経営の設計図を書き換える──キタムラが挑んだ「暗黙知」の再設計

AIを入れた、という話ではない。効率が上がった、という話でもない。オムニチャネルDay2026で、株式会社キタムラ代表取締役・柳沢啓氏が語ったのは、AIを使うかどうかではなく、どこでAIを使うことが企業にとって本当の価値になるのかという問いだったように思う。
キーワードは「職人の暗黙知」である。ここでいう暗黙知とは、マニュアル化できない経験則や直感の集合体だ。長年の現場経験によって培われ、一瞬の判断のなかに宿る知恵である。
だが、同社が本当に向き合っていたのは、その価値そのものではなく、暗黙知が特定の人に集中することによって生まれる“属人化”という経営構造の歪みだった。それは確かに強みである。他社には真似できない専門性であり、長年積み上げられた資産でもある。
しかし同時に、それは成長を制限する“構造的負”にもなり得る。強みが、組織の壁になる。その矛盾にどう向き合うか――そこに、このセッションの核心があった。
1.「現場力・改革力・鳥瞰力」──三つの力が交差する場所
キタムラを表す三つの言葉として示されたのは、現場力、改革力、鳥瞰力である。全国に広がる数百の店舗網は、単なる販売拠点ではない。写真を通じて人の人生に寄り添う接点である。そこには、長年積み上げられた接客の知恵と、地域との関係性がある。
だが同社は、現場力に安住してはいない。PHOTO MARCHEのような新業態を立ち上げ、「カメラ会社」から「PHOTO市場」へと視座を広げている。市場がフィルムからデジタルへ、さらにスマートデバイスへと移るなかで、縮小ではなく再定義を選んだ。
ここで重要なのは、自社を「カメラ販売業」と狭く定義するのではなく、「写真」という行為そのものが生み出す市場全体の中で捉え直す視座である。
自社を「カメラを売る会社」として定義してしまえば、市場の縮小とともに自らも縮むことになる。デジタルカメラが売れない、市場が縮小している──そうした認識の延長線上には、負のスパイラルしかない。
だがキタムラは、そうは考えなかった。カメラという“モノ”ではなく、「写真を通じた自己表現」という“体験”の側に軸足を移したのである。
市場がフィルムからデジタルへ、さらにスマートフォンへと移るなかで、ハードの減少を嘆くのではなく、人が“撮る”という行為そのものに向き合い直した。そこに同社の鳥瞰力がある。
2.1%の専門性が、事業の未来を握っていた
しかし、その再定義を進めるなかで、避けて通れない壁があった。それが、中古カメラ査定という高度に属人化された業務である。中古カメラ査定を担える人材は、全社のごく一部に限られていた。数千人規模の組織のなかで、実質的に専門的な目利きができるのは数十名に過ぎない。
この事実は、二つの意味を持つ。
一つは誇りである。長年の経験に裏打ちされた知見であり、他社には容易に真似できない本物の専門性だ。そこには、職人としての矜持がある。
しかしもう一つは、経営上の重みである。専門性が特定の人材に集中しているということは、事業の成長もまた、その人材の存在に依存してしまうということでもある。
強みが、同時に制約になる。この構造をどう捉え直すかが、次の問いとなった。
3.属人化は誇りか、リスクか
査定ができる人が限られるということは、買取拡大にも広告展開にも限界が生じるということである。店舗は「怖いからやりたくない」と消極的になり、挑戦は止まる。結果として事業の成長は、1%の伝承に依存する構造となる。
ここで問われたのは、「職人を守るか否か」ではない。専門性を温存するか、効率化するかという単純な二択でもない。
本質的な問いはこうである。職人の知を、どうすれば組織の資産へと変換できるのか。誇りを失わせることなく、構造的負を解消する方法はあるのか。
この問いこそが、AI導入の前に立てられた経営の問いであった。
4.分解という経営判断──暗黙知を構造に変える
柳沢氏がまず行ったのは、AI導入の決断ではない。査定という行為そのものを分解することであった。
カメラの機種特定、状態確認、市場価値の照合。職人の判断は、一瞬のうちに行われる。しかしその裏には、積み重ねられた工程がある。
三万を超える機種のスペック理解、レンズ内部のカビや曇りの見極め、手触りや質感からくる微妙な違和感の察知。これらを“丸ごと神業”として扱う限り、共有は不可能である。
だが、それは工程単位で捉え直せばどうか。再現可能な部分と、経験に依存する部分が見えてくる。この分解こそが、経営のOSを書き換える行為であった。職人の価値を否定するのではなく、その知恵を形式知へと翻訳する。
AIはここで初めて登場する。主役ではない。媒介装置である。
5.育てるAI──対立を共創へ変えた循環構造
AI査定は数秒で結果を提示し、精度も高い。しかし、この成果は、単なる技術の勝利ではない。重要なのは、循環構造にある。店舗で商品を撮影し、AIが判定する。その結果を人が確認し、誤りがあれば修正する。そのフィードバックが再び学習データとなり、精度が高まっていく。
そこで、現場出身の柳沢氏らしいのは、これをスタッフの士気を上げつつやろうとしたことである。元々、生え抜き社員の多い企業である。逆に職人という資産を、店舗のスタッフに還元していくことで、スタッフのやれる幅を広げ、モチベーションを上げたのである。
これこそがAIで完結しないということである。店の持つ価値をAIで底上げできるかという部分である。だから、だからこそ、不慣れなAIも、スタッフを巻き込みながら、まるで新人を育てるように現場で鍛えられていった。
当然、AIは完璧な答えを持たない。だから、最初は反発もあった。「こんなものは間違っている」という声も上がったのも事実だ。しかし、それが自分たちのやれることの幅が広がるのだと浸透すると、それを教えて、使いこなすことに価値を見出したのである。
だが、自分の知識が組織全体に広がる体験を通じて、意味が変わる。AIは専門性を奪う存在ではなく、拡張する存在へと変わった。
6.葛藤の先にある転換──目的がぶれなかった理由
この転換点において、人的資本経営は理念ではなく、実践となった。スライドには「葛藤」という言葉があった。課題を解決しようとすれば、必ず摩擦が生じる。職人の誇り、評価への不安、仕事の再定義への戸惑い。だがこのプロジェクトが進んだのは、目的が明確だったからである。AI導入は目的ではない。
現場が自信を持って査定できる状態をつくること。品質を均衡化し、事業を拡張可能にすること。
ゴールが共有されていたからこそ、葛藤は破壊ではなく転換へと向かった。結果として、査定は一部の特権ではなくなり、全店で扱える業務へと広がった。
それは単なる効率化ではない。構造改革である。
そして、最後に提示されたのは、分担の意思決定であった。査定の不安を取り除くことはAIに任せる。そうすると、自ずと、顧客と向き合い、会話を楽しみ、関係性を築くことがもっとできるようになる。キタムラにおいて、人が担う役目が拡張した瞬間だ。
どこまでを任せ、どこからを人が担うかを決める覚悟があるかどうかである。暗黙知は消えたのではない。形式知となり、再び現場へ還元された。それが、「現場を生かす経営」の正体である。
今日はこの辺で。







