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もの書く「仕事」とは。「スロウハイツの神様」を読み思った事。

たまたま、「スロウハイツの神様」という本を読んで、思いのほかのめり込んだ。時間を忘れるほどで、「あっそうか」とかそんなことをぶつぶつ言いながら、その世界に熱狂していたのである。

この本を読んでいて、思う。人間は何かしらで、つまづくけれど、一方で何かしらで救われる。苦しみが大きいほど、そこから救ってもらえた要因は、自分にとってかけがえのないものとなり、それは、苦しかった経験を飲み込んで、人をきちんと前へ駆り立てる。

そして、この中で描かれる、小説、脚本、そうしたものに賭ける人たちの人生を、なんだか自分になぞらえて、こういったものが人に対して、どれだけの価値をもたらすのだろうか、と思いながら、読んでいた。

書くことは価値となる

そして、読み終わった時、僕はそれらは価値をもたらすのだな、という結論に達した。そして、仕事の意味を思い、自分の人生を考えたのである。

僕の話をすると、僕は遡ること、大学時代に、インターネットの掲示板を通して、文章にしてみることの面白さと、人に見てもらうことの楽しさに気づいた。

だから、親が望んでいたような、典型的なサラリーマンではなく、小さな業界紙の記者となった。その選択肢こそ、言い方を悪くすれば潰しの効かないもので、正しかったのか、と思っていたし、将来これで、僕はやっていけるのか、と不安だった。でも、他の何かに秀でたわけではない、というよりは自信がなかったから、これしかない、と思って、記事を書き続けた。

幸いにして、僕は記者で情報収集する中で、自ら企画を発案するようになり、記者と企画者の二足の草鞋で、仕事をするのだけど、なんとなくそれは、仕事をしている実感を伴わなかった。

だから、いつしか、僕は記者としてより、企画者としての方が、世の中をもっと変えられる力が発揮できるのではないか、とそう思って、記者をスパッとやめてしまって、その後、僕はいろいろやって、どれも、そこそこの個性を見せていたように思う。

違うんだ、安易に営業を任せようとすることに抗った

だけど、その規模感では、世の中も変わらないし、新規事業ばかりやるような会社もないから、じゃ、営業やってくれる?と言われる事となる。それが世間をあっと言わせることにつながる大切な経験だと思って、僕はそれを受け入れてきた。だから営業の大事さも理解しているつもりだ。

でも、やればやるほど、僕の描いていた「もっと世の中を変えられる力が発揮できるのではないか」とは、程遠くなっている気がした。独立までするのだけど、長くは続かず、やっぱり自分の提案が世の中を帰るほどのものになっていなくて、うまくいかなくなって、人生の荒波をなかなか乗り切れなくて、燻っていた。

やっぱり、人にはいろんな人がいるから、人それぞれに役目があって、その役目を果たすことこそが、一番、最良なことなのかもしれない。そう思うようになり、僕はまた、メディアの仕事に就きたい気持ちが湧いてくる。まさに、その時の友達とその話をしたことをきっかけに、本当に、またもや、ライターとなるのである。

そしてライターとして、発信者としても脚光を浴びることになった。ものを書く仕事で、また再び、脚光を浴びるなんて思っていなかったから、純粋に、嬉しかった。

より表現者としての色彩を強く、また書いている

そして、今から一年前に至る。僕は、その会社を辞める決意をしたのだ。メディアは伸びたし、認知も上がる中で、会社が会社らしくなってきた。時に、僕が勤めたラストの半年は、編集長の肩書きを持ちながら、メディアを背負い、守ろうという気概で、仲間のために自ら企画を立てて、仲間と共に、営業もして売り歩くことまでしていくうち、疑問が生まれた。

記事を書くことよりも、売ってきて欲しい、という方が強くなる度、ここ何ヶ月と、記事を書く事すらしていない自分がいたからだ。それだけ会社を背負う立場になったのだし、成長したのだと思いながらも、記事すら書くことを求められない、その現実を、自分の人生として、それでいいのか、という思いを強くしたのだ。

だから、辞めた。今、会社が自分に求めていることと、自分が大事にしていることにギャップが生まれていたのだと思う。営業するのが嫌だと言うのではなく、書くことによって世の中を変える為に営業をしているのであって、書くことなくして、営業する事をやれというなら、それは違う。そう思った瞬間、それも後先考えずに、その決意をした。勿論、最大限、最後に言われた売上を僕なりに作った上で、である。

そこから、本当にいろいろ考えたけど、僕が選んだのは、やっぱりメディアであった。ただ、圧倒的に人の心を動かすことをしたくて、やり続けてきた人生であり、それを最優先してきた。だから、結婚だってしていないし、それはどこか、仕事らしきものを最優先させてきたから、なんじゃないかと今更思っている。この人生、少し、後悔しているとすればその部分だ。

自ら行動たらせるほどに書く人生になった

だけど、そこまでしてきた人生なんだ。だから、圧倒的に人の心を動かすためには、どこかの色に染まるのではなく、そのメディアを自分色に染める必要があると思って、なけなしの金で、資本金を作り、会社を立ち上げた。いまだに文章がうまいとは思わないが、心に響く文章を描く自信はついた。

いざメディアをやると言っても、ネットのメディアの構築は不慣れだから、立ち上げまで相当苦戦したけど、今こうして、メディアができて、半年になる。

流石に、無からビジネスを、メディアを生み出すのは至難の技だけど、でも、それでも、僕にお金を預けて、期待をしてくれる企業があって、僕はそこで今、全力でメディアのことを考えて、圧倒的に人の心を動かすために、ずっと向き合っていて、驚くほど、学びも多い。

そこで、何気なく手にした「スロウハイツの神様」なのである。会社を立ち上げてからも、ものを書くというのが「仕事」と言えるのだろうか、という問いはまだ続いていた。

でも、この「スロウハイツの神様」を読んでいて、文章が人の人生を変えることってあるんだな、と思った。それが勿論、フィクションだってわかっているけど、ストーリーで、文章がもたらす価値を実感できたのと、何より、僕もストーリーに感化されている自分がいること自体に、文章を書く意味を思ったのである。

書くことに意味はあり、価値もある

僕は、最初の記者時代から、変わったのは、仕事をするには、人に対価を得られる価値を作らなければならないということを念頭に置くようになった事だ。だから、意味のある文章を書く為に、営業をし、経営もする。価値を生み出したつもりでも、誰もそこにお金を払わなければ、それは「仕事」とは言わないということ。

だから、会社を起こして、そこでお金をもらいながらも、どこか「仕事」できているのだろうかという思いもあったし、その問いに純粋に答えられない自分もいたようにも思う。けれど、れっきとした「仕事」なんだという実感へと変わりつつある。

まだ、圧倒的に人の心を動かすことはできていないけど、僕は絶対に、圧倒的に人の心を動かすために、このメディアをそれだけのものにしていこうと思うのだ。

文章には価値がある。それをこの本で読み、実感しつつ、また、作家とは違うけど、メディアをつくり、記事で飯を食っていこうとするこの自分の「仕事」への向き合う魂は、何か、この本の中と相通じるものがあった。

新卒時代に、記者に不安を抱いていた自分からすれば、嘘のようだが、僕は自分の書いた記事、文章で、ご飯を食べようとしているのだから、人生は本当にわからない。ものを書くことは、僕にとって人の心を動かすだけの十分な価値を持った「仕事」なのである。

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