愛と経済で社会を変える──髙橋ゆきが語る「暮らしのインフラ」と女性の生き方の未来

女性の視点は、商品単体の価値を超え、社会そのものの構造に影響を与える段階へと進化している。HERSTORY 35周年記念のステージで語られた、ベアーズ副社長・髙橋ゆきさんの言葉は、その象徴だった。2016年に「女性のあした大賞」初代受賞者となった彼女は、その後も家事代行という未開拓市場を“暮らしの新しいインフラ”として磨き続け、ついには東京商工会議所の“初の女性副会頭”にまで就任する。そんな彼女が、この日に語ったテーマは「愛と経済」。
数字だけでは人は幸せにならない。経済と愛、その両輪を同時に回すことで、日本社会そのものを再建できる──髙橋さんはそう力強く語る。
本稿では、彼女の人生、挑戦、信念を軸に、「女性が社会をどう変えうるのか」を浮かび上がらせていく。
1|「10年越しの舞台」──HERSTORYとの縁が教えてくれたもの
2016年──HERSTORY が主催する「女性のあした大賞」の第1回目。
突然の電話で「受賞です、おめでとう」と告げられたのが、髙橋ゆきさんの節目でもあった。授賞式の会場はロイヤルパークホテル。自宅から徒歩数分という場所で「あなたの近くに行って授賞式を行います」と伝えられたとき、彼女はただ驚くばかりだったという。
それから10年。HERSTORYは35周年を迎え、「女性のあした大賞」も節目の第10回を迎えた。その記念日に、自らがスピーカーとして招かれる。髙橋さんは「10年分の感謝を返す日」として、胸に込み上げる思いを抑えきれなかったと語る。
彼女がHERSTORYと出会った原点は、実はさらに遡る。
2002年、まだ広島にいた日野佳恵子さんが書いた『クチコミュニティマーケティング』という一冊の本だ。それは、髙橋さんの心の奥深くで「共感から始まるマーケティング」の概念を形づくり、ベアーズの発展に欠かせない思想となった。
10回の時間の積み重ね、書籍を通した出会い、人としてのつながり──そのすべてが「ここまで続いてきた意味」を雄弁に示していた。
だからこそ今回のステージは、ひとつの授賞式にとどまらない。「女性の未来を磨いてきた時間そのもの」が結実した象徴のようでもあった。HERSTORYと髙橋さんの10年は、女性が自ら未来をつくる力を持ち、それが社会全体へと波紋を広げていくことを証明している。
2|「愛と経済」を掲げて──女性初の副会頭就任が示すもの
2025年11月1日。髙橋ゆきさんは、東京商工会議所の“初の女性副会頭”に就任した。創立147年の歴史で初めての女性役員。
商工業者の意見を結集する場をつくった渋沢栄一には、「経済とは本来、人の幸福を生むために存在するものだ」という思想があった。道徳と経済を両立させる「道徳経済合一」。今で言えば、“ウェルビーイング”の源流のような考え方だ。
しかし現代では、数字ばかりが独り歩きし、人の感情や幸福が後回しにされることが多い。
そこで髙橋さんが投じた概念が“愛”だった。もちろん、ここで言う愛は情緒的なものではない。
暮らす人の不安に寄り添うこと。働く人が自分らしく生きられる基盤をつくること。企業が効率だけを追い求めず、社会全体の幸福を考えること。
こうした行為に宿る“目に見えない価値”こそが、髙橋さんにとっての愛だった つまり、愛とは社会を再建するための“思想”であり、経済を正しい方向へ導く“重心”でもある。
これを、東京商工会議所という“日本の経済の中心”に持ち込んだ意味は大きい。女性だからこそ見える暮らしの視点。
そして、“効率や正解ではなく、人の幸福を起点に経済を見る”という発想。
それらがこれからの産業や政策に確かな影響を与えていく──その幕開けなのかもしれなかった。
3|縦割りの正解探しを超えて──繊細さと寄り添いが新しい価値をつくる
ここで、僕自身の考えを少しだけ挟みたい。僕らの業界──いや、日本のビジネス全体が抱える構造として、“縦割り” が根強く存在している。
セクションごとに最適化し、効率化し、利益を追求する。その構造自体は悪ではないが、気づけば 「正解のあるゲーム」 を探すようにビジネスを発掘してしまうところがある。だが、髙橋さんの話を聞いていると、その“正解思考”とはまったく違う地平が見えてくる。
彼女が語る価値は、もっと日常的で、もっと生活に近く、もっと繊細だ。
たとえば──
誰かの負担をそっと軽くすること。
暮らしの乱れに寄り添うこと。
「あなたはそのままでいい」と肯定すること。その、小さな行為一つひとつに、人間の“救い”が宿っている。
そして彼女は、そこに 「ビジネスの種」 を見いだしてきた。それは、理屈では説明しづらい。数字の足し算や利益率の改善の話ではなく、人の心のひだに触れたときにだけ生まれる価値だ。
繊細さと細やかさで相手のハートに入り込む。その瞬間にこそ、ビジネスが立ち上がる。
言うなれば──
“人間的だからこそ持続可能なビジネス” である。
ここに、僕は強く惹かれる。女性特有の生活者視点が、ビジネスを「もっと近く」「もっと優しく」「もっと丁寧なもの」に変えていく。
髙橋さんの話には、その未来の輪郭がくっきりと刻まれていた。
4|逆境・苦悩・試練──成功の裏にある「長い道のり」
華やかな肩書きや功績は、必ずしも順風満帆な人生の結果ではない。髙橋さんは、HERSTORYのステージで「逆境・苦悩・試練」というスライドを提示した。そこには、ここまでの歩みに横たわる長い時間と葛藤が刻まれていた。
1999年、家事代行という言葉すら一般的でなかった時代にベアーズを創業。「家事は自分でやるもの」という価値観が根強く残る日本社会において、新しい文化を根づかせることは困難の連続だった。
さらに、広告費ゼロの挑戦。創業から10年間、一円も広告宣伝費をかけず、口コミだけで顧客を広げた。そこには、マーケティングの本質は“感動と共感”だと信じる確固たる思想があった。
髙橋さんは何度も挫折しかけながらも、「誰かが作らなければ文化は変わらない」という信念を手放さなかった。
その背景には、香港での原体験がある。フィリピン人家政婦スーさんとの出会い。異国でただひとり、自分を支えてくれた彼女の存在が、「誰かに頼っていい社会」の必要性を胸に刻み込んだ。
試練の数々は、ただ彼女を苦しめたのではない。それらはすべて「使命感」を形づくる材料となり、今日のベアーズの理念につながっている。成功は栄誉ではなく、痛みと向き合い続けた先にようやく見える光なのだ。
5|家事代行を“暮らしのインフラ”へ──文化を変える挑戦
1999年、家事代行は“贅沢サービス”と認識され、一般家庭には浸透していなかった。髙橋さんはそこに風穴を開けた。「誰かに頼ってもいい文化をつくる」──この一文が、ベアーズの理念の中心にある。
けれども、文化は自然に変わっていくものではない。
家事代行が浸透しなかった背景には、日本社会に根強い「家事は自分でやるもの」という価値観や、外注への抵抗感、そして家事負担が女性に偏る構造があった。髙橋さんは、この見えない前提そのものに丁寧に問いを投げかけていった。
髙橋さんは、これらを“構造ごと変える仕事”に挑んだ。家事代行とは、単なるサービス業ではなく、家庭における幸福度を押し上げ、暮らしの質を底上げするインフラである。
こうした挑戦が評価され、今ではベアーズは 約3000 名規模の組織へと成長し、多様なバックグラウンドを持つスタッフが家庭を支える現場で活躍している。“家庭の人手不足”という社会課題を支える一大インフラへと進化した。
この取り組みは、単に便利さを売るビジネスではない。お茶の間に寄り添い、人々が自分らしく生きるための基盤をつくる仕事なのだ。
6|香港で生まれた“原点”──スーさんとの出会いがすべてを変えた
髙橋さんの理念の出発点は、1995年の香港にある。
異国の地で仕事をしていた当時、彼女の生活を支えてくれたひとりの女性──家事や生活全般を手助けしてくれる存在との出会いだった。
その女性は、ただ家事をするだけではなく、生活のリズムを整え、精神的な支えにもなってくれたという。
「寄り添う力が、人をどれだけ救うのか」
髙橋さんはその経験を“人生を変えた原体験”として語った。
この体験が、日本で家事代行サービスを立ち上げる大きな動機となった。
女性の力が家庭を支え、人の暮らしを豊かにする──その事実を肌で知ったからこそ、「日本にも、同じように寄り添う存在が必要だ」と強く感じたのだ。
この理念は、現在のベアーズにも受け継がれている。
約3,000名規模のスタッフが活躍し、国内外の多様なバックグラウンドを持つ人々が“人を支える仕事”を担っている。これはビジネスを超え、文化的な転換点にもなり得る取り組みである
7|“人に寄り添う産業”が次の日本をつくる
社会は今、「人手不足」という構造的な課題に直面している。
とりわけ家庭の領域は影響が顕著で、共働き世帯の増加、育児・介護の負担、孤立する家族──多くの問題が複雑に絡み合っている。
髙橋さんは言う。
「これからの社会は、人間サービス、人の幸せに寄り添う産業が重要になる」
テクノロジーが進化し、AIが多くの領域を効率化する時代においても、人の生活の根幹にある“寄り添い”は機械では代替できない。
家事・育児・介護──こうした人間の営みそのものに寄り添うサービスは、日本社会にとって不可欠のインフラになる。
ベアーズが創業当時から掲げてきた
・頼ってもいい文化
・家庭の幸福度を社会全体の幸福度へ
・暮らしの現場を支える人の価値の再定義
これは、これからの日本が向かうべき方向そのものだ。
人が人を支える産業は、単に“労働力を補う分野”ではなく、社会を温かくし、孤立を防ぎ、次世代の豊かさを守るための“土台”である。
8|「美しく生きていますか」──女性へのエールとしてのメッセージ
髙橋さんが語った“美しさ”とは、外見ではなく「生き方そのもの」だ。
講演で彼女は、女性に向けて6つの指針を示した(一般化した形で紹介)。
- 素直であること
- 謙虚さを忘れないこと
- 感謝を持つこと
- 他者への思いやり
- 他人と比べすぎないこと
- 自分の心をごまかさず挑戦し続けること
これは外に向けたメッセージというより、髙橋さん自身が道を切り開く中で培ってきた“生き方の哲学”に近い。
40代・50代・60代になれば、内面がそのまま表情や佇まいに表れる。だからこそ「自分の人生を生きてほしい」と、ステージに立つ女性たちへ優しく語りかけた
9|女性の感性が社会をやわらかくする──すべては愛から始まる
髙橋さんの話を聞きながら、僕は一つのことを強く感じていた。女性の感性が持つ“繊細さ”は、社会をやわらかくする力を持っているということだ。
男性はどちらかといえば“形”から入ることが多い。構造を整え、効率を引き上げ、数字を積み上げることで価値をつくろうとする。しかし、女性はそこに“人”という軸を自然に持ち込む。
どう接すれば相手は気持ちよく動けるのか。
どうすれば負担が軽くなるのか。
どうすれば笑顔でいられるのか。
その“目に見えない機微”を感じ取り、カタチにしていく。
彼女の専門である家事を例に挙げれば、洗濯物ひとつにしても、女性たちは大雑把な処理ではなく、未来のために、誰かのために、ていねいで、長い目線の工夫を施す。
袖を伸ばさずに干すと、袖の部分だけ乾きが遅くなる──そんな繊細な気づき。こうした発想こそが、隠れたニーズを浮かび上がらせる。
そして思ったのは、“女性を笑顔にする世の中”であることが、社会の豊かさにつながるということだ。
女性を尊重し、そこに宿る工夫を尊重し、その人が笑顔でいられるための細やかな選択を重ねていく。そこには数字では測れない「幸せのデザイン」が確かに宿っている。
髙橋ゆきさんが語った話のひとつひとつに、僕はその“女性的なやわらかさ”を見た。寄り添い、ていねいさに価値を置き、誰かの幸せをそっと押し出していく力。
これからの社会では、こうした女性の発想が、私たちの暮らしをもう一度“人間的な営み”へと引き戻していくのだと思う。
今日はこの辺で。







