作家も。作品も。今昔共々の価値入り乱れ それもまた良し 百花繚乱 デザインフェスタ58
アーティストの登竜門としての顔もありながら、誰でも参加できるアートの祭典「デザインフェスタ」。キャラクタービジネスに関連して、その時代背景を色濃く反映する。生粋のリアルなイベントでありながら、デジタルの恩恵を受けたものや、そこに関連して、その可能性にかける作家の姿が印象的であった。
・熱狂の発信地
「おめでとうございます!」目の前でソフビ人形を渡すのは、タカハシユリさん。彼女は「チヨコ」というキャラクターを手がけ、最近、そのソフビ人形を手がけるようになった。そもそも彼女がソフビを手掛けたのはごく最近。当時、流行っていた音声アプリ「クラブハウス」で、それを学んで、今やそのキャラを支える軸となった。
立体の設計図を思い描き、それをいくつかのパーツに分けて、作成を行う。今や3Dプリンターなどが充実している時代なので、それらをパーツごと作り出し、それを組み立てることで、立体的なキャラクターが出来上がる。彼女の場合、そこにさまざまな塗料を吹きつけ、色だけでなく、表面の触り心地を含めて、個性的なアートとしての色彩が高まる。
おめでとうございますと言っているのは、そのソフビ人形を購入するにも抽選になっているから。その場にくるか、X(旧Twitter)を見て、確認して受け取る仕組みになっている。2万円から〜3万円程度だから、丁寧に封筒からお金を取り出して、渡すファンの姿。実に印象的なシーンであり、それだけファンには価値のあるものなのだと痛感。
ユリさんも、サインに想いを込めて書いて、大事に袋詰めして、ファンに手渡す。
・人の集まりかたに今の時代を映し出す
何より作家としての可能性の活かしかたも、売り方も、変わってきている。デジタルとリアルを行き来しながら、自らの実力を向上させている。
一方で、純粋にアナログを追い続けているけど、デジタルのトレンド要素で恩恵を受ける人もいる。「アナログをやり続けた私もデジタルの恩恵を受けて、自分の作品の関心を持ってもらうことに、つながっている。」そう話しているのは、福士悦子さん。彼女はずっと、リスのイラストを手掛けていて、それ一筋。犬や猫はある一定のファン層がいるのは想像がつくが、ニッチなところでリス・ファンは存在する。
まさにそこで彼女はずっと勝負をし続けてきた。
地道ではあるけど、思いがけない流れが生まれた。というのも、2016年から「シマリストきむら」さんというYouTuberが出てきたからだ。そこには多くのリスファンが配信を見ていて、熱狂的。シマリストさんはYouTuberでありながら、このデザインフェスタにも出展。リアルなシマリストさんに会えるとあって、こぞって、この場所に足を踏み入れたらしいのだ。
そういう人たちは、当然、リスに関心が深い。結果的に、そのファンが彼女の元へと詰めかけ、グッズを買っていくのだという。そこで活かされるのがアナログの価値という妙。
・回り回って高まる原画の価値
福士さんが語るのは、「デジタルデバイスを使えるように、その知見を私自身も取り入れた」と。実際、それで仕事もできなくはない。けれど、周り回って関心を集めているのは原画であるというのだ。
なぜだろう。その話は案外、深い。というのも、昨今、AIでも絵を描けてしまう時代なのだ。つまり、必要に応じて、ある一定の共通軸で絵を手にすることはできるのだ。カメラではなくスマホで記録用に写真を撮る感覚に近い。
だから、手をかけて描く原画は、それと違う唯一無二の価値がある。不思議な話だけど、デジタルデバイスを使って手軽に描けるような社会になるほど、原画の価値が上がっている。そんな実感を彼女は口にする。それこそ、シマリストさんファンのような人たちは、別軸で、彼女の絵に関心を抱く。例えば似顔絵さながらに、“自分の飼っているリス”を描く。すると、想像以上の反響で迎えられると驚く。
同じく下記写真のような動物系を手がける作家のミヤカワサトコさんは「他のイベントに比べても、外国人観光客が少ない」と指摘している。この地には、「ふらりと来ている」わけではないところに価値がありそうだ。
・デザフェスで存在感を増すNFT作家
さて、先ほど書いた通りだけど、デジタルの可能性にかける人たちの多さも、際立って大きくなっている実感を得た。きっかけは「みかんねこ」というキャラを手掛けているきのこさんで、彼女はNFT作家のマップを作ってX上でアップした。
これはわかりやすい。
元々きのこさん自身が、それを作って、挨拶に行き、作家同士の交流を図ろうとしたのが始まり。ところがそのマップ自体が好評なので、そこでピックアップして欲しい人は声をかけてと呼びかけたら、結果その賛同する声が増えたというわけ。
彼女の作品「みかんねこ」はぬいぐるみを販売し続けており、リアルの価値もわかっている。ご自身の体験から、子どもがペットに名前をつけることに着想を得て、ぬいぐるみに血統書をつけることにした。みかんねこは「猫」の種類の一つであり、家族の一員として受け入れるため。
さてさて、僕は早速、マップを見ながら歩き出した。NFTそのもののの影響力が増していることを実感した次第であり、イベントでもNFT作家の存在感が増している。
・NFTってデジタルじゃないの?
NFTは、簡単にいえば、デジタル上の絵でありデジタルデータ。しかし、それもブロックチェーンの技術を使えば、有限かつ、固有の価値を持たせられるので、リアルの絵画のように持ち主を明確にして、“所有”できる。
ここに価値がある。
最初は投機目的で使われることが多かった。誰々の作品がいくらで売れたという具合。ところが、僕がNFTに関心を寄せたのは、別の理由から。クリエイターをより生産性高く、価値を高めていける手段だと考え始めたからだ。つまり、才能のある作家であれば、それを低コストで販売できる。何より、デジタルデータだから、物理的な要素がなく、コストがかからない。また、NFTはそれを購入して、自ら持ち主であることを示せるから、目に見えて、その作家に応援ができる。
それがよりファン心理を触発するのは、作家との関係性をより深く示すから。作家にとっては、コストを最小限に抑えて、資金を集め、自らの活動資金にすることだってできる。コミュニケーション性を高める要素として、NFTは今後価値を持ちうるかもしれない。
僕はトマリさんというNFTホルダー(所有者)に、このデザインフェスタで出会って、「そういうことですよね?」と言うと、大きくうなずき、意気投合した。
・交流に価値があるからリアルを求める
ここでは詳細を割愛するが、だから、NFTにはコミュニティが生まれやすい。所有者が明確だから、NFTホルダー同士が共通の作家のもとで、新たな動きを形成することすら可能。故に、同じ価値観で何かをしようという行動へと駆り立てる機運が強い。
逆説的になるが、その関係性はリアルを通してより深くなる。だから、デザインフェスタのようなリアルなイベントは価値を持つ。
たとえ、デジタル上で話題を集めたNFT作家にとっても重要な位置付けとなったから、その出展数が増えている。おそらくそうだろう。トマリさんは、MOCOさんというNFT作家の出展の応援で、現にここにやってきた。
その他にも、僕はAIRU=CHANというNFT作家にも出会った。元々クリエイティブディレクター。広告のデザインを手掛けていたけど、2年ほど前から、自らもNFTを対象に作品を手がける。NFTきっかけでリアルな人に交われることを望んで、初めてデザインフェスタに出展した。
今の時代の潮流を反映した動き。逆にいえば、NFT作家が関心を持つだけの土台が、デザインフェスタにあるということ。デジタルはフィジカルに。だから、デザインフェスタの代表的なものは、依然として、その造形物や作家のパフォーマンスとなる。
・根本は作品としてのリアルに触れたくて
原点にあるのは創作物の発表。そして、創作物を通して人と人とがダイレクトに触れ合う関係性である。だから、馴染みのあるハリケンとはこんな風に和気藹々に、写真に収まる。
顔出ししていないクリエイターは多いけど、だからこそ、ここで触れ合う意味がある。
改めて僕は、そのリアルな創作物が持つ着眼点に刺激を受けて、これこそがデザインフェスタの原点であると痛感する。
こちらは、スピカピカさんの作品。面白いのは刺繍を「表現の手法」としている点。
バッグやハンカチ、帽子など、刺繍そのものが価値を持つことはある。ただ、彼女の面白いところは、それ自体をデザインとして受け止めている点。
だからそれを印刷技術に載せて、刺繍をデザインとして提案しているわけだ。そうなると、缶など刺繍の難しい素材でも、可能となる。なぜなら、刺繍のテイストはあくまでデザインの一種だからだ。印刷にして、それを伝え、彼女の刺繍の価値が最大化されるわけである。ちなみに、右側のピンクのバッグはプリントである。
些細なことだけど、刺繍の糸だから表現できる繊細さがあると思う。勿論、一点ものとしてその刺繍の商品も販売している。けど、刺繍でこそ引き立つ可愛らしさがある。ずっと継続して、ファンを集め続ける理由もうなづける。
・緻密で作り込まれつつ遊び心を忘れない
そのスピカピカさんから「是非行って欲しい!」と言われて推薦されたのが、マルま工房。実に面白いのは、日常に笑顔をもたらす提案。彼らが主に着目したのは耳。例えば、写真のような割れた卵。ほかにも、洗濯バサミであったり、潰れたビール缶だったり。いずれも、ニヤリとする視点。
切り口は笑えるけど、つくりは精巧。ミニチュアの造形としても目を引くものなのだ。おしゃれを演出する場所でありながら、人目に触れやすい耳。敢えてそこで遊び心を演出する。とはいえ、作り込まれているから、馴染む。
造形技術ととことんふざけた精神が織り混ざった、そのバランスが絶妙。耳という繊細なステージに、程よく笑いと共に調和する素敵な商品である。
・人と人とが文化祭的なノリで楽しむ
通して感じるのは、出展者の人間味である。最後の最後、とにかく楽しそう!それだけで足を止めてしまった出展者を紹介して締めることにしよう。それも個性だから。
隠しきれない寿司への愛情が溢れる「ただち」さん。サコッシュやミニトートなどを寿司のネタをオマージュする形で作っていて、嬉しそうに一つ一つの商品についての説明をしてくれる。初めての出展らしく自身もその素材をアレンジして作った衣装で笑顔で呼びかける。この表情で伝わるかなぁ、溢れんばかりの寿司と作品への想い。
かと思えば、徳島のコワーキングスペースが出ていたりする。アートでもなんでもないじゃないかと思いきや、そうでもない。そこに集まるアーティストで作品を作って、認知を広げると共に、販売しているのである。ずっと踊り続けているから、いやがおうにも目に入る。
究極は、この人との楽しいふれあい。そのきっかけとなる、デザインや作家の価値。
その本流としての力は健在。同時にアーティストもそこで今を謳歌している。時代背景が色濃く、反映しながら、ブラッシュアップしていると言って良い。アートの祭典として、新しい価値や人との出会い、作家が進む新たな姿をクリエイティブにこの場所は示そうとしてくれている。
今日はこの辺で。