エンタメ産業進化論──日本のエンタメが世界で輝くための論点

日本が世界に再び羽ばたくための鍵は、実は「エンタメ」にあるのではないか――そんな思いを胸に、SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYAのセッション「エンタメ産業進化論〜日本のエンタメを強くする◯◯の視点〜」を聴講した。
登壇したのは、鈴木おさむ氏(スタートアップファクトリー代表/脚本家)、中田悠介氏(アソビシステム株式会社 代表取締役CEO)、そして高田哲朗氏(株式会社アカツキ 共同創業者・代表取締役CEO)の三名。
番組・音楽・ゲームという異なるフィールドを代表するプロデューサーたちが、それぞれの立場から日本のエンタメ産業の「現在地」と「伸びしろ」を語り、現場感と構想力の両面から多角的に議論を交わした。
1)市場の現在地と“伸びしろ”──潜在需要の顕在化と時間差消費
そもそも、国内のエンタメ・クリエイティブ市場は約15兆円、世界では約75兆円。その中で日本は依然存在感が大きい。海外売上は現状5.8兆円だが、 経済産業省 の「エンタメ・クリエイティブ産業戦略」での目標は20兆円規模。
伸びしろとしてまず挙げられたのは、海賊版に吸収されている潜在消費の公式化だ。
アニメや漫画はオンライン海賊版で広く視聴/読まれており、これを正規のビジネスに転換できれば2〜3倍の拡大も視野に入るという指摘があった。さらに、若年層が無償で触れたコンテンツに10〜20年後に金銭を投じる“時間差消費”も成長要因。
課題は、その果実を日本企業がどれだけ回収できるか。グローバル展開力、権利処理、収益化設計を磨かない限り、伸びしろは他国やプラットフォームに吸われかねないという危機感が共有された。
2)アニメ×音楽の相乗効果──言語の壁を越える導線設計
コロナ明け以降、日本人アーティストの海外展開が増えている。中でも、アリーナ級の動員が見えてくると、その売上は一気に跳ねるとの実感が語られていた。
その海外展開のきっかけとして挙げられたのは、アニメを原作にキャラクターや音楽が連動し、一体となって世界のチャートに入り込むようになった最近の動きだ。アニメのライブイベントでは、20代の親世代が子どもと一緒に訪れるケースも増えている。
ゆえに、夜に一人で参加という今までの流れにとどまらず、昼間に、親子で参加するなどの現象が見られそうだと指摘しており、捉え方が多様化しているように思う。
一方で、音楽単体でのグローバル展開には、いまだ言語の壁や発音といったハードルが立ちはだかっている。だからこそ、ここで鍵になるのは、アニメ/映画からの導線づくりと、カラオケなど日常動線で“歌われる曲”を戦略的に設計すること。そこを強調していた。
ライブで盛り上がる曲と国民的ヒット曲は別物だという前提で、両輪を作る。つまり、その両面を用意できてこそ、その歌い手に脚光を浴びる。
その中で、テレビ露出は必須条件ではないが、認知の最後の押し上げとして依然有効、という現場感覚が共有された。
3)「黄金期」をどう捉えるか──90年代の熱量と今の市場規模の差
黄金期とはいつを指すのだろう。過去を振り返れば、テレビ・バラエティやドラマは90年代中盤、制作費が潤沢で“お金が回っていた”時代があり、音楽はCDミリオンが続出。ゲームでは日本勢がコンソールを席巻し、漫画雑誌は週刊で驚異的な部数を記録した。
こうした“体感的黄金期”の一方で、市場規模の数字としては今が最大であり、これからを黄金期にできるという視座も提示された。つまり、ここをどう捉えて、新時代の黄金期を、過去とは違う定義で具現化できるかということになる。
その差を改めて考えると「生活への入り込み方」と「投資の質」ではないかという話である。
昔は少数の大きな打席に集中投資できた。だが、現在は供給過多とメディア分散の中で、注目の取り方が根本から変わった。過去の成功体験を参照しつつも、今の土俵で勝つための設計(導線・KPI・作品群のポートフォリオ)が問われるというわけである。
4)マーケティングの再設計──視聴率依存の負債とコミュニティ起点
その意味で言えば、テレビは今こそ考え方を一新すべきだと指摘があった。日本のテレビ業界は、マーケティングへの意識が極めて薄い。長年、視聴率を主要指標として広告取引が行われてきた結果、コンテンツの多様性が損なわれてきたという。
たとえば、個人視聴率への移行が遅れ、F3(50歳以上)層を重視した編成が続いた時期に、若年層のテレビ離れが進行した。そもそも視聴率の「率」とは何を指すのか。100%は何人を意味するのか――その定義の曖昧さも指摘された。
一方、YouTubeなどの配信プラットフォームでは、再生数や視聴時間といった“実測のKPI”が可視化されている。映画・配信・音楽の世界は、すでにそれらの指標で動いている。ただし、国内では少子高齢化が進む中で、シニア向けコンテンツの供給が多く、たとえヒットが生まれても「バズりのアルゴリズム」にシニア層が乗りにくいという歪みもある。
つまり、マスメディア・ファーストの時代は確実に転換期を迎えている。
いまはむしろ、小さなコミュニティが無数に存在し、どのクラスタに“刺す”かで拡散の初速が決まる。重要なのは、まず打席に立ち、数字を検証しながら、自らの発信がどのクラスタを形成できるかを見極めていくことだ――そんな“ごく当たり前”の行動が、あらためて求められている。
5)民主化がもたらす競争──インディの台頭、パブリッシャーの役割
そう言う時代にあっては、YouTube/TikTokで誰もが発信者になり、ゲームでもApp StoreやSteamで個人・小規模チームの参入が進んだ。
インディゲーム発の話題作から映像化へと広がる動きも目立ち、パブリッシャーがレーベルのように“拾い・増幅する”機能を果たしている。
かつては制作と発信が一体で動いていたが、いまや個人クリエイターが作品を生み出し、パブリッシャーがその拡張や展開を担う――そんな分業が定着しつつある。
代表的なのが、インディー発のホラーゲーム『8番出口』だ。開発を手がけたのは個人クリエイターだが、配信・展開を担ったパブリッシャーがIPとしての価値を高め、映像化や映画展開へとつなげている。
つまり、「つくる人」と「広げる人」が異なるからこそ、作品の可能性が広がるという構造が生まれつつあるのだ。ただし、供給過多の中で、人件費という概念の薄い個人と、制作コストを抱えるスタジオでは構造がまったく異なり、競争は激化している。
国内市場だけを見ていては、やがて削り取られる――だからこそ、初めから“世界で見られる設計”でメリットを取りに行く必要がある。プラットフォームが巨大な重力源となる今、宣伝・配信・メディアミックスを含めた総合戦略を、インディでもプロでも早期に構築することが生存条件になっている。
6)“産業化”の壁──資金、人材、そしてIPは誰が作るのか
一方で、資金調達の受け皿が極めて慎重であるという構造的な問題も指摘された。
「面白くなってから相談して」と言われる頃には、すでに制作の体力が尽きている──そんな現場の現実がある。結果として、潤沢な資本を持つ大手企業からしかヒットコンテンツが生まれにくい状況が固定化されつつあるのだ。
その意味で、従来型の資金調達モデルには明確な限界がある。
エンタメを“産業”として持続させるには、ファンドやアライアンスの形成が不可欠だが、現状では受け皿となる組織や人材が圧倒的に足りていない。議論の中で特に印象的だったのは、「IPはプロデューサーが作るものではなく、クリエイターが作るもの」という原則だ。
熱狂的な世界観を自走させる作り手に、早期かつ小口でリスクマネーを届ける仕組みが乏しい。「面白くなってから来て」と言われる間に、次のチャンスは他国に奪われていく。
投資のリスク・リターンは“−100%から稀に万倍”という極端な分布をとるため、収益の安定資産と抱き合わせた設計(たとえば不動産やテーマパーク型の二次収益)を組み合わせる議論も出た。
要は、点のヒットに頼るのではなく、構造として“面”で支える産業オペレーティング・モデルが求められているのだ。
7)デジタル/AI時代の“物語”──プラットフォーム化とリアルの価値
FortniteやRobloxのように、“ゲーム版YouTube”とも言えるサービスが台頭している。誰もがゲーム空間を自ら創り、公開し、収益化までできる――そんな「遊びながら創る時代」が到来した。映像の世界でYouTubeが発信を民主化したように、FortniteやRobloxは“ゲーム開発の民主化”を進めているのだ。
一方で、生成AIは制作の速度と生産性を飛躍的に押し上げる存在として語られた。ただ重要なのは、AIは「60点を80点に引き上げる道具」ではないということだ。 むしろ、人が自らの経験と才能で積み上げてきた“100点”を、120点へと磨き上げる“補強装置”なのだ。
AIが価値を与えるのは“苦手の補填”ではなく、“得意の深化”。人が積み重ねてきた思考や体験、その人にしかない感性にAIが触れるとき、単なる生産性ではなく、表現そのものの質が変わっていく。
だからこそ――本当に自分の手で積み上げてきたもの、つまり“リアルな熱量”の価値が再び浮かび上がっている。ライブ・舞台・実写スタントのような、身体と時間を伴う表現こそが、テクノロジー時代の光を放つ。
結章:日本のエンタメが持つ三つの強み
面白かったのは、デジタルを追求する大阪万博の熱狂を高めたのは、落合陽一さんの言葉を借りて、“オールナイト開催”という偶発的エピソードであったということ。つまり、デジタルで拡散していくのは、結局“人と物語”そのものなのだ。
そんななかで、あらためて考えさせられたのは、いま日本のエンタメ産業のどこに強みがあり、そして「つくる」ということにどう向き合えばいいのか、という問いだ。
聞いていて納得したのは、バラエティ制作に象徴される“きめ細やかさ”。限られた時間と予算の中で、編集・演出・構成が緻密に連動する。笑いの間合い、音の抑揚、テンポ──その職人芸の積み重ねが、日本のコンテンツ全体の完成度を底上げしてきた。
テレビなどでもその力は随所に発揮されてきたが、時代の流れの中で、少しずつ“噛み合わなくなっている”のも事実だ。だからこそ、世界に通用する新しい表現を日本から再び生み出すためには、この「きめ細やかさ」をもう一度、現代のフォーマットに結び直す必要がある。
そしてもう一つ、環境的な要素として強調されたのが、文化的な“寛容さ”だ。授業中に漫画を描き、放課後にギターを弾いても、社会はそれを咎めない。“ちょっと変わった子”が才能として受け入れられる。
この「型からはみ出すことを許す社会的余白」こそが、創造性の土壌であると。そしていま、その進化がテクノロジー・AI・グローバル化によって、再び世界へと羽ばたこうとしている。
──その根底にあるのは、いつの時代も変わらない「人の想像力」だ。
今日はこの辺で。







