NFTもメタバースも 娘に贈る“おばけのパッチ”の筋書きの材料でしかない “いけもとしょう”の革命
メタバースやNFT。それはデジタル最先端であるけど、それを使ったからといって、世間の関心を集めるのは難しい。なぜなら、人の心を動かす本質は、どれだけ時代が違っても変わることはないから。その証拠に、そのデジタル最先端で革新的な一手を打ち続け、脚光を浴びている「いけもとしょう」さんの起こした小さな革命がある。ペンとスケッチブックで描いた「おばけのパッチ」の絵が、デジタル界隈で快進撃を続けているのだ。
「おばけのパッチ」のアナログ的産声
1.いけもとしょうの転換期にはいつも「人」がいた
スケッチブックとボールペンで生み出したコンテンツは、「おばけのパッチ」という。スケッチブックを片手に、ボールペンで描いたイラストなのだ。でも、それが、まさかNFTやメタバースの世界で脚光を浴びることになろうとは、彼自身も予測していなかったことだろう。他と違っていたのは、何だったのだろう。
まず、このいけもとさんについて触れておこう。元々、彼は、美術の経験がそもそもない。番組制作の現場にいてディレクターを務めて、その後、映像制作会社へと移る。そこでも愛知でテレビ番組の制作をやっていたとかで、デジタル要素も出てこない(笑)。
本人は「人にあまり関心はないんですよ」と自虐して笑いながらも、彼の転機にはいつも、人がいた。かくいう映像も、学生時代、よく知っている人の誕生日に彼が、自分で映像を作って見せたことがきっかけ。その相手は、その映像を見て、涙を流して喜んだ。
動画がここまで人の心を動かすのかと。進路を一転させて、数学の教員志望だったのを(え?)コロッと映像制作にチェンジ。実は、先ほど紹介した「おばけのパッチ」を生み出したという彼の人生の転機もまた、人。自身の娘の誕生がきっかけとなっている。娘が生まれたのは2020年9月で、絵を描きはじめたのは2021年の春のこと。今からそれほど前の話でもない。
2.コロナ禍、そして娘の誕生
そこを起点に、娘に何か作品を残したいと思うようになる。それはコロナ禍というどんより曇った世界の中だから、自身の未来に重ね合わせて、それを考えたところに意味がある。
確かに、彼自身、それまでの仕事自体には満足していた。けれど、それでは「自分にしかできない生き方はできない」。つまり、「働いた時間」への対価をもらうのではなく、今こうして、頭と体が動くうちに、そういう生き方が、できるシステムを自分自身で、構築しておくことが大事だと考え、それを娘への贈り物とあわせたのだ。
なぜ、キャラクターなのだろう。それは美術に長けていたわけでもないのに。でも、人生かけて、娘に伝えたいメッセージを残したい。だとしたら、絵本だ。だから、キャラクターを絵本の中に描き、その役目をそこに託したいと、考えたわけだ。
それと、もうひとつ理由がある。これが、案外大きい。それがムーミンの存在である。
彼の娘の誕生を機に、寄せられたグッズの大半が、偶然にもムーミンであった。それこそ、ベビーカーに取り付けるものなど、殆どがそう。彼は、「なぜ、こんなに『ムーミン』が人気があるのだろう」と関心を抱いた。
3.ムーミンを超えるキャラを作ろう
それと同時に、彼の面白いところは、それに対しての向き合い方だ。何故、自分のまわりにいる人たちは、ムーミンを超えるような「人気のあるキャラクターを自分たちで作ろうとしないのだろうか」。そう考えたのである。
ただ、絵の勉強をしているわけでもない。でも、娘へのメッセンジャーとしての役目を果たすのは、自分が考案したキャラクターでやることがベストだと考えたから、行動を起こした。それだけなのである。失敗したらどうしようとかは考えない。そうではなく彼は、自分の行動に素直なのである。
その意味では人の目を気にしていない。確かに、人に関心がないということもうなづける。
彼の話を聞いていると、感性とロジックが程よく、調和していることに気づかされて、それも成功の要因なのではないかと思っていたりもする。
そして、絵を描き始めたものの、最初こそ、デジタルを意識して、ペンタブで描いてみた。だが、すぐに挫折することになる。「致命的に絵が下手だったから(笑)」。
感性とロジックがもたらす急激な躍進
1.スケッチブックとボールペン
彼は、その思いに対しては、純粋だから、練習用にスケッチブックを持ち歩くようになったという。そう!まさに、ボールペンを使って描き始めたことが、このデジタルへの影響力を発揮する全ての始まり。
ボールペンでスケッチブックに絵を描いてみる。思いがけず、彼はそれに対して前のめりになっていくのである。
「スケッチブックにボールペンで書くから、ダイレクト筆圧を感じるんです。それも、修正が効かないんですよ!」
そう興奮気味に語るが、いやいや、それ当たり前でしょ(笑)。
そうは思ったものの、それだけ僕らはデジタルにとらわれていて、その発言は、リアルの価値を忘れていたことに気づかされる。そうなのである。新しいものがいいわけではない。アナログにもいい部分はあって、それを彼は見出して、そこに自分の考えを投影したのだ。結局、ここも流されない彼の姿勢が発揮されたように思う。
スケッチブックにボールペンも、古いのではなく、一つの表現法だと気付いたところから、彼の作品が本格的に、産声をあげる。
2.直感的だからこそ既成概念がない
先ほど、直感とロジックと書いた。とにかく直感的。なぜ「おばけ」かと聞けば、「フォルムから入った」と話していてこう続けた。「ムーミンもトゥルンとしているじゃないですか」と。綿密なマーケティングデータとは違っている分だけ、そこには常識を超えた発想があり、既成概念にとらわれないから、実は新しい。
それでいて、冷静。というのも、そうしたもう一つの理由は、人間的な模写が最初の段階では難しいとから。確かに手の関節部分を描くとしたら、それなりに技術が必要である。絵の良し悪しで判断されてしまう。「一つ目」のおばけなのも、実は、ふたつだと「均等に書かなければならない」ので熟練の差が出やすいからという理由からだ。
そして、何より、彼の頭の中では、これらが登場するストーリーができている。絵本となって、それを娘にプレゼントするイメージはできていた。それが娘へのメッセージであるというバックボーンがあるから、何年か後には、小学生のタイミングには、このキャラで、ランドセル作るところまで描いて、そこから逆算して、行動を決めている。
何が言いたいかわかるだろうか。つまり、絵を上達させてからキャラクターを描いていては、その計画通りに進められない。だから、今、できることで一番、最適な方法を選んで、進めている。
それがこの感性とロジックのバランスが絶妙だと、僕が思う所以である。
3.いかにしてデジタルに向かうことになったのか
とはいえ、それがデジタルには直結しない。なぜ、彼はデジタルの最前線で脚光を浴びることになったのか。最初に関心を抱いたのが、NFTである。ありがちな「NFTでヒトヤマ当てよう」的な発想は微塵もなく、純粋だ。売れた方が嬉しいが、何より最初は、売ることが面白かった。
そもそも彼は映像制作をしていて、それまでは会社から仕事をもらっていたにすぎない。その仕事が、幾らもらって成立しているのか。そこに彼が関わっていたわけではないからだ。
つまり、彼自身、世の中にないものをつくりだし、そこに価格をつけて売り出すことが新鮮に映った。言われてみて思ったが、これはとてもすごいことなのだと。全く無名でも、もし買ってもらえれば、それはその対価に相当する価値を持ったものだと示すことになるからだ。
NFTでのやり取りが、人生で初めての経験だから、そこに虜になっていった。逆に言えば、それがデジタルかどうかは彼の中では、大きな関心ごとではなかったのである。
そして、NFTに価値を見出すとともに、メタバースにものめり込んでいくことになる。
自分の価値を正当に理解してもらえるところができて、わかってもらえるようになってきたのであれば、いよいよ、そこで作品を出すことの意味も見えてきたというわけだ。見えてきたから、作品の数が増えていく。絵本を出すのと並行して、これもやっていくことが大事だと認識できるようになったわけだ。
4.作品に価値をつけて売れるNFTの衝撃
最初に出品したのは、大きく聳え立つ鳥居と、パッチのイラスト。
これにしても、奥が深い。というのも、ストーリーがあればこそだ。娘を登場させたいから「おばけのパッチ」と人間との接点を作る必要があって、そのイメージに近い拠点として「鳥居」が閃いたのだ。
それはまさに、始まりの作品ではあるけど、売れたわけではない。
当時、仲のよかった人へと差し上げたという。作った作品が、ウェブ上で価値を持ち、渡せるという体験をいち早く体験してみたかったからだ。逆にいうと、この辺りから、世の中の人よりも、先進的な立場になっていくことになる。
2021年の秋にはキャラクターを増やし始めたこともあり、5〜6個出品して、並べていたのだという。当然、認知もないから、売れるわけではない。まあ、そんなものかと。
ところが、ある日、sold outと書かれたメールが彼の元へと届く。最初、「なんだ、これ?」と思っていた。ところが、徐々にそれが、自らの作品が売れたことなのだと気づき、人生最大の喜びとばかり、はしゃいだという。
4.買ってくれたのはオーストラリアの日本人
これらの売買の金額はイーサリアム(ETH)という仮想通貨でやり取りされる。幾らで売れたのだろう。
当時、1イーサが30万円程度。なので0.1イーサで3万円。0.01イーサで3000円。(いずれも当時の日本円での価格)。
それで、彼は「パッチ」のイラストを0.03イーサ(当時の日本円で1万円程度)で販売した。ちなみに、もう一体のおばけが0.02イーサ(当時の日本円で六千円から七千円程度)。
それらが一気に売れたのだ。
購入したのは、オーストラリアに住んでいる日本人だった。嬉しすぎて、いけもとさんは、その方にDMを送ったという。その方は、猫っぽいと言って購入していたという。ちなみに、おばけのパッチに猫的要素は一つもない(笑)。とはいえ、美術の経験がない中、可愛いと言って一般人に購入へと至らせたのは快挙である。
その後、手がけた作品を0.03イーサ、0.02イーサくらいで共通させて、販売していくと、徐々に売れ始めていったのだという。それを踏まえて彼は挑戦する。
敢えて「0.3イーサ(当時の日本円で約10万円)」で出してみた。意図としては、その絵に関してはそれなりの工数をかけたのだから、それに見合った価格設定をするべきだというものである。
なんと、それが売れたのだ。キャラクター単体ではなく「深海」というテーマを添えて描いた。その絵が10万円(当時の日本円)で売れた。
NFTもメタバースも手段のうち
1.ストーリーがあったから人より先に行けた
逆に言えば、ただ出せば売れるというわけではない。話を聞く限り、これは僕の想像の域を脱しないが、彼自身、NFTに出すために、絵を描いているのではない。それが大きいのではないか。
大前提に娘に贈るメッセージとしての意味合いがあって、確固たるストーリーが存在している。だから絵をさくさくとテンポ良く、色々と描くことができて、そこに何かしらのシンパシーを感じるものがあったのだろう。
彼も、ツールとしてNFTがあっただけで、その体験が面白くて、続けただけだと説明している。結果、NFTへの出品は、70から80枚に及ぶ。
2.メタバースへの進出
そして、イーサが貯まっていくのに合わせて、“土地を買う”。土地?そう、NFTをやるのに合わせて、彼はメタバースにも関心を持ち始めた。彼はそこで土地を購入しようと考えたのだ。
これも、メタバースありきではない。「おばけのパッチ」を、絵本で出すにあたって、世界観を思い描いていた。だから、それをメタバース上に反映してみたいと思っただけのことなのだ。デジタルに長けているのではないからこそ、デジタルマーケティングの要素など少しもない。単純に、そこにあるのは、デジタルを通して夢を叶えたいという想いなのだ。
ただ、土地を買うといっても安くはない。幾ら稼ぎ始めていたとは言え、そこには及ばないから、彼はまた、考える。「そうだ!NFTを使ってクラウドファンディングのようなことはできないだろうか」。
NFTを一枚一枚ではなく、20枚まとめて発行した。その分、金額は高くなる。けれど、彼は敢えて、そこでの購入金額は、メタバース上の土地の購入に充てると宣言。そこへの応援も含めて、考慮してほしいと述べた。
3.購入を通して人を巻き込む
また、それに合わせて、土地が購入できた暁には、メタバース上に美術館を建てることを明らかにしていた。
少し専門的な話になるが、メタバースはリアルの土地と考え方は同じだ。土地を買えば、建物をその上に建てる。建てる建物もインフラ側が幾つか用意していて、それを購入する形で、土地と建物が成立するようになっている。
だから、先ほどの20枚まとめた作品の購入者には、その軍資金で土地を買い、美術館を建てた上で、NFTの展示ができる権利をつけることを伝えた。実は、この発想も秀逸である。
というのも、当時、NFTをそうやって、メタバース上に展示するという発想はなかったからだ。それはクリエイターが自分で描いたNFTでもいいし、コレクターが手に入れたNFTでもいい。そこに展示するという発想自体が、新鮮だった。かつ、そのメタバース上の街形成のストーリーを追うコミュニティに招待すると。
購入してもらいつつも、その人を一緒に街を作り上げていく仲間のような感覚へと誘う。彼らしい手法は娘への贈り物という根底があるから、一見するとバラバラな点と点が線になって、人の興味をそそる物語になっているのである。
感性の裏には筋書きがある
1.人気番組「マツコ会議」にも取り上げられる
加えて、思いがけず、彼の映像制作の知見もここで活かされることとなる。
彼が着目したのは「サンドボックス」というメタバース空間。その世界上で絵本の街を構築しようとしているのだが、当初、その中身は誰でもみれる仕様になかった。だから、その制作過程を収録して、その解説を彼自身がマイクを使って淡々と説明する。そういうYouTubeの番組を作ったのである。
ここまでの流れは、それによって可視化され、面白さが伝わったのか、日本テレビ系列の「マツコ会議」から取り上げさせてほしいというオファーを受けたのである。いうまでもなく、それで一躍、多くの人の目に触れることになった。
また、この番組で取り上げられた事で、出版社から絵本のオファーをもらうことにもなった。一部、そこでは絵本作成にいけもとさん側に幾分かの費用負担があったことから、彼はクラウドファンディングを実施。資金調達の呼びかけをして、84万円程度、集めることになって、出版が実現した。
かくして彼の描いた計画通り、2歳の娘の誕生日に、絵本を手渡したのである。
2.お金を払うほど、人の心を動かすとは
見事であると思った。最後に余談だけど、いけもとさんと僕は、こんな話をしていたんだ。こういうものが人を動かし、お金を動かす理由って何だろうと。
つまり、仕事って世の為、人の為であって、そこにお金が動くのはわかる。けれど、一方で、いけもとさんみたいに、純粋に、自分がやりたいことをやって、それが仕事になることってあることが、なんだか不思議だと。
すると彼は、こう話してくれた。
この『おばけのパッチ』にしても、正直、万人に需要があるわけではない。でも、自分の中には、『作りたい』『伝えたい』『残したい』その気持ちが強くある。誰よりも強く。
究極を言えば、それだけかもしれない。でも、それが娘に向けた想いなのに、そこに共感してくれる人がいるというのも事実だ。おそらく、それは、“作られた共感”でないからなのではないかと。
3.一途な思いは多くの人の共感を呼ぶ
たとえ相手がたった一人でも、嘘偽りない思いがあれば、それは結果的に、多くの人の心を動かすきっかけになるのではないか。それが僕らが話した着地だった。
共感させようと思ってやっているのではない。だから、誰かしらがその動きを見て、応援してくれているという現実。誰かに対する真摯な行動は、必ず、意思を伴っているので、第三者でも心を動かすのだということ。
最初は「やりたい」だけかもしれない。けれど、そう思ったなら、「やればいい」のである。結果的に、「いけもとしょう」という男が、それで手に入れたここまでの過程なのではないかと思う。それはきっと多くの人を勇気付けるだろうと思う。あっぱれ!彼らは「おばけ」だけど、暗がりではなく、もっと明るいところへ飛び出そうとしている。
今日はこの辺で。