専門家の知を、全員の力に──メルカリが描く“AIエージェント時代”の働き方

あらゆる価値を循環させ、人の可能性を広げる──。メルカリが掲げるミッションを実現する鍵は、「社員一人ひとりがデータを自在に使いこなせる状態」にある。これまで専門家だけが扱っていたデータ分析の世界を、AIエージェントによって“全員の能力”に変えていく。その挑戦の最前線を、Google Cloud AI サミットでメルカリの山田直史氏が語った。
「専門家の仕事を、全員の力へ」──データが広げる人の可能性
企業の中では、データ分析やレポート作成など、専門知識を要する業務が多い。かつてのメルカリも例外ではなく、KPI分析ひとつ取っても、担当者がアナリストに依頼し、数日から数週間待たなければ結果を得られなかった。
山田氏が目指したのは、その“専門家への依存”をなくすこと。
「SQLを書ける人は社内にもいましたが、データ構造まで理解するのは難しかった。誰もがデータを武器にできるようにしたかった」と語る。
ここで言うSQL(エスキューエル)とは、「データベースに質問をするための言葉」だ。
SQLってなに?
たとえば「昨日の売上はいくら?」「返品が多い商品は?」といった問いを、コンピューターに伝えるための“共通語”がSQL。専門家はこの言語を使って、大量のデータの中から必要な情報を引き出していた。
例えば、
- SELECT category, COUNT(return_id)
- FROM orders
- WHERE return_flag = TRUE
- AND created_at BETWEEN …
・・・みたいなクエリを人間が書いていたわけだ。
つまり、SQLを使えるかどうかが、データにアクセスできるかどうかの分かれ道だったのだ。これは専門家と素人に大きな壁を産む。だから、その壁を取り払ったのが、メルカリの挑戦である。これまで専門家だけが扱えた分析を、AIが“通訳”のように橋渡ししてくれるようになった。
社員はAIに自然な言葉で「この商品の売れ行き、最近どう?」。そう尋ねるだけで、AIが裏側でSQLを生成し、数分でレポートを作成してくれる。
つまり、「専門知識がなくても、自分の手でデータを動かせる時代」が始まったのだ。
「チャット」と「ディープリサーチ」──AIとの関係性を選べる
メルカリが社内で活用しているAIエージェントには、「チャット」と「ディープリサーチ」という2つの使い方がある。すでにその画面には「チャット」と「ディープリサーチ」のタブが存在。スタッフが質問したい内容に応じて、どちらかを選べばいい。

「チャット」はAIと会話を重ねながら一緒に考えたいとき。質問を少しずつ変えながら、ディスカッションを通じて結論を導いていく“対話型”だ。一方の「ディープリサーチ」は、テーマを丸ごとAIに託す“調査型”。人が問いを投げかけると、AIが自ら深掘りして答えを導き出す。
「返品の原因を探る」──シンプルな問いの裏で動く仕組み
デモでは、山田氏が「ディープリサーチ」を選び、こう話しかけた。
「最近、返品受付が大変なんだけど、理由わかる?」
それは驚くほどシンプルな問いかけだった。でもAIが即座に答えを導き出せたのは、社内に“データの地図”が整備されているからだ。
「地図」があるから、AIは迷わない
この「地図」とは、社内のデータがどこにあり、どう繋がっているかを示した設計図のこと。メルカリのデータチームが、AIが迷わないように「返品」「注文」「顧客」「配送」など、データ同士の関係性を整理して定義している。
たとえば「返品」という言葉が出てきたとき、AIはその地図を参照して「returnsテーブル」を探し出す。さらに「原因」という言葉を受け取ると、関連しそうな「orders」「shipping」「users」といったテーブルを自動で突き合わせる。
社員は何も指示を出していない。
要するに、本来は何らか明確な指示が必要なものを、スタッフの漠然とした言葉でも解決できるように促せるのは、AIがそのキーワードを読み取って、然るべき言葉へと置き換えて、“翻訳”してくれているからなのだ。
AIは、“社内のデータ構造”を理解している状態で動いているため、自然な質問からでも最適な分析ルートを選び取れるのである。
つまり、「シンプルな問いに深い答えが返る」背景には、データチームによる人間の努力と設計があるのだ。
「地図」と「問い」が噛み合うとき、AIが力を発揮する
この構造があるからこそ、社員は漠然とした疑問をそのまま投げかけられる。繰り返しになるが、AIはその中からキーワードを抽出。「返品」「顧客」「配送」などの言葉を地図に照らし合わせて、どの棚(テーブル)を見れば良いかを判断する。
つまり、
“漠然とした質問” × “意味づけされたデータ地図”=的確な分析結果。
メルカリのAI活用は、社員の感覚的な問いを、組織全体の知として循環させる仕組みになっている。これが「専門家の知を、全員の力に変える」仕組みの本質だ。
「AIは“生きているデータ”とつながっている」──リアルタイムに学び続ける環境
さらにAIは、社内に保存された“静的な情報”を扱っているわけではない。
BigQueryやGoogleスプレッドシートといったリアルタイム更新されるデータソースに常時アクセスし、新しい数字や記録が追加されれば、それを即座に参照できる。常に最新の情報(あるいは特定磁気の情報)で、それを解析できるのは、社内データの地図がしっかりしているからこそ。
AI自身がデータを抱え込むのではなく、「どこに、どんな情報があるか」を理解したうえで、必要なときに取りに行く。そのため、返品率が急上昇したり、あるキャンペーンで特定顧客の行動が変化した場合も、AIがいち早く検知できる。
山田氏の言う「人が思い立つ前にAIが動く」という未来像は、この“生きたデータ”との接続があるからこそ実現する。AIはもはや、ただの分析ツールではなく、「社内の変化を観察する仲間」として進化しているのだ。
「プッシュ型AI」へ──問いの履歴から“次の行動”を促す未来
そして山田氏が示した「プッシュ型AI」とは、この仕組みのさらに先にある未来だ。たとえば、社員が過去に「返品の原因は?」と質問した記録があれば、AIはその履歴をもとに「今週、返品率が3%上昇しました」「先週より配送エラーが増えています」といった情報を先回りして通知できるようになる。
つまり、社員が動くのを待つのではなく、AIのほうが状況を理解し、行動を促す存在になる。それが「プル型(聞かれて答える)」から「プッシュ型(先に知らせる)」への進化だ。
AIが社員の“思考の文脈”を学び、過去のやり取りや業務パターンを踏まえて動き出すとき、企業全体の生産性は大きく跳ね上がる。
山田氏の描くビジョンは、その「問いの履歴」さえも資産化する世界への挑戦なのだ。
「AIが働き方を変える」──データが“人の力”を引き出す
AIエージェントの導入によって、メルカリ社内ではすでに変化が起きている。社員が思いついた疑問を即座にAIに尋ね、答えを得られる。
専門家の手を借りず、企画職やマーケティング担当者が自らデータを分析し、意思決定を早めるようになった。山田氏は言う。
「AIは人の仕事を奪う存在ではなく、人の“考える時間”を取り戻す存在です。
誰もがデータを使ってアイデアを形にできる──その環境を整えるのが、AIエージェントの役割だと思います」。
メルカリが描くAIの未来は、単なる効率化ではない。それは「人を信じ、人の力を拡張する」ためのAI。社員が発した一つの問いが、組織の知へと還元され、やがてAIがその知をもとに次の行動を提案してくれる。
山田氏が見せたのは、“AIが働く”のではなく、“人とAIが共に考える”未来。
そこには、テクノロジーが人間の可能性をそっと後押しする優しいビジョンがあった。
今日はこの辺で。
 
       
             
             
             
             
             
             
        






