シュルツの漫画に生きた人生 かけがえのない「PEANUTS」スヌーピーミュージアム 刷新によせて
必需品ではなくても、心に届くことで、人間を奮い立たせるだけの掛け替えのないものになりうる。それが、コンテンツの価値である。「ただ漫画家になりたかった」。スヌーピーの生みの親であるチャールズ・M・シュルツは、そう語る。けれど、その漫画がどれだけの人の人生を変えてきたのかと思うと計り知れない。彼が手掛けた「ピーナッツ」作品と歴史の集大成である、シュルツ美術館の世界唯一の公式分館、南町田グランベリーパークの「スヌーピーミュージアム」。同美術館が刷新されたというので、居ても立っても居られず、訪問してきた。
愛らしく、スヌーピーのエントランスがお出迎え
まあ、なんと愛らしいことか。入口では、大きく口を開けて、スヌーピーのモニュメントがお出迎え。それこそ、漫画でのスヌーピーのよう。のんびり、体を伸ばして、くつろぐ、穏やかな空気感が伝わってくる。これぞミュージアムの醍醐味だ。
「ピーナッツ」ならでは。子供だけの賑々しい感じは入り口から始まっている。雲のような形をしたミラーが天井に。そこに描かれているのが“ピーナッツ・ギャング”。漫画の仲間たちについて親しみを込め、本国アメリカでそう呼んでいる。駆け回る姿が伝わってくるではないか。
歴史を紐解けば作品の奥深さも見えてくる
思えば、「ピーナッツ」の前身である「リル・フォークス」が誕生したのが1947年。その3年後には、「ピーナッツ」の連載を開始していた。ミュージアム出口付近にはショップがあって、そこで購入した文庫本を読みながら、その歴史ある過去を慮った。
当時は、徐々に大衆に新聞が浸透する時代。多くの人の目に触れる新聞などで掲載されたのが、大きかった。
作者チャールズ・M・シュルツが生誕したのが1922年。その後の幼少期、父カールと母ディナと一緒に映る写真には、愛犬がいる。実は、これがスヌーピーのアイデアの元になっている。
漫画を読んでいると、しみじみ思う。日常にある人間模様を、子供の世界だからこそ愛らしく表現している。だから、共感とともに、読む人を笑顔に変えている。今から、何十年前の話なのに、さすがだと思う。
そもそも、このミュージアムではそういうシュルツ自身の歴史にも触れられていて、僕はそこにも立ち寄ったけど、彼の人生観が漫画にも反映されていて、素敵だ。
彼が漫画を描き続けることができた理由。それは、自身の人間観察力であることは言うまでもない。そして、それに基づく表現力に感化されたファンの人のおかげだろう。この両方なくして、この作品の成功は、おそらくない。
ファンと共に「PEANUTS」は育まれた
だから、刷新されて新たに用意されたこの場所にも納得できた。そこは「スヌーピー・ワンダールーム」と呼ばれ、ヨーロッパでいう、王様のコレクション部屋という言葉からもインスピレーションを受けた。
ファンが実際に持ち寄った、ぬいぐるみや雑貨などが山積みされている。年季の入った代物でありながら、保存状態が良くて、ファンの愛を感じる。まさに、ファン一人一人の垂涎の宝物と言ってよく、「ピーナッツ」の歴史とファンの愛情の深さを感じさせる“部屋”なのである。
また、そことは別フロアで「旅するピーナッツ。」という企画展も行われていて、そこにもファンの声が見え隠れする。興味を惹かれたのは、ファンの声が「ピーナッツ」のストーリーを動かしていたという現実。
そもそも、ピーナッツは子供達がごくありふれた日常を過ごす姿が描かれている。けれど、稀に、旅に出るシーンがある。「旅するピーナッツ。」はそこに光を当てたもの。エッフェル塔など、キャッチーな表現も多くてアート性の高い企画展でもある。
時代背景を踏まえ、シュルツは作品に愛を込めて
だけど、この日、クリエイティブ・ディレクターの草刈大介さんとシュルツ美術館&リサーチセンターのベンジャミン・L・クラークさんから説明を受けて、感慨に耽った。この旅のワンシーンで、歴史的な意味を持つキャラクターも出てくると述べていて、それが「フランクリン」のデビューである。
1968年、アメリカでは人種問題が揺れ動いていた時代であり、そんな折、ファンからこんな便りが届いた。
「黒人キャラクターを出してみてはどうか」。
その意図はこうだ。そういう時代背景にあって、アメリカのごく一般的な家庭の子供が、他の人種の人と交流を図る姿が「PEANUTS」に描かれること。それは歴史的にも意味のあることだと。
実際、それまで、黒人キャラクターは、人種差別を受けるような形でしか、描かれたことがなかった。自ら影響を受けたファンだからこそ、PEANUTSの存在意義を込めて、提案した熱烈な“ラブレター”である。その手紙の内容にはシュルツもうなづき、行動へと駆り立てた。自然な形で、登場させようと。
黒人キャラクターの扱い方、登場のさせ方
とはいえ、シュルツ自身もその表現に迷った。この様子もまた、作品への想い、未来に必要な価値の両方を慮った素敵なエピソードである。結果、アメリカでは馴染み深い、ビーチで出会うことで、自然にその場面を作り上げた。
まさに、漫画そのものもドラマであるが、その舞台裏もドラマチックな側面を窺わせる。そこに光を当ててこそミュージアムである。コンテンツが為すべきことって何だろう。改めて、僕は、その展示内容を食い入るようにみてしまった。
こうやって作者自身も色々思いを巡らせている。それは、人々にとって掛け替えのないものを作り出す所以だろう。常にその時代を生きる人の心に寄り添う。そこにはきちんとした自分の考えも踏まえている。だから、それは、世の中を変えていく一歩となる。フランクリンは著名なキャラへと成長を遂げた。
50年、漫画を描き続け、共に歩んできたわけで、シュルツは漫画に生きた人生である。それゆえ、彼自身の人生を踏まえて読むと、また、より深みを増して受け止められる。
没入感に浸れる演出の数々
その演出は細部にも宿る。その1日1日すらも価値となるのだ。彼は、殆ど休まず17000点を超す作品を描き続けた。だからこそ、来場者が入場したその日に発表された作品を込めた「スペシャルコミックチケット」(1日4種類、ランダムで)を、この刷新を機に配布することになった。
こういう作品の奥深さを味わうとともに、立体的な演出でもたのしませてくれる。それが「スヌーピー・ルーム」であり、抜け目ない。
すやすや眠る巨大なスヌーピー。そのオブジェを眺めていたら、急に暗転して、スヌーピーのシルエットが浮かび上がって、来場者を驚かせる。映像と光と音楽を掛け合わせることによって生まれる、ファンタジーな空間は、没入感を高める。
写真のシルエットは、どことなく得意げな様子ではないか。その遊び心が垣間見えるところに、漫画のシーンがオーバーラップする。
そういう心躍らせる演出は、このミュージアムだけにはとどまらない。その隣「PEANUTS Cafe」でも スヌーピーミュージアムの刷新に合わせて、リニューアル。
原作を彷彿とさせる料理たち
みてほしい。「DRIVE ME CRAZY!アイスプレート」は、コミックの原作に添ったレシピなのだ。チャーリー・ブラウンが、食べているアイスを、スヌーピーが欲しがって、その末、顔にベチャ!そんなワンシーンをプレート上で表現。
僕らが何気なく、日常で起こりうる、あるある!と言えるような光景。それを子供達と、スヌーピーによる世界によって嫌味なく、微笑ましく伝えるその世界観。それがあってこその「このメニュー」なのだ。
作品へのリスペクトなしには、この料理はない。だから、食べる人にも、これらによってより一層、ストーリーへの関心を深めて、作品へと導くきっかけとなる。
「ビーグル・スカウトのキッズプレート」だってそうだ。
スヌーピーといえば、家でのんびり寝転ぶシーンが印象的である。ミュージアムでもこんな場所があったくらい。
それを連想させる。それでいて、ハンバーグ、ターメリックライス、フライドポテトなど、人気のラインナップにはしゃぐ子供と微笑む親によるあたたかなファミリー像が目に浮かぶ。
作品に育まれた温かさは色々な部分へと派生して
食事すらもエンタメに変えるマジック。チャーリー・ブラウンのジグザグ模様をモチーフにしたマンゴーミルクセーキなども、なんだか、ミルクセーキの上のクリームが、チャーリー・ブラウンのキュートな髪型を連想させる。カフェでありテーマパークのようだ。
もうお気づきだろう。これらは、いずれも、必需品ではない。なくても良いものだけど、なくてはならない理由がある。人々の心を穏やかにし、時には、黒人の話題のように、人にとって大事なことは何かと問う。それも、説教臭くなく、いつもの日常の中で。
それは、奮い立たされたファンによって築かれていることも忘れてはならない。シュルツが描いた、アメリカのごくありふれた日常は、多くの人々にとってかけがえのないものとして、浸透したのである。
あっぱれ、シュルツ。あっぱれ、PEANUTS。その深さに気づかせてくれたスヌーピーミュージアムに感謝を込めて。
今日はこの辺で。
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