最強のエンタメは「超歌舞伎」から。 技術革新は感動を深掘りする 2023
いつも僕らを圧倒し、熱狂の渦へと誘う「超歌舞伎」。これを見るべく「ニコニコ超会議2023」が開催される幕張メッセへやってきた。期待に応える、圧巻の演技を見せてくれたのはいうまでもない。だが、今回はその舞台裏について迫れたらと思った。超歌舞伎は「powered byNTT」と銘打たれていて、この舞台を通して、NTTの技術がアップデートして、その進化の一端を見ることができる。世知辛い世の中だからこそ、価格ではない価値を追い求めることができないかと思ったのだ。それは、デジタルと共にエンタメの魅力を高めて。
超歌舞伎とは?
「超歌舞伎」は中村獅童さんと初音ミクの共演によって成り立つリアルとデジタルを超えた歌舞伎である。初音ミクの部分は3Dで描かれ、舞台上にいるかのような錯覚を覚える。
歌舞伎の躍動感あふれる演者の動きは、初音ミクのそれと見事にマッチしている。これは役者の実力だと思う。調和しているからこそ、もはや歌舞伎でもないオリジナリティ溢れる舞台ができる。
今回のタイトルは「御伽草紙戀姿絵」。興味が湧いた方は、アーカイブも観れるので、そちらで観てもらうとして、今回は儚い恋の話。そこには色々な人の想いが交錯している。だからこそ、その心情の動きを歌舞伎は丁寧に、鮮やかに表現していく。いうなれば、その人間臭さが漂う世界が歌舞伎である。
その素地は大事にしながら、初音ミクが絡むから超・現実であり、超・非現実。嗚呼と鑑賞に浸りつつもライブ感もある。ご覧の通り、多くの人がここに駆けつけ、ペンライトを振って観劇する。
日本でも、歌舞伎でペンライトが振られるのはこの場だけであり、観客と演者の一体感は、この催しの真骨頂である。この日も、観客席に声をかけ、そして韓国から来たファンの方の夢を中村獅童さんが披露した場面は印象的であった。
韓国で「超歌舞伎」に感激して、それを日本に見にくるようになり、そして今や日本語を覚えて、「超歌舞伎」を韓国でも開催したいという夢である。想いがあり、夢がある。
デジタルと伝統の融合
当初は、デジタルと日本伝統の掛け合わせだけに、いろいろ意見が分かれたと想像する。デジタルを自然に取り込みながら、中村獅童さんは演者側の先頭に立ってそれを思案した。そして完成させたのが、この「超歌舞伎」であるから、もはやもう一つの文化である。
今や、それらは単なるデジタルと伝統の融合にとどまらず、挑戦の場となっている。開催されるたび、それはブラッシュアップされ、技術革新の一端を見ることができる。
冒頭、ステージ上に現れたのは、二人の中村獅童さん。片方は本物(当たり前か)で、もう一体はAIによって生まれた「中村獅童ツイン」である。
これは、まだ進化の過程。歌舞伎の中には登場せず、その紹介に留めたけれど、“聖地”である幕張メッセで公開するのは、これが初。デジタルがリアルと変わらぬ世界を表現するところまで、あと一歩。そんな企業の夢を来場者に印象付けた。
中村獅童さんが実際に喋っているように見える。だが、これのための収録は行なっていない。中村さんが話したことのない言葉を、自動であたかも喋っているように見せる技術である。従来であれば、それ専用に「あ」から「ん」まで言葉を収録して、それを具現化させていたものだが、“電話屋”NTTは「それは過去の話」と胸を張った。
デジタルは超歌舞伎を機にアップデート
このテクノロジーのディレクションはNTTが行なっている。大きく分けて、2つの要素が「中村獅童ツイン」の実現に寄与している。まずは、最新鋭の音声合成。そして身振り手振りの自動生成。これら二つによる合わせ技だ。
中心はとなるのはAI技術「Another Me」である。
まずその人らしく声を出すために着目したのは「声色」と「発話の仕方」。これらを2つに分け分析して、AIを用いて、合成技術に繋げる。すると、自然にその人が話しているかのような会話を再現できる。この素材となるのが中村獅童さんの声。しかも上記の通り、時間は少なくて良い。わずか2分だ。
一方で、「身振り」と「手振り」の自動生成も働いている。こちらもわずか5分だけ、動画素材があれば、良い。あとは、AIを用いれば、その与えられた言葉に対して、その人に相応しい身振りをつけてくれる。
つまり、音声合成で中村獅童さんのメッセージを再現し、それをこの技術に当てはめたことで、中村獅童ツインが完成した。中村獅童さんと瓜二つの存在が、気の利いたコメントを繰り出す。
一つ一つの工夫が結集されて、リアル以上のイリュージョン空間を作り出すのが「超歌舞伎」。そして、それを契機に、技術も進化する。更には「超歌舞伎」のこれまでがそうであるように、演者と観客が一体化し、その融合はまた新しいファンを呼び込む事になる。
デジタルの進化の裏にはいつもリアルがある
とはいえ、NTTのやっている事はデジタルだけを見る事ではない。リアルをどれだけテクノロジーで補完できるかという事だ。この日、「中村獅童ツイン」とあわせて紹介してくれた「オープンイヤー」という技術に関しての話を聞かされて、僕は、その想いが確信へと変わる。
スピーカーとは別にイヤホンを使って、自分の耳元から別の音を出すというもの。例えば、雲が出てくるところで“もがく”ような微妙な音はそちらで再現するのだ。正規のスピーカーから耳にするよりも、そのイヤホンから聞こえた方が音の遠近感が、臨場感を高めて、観客の没入感が増す。
「リアルをより、リアルな場面に。」とでもいおうか。
昨今、デジタルが躍進して、利便性の面からのアプローチはよく聞かれる。現に、この「超歌舞伎」も、家に居ながらにして「ニコニコ生放送」で全国どこででも見ることができる。
リアルにこそできる感動はここから
しかし、その一方で、彼らはリアルで何ができるかを考えている。それがこのニコニコ超会議の真骨頂である。実は、これから打ち込むべきはそこではないか。エンタメこそ、付加価値を高められる究極の素材。安さで争うより、感動の深掘りをしよう。
リアルのもたらす付加価値をどれだけ高められるかを、リアルとデジタルの両面が追っている。それを一番強く、魂として感じるのが僕にとっては「超歌舞伎」というわけだ。
嗚呼、これは人たる所以。そう思える脚本は、時代を超えて伝わるメッセージ。そういう大元は決して、熱量を失うことなく、歌舞伎は伝える。一方で、そこにテクノロジーを持ち込むことで、よりドラマチックになる。また、初音ミクのファンが歌舞伎という魅力に触れて、ファンになって、それが新しい世代を呼び込む。テクノロジーとはいえ、歌舞伎に流れる、人の儚さ、弱さ、でも、まっすぐな気持ちとそれがもたらす人情と感動の進化版なのだ。
天晴れ「超歌舞伎」。次は、ペンライトを持って行こうかな。今回もありがとう。
今日はこの辺で。