やりきること。楽天 三木谷浩史さん 25年経ても変わらぬ真実
なんだか、僕はその光景を感慨深く受け止めていた。創業25周年記念レセプションと銘打たれた楽天グループのイベントに、僕はメディアとして招かれた。なぜ感慨深いかといえば、楽天というベンチャー会社は就職氷河期といわれた暗い日本の中で、社会人になったばかりの僕のような人間には希望をもたらす、明るい光のような存在だった。だから、今、こうして成し得たものの大きさを目の当たりにして、強く感情を揺さぶられたからだ。
25年の軌跡と奇跡
1.わずか13店舗からのスタート
その会場は、立錐の余地がないほど(感染対策も大変だったろうが)人、人、人。この会場に集まった、各界の著名人たちの姿はまさに楽天が25年かけて挑戦してきた、その軌跡を示すそのものである。
上記の写真の通り、彼らが創業した1997年は、インターネットがまだアナログ回線でやっと繋がるといった具合で、パソコンを所有する人もまだそれほど、多くないそんな時代である。
楽天市場も最初はわずか13店舗で、その売上もわずか30万円ほど。当時の目標としては「1000店舗、集める」というものであって、そのネットの可能性を活かす中でも、ショッピングであれば、何かしらの発展性が見込めるという仮説のもとで始めたものだった。それがもう5万5000店舗である。
このスタート然り、今までの常識にとらわれる事なく、新しいビジネスモデルにトライし続ける事で成長を果たし、25年を経て辿り着いたその業績は、直近の2021年度の年間売上高にして約1.7兆円、楽天経済圏の礎とも言える楽天ポイントの累計発行数は2.5兆ポイント、自ら抱える従業員数は28000人を超えるほどになった。
2.お祝いに駆けつけたYOSHIKIさんや岸田首相
壇上に目を向ければ、内閣総理大臣 岸田文雄さんの姿を筆頭に、アーティストのX JAPAN YOSHIKIさんも駆けつけるなど、その影響力の大きさを感じずにはいられなかった。わずか30万円程度の売り上げから始まったその会社が、25年の契機にこれだけの人たちから祝福される現実、社会人になってからそれを横目で見ながら、感じてきた僕として、やっぱり感慨深いものがあったのだ。
何より、古くから親交のある林芳正外務大臣が「最初、インターネットで商売をするという話を聞いた時は、“みきちゃん”それはうまくいかないんじゃないか?と話した」というエピソードを挙げていた事だ。それに象徴されるように、無謀とも言えるビジネスだったろうが、逆にそれが当時はブルオーシャンで成長の伸び代の大きいジャンルであったことを思わせる。
ただ、一方で、代表取締役会長兼社長 三木谷浩史さんがこの場でも強調していたのはモバイル事業への参入など、その挑戦の手を緩める事はないというベンチャースピリッツであり、このパーティで集まった方々に謝意を述べるとともに、これからの協力も呼びかけていることも忘れてはならない。
25年先を見据えて
1.10年先の中期経営計画の作成に着手
レセプション後には記者会見も設定され、そこではレセプションとは対照的に、三木谷さん自身が自分の言葉で未来について、語る姿が印象的だった。
例えば、中期経営計画になぞらえる形で売上成長の持続を果たしつつも今後、注力したい事として、その中身の部分。つまり、利益率の部分へのテコ入れで現在13.5%であるものを20%超の水準を目指して、投資がしやすい環境を生み出し、企業としての成長をさらに加速させる事を示唆した。
言葉の節々に感じるのは「インターネットが違うフェーズに来ている」という事で、過去の25年とは違ったまだ見ぬ「インターネット」の可能性を率直に口にする。ネットがモバイルを主戦場としたものに変わってきている事を筆頭に、クラウドにまつわる事業やIOTの広がり、そしてブロックチェーンの活用を通しての新規ビジネスの可能性についても言及した。
今後についてはモバイルへの発言が多く、それはモバイル事業自体の成長だけではないからだ。見据えているのは、その利用がポイント還元を契機に楽天市場の売上に寄与する他、楽天シンフォニー等の未来に必要な要素に与える影響。多くの人がモバイルを使うライフスタイルをテコに、そこでのクラウドの整備やソフトウェアの提供を軸としてインフラを構築したいというのがその構想の肝だろう。AmazonがECで培った土台をawsとして企業にネット環境を広めて世界一となった事を彷彿とさせる。
2.ざっくばらんに未来を語る
彼らしいなと思うのは制度改革に関しても触れる部分があった。例えば、シリコンバレーの中でもサンフランシスコは活気があって、世界の技術の中心であったのが、徐々にその環境は変わってきていると。シンプルな話、それは税金の高さが招いた要素もなくはなくて、逆に言うと良い技術には良い人材が集まるだけのロケーションがあって初めて成立する。事業をする上で、必要な環境づくりについても私見を交え、フランクに未来を語っていたのだ。
世の中のインフラが時代に即応できていないのであれば、自らの一歩によって変えていきたいという気概のようなものも感じられ、戦い続ける経営者、起業家としての側面を見せる。なんだか不思議な話だが、その対象は違えど、25年間、彼らが切り拓き続けてきたその姿勢は少しも変わっていないことを痛感させられる。
「やりきること。」そこに25年の重みがある
1.何を想い25年を駆け抜けたのか
そしてかけがえのない時間は、思いがけずやってきた。25周年という節目だからこそ、僕は人間「三木谷浩史」さんの率直な胸の内を聞きたいと思って、質問の手を上げた。名だたるメディアが数多くいたから、うち如きの小さなメディアに当たるはずもないだろうと思いながらも、でも聞いてみたかった。もう最後の質問という時、僕が選ばれたのだ。
正直、果たしてこの質問をするのが正しいのか、悩んだ上でのことだけど、キッと拳を握りしめて、こう問うた。
2.色々な人を奮い立たせてきた三木谷さんが今は何を語る
「三木谷さんは、1997年、楽天を立ち上げて、それから約5年ほどの時を経て、僕は社会人になりました。その時の世の中というと、就職氷河期と言われて、暗く沈んだ時代ではありましたが、そんな暗い時代の中で、楽天は希望をもたらす光でした。」
「頑張れば、ああいう風になれるかもしれないと、三木谷さんの行動に勇気づけられて、今僕は起業をして、メディアを立ち上げ、この場にいます。だからこそ、聞きたい。25周年を迎えて、三木谷さんは今この時点で、これから社会に出ようとしている若者にどんな言葉をかけて、勇気づけるでしょうか」と。
他のメディアとは色彩の異なる、場違いな質問かもしれないと思ったけど、今こそ聞くべき事だと考えて、少し震えていたくらいである。しかし、三木谷さんはそれこそ真剣な眼差しで、緊張気味の僕の目をしっかり見て熱っぽく語り出したのである。その彼が放ったもので最も一番、響いたのは『やりきる』という言葉であった。
3.やりきること。
「『インターネット革命は30年で終わるだろう』と人は言っていました。けれど、どうだろう。これからの30年の方がもっと凄いんじゃないかと思います。それも人類史上、最大規模で」と三木谷さん。ウクライナ情勢について触れて、「ネットがなければ、状況は今とまるで違っていたでしょう」とも。それこそがネットの価値だと言わんばかりに。
そして、そのインターネットがこれまで以上に可能性を秘めている事とそこに潜む進化を踏まえて、語りかけるように「若者には、、、」とこう言葉を選んで続けた。
「これからの25年では挑戦的でワクワクするような新しいことがガンガンできるはずです。だから、恐れず一歩前に出ることです。リスクを取って踏み出し『やりきる』ことが大事なんじゃないかと思います」と。
『リスクを取ってやりきる』か。。。。
自らの25年を振り返るようにして「思えば、『楽天市場』を立ちあげた時、全く売れなかったけれど、でも出店者は増やそうとしてきた。『楽天モバイル』をやるときも通信技術では当初、全く追いついていなかったけど、やってきた」と。
そのエピソード自体が『リスクを取って、やりきる』ことで成し得てきたものだから、その言葉の重さが身に染みる。
4.リスクがあるからやりきることの大事さ
三木谷さんと質問を通して対話をしてみると、未来への好奇心に対しての彼の鼓動が伝播してくるようであった。これだけ、面白い世界なのだから、そこに飛び込まないと!というような、子供のような目の輝きを感じたのである。
それを感じるに、やっぱり世の中に深い関心を持って、そこに好奇心を抱いて、自分にできることの可能性を模索することの大事さ。逆にいうと、それをすることほど、楽しいことはないのではないかと説くわけだ。
しかし、リスクを取らずして成長などない。もしそれが今の世の中になかったのだとしたら、リスクを取ってでも、トライしようと。そして、取り組んだなら「やりきれ!」というのが三木谷さんなりの若い人への熱さを感じる言葉である。それが最初の話に戻ってきて、好奇心を持つだけの面白い世界が広がっているし、もしもやり切れたら道が切り開けて、もっと面白くなると。
5.ジャパン・アズ・ナンバーワン
この質問に関連して、自身の行動について話す言葉の中で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉をあげていたのが印象的で、ああ、その言葉は、、と僕は思った。
この言葉は、日本が高度経済成長で最も輝いていた時に日本の風習などを讃えて語られた著書をキッカケに広まった言葉で、恐らくその言葉を励みに、当時皆、日本に誇りを持って仕事に精を出していた。ただ、周知の通り、その後日本は「失われた30年」と言われ、まさに僕はそのタイミングで社会に出たので、その恩恵は全くない。
その時代にあって、三木谷さんは、リスクを取ってでもチャレンジし『やりきって』、自ら結果を出す事を体現してきたのは、単純に「楽天」という会社云々だけではなく、日本人を気持ちの面から奮い立たせたいという想いもあるのもしれないと悟った。その意味で、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉は、彼の行動とオーバーラップしたのである。
これはそのまま、次世代の若者たちの行動に発破をかけるメッセージでもあるはずだ。今の自分のように「リスクを取ってやりきる」そういう行動をすれば、まさしく「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉に相当する、かつて高度経済成長の時代、日本が無敵だと思えるほどの強さを実感できる未来へと導くことだってできるんだと。
祖業たる楽天市場が果たしたもの
出店店舗との絆
そして、その始まりが「楽天市場」であったわけで、彼は出店店舗との事を敢えて「絆」という言い方をしていたのが印象に残った。彼曰く、楽天の存在意義は、店舗(もう少し大きなレベルで言えば、その地方)のビジネスを助けることにあるとして、そこには“御上(おかみ)”が何を言おうと、そこにいる皆とともに貫くという姿勢で、乗り切ってきた。
その為には自分の信じる事を推し進めていくという部分が重要だとする三木谷さん。当然、その行動には賛否は伴ったけれど、共に歩んでくれた出店店舗のおかげで、やっぱりその信じることが正しかったのだという事を数々証明できたというわけで、だから彼にとってかけがえのない「絆」なんだと思った。
信じる道を提起する三木谷さんとそこに共感してくれる店舗の存在。どちらが欠けても、今の楽天はなかったことを思わせる発言である。「やるきる」上で欠かせない同志のようなものだろう。
楽天の躍進を見る度、自分を奮い立たせてきた。そんな僕がこの場所にいて、三木谷さんに直接その想いを伝えながら質問しているなんて人生とはわからない。メディアとして伝えるべくはしつつ、書き加えさせてもらうなら、僕もこの取材のこの瞬間は生涯忘れられない時間となった。25周年で痛感するのは変わらぬ彼の姿。リスクを取る以上に、それで切り拓かれた世界への好奇心が優り、現実となるべくやりきるその姿だ。やりきろう、日本。
今日はこの辺で。