AIがいるから、人は“関係性”に集中できる―78歳の第一人者と語る、生成AI時代の近未来CRM

何気ないことだけれど、最近AIの話題が盛り上がるほどに、逆に「人間は何をすべきか」を考えてしまう。それはきっと、僕が“CRM”という言葉にこだわってきた理由とも、どこかでつながっているのかもしれない。
僕はふと思った。「もしかして、AIとCRMって、もっと深いところで結びつくのでは?」と。そうして、また僕はCRM研究家・西野博道さんに、突拍子もない取材をお願いした。「AIとCRMの関係性について、今あらためて考えてみませんか」と。
序章:78歳の第一人者は、なぜ今もCRMを語れるのか
それはそれは驚いた。なぜなら、昭和の一時代を“CRM”で築いてきた人に、令和のこの時代、生成AIとの関係性を問うというのだから。ある種、領域違いとも思える問いかけに対し、どんな反応が返ってくるのか──少しの不安と、でも確かな期待が入り混じっていた。
だが、AIがあらゆる領域に導入されていく今だからこそ、“人が人を理解しようとする思想”──CRM(Customer Relationship Management)の真価が、かえって浮き彫りになっている。
「CRMとは管理ではなく、理解である」。
この言葉を最初に私に投げかけてくれたのが、CRM研究家・西野博道さんだった。今年78歳を迎えた西野さんは、やずやでCRMの実装を先駆けて成功させ、今なお現役で“人間理解”の本質を探究し続けている。情報の最適化やKPIの追求に終始するのではなく、目の前の顧客にどれだけ寄り添えるかという“感性”にこそ、本質が宿るのだと。
では、生成AIのような高性能な支援ツールが日常に入り込んだ時代において、私たち人間はどんな振る舞いを選ぶべきなのか?単に作業を減らすためにAIを導入するのではなく、むしろ「AIが裏方に回ってくれるからこそ、人間は“関係性”に集中できる」。
それが、今回の対談の出発点である。
第1章:カスタマイズが生んだ関係性
かつて西野さんがやずやで実践した「パソコンによるCRM設計」には、まさにこの思想の萌芽があった。社員が“お客様との関係性”に没頭できるよう、パソコンに作業を移譲し、エンゲージメントを深めていく設計。
彼がやずやにパソコンを導入した際、何が売上を大きく伸ばす原動力となったのか。
それは、他の競合が「コンピューターに人間が合わせる」提案をしていた中で、唯一「人間にコンピューターを合わせる」設計をしたことにある。実際に西野さんは会社に泊まり込み、やずやのスタッフたちの行動や心理を深く観察。彼らの業務フローに最適化されたプログラムを構築していった。
そして、彼が目指した最適化とは、コールセンターでの“人と人の交流”にこそ、最大のリソースを注ぐべきだという思想だった。顧客が“もっと話したい”と思えるオペレーターとの関係性こそが、やずやの商品への信頼を強めていったのだ。
この思想にいち早く乗ったのが、やずや創業者の矢頭宣男さんである。人間味のある対応を最大化するために、コンピューターを使うべきだということに気づいていたのだ。想像するに、他の企業が提案してきたパッケージよりも、西野さんの提案はカスタマイズが必要で、割高だったはずだ。でも、彼の案を採用した。
ここに今のAIにも通用する本質がある。
第2章:効率化はカスタマイズの中で
つまり、通りいっぺんの効率だけを追うようなコンピューターの捉え方ではなく、人間本位で価値を最大化するための設計こそが必要だった。そのためには、何より「カスタマイズ性」が重要になる。
だからこそ彼は、やずや向けに専用設計を行い、オペレーターが今以上に“イキイキと働ける環境”をつくり出そうとしたのだ。
そう彼自身が編み出したそのプログラミングは、もはやオリジナル。人格に近いと言い切った。本当に、「ゆうこ」と名付けていたほどである。それもうなずける話だ
西野さん曰く、プログラミングというのは、ある種、著作権に近いものであるという。誰が、どんな思想で組み上げたか──その“コードの中に流れる人格”は、他者が簡単に使い回せるようなものではない。やずやに焦点が当たっている、やずやのためのプログラミング。
その瞬間、何かが腑に落ちた。それこそ、AIもまた使えば使うほど、その人の思考や感性を反映し、“人格”を形成していく存在だからだ。
こうした視点こそ、今のAI時代に必要なものなのだ。
生成AIが持つ本質的な価値とは何か? それは一問一答で“正解”を提供する道具ではなく、対話を重ねることで“人格”が育つプロセスにある。しかもそれは、やずや時代のような大規模導入ではなく、今や誰もが“自分専用のAI”と向き合える時代になっている。
第3章:AIは“もう一人の自分”になれるか?
私たちがAIを使えば使うほど、そのAIは私たちの思考や価値観を学び、やがては「もう一人の自分」のような存在へと近づいていく。
ともすれば、このような流れに「AIが人格を持つなんて怖い」と捉える人もいるかもしれない。
しかし重要なのは、その人格は“他者”としてではなく、“自己の拡張”として生まれるという点だ。「もう一人の自分」は、自分をよく知るからこそ、自分にとっての最適化が可能になる。それはあたかも、“双子の秘書”のような存在。単に指示を実行するだけでなく、こちらの意図を踏まえて、適切に支援してくれる相棒だ。
その精度の高さが大事なのだ。つまりはカスタマイズがものを言う。繰り返すが、正解を求めるものではないのだ。
これを過去に置き換えれば、やずやのカスタマイズ性を帯びたプログラミングもまた、やずやイズムの人格があって、コンピューターではなく「ゆうこ」として、スタッフの誰からも愛されていたことにも通じる。
つまり、コンピューターはやずやという思想の中で、オペレーターの個性を拡張させるものになっていたのだ。
現代の生成AIもまた、プロンプトの積み重ねを通して“魂の入った存在”として育てられる。AIも、そしてかつてのコンピューターも。本当に価値があるのは、“データそのもの”ではない。無数の情報が重なり合い、文脈としてつながったとき──そこに“人格的な特徴”が立ち上がるのだ。
第4章:AIがいるから、人は“環境”をつくれる
そして、そのAIにせよ、コンピューターにせよ、どう使うかは、人の側に委ねられている。やずや時代、顧客の声を電話で丁寧に受け止め、その会話から次の商品企画やサービス改善のヒントを得ていた。こうした「人間らしいやり取り」が、やがて顧客の信頼となり、リピート率を高めていったのだ。
その際、やずやでは、顧客データの検索や伝票出力といったルーティン業務はコンピューターに任せていた。だからこそ、スタッフは「向き合うこと」に集中できて、最大化できたのである。これを単純に「効率化で解決した」と片付けてしまってはいけない。
カスタマイズされた設計の中で効率化を果たす。それこそが、CRMとコンピュータの関係性の“本質”だったのだ。そしてこの“カスタマイズ”というのは、人との関係性を礎にしたものであり、下手をすれば、一人ひとり全く違うものになる。
ただし、それをビジネスとして成立させるには、ある程度の“共通項”の中で仕組み化しなければならない。その設計によってこそ、やずやが行ったように「割高な初期投資」は、やがて“やずやでの関係性の質”として返ってきて、しっかりと収益に転換されていくのである。
その証拠に、再春館製薬はオペレーター側は、お客様の状態や感情、肌の悩み、生活習慣などをビジュアル的に“描き出す”ことを重んじた。“肌”という感性・感覚に訴える領域だから、パーソナライズが「図的」「直感的」になる。これは、健康食品のやずやにはない“人格”である。
第5章:人として何をするべきか
まさに、ここにこそ本質がある。CRMで何が重視されてきたのか──それは、人との距離感をどう縮め、そこで企業や商品への“信頼”をどう築いていくか、というプロセスなのだ。その中で、人間側がどれだけ相手を思い、配慮してきたのか。
実はこの構造こそが、AIとの向き合い方にも応用できる。CRMとは、顧客との関係性を築くための哲学であり、人とAIが共に働く時代にこそ求められる“思考の土台”なのだ。
だが、関係性は“構築”するだけでは不十分である。人は、ただ関係を築くだけでは満足しない。そこに「熱量」や「感動」、つまり“びっくり”があるかどうかが、関係性の強度を決定づける。
西野さんはこう語る。「相手との距離感に応じて、少し予定調和を外す。たとえば、メインディッシュかと思えば、実は花束だった──そんな驚きの演出が、大切なんです」と。
CRMとは、驚きすら設計する“感性のデザイン”であるべきなのだ。
まさに、AIとの向き合い方にも応用が効く核心だ。つまり、AIに全てを任せてしまうのではない。あたかも、それは人間の行動で見えてこそ、真価を発揮する。それは“種明かしをしないマジック”のようだ。裏方としてAIを活かしながら、最前線では人間がその“偶然性”や“感動の余地”を演出することが求められる。
そこにこそ、人間がリソースを割くべきところなのだ。その肌感覚は、現時点ではAIには理解できない領域だから。
第6章:AIに“できること”と“やってはいけないこと”
個性を与え、双方向的に関わることで、AIは単なる道具ではなく「自分の分身」のように振る舞う。
それがあるから、自分の無駄を省ける。結果、創造的な仕事ができるようになる。だから、“生成”AIなのだ。それは何ら、ここまで話している通り、西野さんのコンピュータを通してやっていたことと本質は変わらない。
だから、この判断を誤れば、業務の効率は一時的に向上するかもしれない。だが、その裏で「人間的な関係性」が損なわれる行動をしてしまい、顧客との心理的距離は確実に広がってしまう。
ゆえに、「人間の熱量が生まれる場面は、人間が担う」ということが大事なのだ。CRMの業務には、AIに任せるべき“作業”もあれば、絶対に人でなければ担えない“文脈”がある。
「たとえば、同じデータでも、Aさんに勧めるか、Bさんに勧めるかで、伝え方もタイミングも違うでしょう?」。そう西野さんが語るように、“伝え方のニュアンス”や“相手に応じた空気の読み方”は、人間の感性に委ねるしかない領域なのだ。
第7章:共存するAI人格が生む、パーソナルCRMの未来
そして、大事なのは、CRMが顧客との未来思考の中で成り立っていることにある。以前、西野さんはCRMにおけるあるべき顧客との関係性を夫婦に例えた。ごく当たり前に、その未来が共にあると。
そして、それぞれにとっての未来は今までの未来を見ることで初めて生み出すことができる。過去の分析で最小公倍数を出すことができても、未来に向かって最大公約数を出すのは、人間である。
それをいかに効率よく出せるかという部分にAIの存在意義があるということになる。
だから、そこに必要なのは、「データ活用」ではなく、人間理解に基づいた“ストーリー設計”。“誰に、いつ、どのように届けるか”。それを構想する力がCRMの本質を決定づける。
感覚と戦略の両輪で、“関係性”を紡ぐ設計者。それが、AI時代のCRMの担い手である。
第8章:CRMは“業務”ではなく、“物語の共創”である
ゆえに、過去のCRM理論は、令和のこの時代に燦然と輝く。今回の対談を通して見えてきたのは、CRMとは「テクノロジー活用」ではない。「人間理解の思想」であり、そこに“個性”と“魂”を込めることが何よりも重要だという事実である。
かつて創業者の矢頭宣男さんは、「嫌だと思うお客さんには無理に向き合わなくていい」とすら言ったという。それこそ、そういう人とは未来思考が描けないからだ。しかし、逆に、自分とウマがあうお客さんとであれば、とことん、その人と向き合いなさいと。
それは、スタッフ側の個性が拡張される素地がそこにあるからだ。その上で、先ほどの西野さんの作り上げたコンピューターがある。
もうお分かりだろう。
人格を持ったAIが、裏側であらゆる作業を代替する。そんな時代にこそ、人は「関係性の構築者」として、どれだけ顧客と真剣に向き合えるかが問われる。ゆえに、CRMとはもはや「業務」ではなく、「哲学」であり、「物語の共創」なのだ。
しかも、その人格のアップデートにかかるコストの軽減は計り知れない。かつてパソコンで作られた「ゆうこ」という人格は、その時代背景を備えて「あけみ」という人格となってアップデートしたが、それには10億程度の予算を必要とした。今はどうだろう。
第9章:AI人格の進化が、“個性の拡張”を可能にする
その代替わりすらAIによって進化し、人格は人格のまま成長していく。
個々人に存在する個性や才能の拡張は、今後、格段に広がっていくだろう。そして、それはもっと多様性を持って。今の話は、何もビジネスに限った話ではない。絵を描く、音楽を作る、あるいは趣味で交流を図る、あらゆる場面で、その個々人の個性は最大化する。はからずも、デジタルの世の中が進むほど、アナログ的な人間関係が重んじられる世の中なのだ。
結局、僕らは人を介して、全てが成立する。生きるということは、人との結びつきを意味する。
多くの人が自身の個性を通して、人間としての拡張をより手軽に実現できるようになった。ここにこそ、生成AIが今の時代に取り入れられるべき理由がある。自分仕様に、自分をカスタマイズして、自分の価値を最大化できるからだ。楽しみでしかない。
それにより今までよりも高いレベルの満足をもたらすとすれば、使わない手はないだろう。
西野さんが初代「ゆうこ」に込めた思想は、今、生成AIという形で再び蘇っている。テクノロジーの進化によって人間の仕事が奪われるのではなく、人間の感性が解き放たれる。それが、私たちが目指すべき「近未来的CRM」の姿なのかもしれない。
今日はこの辺で。