CRMとは“管理”ではなく“理解”である──夫婦から学ぶ、人に寄り添う本当の関係構築

「CRMってなんだろう?」そう問いかけたとき、どれだけの人が本当にその意味を“体感”として答えられるだろうか。定期購入、LTV、会員施策──そういった言葉の羅列の奥にある、人と人との関係性を見つめ直す旅に、僕たちは今、出発する。
CRM(Customer Relationship Management:顧客関係管理)という言葉が、マーケティングの世界で使われるようになって久しい。しかしその本質は、数字や施策では測りきれない“人間の温度”にこそ宿るものではないだろうか。小難しい理論は抜きにして、それこそ、小学生でもわかる「CRM」を考えよう。
そう思って、CRM研究家 西野博道さんにお声がけした。彼との対話で見えてきたのは、「CRMとは、夫婦のように未来を見据えながら寄り添い合う関係である」という一つの結論だった。管理ではなく、理解。そして、それは誰の人生にも応用できる、普遍的な思想だった。
第1章:CRMの誤解──「顧客管理」からの脱却
● ルールに支配されたCRM
ここで語られるのは、講演でよくある「CRMの攻略法」ではない。
もっとずっと、誰でも“自分ごと”として感じられるような、CRMという言葉の根底にある“人間的な感覚”を見つめ直す試みだ。「あれ、これって自分の人付き合いにも似ている」と思えるほど、本質的で、やさしい言葉による再定義が始まる。
「それは、簡単に答えの出る問いではなかった。」
そう前置きしながらも、西野さんは自分の言葉で、正直な思いを語ってくれた。
世の中には「CRM=定期購入」や「CRM=LTV向上」といったイメージが根強くある。だが、CRMの本質を“売る仕組み”だと捉えた瞬間から、すでにズレが生まれてしまう。
それらはあくまで“手段”であり、“目的”ではないのだ。本来、CRMとは“人との関係性”をどう築くかという問いのはず。けれど、データやルールを先に置いてしまうことで、思考の軸が「枠にはまること」にすり替わってしまう。
CRMが応用の利かないものと誤解されるのは、この“ルール依存”が原因だと、僕は思っている。僕が西野さんに投げかけたのは、まさにこの問いだった。
● 「管理」と「理解」は違う
西野さんがまず語ったのは、「言葉の違い」にまつわる考察だった。
「マネジメント(Management)」は、“相手を自分の思い通りに動かす”ことを目的とする言葉。一方、「リレーションシップ(Relationship)」は、“相手の気持ちに寄り添い、理解し合おうとする姿勢”を意味している。
西野さんは繰り返し語った。CRMとは、顧客の心に触れるための仕組みであり、「管理(Control)」ではなく、「理解(Understand)」であるべきだと。
CRMという言葉を、「顧客の心に寄り添いながら、自然と成果が生まれる仕組み」と捉え直してみると──その本質が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。
● CRMは夫婦である
では、CRMで描くべき“顧客との理想的な関係性”とは何か?そう尋ねると、西野さんは少し笑いながら、CRMを「夫婦」に例え始めた。──この発想は、西野さんの人生と共に培われた実感に裏打ちされたものだ。
え?夫婦ですか?思わず問い返した。
お互いの気持ちに寄り添いながら、未来に向かって一緒に歩む姿勢。そこには、データもKPIもない。ただ信頼と継続がある。西野さんと奥様の会話には、なんと300年先の未来が出てくる(笑)。来世でも一緒に、何をしよう。
次の人生ではお互いの性別を入れ替え、また一緒に生きようと話し合っているというのだ。その未来志向の関係性こそが、本来のCRMの姿なのだ。うん、未来志向で、当たり前にそれがずっと続く、そんな関係。だんだん、その本質が見えてきた。
では、こうした“未来に向けて寄り添う関係性”を、マーケティングの現場ではどう捉え直せばいいのだろう?
第2章:未来志向──最小公倍数の思考へ
● 最大公約数では生まれない
マーケティングの世界でよく使われる「最大公約数」。つまり、多くの人に共通するニーズを抽出し、そこに向けて商品やサービスを届ける考え方だ。だが、それはあくまで“過去”の延長線上にある発想であり、新しさを生まない。
それにまつわるユーモアのある例えをしてくれた。
たとえば「カレーが食べたい人」と「カツ丼が食べたい人」、その最大公約数は?
その答えは「米」。二つに共通するのが米だからだ。最大公約数的な思考では、「じゃあ、米を中心に訴求しよう」となる。でも、先ほどの夫婦の理論と絡んで考えると、この考えに致命的な落ち度がある。
本来、CRMにとって必要である未来志向が欠落しているのである。米は何ら新しいものではなく、未来ではない。つまり、彼曰く、最大公約数を求めているうちは、CRMと言えるような関係性を築けているとは言えないのだ。
● 最小公倍数=未来をつくる会話
西野さんはここで、あえて逆の言葉──「最小公倍数」という視点を提示する。先ほどのカレーとカツ丼で考えてみよう。両方の最小公倍数は何か?
それは「カツカレー」だ。
先ほどの米とは違って、まったく新しい価値がそこにはある。
つまり、過去の延長ではなく、“今”という起点から未来をつくる創造的行為。それがCRMにおける本質であり、関係性の中から新たな言葉を紡ぎ出す営みなのだ。
少しずつ、その本質が見えてきた。
● 未来志向がCRMを再定義する
だから、顧客との関係も同じだ。分析によって過去を掘るのではなく、「この人と、どんな未来を共有できるか」を考える。そのために必要なのは、分析でもシステムでもない。
仮説と共感、そして“問い”を持ち続けることだ。問いかけから会話が生まれ、会話の中から未来を形づくるキーワードが現れる。
これが、CRMが持つべき創造的視点、「最小公倍数」の考え方なのだ。
第3章:本音を引き出す仕掛け──SDGIという魔法
● 質問しないインタビュー?
さて、その顧客との問いには何が求められ、また、顧客に提案する商品はどうやって顧客との間で導き出されるべきなのだろう。
そこで、西野さんは面白い手段を教えてくれた。それは「インタビューなのに質問しない」──そんな不思議なアプローチだ。
彼が紹介してくれた「SDGI(Simple Dynamic Group Interview)」という手法である。
この方法は、テーマだけを与えて、あとは自由に話してもらう。誰かが語り出した言葉に、他の誰かが反応し、そこから新たな言葉が生まれていく。その言葉たちは、誰かに強制されたものではなく、自然と心から湧き出てきた“本音”である。
皆さんもそんなことがないだろうか。一問一答式であれば、その答えを求めようとする。しかし、何気ない雑談であると、ある特定の話題に共鳴した時、一気にそこに集まるメンバーがそちらの方へと会話が集約されていく。
その時に、知らず知らず、自分の胸の内にある言葉がフッと出てくる。この手法がむしろ、質問しないことで生まれる人の内面を引き出す。いうなれば、インサイト。
質問という明確な枠を外すことで、逆に思わぬ気づきや、無意識の中に眠っていたインサイトが引き出されていく──それがSDGIの醍醐味だ。
● 言葉にならない“気持ち”をすくい上げる
これが大事な理由は、CRMにおいて大切なのは、「データから何が見えるか」ではなく、「言葉にならない気持ちをどうすくい上げるか」だからだ。西野さんが紹介した事例──加茂繊維の「着る岩盤浴」では、まさにそのプロセスが描かれている。
そもそも「着る岩盤浴」は、もともと冬場の売れ行きが中心。
夏になると売上が低下する。普通に考えれば「夏は暑いのだから当然」と捉えがちだ。でも、加茂繊維はここで止まらなかった。
夏に冷房で体が冷える人は多い。にも関わらず、「夏に冷え対策になる服を探していますか?」という問いに、消費者は「そんなのあるわけない」「あきらめている」と答えた。
ここが重要。消費者自身が“言葉にできないニーズ”を抱えていたということだ。
● 「着る岩盤浴」という言葉が“障壁”にも“きっかけ”にもなる
その状況を変えるため、加茂繊維では「着る岩盤浴」という言葉自体を疑ってみる。「暑苦しそう」「冬限定のイメージがある」──そうした先入観があるのではと。
ここで活躍したのが SDGI(質問しないインタビュー)。質問をせず、自由に話してもらう中で自然に出てくる本音を拾う手法だ。
結果、意外な反応が出てきた。
- 「“着る岩盤浴”という言葉にピンときて買った」
- 「変えないでほしい」
- 「変えたら買わない!」
つまり、この言葉は一部の顧客にとっては“購入の決め手”になっていた。ネーミング自体を変えるのではなく、誤解のないよう“補完する説明語”を加えるという方向に転換したのである 。
・なぜ「500個もの補足語」が出てきたのか?
加茂繊維は、全社員で「着る岩盤浴」に補足する言葉を考えるワークを行い、なんと500個以上のアイデアが集まった。
例:
- 「夏の冷房に負けない、着る岩盤浴」
- 「エアコンで冷えるあなたへ」
SDGIによって、言葉を削らず、“加える”という戦略が見えた。結果的に、夏の売上が回復する道筋ができたわけだ。これって、単なるブレストではない。社員一人ひとりが「お客様の心に寄り添おう」として、何が伝わっていないのかを必死に想像した結果なのだ。
言葉を“売る”のではなく、言葉を“橋渡し”にする。この姿勢こそがCRMで言う「人間理解に基づく提案」なのだ。
・未来志向の寄り添いがもたらす気づき
この事例の本質は、「過去の購買データ」からでは絶対に導けなかった“感情の背景”を、未来への仮説をもって問い直したところにある。
「夏でも着たい人は、実は一定数いる。でも、その人たちは“欲しい”とも“探してる”とも言っていなかった。」
ここに寄り添って言葉を編み直し、最終的に商品が夏場にも売れ始めたという流れは、“共感”を生む思想であることを、強く物語っている。
● 寄り添うことで、言葉は生まれる
本音は、押し付けられた質問からは出てこない。本音は、“寄り添う姿勢”の中でこそ生まれる。
CRMとは、「どんな言葉を届けるか」ではなく、「どんな会話を紡ぎ出せるか」である。
そして、その会話の中に、企業と顧客をつなぐ“魔法の言葉”が眠っている。それらはやっぱり、寄り添うことで紡ぎ出される言葉なのであり、だから、未来へとつながるのである。ほら、全部が不思議と繋がっている。
ときにその言葉は、相手の心を「びっくり」させる力すら持つ。そういって、西野さんは、CRMの本質を語るうえで、少し意外な切り口を差し出してくれた。
第4章:びっくり=信頼のしるし
● 「驚き」から始まる関係の深化
寄り添うことで得られる価値は何か。
それこそが、CRMとは何か?とイコールであることに気付かされる。西野さんはCRMが真価を発揮する時はいつか聞かれて、「驚かせるとき」と答えた。おそらく、CRMの定義で、そう答える人は少ないかもしれない。
だが西野さんは、あえてその言葉を使った。「びっくりさせることが、関係性の深まりに直結する」と。
それは、“寄り添っている”からこそ可能な“びっくり”だからだ。え?どういうこと?
● ハガキをスキャンしただけで感動が生まれる
かつて西野さんがやずやにいた頃、顧客から送られてくるハガキをスキャンし、コールセンターにあるPCの画面に瞬時に表示させる仕組みを導入した。それこそ、スキャナーが何千万円もするというのに、導入したのだ。
だが、それでも導入に踏み切ったのは、お客様に「驚き」を届けたいという想いがあったからだ。電話を受けたオペレーターは、画面に表示されたハガキを見ながら、まるで“顔なじみ”のようにお客様と会話を始められる。もしも、物理的にハガキを探すとしたら、どれだけの時間がかかるだろう。
だから、顧客は驚く。「なぜ私の話しているハガキを、あなたが知っているの?」と。その偶然のような必然が、心を動かす“びっくり”を生んだのだ。
これこそ、CRM。そして、この体験にこそ、デジタルとアナログの融合がもたらす価値が表れている。一見すると、デジタルが進むほどに、人間関係は希薄になっていくようにも思える。だが実は、西野さんが体現したのはその逆だった。
・デジタルとアナログの融合とは
デジタル(PC)は裏方に徹し、“素早く・確実に”情報を呼び出す生産性を支える存在として機能する。一方で、フロントに立つのはあくまで人間。驚きや温かさを届けるのは、人の声であり、人の表情である。
この構造こそが、“びっくり”という感情をスケールさせ、CRMが持つ「関係性の質」を一気に高めた理由だった。でも、もしこの仕組みの裏側を顧客が先に知っていたとしたら──感動は起こらなかったかもしれない。
「たまたま話が通じた」ように見えるからこそ生まれる、“偶然のような必然”。それが人の心を動かす。
つまり、この“種明かしをしないマジック”こそ、CRMにおいて最も人間らしい魔法なのだ。ここにこそ、デジタルの本当の役割がある。表に立つのではなく、人の思いやりを支えるための静かな補助線として。
そしてこの構造は、西野さんの時代に限らず──今この時代においても、CRMの本質として十分に通用する考え方ではないだろうか。
では、その“びっくり”は、どんなときに生まれるのか?ここからは、“未来を信じる関係性”の中で育まれる「驚き」の意味に、もう少し深く踏み込んでみよう。
● びっくりは、未来を信じるからできる
CRMが目指すのは、目先の売上ではない。長く寄り添う関係性の中で、自然と育まれる信頼であり、喜びだ。
だからこそ、相手をよく知り、どのタイミングで、どういうことをすることが、驚きにつながるのかも見えてくる。だからこそ、そこに“びっくり”を忍ばせる余白が必要だ。
そこには際限がない。例えば、高いレストランで美味しい料理をプレゼントしたとしよう。でも、それはそのレストランのレベルを伸ばすことでしか、今のびっくりを超えることができない。小手先の関係の中で、一見豪華に、繰り出せるレベル感には限界があるのだ。しかし、長く寄り添う中でのびっくりは、そうではない。
レストランは同じでも、最後のデザートと一緒に添えられた、いつもありがとうの花束。
プレゼントに添えるちょっとした手紙。それは、売り場においても同じだ。注文履歴から読み取って選んだ提案。そして、それを、デジタルと掛け合わせると、対象は広がる。あくまでデジタルに支えられながらも、それを前面に出さない。
種明かしをしない。あくまで“偶然”を装う。そしてその偶然が、顧客にとっての「この人と付き合っていてよかった」という気持ちに変わっていくのだ。びっくりは信頼のしるしである。それは人と人との関係が深まるとき、いつもその瞬間に現れる。
第5章:AI時代におけるCRMの再定義
● デジタルと人間の境界線
なんとまあ、時代に関係なく、人間的ではないか。ただ、AIやチャットボットの登場により、CRMの世界も急速に自動化が進んでいる。だから、それによって“人間らしさ”が失われてしまっては、本末転倒だ。
むしろ、AIが台頭する時代だからこそ、人間らしさは“際立たせるもの”としての価値を増している。
共感、思いやり、そして寄り添い──それはアルゴリズムには真似できない、人間だけが持つ“感度”だ。そこでどうそれらを活かすかのヒントは先ほどのとおり。種明かしをしないマジックにある。そして、タネにデジタルを忍ばせる。
● データで心を測れるか?
CRMにおいてデータは重要なツールではある。しかし、それが目的化してしまうと、「数字に振り回されるCRM」になってしまう。だから、上記の本質に立って、行動してみる。そう考えると、西野さんが言うように、売上は“ご褒美”であるべきだという結論もうなづける。
つまり、目指すべきは「数字のための関係構築」ではなく、「関係構築の結果として数字がついてくる」というあり方である。
AIは、迅速な処理、パターンの抽出、最適化の提示に優れている。しかし、相手の気持ちに触れ、「あの人のために、今これをしたい」と感じることはできない。
● デジタルとアナログの“マジックライン”
西野さんは、デジタルとアナログを共存させるポイントを「マジック」と表現した。
すべてを見せないことで、驚きと感動が生まれる。まるでマジシャンがタネを明かさずに観客を魅了するように、CRMも裏側でデジタルが動きつつ、前面には“思いやり”がにじむ関係性を構築する必要がある。
つまり、ここれでAIの話をするなら、それは“補助線”であり、“主役”は人間でなければならない。
● 未来を見据えた関係性とは
CRMのゴールは、LTVの向上でも、再購入率の増加でもない。
本質的には、「この人と、これからも一緒に歩んでいきたい」と自然に思える関係を築くこと。30年後も、もしかしたら300年後も、変わらぬ関係性を持ちたいと思える相手との間にこそ、CRMの価値はある。
ほら、最初の夫婦の話に戻ってきた。そのためには、テクノロジーの進化を味方につけて、「人間とは何か」「関係とは何か」を見つめ続ける姿勢が欠かせない。そこに実は、人間の進化がある。
そして、未来志向で寄り添う。それこそが、時代に関係なく、CRMの本質であり、次なるスタンダードとなる思想でもあるのだ。
結びに──CRMとは、生き方である
数字に追われず、過去に縛られず、未来を信じて人に寄り添う。
それがCRMである。そしてそれは、人生そのものだ。パートナーと過ごす日常の中に、友人と語らう時間の中に、私たちは無意識にCRMの本質を体験している。管理ではなく理解へ。
施策ではなく思想へ。そして、それは明るい思考で、ちょっと相手を思いながら、びっくりさせる関係性。
これまで、LTV、顧客維持率など、色々な言葉が、CRMで出てきた。
ただ、ここまで話してきた、誰にでも置き換えられる本質を見つめよう。そこから、もう一度、それらの言葉を見渡さないと、真のCRMは身につかない。
この読み物が、あなたの中の“関係”に対する感覚を少しでも揺さぶるものであったなら──それこそが、CRMという言葉の、最も豊かな意味なのだ。
今日はこの辺で。