思うと計り知れない。1年半、ほぼ社会でなんの役も立っていない。そんな自分がその会社で貢献できるのか。でも、彼はここで奮起する。
貯金を切り崩して、その一年半でほぼ使い尽くす寸前であった。だから毎月、給料が入ってくることのありがたみを、強く、強く、痛感するのである。先ほどの「社会を舐めていました」の言葉の重みを感じる。
入社当時は、化粧品や健康食品に関する知識はほぼゼロ。それでも、後がないという危機感を糧に、彼は仕事に対する姿勢を大きく変えていった。
「勉強する」という習慣との出会い
それより以前と以後の彼とでは何が違ったのだろうと思う。
これまで転職を繰り返してきた松崎さんにとって、天真堂は全く新しいフィールドだった。それまでの彼の働き方は、言わば「その場しのぎ」。しかし天真堂での業務は、クライアントが製品を成功させるために、深い知識と徹底した準備が必要な世界だった。
入社直後、彼は手探りで知識を吸収する日々を送る。化粧品業界の仕組み、薬機法や景品表示法の基礎、さらにはOEM製品の開発プロセス。これらを理解するために、本を購入し独学で学び、取引先や社内の先輩に教えを請いながら知識を深めていく。
社会人になって初めて「勉強する」という姿勢を身につけた彼は、次第にこの学びの楽しさを見出していったのである。
そして、改めて思うのは天真堂が成長させていたのは、ネットショップであること。
2014年頃にはネットは人々の生活に浸透し始め、マーケットが生まれ始めた。新しい会社が参入することで、利益を得られるくらいにはなっていた。だから、天真堂はそれらを取引先に持つことで、伸びた。
同じようにして、一度、社会から見放され、燻っていた人間は、成長するネット企業に、奮起できるチャンスをみたのかもしれない。松崎さんもその一人じゃないかと思う。ここが、先ほど、就職氷河期で打ちのめされた人がネット企業に救われたと僕が語る所以である。
BtoB営業の独自性――“モノを売らない”営業とは
さて、天真堂のやり方の何が良かったのだろう。天真堂が行っていたのは、単なる「製品を作る」仕事ではなかった。確かに、同社はOEM(相手先ブランド製造)企業として、製造販売元の免許を活用し、化粧品や健康食品の製品開発をクライアントと共に行う会社である。
しかし、その営業スタイルは、従来のOEMとは一線を画していたのだ。
それを補完する要素を一緒に提案することで、その商品が売れ続ける精度を高めていたのである。
つまり、松崎さんはここで、プロダクト(製品)だけでなく、プロモーション(販売促進)、プレイス(流通)、プライス(価格戦略)という4P全体を視野に入れた提案を実践した。
中小企業が持つ課題はなんだったのか。それは「良い商品を作っても売れない」という壁である。それを打破するために、徹底したマーケティング支援を行ったわけだ。
これは同時に、小手先のテクニックではないことを意味する。物事を俯瞰して、提案するものだから、簡単ではない。だから、これを苦手として、辞めていく社員も少なくはなかった。ただ、彼は水を得た魚のようにのびのびと泳いでいく。寧ろ、なぜ理解できないのだろう。彼は自分で不思議に思うくらいに、それを自らの力に変えた。
思うに、その挫折の経験に伴う親身な人格形成と、勉強量が比例していたのではないか。人生経験がもたらす深い学習こそが、真にクライアントのニーズに応えていくのだと思う。
画期的な取り組み――医薬部外品ストックモデル
そして、当時として画期的な要素を、天真堂は持っていた。
天真堂のもう一つの強みは、当時のオーナーが打ち出した「医薬部外品ストックモデル」である。新しい製品をゼロから開発し、厚生労働省の承認を得るためには膨大な時間がかかる。そのため、多くの中小企業が参入を諦めざるを得ない分野だった。
しかし、天真堂では、あらかじめ医薬部外品の承認を取得した製品を自社でストックしておくという戦略を採用。これにより、クライアントは商品をゼロから開発する必要がない。既存のストックを活用して、自社ブランドに合わせた商品を短期間でリリースできるようになったのだ。
この手法は、今では多くの企業が取り入れるまでになった。いわば、それだけマーケットを伸ばす要因であったわけで、その先行者利益を一手に受けた。中小企業でも素早く結果を出せる環境が整い、天真堂は競争優位性を確立して、その勢いに拍車がかかる。
しかも、松崎さんはそれを4Pと合わせて提案していく。定期購入と呼ばれる手法でそれをやっていたから、継続的な利用にもつながった。彼の取引先を急激に伸ばして、業績を安定させることに大きく寄与した。
彼らは新規の拡大とともに、継続的な利用をする企業の増加に伴い、大きな躍進を手にしたのである。当然、彼は営業の責任者にまで上り詰めることになった。
「事業を支える」という営業の醍醐味
その中で、松崎さんの脳裏に焼きついているのは、マンションの一室から事業をスタートさせた若い経営者との仕事。2014年頃の話だから、スタートアップも多い。環境としては未開拓の部分であり、手法も抑えているから、伸びたら強い。
松崎さんは彼らと二人三脚で事業計画を練り、最終的には年商20億円を超える企業にまで成長させることに成功した。この経験を通じて彼は、「顧客の成功こそが自分の成功」という信念を確立した。
その後、2019年、松崎さんは天真堂の取締役に就任し、経営に携わる立場となる。ただ、良いことばかりではない。天真堂の手法は、中小企業だからこそ合致した。コロナ禍を経て、同じ業界に大手企業が参入してきた時に、広告などの単価が変容してきて、風向きが変わった。
これまでの仕組みで構築してきた土台となる数字が変わった。資本力のあるところが存在感を示すようになったのだ。また、会社はM&Aによりオーナーが変わって、時代と環境の変化の中で彼の方程式に揺らぎが出てきた。
それと同時に芽生える挑戦心。今一度、まっさらな状態で自分自身、これまで“培ってきたものをさらにブラッシュアップ”できないかと思案するようになり、3年間の在任を経て辞任を決意する。
経営への挑戦と次のステージ
その後、松崎さんは、ルルーナなどの企業を相手に、D2Cコンサルタントとして活動を開始。そして、新たな挑戦として、人材紹介業もやって、スペシャリストを相応しく企業へと送り込む。
そこで、松崎さんはこう語るわけである。「やっぱりスタートアップが伸びていくあの躍動感が忘れられない」。
人材業をやる理由はそこにもあるという。かつてスタートアップが成長していく中で、多くがその人材不足に悩んでいることを実感してきた。だから、スタートアップを伸ばしてきた知識、向き合い方を、その人材と掛け合わせるのだ。そうすれば、企業が成長し、人がイキイキする土壌ができる。日本はきっと、もっとよくなる。彼は純粋にそう思っている。
そして「優れた商品やサービスを日本中に広めたい」という熱い想い。これを新たなミッションとしている。
逆境を糧にした哲学
先ほど、僕は松崎さんが“培ってきたものをさらにブラッシュアップする”為に今があると書いた。そのブラッシュアップとは何か。
それこそが時代の流れを受けてのものだ。彼が関わっていたのは定期購入と呼ばれる手法。それこそ、2014年代でいえば、「とにかく解約させない」ということが大事。そこばかりが強調されて、伸びた企業が少なくない。
ただ、良い意味で、大企業が参入してその手法が健全化された。その時に、彼の本質的な視点と今の時代を見据えた継続顧客のあり方を考えている。つまり、お客様との関係性を築きながら、ともに成長していくビジョンである。それは、2014年時代とは大きく異なる。
だからこそ、彼が成長へと導いた本質と今の時代との掛け合わせにより、スタートアップは以前よりもっと健全に、お客様に寄り添いながら、マーケットを牽引していけると語るわけである。
松崎さんの物語は、「人との繋がり」と「挑戦を恐れない精神」が軸となっている。過去の失敗や苦悩を隠さず、それを糧に成長してきた姿は、現代の私たちに勇気と気づきを与えてくれる。
松崎さんの人生は、まだ発展途上だ。天真堂で培った知識や経験、そして人々との繋がりを基盤に、次々と新しいフィールドへと踏み出していく。その姿は、多くの人々に「何かを始める勇気」を与えるものと言えるだろうし、その横に必ずや彼が寄り添っていてくれるだろう。
今日はこの辺で。