本来とは違うところに意味がある tagboat art fairで見かけた「陶芸」と「看板」と。
先日、tagboat art fair 2022に行って思いがけず「陶芸」作品に心奪われた。え?陶芸?そう思う人もいるだろうが、「陶芸」って、案外、器を作るイメージが勝手に構築されていたと思う。だが、違うんですよね。根本的にそれを覆していて、陶芸で作った「水道の蛇口」なのである。現代アートというのは実に面白い。
陶芸に見えない陶芸作品
そもそも「どうやって作っているのですか」と聞く僕。「ひもづくり」という製法があって、それで作っているそうなのだ。
その名の通り、素材を紐のように細長くして、それを積み上げていくとこういう形にできるのだそうだ。作り上げる技術とそれをイメージする想像力、両方ないとこれはできない。しかも、作家自身が日常で感じたことから、お題を作っている。
だから、それで聞いてみた。「この蛇口はなんですか?」と。
僕が行った時には、直接聞けなかったのだが、アシスタントの方がいた。その方の説明で、十分、心に刺さった。
水と愛を想定しているから蛇口
「水」を「愛」と想定していますと。つまり、蛇口から注がれるのは、愛であり、それを受け止める皿がありますって。なぜ、複数、受け皿があるのかというと、作家の方にはお子さんがいて、愛とは等しく分け与えられなきゃならないと思ったからのようだ。
本格思考だから、見えないところもこだわっている。
「そこ、見えないじゃないですか。」と思わず言ってしまった。だが、水筒の蓋のところも本物と変わらないテイストで仕上げている。そうやってこそ、外から見えるフォルムにもより正確に伝わるものが作れる。そういうことなのかなあと思いながら聞いていた。
tagboat art fairには思いがけず、意外性を持った作家が多い。そのほかで言うと、こちら。写真家の方だが、何も書かれていない看板。
看板ではない看板が持つ意味
この方は、作品もさることながら、その方の考え方が面白い。
言われて納得したのだが、「本来、何かをアピールするための看板。なのに、そこに何も書かれていない」ということにメッセージ性を感じたと。
空白なのに、何かそうやってみると、特別な感情が生まれる。
世の中には、色々な主張が溢れている。なのに、ここだけぽっかり何のメッセージがない。そのこと自体が皆、気づかないけど、アートだろうと。だから、それらを集めてみると、何もない看板に違った価値が生まれるのではないか。だから、「看板ではない」看板の写真を撮り続けていると。
今の時代を違った視点で映し出すアート作品達
しかも、作家は、その写真に「青いライトをつけてみた」という。ほら。
青いライトには精神を落ち着ける要素がある。実際に、JRなどでは駅でこういうのを添えて、事故を防いでいるとか。コロナ禍が起こって、何もない看板が増えて、不安も多い時代。だからこその調和。
この名無しの看板が今の時代をシンボリックに示す存在になっているのが不思議である。
この作家さん曰く、コロナ禍前からやっていたが、実は、もうすでに、その前から名無しの看板が生まれる予兆を感じていた。やや日本が元気を失ってきているから。それが、コロナ禍がリアルのお店のクローズドを後押しして、見かける機会が増えてしまった。
アートはその時代やその時代を生きる人の心を形を変えて映し出すもので、気づきをくれる。
何か心を動かす、こういう動きをする人って、心の豊かさと直結している。世知辛い世の中ではない、大事な要素に気づかせてくれるから、僕は大事にしたい。
今日はこの辺で。