資生堂オンラインストアの大改革 ─伝統企業が7か月で実現した“新たなブランド体験”とは─

老舗の伝統を重んじることと、それを守るための革新のバランス。誰もが知る資生堂は、今年、創業153年。では、その守り抜いてきた価値を、今の時代に乗せるか。それは言い換えれば、デジタルをどういう立ち位置で扱い、どう企業価値に繋げていくか。デジタルが果たす本質的な役割を理解する上で、参考になるのではないかと思う。イーコマースフェアでの森田慶仁さん(資生堂ジャパン EC事業部 UXプランニンググループ マネージャー)が語る言葉の一つ一つに、慎重さと繊細な配慮が見えたのである。
1. 150年以上の歴史の上に、ECが果たす新たな役割
・ “文化を伝える会社”としての資生堂
その伝統を尊重して、今に活かすか。それを考える上で、資生堂についても振り返りたいと思う。
もとは1872年(明治5年)に日本初の民間洋風調剤薬局としてスタート。その名前の由来は「至哉坤元 萬物資生」。これは中国古典の『易経』の一節で、「大地の徳はなんと素晴らしいことか。すべてのものはそこから生まれる」という意味である。
そのことから分かる通り、高い精神を持ち、貫いてきた。そして、高品質な化粧品開発を通じて「美による文化創造」を担ってきたのである。そんな会社にとっての転機は戦後だろう。
1960年代に入り、SHISEIDOのブランドを掲げて、海外進出を積極的に行ってから、その存在感を増した。
印象的なCMでの表現は、アーティスティック。多くの女性にとって士気を高める、気品のあるブランドへと進化したのだ。
・2012年スタートの「ワタシプラス」が抱えていた課題
そして、徐々にデジタルが存在感を示すようになって、彼らもそこに着手した。それが「ワタシプラス」というサイトであり、2012年にローンチした。
当初、「専門店とお客さまをつなぐ」Webコンテンツとして出発した。そのため“ECサイト”ではなかった。むしろ“美容サポートメディア”に近い立ち位置である。その後、機能拡張しながらオンライン購入ができるようになったという側面を持つ。
ここにまず、デジタルとしての役割の変容が見て取れる。まだ、そこまでネットに体力がなかったのだ。
だから、それ自体が、お客様と専門店を繋ぐ橋渡しであり、僕が思うに同サイトは“ナビゲーター”の役割を果たしていたのだろう。関心を持った人を深掘りし、そして、店との距離を縮める。そうすることで、現地(またはECに)足を運んでもらう。それは多くの人にアナウンスとしての効果はあるけど、ECサイトでありながら、どこか中途半端だったのではないか。僕はそう受け止めている。
だから、それゆえに2020年代に入ってからは、崇高な理念を伝えるには、ややぎこちないものになってきた。資生堂の問題というより時代の方が進化したのである。
・まだまだネットが主流と言えない時代だったのかもしれない
具体的に挙げれば、下記の通りである。
記憶がある人なら想像がつくだろう。ワタシプラスは、ピンクを基調にした仕様であった。ゆえに、メンズコスメなど、多様性の中で親しまれる化粧品の側面をフォローできなくなってきたのだ。
また、資生堂に限らず、リアルを主体とする企業は、ネットがサブ的な位置付けであった。だからこそ、WEBはチラシ的なデザインで情報が詰め込まれすぎて、直感的に伝えるものが少なかった。
そして、そういうナビゲーター的な要素が強かったために、そこまで手が回らなかったということだろう。カート画面の仕様が、そこまでの遷移してきたサイトの雰囲気と異なっており、一貫性がなかった。だから、ブランドサイトから購入したいと思っても、“ワタシプラス”へ飛んだ瞬間に世界観が断絶してしまう。そんなこともなくはなかった。
そりゃそうだ。10年ほど前であれば、WEBの位置付けとして、興味があれば、買ってね、、、程度の部分があったと僕は思う。それで設計されていれば仕方がない。それがダメというわけではなく、ネットの位置付けとして、それがふさわしかったのである。
そこで、「ただの道案内でもなく、単なる販売の場でもない。ブランド体験を軸にし、その延長線上で自然にショッピングへとつながる。」。そんな新しいECの形を目指し、大胆な刷新を決断した。それが今回のプロジェクトなのである。
2. 「6つの提供価値」が支える新ECの魅力
・「資生堂オンラインストア」へ変更し、“公式EC”として明確化
森田さんの話を聞いていて、実に興味深いのは立ち位置を明確にすることの大事さ。すごくシンプルな話ではあるけど、この言葉。
「まず大きかったのは、“資生堂”のロゴを使った公式EC名称への変更です」。
ロゴを使うだけ?ノン!ノン!!このロゴを使うのは伝統の証であり、それだけの理由がなければ認められないということ。つまり、ネットもそれだけの立ち位置になったのだということでもある。これによって、ネットはさらにその表現力を味方につけて、資生堂の価値を上げられるというわけだ。
・トレードオフのようなわかりやすさ
彼の語る「公式ECサイトへの道」を耳にして、「トレードオフ」だなと思った。
どういうことか。
つまり、ロゴを使うことで、公式ECサイトとして強くイメージを強く打ち出せる。それまであった、どっちつかずのWEBの立ち位置(失礼!)がスッキリ、資生堂のサイトだと割り切れる。
だから、あえてナビゲーション要素を削ぎ落とし、より直感的で分かりやすい設計にしたのだ。例えば、これまでなら購入しようとした際に、専門店の一覧や複数のECサイトへのリンクが表示され、迷うこともあった。
しかし、新しい設計ではそれらを排除し、ブランドの世界観から直接カートへ誘導。スムーズな購入体験を提供することで、ロゴの存在感も増し、ブランドの認知度向上にもつながる。
・ブランドごとの提案にも工夫
そこまでくれば、今度はその世界観への注力が活きてくる。これまた、なるほどなと感心させられたことがある。それは、実は、資生堂と言っても、その商品には大きく、二つのタイプがある。それは、プレステージブランドとミドルレンジブランドで、それぞれ対象も、受け止める印象も異なる。
だから、プレステージブランドなど高価格帯のアイテムには、リアル百貨店の「ブティック」に近い“独立空間”をEC上で再現した。
各ブランド専用ページでは、色使いやフォントなどのトンマナを個別に最適化。ユーザーが「特別な空間」に足を踏み入れるような高級感を演出している。
一方、ドラッグストア系やミドルレンジのブランド群は、共通レイアウトで横並びに表示。価格帯や肌悩みなどの条件で比較しながら、自分に合う商品を“ざっくり探す”人にも対応するわけだ。複数のブランドを一箇所で検討できるため、回遊性と探索しやすさを重視した設計なのだ。
つまり、資生堂オンラインストアでは、高級感のある“箱型”と汎用性の高い“モール型”を併設する。そうすることで、ユーザーの多様な購買スタイルに合わせたUXを実現しているわけである。
・UI/UXの最適化も徹底
この大前提があるから、ターゲットもイメージに合わせて深掘りできる。たとえば、下記のようなものだ。
- ・性別・年代を問わない世界観の構築:ジェンダーニュートラルで洗練されたデザインに一新。
- ・ブランドサイトとのシームレスな連携:各ブランドサイトから流入しても、世界観を崩さず購入ページに遷移できる。
- ・ブランドセレクションの拡大:特にプレステージ系ブランド(例:クレ・ド・ポー ボーテ、ドゥ・ラ・メールなど)の誘致を強化。
- ・美容の専門性・安心感の提供=リアル店舗同様のホスピタリティをオンラインで実現。バーチャルメイクやアドバイス機能も充実。
特にブランドセレクション拡大については、大きな反響を得た。刷新後すぐにプレステージブランドが続々とEC展開を開始したことが大きい。「ワタシプラス」時代には難しかった“憧れブランド”の集約が可能になった点は、大きな成果だという。
3. 7か月で達成した大規模リニューアルの舞台裏
・200名超の組織を動かすための仕組み
資生堂ジャパンにやってきた当初、森田さんは「グループマネージャー」という肩書きを持ちながらも、実際には部下を持たず、一人で業務を進めていた。しかし、大規模な刷新プロジェクトに関わることになり、一気に環境が激変。多くのメンバーをまとめながら、会社の幹部とも密にやり取りを重ねる、重要な役割を担うことになった。
だからこそ、この点には、大きな学びがある。どうやってゼロベースで組織を動かし、仕組みを整え、大規模プロジェクトを成功へと導いたのか。そのプロセスには、新しい事業を立ち上げる際のヒントが詰まっているからだ。
・指示系統の明確化と意思決定のスピードアップ
大規模プロジェクトでは、意思決定が遅れると進行が停滞し、プロジェクト全体に悪影響を及ぼす。そのため、資生堂のECプロジェクトでは以下の手法を採用した。
- ・週3~4回の進捗会議を実施
- ・課題を即時報告し、その場で意思決定
- ・先送りをせず、スピーディな解決を徹底
- ・指示系統を一本化
- ・PM(プロジェクトマネージャー)が決定権を持ち、現場レベルの対応を迅速化
- ・上司(プロジェクトオーナー)と密に連携し、戦略的判断を行う
・機能単位のチーム編成
プロジェクトが大規模になるほど、役割の明確化が必要です。
- ・主要分科会を5つ設置(デザイン、システム開発、UI/UX、マーケティングなど)
- ・各チームを独立させ、並行で進捗管理
- ・バックログ管理でタスクの抜け漏れを防止
タスク数は2000件を超えたが、進捗の可視化と責任分担の徹底により、スムーズな運営を実現したのである。
4. プロジェクトの基盤を作る「仕組み」
・方向性の統一:コンセプトとPOD(差別化ポイント)の設定
大規模プロジェクトでは、チーム間の認識のズレが発生しやすく、進行中に方向性がブレるリスクがあります。
- ・プロジェクト開始時に「合宿」を実施
- ・150年の歴史を踏まえ、「何を変え、何を守るか」を明確化
- ・全員が同じビジョンを共有することが重要
- ・POD(差別化ポイント)を明文化
- ・「資生堂ECは単なる販売サイトではなく、美の体験を提供する場」と定義
- ・判断に迷った際は、このPODに立ち返る
・プロジェクトの高速進行を可能にする環境
- ・「週3~4回の会議」で迅速な課題解決
- ・プロジェクト管理ツールを活用し、タスク進捗を可視化
- ・開発ベンダーとの密な情報共有で調整を強化
特に、外部ベンダーとの連携では、初期段階で業務理解に時間を要したものの、頻繁な情報共有により、スムーズな進行を実現した。
5. 今後の展望—OMOやパーソナライズで“常に私のそばにある資生堂”へ
森田さんは最後に、今後の資生堂オンラインストアの方向性として「OMO戦略の強化」と「パーソナライズの深化」を挙げている。すでに店舗とECの会員ID統合は完了しているだから、今後はリアル店舗での購入履歴やカウンセリング情報とも連携を深めるわけだ。
そうすることで、よりきめ細かな接客をオンライン上でも実現していけると話す。
また「美容の専門性やホスピタリティを武器に、お客様の“なりたい”に寄り添う存在でありたい」というのが資生堂の企業理念。これが具体的には、ユーザーの肌データに基づいたレコメンドや、購入後フォローの充実など、パーソナライズサービスの開発へとつながれば、より体験は深いものとなる。
森田さんが繰り返し強調していたのは、「ECサイトは単なる売場ではなく、“ブランドとユーザーをつなぐコミュニケーション空間”である」という点。
150年を超える資生堂の歴史と、“美の力でより良い世界を”という企業理念をデジタルでどう体現していくか。過去にはなかったフロア演出や、ブランドサイトとのシームレスな連携、そしてジェンダーニュートラルな世界観の発信など、新生・資生堂オンラインストアは大きな一歩を踏み出したのだ。
これからの資生堂ECの取り組みは、多くの企業やブランドが“単なるEC”から“ブランド体験プラットフォーム”へシフトするうえで、重要な一つのケーススタディとなりそうである。
今日はこの辺で。