ガチャはもう子どもの遊びじゃない──六本木で見た“作家性”と“再販”が生む市場循環の正体

100円玉をいくつも握りしめ、子どもたちが好奇心いっぱいにハンドルをひねる――そんな光景を思い浮かべる人も多いはずだ。もちろん、それは間違いではない。けれど、いま街で目にする風景は、少し違っている。繁華街の一角にずらりと並ぶ筐体の前で、夢中になっているのは大人たちだ。しかも、その多くは女性である。
今回取材した「ガチャガチャ展 in 六本木」も例外ではなかった。そこに広がっていたのは、かつての“子どもの遊び”という枠を軽やかに超えた、まったく新しい熱気だった。
1. 展示会で起きていた“違和感”
「ガチャガチャ展 in 六本木」とは、日本のカプセルトイメーカーが一堂に会し、それぞれの思想と立ち位置を可視化した展示である。会場中央には、ずらりとガチャの筐体が並ぶ。

だが、本当に目を奪われるのは、その周囲を取り囲むように展示された、各メーカーによる“作品”の数々なのである。それは単なる商品サンプルではない。細部まで作り込まれた造形、思わず二度見してしまう発想力、その世界観の提示。クオリティは、もはや“作品展示”と呼ぶべき水準に達している。
そして、それが六本木ミュージアムという空間で開催されていることにも、大きな意味がある。これは単なる物販イベントではない。むしろ、メーカーによる“作品展”と捉えたほうが、その本質に近いのではないか。
2. なぜガチャは“作品”になり得るのか
2-1. 大量生産ではなく、“尖り”が許される市場
作品と言える理由は、ガチャを取り巻く環境そのものにある。
ガチャガチャは、大量生産・大量消費を前提としたプロダクトとは少し性質が違う。生産数はあえて絞られ、テーマも尖らせる。だからこそ、大衆に迎合しすぎない“ニッチな個性”が成立する。数を追うのではなく、発想を研ぎ澄ます世界なのだ。
2-2. 土下座が笑いに変わる瞬間──逸脱の快感
この動きは作家を活性化させることになった。各メーカーの取り組みについてはこの後あらためて触れるとして、一例を挙げるなら、ザリガニワークスの「土下座」シリーズがある。(写真右端)

土下座といえば、日本に古くから伝わる“究極のお詫びの姿勢”。それを真正面からテーマに据え、平社員A・B・C、さらには部長までをラインナップ。極めつけは、尻がぐっと持ち上がった「超土下座」バージョンだ。それを悲壮ではなく、ユーモアへと転換してしまう。
わかるだろうか。野球で言えば、キャッチャーのミットに真っ直ぐ投げ込むのではない。三塁コーチに向かって思いきり投げてしまうような、予想を裏切る爽快さ。
作家の才能が、逆にメーカーを呼び込むことすらある。
たとえば、現代美術二等兵の作品に触れたことをきっかけに、スタジオソータがガチャメーカーとしてこの世界に本格的に参入するようになったケースもある。つまり、メーカーが作家を見つけるのではなく、作家の存在が市場の側を動かす。そんな逆転現象さえ起きているのだ。

だから、メーカーだけではなく、作家を讃えるコーナも存在するのである。
2-3. 開ける前の0.5秒──期待を設計する仕事
つまり、共通して、そこにあるのは、計算された逸脱と、潔い遊び心なのである。
だからこそ、ガチャを開けるその瞬間は、子どもだけのものではない。大人であっても、カプセルを手にしたとき、あのわずかな“間”に胸が高鳴る。子どもはそのフォルムに胸を躍らせ、大人はリアルな社会をユーモアへと変換するその世界観に、思わず期待してしまう。その感情を設計しているからこそ、ガチャは侮れない。
企業は時に、ザリガニワークスのような作家とタッグを組む。一方で、社内のスタッフ同士が本気で“くだらないこと”を議論し、真剣に馬鹿馬鹿しいアイデアを磨き上げることもある。その積み重ねの先にあるのは、単なる小さな玩具ではない。手のひらに収まるサイズに凝縮された、発想と覚悟の結晶だ。
だからこそ、これらは「商品」であると同時に、「作品」だと言えるのである。では具体的に、この展示会で出展している企業に目を向けながらみてみよう。
3. 企業ごとに違う“世界観の運び方”
3-1. IPは“出会いの瞬間”を演出する
ガチャは小さい。だが、その小さなカプセルの中に、何を閉じ込めるのかという思想は、各社で大きく異なる。
ベネリックやフシロードクリエイティブは、IPという強力な物語資産を背負うタイプだ。アニメやキャラクター、既存の作品世界を軸に、ガチャを「出会いの瞬間」として設計する。ファンが既に持っている熱量を前提に、その延長線上で感情を動かす装置としてカプセルを活用する。
それは、ベネリックがもともとミニチュア玩具で培ってきた精度と再現力があったからこそ、有力IPからの信頼を獲得し、公式制作を任される存在へと進化してきた結果なのだろう。
ここでは、ガチャは物販の縮小版ではなく、IP経済圏の接点として機能する。
3-2. 作家性は“世の中にないもの”を産む
一方で、スタジオソータやスタンド・ストーンズは違う。
彼らはIPを借りるのではなく、「作家性」や「造形思想」を前面に出すことが多い。ときに個人作家と組み、ときに“世の中にないものを作る”という挑戦を掲げる。ここでは、ガチャは既存世界の拡張ではなく、新しい世界を生み出すためのメディアだ。
そしてその中間に立つのがケンエレファントだろう。
正規ライセンスを取得しながらも、単なるキャラ再現ではなく「文化のミニチュア化」を行う。カリモク60の家具をカプセルサイズで再構築する行為は、IPというよりも“文化資産”を扱う営みだ。

同じ500円でも、背負っている思想はまったく違う。IPを流通させるのか。作家の世界を届けるのか。文化を縮小するのか。この分水嶺こそ、現代ガチャの最初の対比である。
3-3. わくわくを量産する“企画の工場”がある
Qualiaやターリン・インターナショナルは、ヒットの波を読む企業だ。

年間200アイテム以上を展開し、水族館×カプセルといった新ジャンルを切り拓く。ネコのペンおきのように、SNSで拡散しやすい商品を生み出す力は、もはや“企画の工場”とも言える。
参考記事:カプセルトイ60周年と1400億円市場──ガチャガチャが大人市場を切り開いた“ガチャ男”たちのリレーの物語
彼らは「わくわく」を量産する。カプセルを開ける瞬間の驚き、かわいさ、共有したくなる感情。それを高速回転させる。広く、多くに届く設計だ。
3-4. “知る喜び”と“わかる喜び”という別軸
しかし、ヒットを量産する企業と、深く刺さる商品を作る企業のあいだには、もう一つの潮流がある。
いきもんは、博物館や水族館の文脈を背景に、生き物や自然科学をテーマにしたカプセルトイを展開するメーカーだ。そこにあるのは、かわいさよりも「観察」の視点である。
デフォルメではなく、できるだけ本物に近づこうとする造形。ネイチャーテクニカラーのシリーズは、子どもにとっては学びの入口であり、大人にとっては知的好奇心の再起動装置だ。これは“わくわく”とは少し違う、“なるほど”の設計である。
一方、ブライトリンクは、生活の中の違和感や共感をすくい上げる。“うちの子のけだまだま”のように、日常の感情やあるあるをカプセルに閉じ込める。その企画は決して派手ではないが、「なんかわかる」という共鳴を生む。ここではガチャは、収集物ではなく、感情の断片になる。
前者が“知る喜び”なら、後者は“わかる喜び”。
広く当てるか、深く刺すかという戦略とは別に、どの感情を設計するのかという軸がある。この多層構造こそが、現代ガチャの奥行きである。
4. バズを獲るか、刺さりを掘るか──二つの勝ち筋
対照的なのがTOYS CABINやトイズスピリッツだ。

こちらはニッチで、深い。ダイキャスト製のかき氷機、実際に動くギミック、精密な戦闘機モデル。万人受けはしないかもしれない。だが、刺さる人には強烈に刺さる。ここではガチャは“消費”ではなく“収集”に近い。
前者が「話題を生む力」だとすれば、後者は「記憶に残る力」だ。
広く当てるか。狭く深く掘るか。
同じカプセル市場でありながら、戦略は真逆だ。しかしどちらも成立しているという事実が、この市場の奥行きを物語っている。
5. ノスタルジーは序章だった──ガチャの時間軸
5-1. 記憶を呼び起こす“原点回帰”
ガチャは懐かしいものだ。少なくとも、多くの大人にとってはそうだ。
トイズスピリッツが掲げる「初めて買ったおもちゃの感動」という言葉は、その原点をまっすぐに示している。ダイキャスト製のかき氷機やレトロなminiCDプレイヤー。
手に取った瞬間、過去の記憶がよみがえる。ガチャはかつて、子ども時代の象徴だった。偶然の出会いと、小さな興奮。それを再現することで、大人の心を掴む。この“ノスタルジー回帰”は、ガチャが持つ最も強い基礎体力だ。
5-2. フチ子が変えた──ガチャは拡散文化になった

だが、そこで止まらなかったのがキタンクラブである。
「コップのフチ子」は、ガチャの意味を一段階押し広げた。
フチ子は集めるためだけの存在ではなかった。写真に撮られ、オフィスに置かれ、SNSに投稿される。ガチャは“回して終わる商品”から、“共有される文化”へと変わった。小さなフィギュアが、日常空間に侵入し、拡散される。その瞬間、ガチャは子どもの遊びを越え、都市文化の一部になった。
ここで初めて、「ガチャは大人のものになった」と言っていい。
5-3. 循環・直営・世界観──ガチャは思想のメディアへ
そして今、さらに時間は進んでいる。
ケーツーステーションは廃カプセル再利用という環境発想から出発し、ガチャの循環型設計を模索する。先ほどもあげたスタジオソータは直営拠点を持ち、ブランドとして世界観を構築する。ガチャはもはや機械の中の商材ではなく、企業の思想を体現するメディアになりつつある。
ノスタルジーで心を掴み、文化で拡散し、未来設計で持続させる。この三段階が同時進行しているのが、現在のガチャ市場だ。
懐かしさだけでは終わらない。バズだけでも終わらない。環境配慮だけでも終わらない。小さなカプセルの中で、過去・現在・未来が折り重なっている。
それが、いま目の前に広がるガチャの進化の姿である。
6. ガチャが“開かれたプラットフォーム”になった日
6-1. 10年前の仕掛け──ファッションとガチャが先にあった
こうして、ガチャは“企業の内側の企画”から、“外へ開かれた舞台”へと変わっていった。ガチャの中身だけで、美術館で展示会が開かれる――そんな未来を、いったい誰が想像しただろうか。
改めて、その面白さを強く実感したのは、この日、会場で偶然出会った一世を風靡したランジェリーブランド出身の廣川さんとの会話だった。
彼女は約10年前、そのブランドとキャラクターを掛け合わせたカプセル商品を企画し、路面店に筐体を設置したという。ファッションが持つ世界観と、ガチャが持つ“何が出るかわからない”という好奇心を掛け合わせることで、ブランドの魅力を拡張し、話題を集めた。
彼女自身も筋金入りのガチャファンで、早い段階からその可能性に気づいていた一人だ。
6-2. 筐体が開くと、才能が流れ込む
そんな彼女が、ぽつりとこう言った。
「以前は、大手のガチャメーカーが、自社の筐体を用意して、自社の商品を売るという構造でしたよね。でも、変わりましたよね」
その言葉に、思わずハッとした。
いまは、筐体そのものが“オープン”になりつつある。プラットフォームとして機能しはじめたことで、参入障壁が下がり、多様なプレイヤーが挑戦できる環境が整った。だからこそ、これまで交わらなかった才能が流れ込み、想像を超える発想が次々と形になっているのだ。
6-3. ザリガニワークスが象徴する“埋もれない構造”
先ほど触れたザリガニワークスも、まさにその象徴的な存在だ。複数の企業と連携しながら作品を生み出し続けることで、個の才能を埋もれさせることなく、マーケットへと届けてきた。
才能が孤立しない。それを受け止める“場”がある。
だからこそ市場は、マスへと均質化するのではなく、無数の個性を受け入れながら拡大してきた。
2019年、僕が会社を創業して、日本ガチャガチャ協会の小野尾さんと話したとき、彼は「市場規模はいまや400億円だよ!」と目を輝かせていた。それが2025年時点では、1400億円規模にまで成長している。

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言うまでもなく、その間にメーカーの数も大きく増えた。
7. いちばん嬉しいのは“発売”じゃない──再販が証明したもの
そして、もう一つ強い気づきを得たのが、ザリガニワークスの武笠さんに話を聞いたときだった。

「いちばん達成感を感じるのは、商品が出たときですか?」
そう尋ねると、武笠さんは少し考えて、こう答えた。
「いや……再販されたときかもしれないですね」
この一言こそ、いまの時代を象徴しているように思えた。
かつてガチャガチャは、数量を絞って販売する“売り切り”が前提だった。完売すれば終了。次は第二弾、第三弾へ――それが常識だった。ところが、いまは違う。ヒット作は“再販”される。もう一度、生産ラインに乗るのである。
なぜか。市場が拡大し、一度のロットでは、欲しいと願うユーザーすべてに行き渡らなくなったからだ。だから再販という選択肢が成立する。結果として、本来はニッチなはずの作品が、繰り返し生産され、より多くの人の手に渡っていく。
これは、単なる売上増ではない。
8. 小さなカプセルの中で、才能は循環し、文化は更新される
再販という循環が生まれることで、埋もれがちな才能に再び光が当たる。消費者が発掘し、支持し、それが再生産につながる。生産数が増えればコスト効率も改善し、メーカーには新たな挑戦の余地が生まれる。さらに別の商品が生まれ、また人を呼び込む。
こうして、才能と市場と消費者が循環する。その健全なサイクルこそが、この市場をここまで押し上げ、いまの熱気へとつながっているのではないか。
六本木ミュージアムと聞くと、どこか崇高で、近寄りがたい美術品を想像してしまうかもしれない。だが、ここに並んでいたのは、もっと身近で、ユーモアにあふれ、思わず誰かとの会話に持ち出したくなるような存在だった。
それでも、私はこれをアートだと受け止めた。なぜなら、小さなカプセルという厳しい制限の中で、発想と技術を競い合う才能のバトルフィールドが、確かにそこにあったからだ。限られたサイズ、限られたコスト、限られた瞬間。その中で最大限の驚きと物語を詰め込む。
だからこそ人の心を打ち、ミュージアムに並ぶにふさわしい。小さなカプセルの中で、才能は循環し、市場は拡張し、文化は更新される。
だからこそ、ガチャはもう“子どもの遊び”ではない。
今日はこの辺で。








