ものづくりの物語 今に。世界に。どう伝えるか 中川政七商店 「大日本市」に見た革新
魅力的な素材、製法のこだわり、作り手の想いとその背景。僕らが何気なく手にするその商品には一つ一つのストーリーがある。一方で、それらの思いが虚しく、人の手に渡らずにいることで、その物語が伝えきれていないこともある。だから「大日本市」というイベントに関心を抱いた。主催するのは「中川政七商店」。彼らはこれまでの事業で全国を駆け巡って、ものづくり企業を発掘して商品を販売してきた。ただ、その自分たちの範疇を越え、もっと多くの人が、それら企業のものづくりの価値に気づくよう、誘うのが「大日本市」だ。
店で築いた関係性を、多くに知ってもらう機会に活かす
発端は、都心でも当たり前に、目にする「中川政七商店」にある。そのお店は、一部、仕入れ商品と、オリジナル商品で構成されているけど、その源流は、日本列島の職人の想いにあり、共に売り場を作り上げてきた。そう言って過言はない。
語弊を恐れず言えば、最近、日本のものづくり企業においては、海外で製造される商品に押され気味。でも、決して見劣りするものではないからこそ、彼らが立ち上がったのだ。
つまり、「中川政七商店」はお店でお客様との接点を持つことを強みに、そのマーケティング力で、日本各地にあるものづくり企業を補完する。テーマに沿って、仕入れ商品を用意し、一方で企画を持ちかけ、一緒に製作してオリジナル商品を出して、陳列することで、共に飛躍を遂げた。
実際、ものづくり企業単体で浮かばぬアイデアも、「中川政七商店」では多い。しっかりかと言って彼らが自分たちでしゃしゃり出ることはなく、そのイズムは尊重されて、陳列されている。今の時代にふさわしく、職人芸を活かして、新しい価値を創造していて、そこが興味深い。
では、そんな彼らが開催する「大日本市」とは何か。
日頃、そこで築いたものづくり企業との関係を活かし、今度は、ものづくり企業自体の発信の場を作る。それこそ、様々なバイヤーに集まってもらい、思い想いに、自分たちの魅力を語り、「中川政七商店」のお店にとどまらず、より多くのお店に興味を持ってもらう。これが狙いである。
個々のものづくり企業の商品は自ら問屋となり、最大化される
それで、取引がある「中川政七商店」を問屋として機能させていけば、ハードルも低くなる。既に「中川政七商店」で実績を出していれば、そこで帳合いし、発注数を調整すれば、少量多品種にも対応しやすい。なるほど、新たな展開も容易なものとなり、よく考えたもので、皆に利点がある。
「大日本市」に僕が足を運んだ理由はひょんなきっかけで「中川政七商店」の虎ノ門ヒルズステーションタワー店 店長中村美月さんに案内されたからだ。フードエリアにして、彼らの得意とするものづくりの逸品を、食の観点でキュレーションする、挑戦的フロア。作り手の思いに敬意を示しながら、それを説明してくれたのが彼女。「中川政七商店」の姿勢に改めて、共感する旨、話すうち、『ぜひ「大日本市」にきてみてください』と声をかけてくれた。
それで、来たのである。共通して感じられたのは、ごく自然に自分たちの存在意義を語ってくれていたこと。どの企業も売り込むわけではなく、要するに、売れるか売れないかではない。
逆に言えば、大事なのは、来場者もそれをそのまま、受け入れるのではない。いかに店と企業が共に、歩調を合わせて、その価値を最大化させる工夫が大切だということなのだ。その手本が、中川政七商店にあるから、それを礎に、全国のお店に広げていけば、ものづくりの価値が、正しく伝わり、意義を持って受け入れられる。
糸からデザインを起こす?
その意味ではどれも視点が秀逸。例えば「糸からデザインを起こす」という発想の仕方。「糸からデザイン?」そう思う人も多いだろう。
手がけるのは「AND WOOL」というブランド。ストールは、手編み機で編んでいて、その仕上がりは、空気を纏う感覚に近い。素材の価値を尊重し、使えば使うほど、本来の毛の感覚に戻っていき、ふっくらしていく。
つまり、「糸」が持つ素材感や色合いなどに着目して、デザインの中で最も引き立てるように、商品を作っていく。このブランドで骨子としているのはその部分だ。
この姿勢は代表の内山 祐紀さんのファッションデザイナーという経歴にも関係している。とはいえ、「ちょっと日本には馴染みが薄い業種」。そう内山さんは明かしてくれた。
イタリアで、名だたるハイファッションに関する世界的ブランドを相手にし、“デザインを提案”してきた。ハイファッションとは、最先端で洗練された着こなし。だからこそ、今までにないものをいかに作り出すかという過程で、素材が大事になってくる。デザインこそできても、手を動かすところは職人の力を借りる必要がある。
だから、様々なブランドに提案を重ねるうち、職人仲間が増えていった。そう考えた時に、逆の発想で、ブランドに提供するのではなく、自らブランドを立ち上げ、そこで、職人たちと組んで、「今までになかったもの」を作ることを意図する。これが「糸からデザインを起こす」の原点である。
ものづくりを通して日本に必要な文化を築く
特に彼が注目しているのが、ニットである。実は、洋服に関連する物量で考えると、6割近くがニットである。その割に、ニットの扱い方を教えてくれる場所が、日本にはない。一方で、彼はそのデザイン性を強みに持ちながら、それを語ったところで、それを形にする職人なしにはそれができない。
だから、その編み方を勉強する場を日本に創出しようというわけだ。そして、そこで育成された職人は、そのブランドとして、ニットを使った洋服を作成してもらえば、文化としてそれが広がる。ニットを作る人、ニットを作る方法と、実際の商品。すべて何もないところから、生まれていく。それまでやっていたことも、「今までなかったもの」から作ったが、それこそ、本当に何もないところから作る醍醐味が『AND WOOL』にはある。
それは、自分と職人の価値を共に最大化することになる。正直、言えば、静岡はニットなどで有名なわけではない。名産品でもないし、地形を生かした要素などない。いわゆるものづくりで語られる文脈とはまるで異なる。ゆえに、「地元を守るとかではない。けれど、守っている」と内山さん。それは、そこに生まれる文化と、その文化の礎のもとで、光輝く職人たちの未来を。そして、自分のデザインの可能性にかけて、守っていきたいと意気込むわけである。
なるほど、こういう視点で、ブランドが生まれることがあるのか。ものづくりがもたらす価値の深さを痛感した次第だ。
常識を超えた先の価値
「大日本市」は、ものづくりの可能性を通して、僕らの既成概念を打破してもいる。たとえそのものづくりが一時代を作ったとしても、それが今に通用するかどうかは別問題。その意味でかつての常識を踏まえて、それを打破して次の常識を思い描くわけだ。
例えば、漆に対しての印象もそう。漆職人の山西夏美さんの元気なこの一言でそれは大きく変わった。「食洗機で洗えるんです!」
手にしているのが、高貴な漆の器であり、職人だからなおさら「え?」と立ち止まる。
その漆の器は漆琳堂の「RIN&CO.」というブランドで手掛けられたもの。「漆と聞くと、ハイソなイメージが付きまとう。だが、それは勿体無い」と彼女はこぼす。漆はこれまで、「ハレの日用と言われ、扱いを丁重にされて、棚の奥底にある」と。
しかし、かえって漆を使う機会が減る。「それじゃ、本末転倒。大切に扱うことはいいこと。しかし、もっと使いやすいものなんです」。そう声を大にする。「食洗機で洗えます」というのは漆への真心であり、実は「作り方」にも反映されていて、興味深い。
現代への適応力が大事
ちょっとこちらを見て欲しい。
お椀というと、大抵、右をイメージする。彼女曰く、大抵、お椀にはこういう高台(下にある丸い台)がついている。しかし、そのフォルムによって、固定概念が生まれていないだろうか。そう消費者に問いかける。
その証拠に、家の家具から、それを取り出すときは、殆どが味噌汁やお雑煮などに限られてしまっているはずだ。ここを切り崩すのが、彼らの挑戦である。
「RIN&CO.」は敢えて高台を取り除きつつ、安定感のある形状に仕上げた。(写真左。)しかし、高台がなくなるだけで、そのコロンとしたフォルムは、可愛らしく人に映る。彼らはそこで「カラフルですよ」とカラーバリエーションを提案し、従来のイメージから大きく脱却した。これであれば、洋風なインテリアにも調和する。
とはいえ、よくよく見れば、漆塗り。ほらっと山西さんの指差すところには、刷毛で塗った跡が確認できる。結果、その価値を損なうことなく、味噌汁以外の用途でも用いられることとなった。結果、利用の幅は購入者層を広げて、ECサイトではNo.1を記録するまでに成長した。
価値の発掘をするのも「ものづくり」の醍醐味
そして、見過ごされた価値の発掘という要素もある。こちらは、「きえ〜る」という名の消臭液。環境大善という会社の商品であり、地元である北海道の北見市のポテンシャルを掘り起こしたもの。実は、材料は牛の尿である。そこに含まれる善玉菌がアンモニア系の匂いを消してくれるのだ。
地元の酪農家の協力を仰ぎ、牛の尿を貯めておく水槽を用意して、そこで発酵培養させて、同商品を作る。尿は多くの人を悩ませている要因でもあるから、視点を変えてプラスにした。
食材でもまだ掘り起こされていないものがある。「PASSION FRUIT DAUGHTERS」は、パッションフルーツを生かしたジャムである。パッションフルーツ自体、ありふれていると思いきや、それは違う。
その発端は、製造元Tobase Labo 代表 中川裕史さんが、留学でハワイにいた時にある。実家が花屋さんであり、それを学びにその地に行ったのだが、人生はわからない。現地にあるパッションフルーツに出会い、感銘を受ける。まだ名前もついてない品種が100種もあって、それを全部食べて、その甘さに惹かれたのが、今使っている品種。熊本に持ち帰って、自身が、苗を作り、栽培して、加工品を作ったのだ。
その甘さは、砂糖を使わずとも感じられるもので、だからこそ、時代にマッチするし、差別化要因だと胸を張る。ハワイの力で地元、熊本を盛り上げるってわけだ。
ものづくりは歴史と地元の価値を引き立てる
他にも、「京都 鳴海屋」は、あられの会社。そこで実食したのは、あられに、黒豆のきなこと和歌山県の和三盆の砂糖をまぶしたもの。彼らは全国津々浦々、その現地に足を運び、いい食材に巡り会えば、その価値を尊重する形で、あられに取り入れている。
つまり、思うに、あられをプラットフォームに見立てている。なるほど、老舗の価値を重んじつつ、でもそこに甘んじることなく、チャレンジする精神が印象的だ。
ヤマナミ製麺所は、その名の通り、製麺の会社であるが、今から30年近く前に、一軒のラーメン屋から始まった会社だ。麺によって、切り拓かれたのであり、飽くなき追求は今に続く。例えば、2018年にはBEAMS JAPANと連携して、火の海・別府スパイスを展開し、地元の別府の活性化に一役買う。
僕が関心を持ったのは、かぼすの麺。実は、かぼすの端材を原料に取り入れている。端材というのがポイント。そもそも食物でも、端材という言い方をするのを初めて知ったが、未利用部分。同社自身は、麺づくりに自信がある。使われないなら、麺の美味しさを引き立たせる要因にしてしまおうというわけである自らを成長させてくれた麺を軸に、優しき手を差し伸べつつ、果敢に挑む姿が魅力的だ。
過去の製法は今ではアートである
かと思えば、製法そのものにも焦点を当てているのが良い。大袈裟かもしれないが、今までの常識は、現代のアートと置き換えられるのだと思ったのが、高山活版社。僕が、惹かれたのは「活版」である。
「この名刺、姉のものなんですけど、この掘り具合、どういう印象抱きますか?」。代表取締役 高山英一郎さんはソフトな語り口で、そう質問した。その字の部分に凹凸ができているから、文字がくっきりしていて格好が良い。
実は「これは一回の印刷ではないのです。二回プレスして、このくっきりした文字の表現ができているのです」。
要するに、一回め、必要な印圧をかけるのであり、そこにもう一度、プレスしてインク液がその堀に沿って染み入る。凹凸がある分だけ、その文字は美しくグラフィカルに表現されるのである。くっきり、はっきり。気持ちがいいのだ。
これこそが、活版のもたらす風情ある表現である。ところが、活版印刷というのは、ほぼ日本では消滅しかかっている。
今は今で豊かさの文脈で
消滅と書いた通り、今までは、それが印刷の常識だった。けれど、それは何10年も前の話で、利便性や業務効率を考えると、その機械そのものも、なくなっている。
でも、それを復活させたのは、逆に今の時代には斬新な価値であると思ったからだ。そして、同社では活版印刷の経験があり、その扱い方を知る社員がまだ存在している。ある意味、チャンスだ。だから、改めてもう一回、その機械を引っ張り出して、手直しして、技術を教わり、印刷してみようと奮起して、現代に活版印刷を呼び戻したのである。
そこにはやっぱりストーリーがあって、さきほどの二回ほど、手間をかけて、印刷することも、また味わいになる。思うに、今の時代は、利便性を追うばかりではない。人の心を豊かにしてくれるベクトルでも語られるから、こういう技術は、残して、価値として、訴求するべきであると、僕自身も思う。
でも、この活版印刷に至っては、もはや商品ですらない。それでもなぜ、彼らがいるのだろうと思いを馳せた。この場ならではの独特な雰囲気に答えがあるように思えた。
もっと掘り起こされ、輝く日本であるために
思うに、上記の数々の企業はそのものづくりの物語をどう伝えるかに重きが置かれている。そして、先ほど触れた通り、そのままではだめなのだ。店とものづくり企業で、そのものづくりの価値をどう引き立て合おうかと試行錯誤し、生み出された知恵と工夫こそが、そのポテンシャルをフルに活かす。
だからこそ、どうそれらの物語を表現するかを考える。表現の材料も大事であり、同じくストーリーがあるこの活版印刷を取り入れたら。そう考えると、製法もこの展示会に並ぶことで、化学反応はありそうだし、本当に意味で、日本の価値を高めあい、讃えあいながら、前進できる。
画一的で、効率化が謳われる世の中。ただ、それは便利で安価な反面、個性が失われて情緒がない。これから求めるべきは心身とも豊かな時代。ただ、今までのやり方では、それは満たせないから、工夫して今に生きる伝統等とは何かを各々考えていかなければならない。
目利きで適切に拾い上げられたら、次はどう伝えるか。これまで「中川政七商店」がまさにそうしてきたように、もっと多くの店で、過去や素材に依存することなく、今を生きる人の価値として置き換えることが急務。大事なのは、そうやってこだわりを持つもの同士が、手を取り合うことなのだ。まだまだ拾い上げられる日本の価値はある。それこそが世界に対して、誇れる日本の存在感を取り戻す起爆剤となる。さあ、ここから世界へ。
今日はこの辺で。