「書くこと」への原点回帰──辻村深月『スロウハイツの神様』を読んで

ある日、ふと手に取った小説──辻村深月さんの『スロウハイツの神様』。
その物語に、思いのほかのめり込んだ。気づけば、時間も忘れてページをめくり、「あっそうか」と独り言をこぼしながら、僕はその世界に没頭していた。
読書が「編集者としての感性」に火をつけた
もともと僕は、小説なんて読まない人間だった。
でも、コロナ禍で時間が生まれたあの時期、初めて「物語に身を委ねる」時間を持てた気がする。
そして驚いた。小説は遠回りのようで、実はとても直球だった。感受性が濾過され、言葉が心の奥まで沁みてくる。これは、編集者としての僕にとって、大きな発見だった。
「書くこと」には、人生を変える力がある
この物語の登場人物たちは、小説や脚本を書くことで、自分と向き合っていた。読んでいるうちに、僕は自然と、自分の人生をなぞっていた。──人は、何かでつまづく。
でも、何かによって救われもする。その“救い”が、自分にとっての武器になることだってある。
書くことは、まさにそんな武器になり得るんだと思った。
書くことで、生きてきた。だから、今がある
大学時代、インターネット掲示板に投稿したのが最初だった。誰かに読んでもらうことが嬉しくて、夢中で書いた。やがて僕は、親が望んだ道とは違う、潰しが効かないけれど、言葉に生きる道を選んだ。
不安だった。でも、これしかないと思って書き続けた。そして今、再び「メディアをやろう」と決めた僕が、
この小説に出会い、“ああ、やっぱりこれだ”と、心の中でうなずいていた。
最後に──物語の中に、自分がいた
『スロウハイツの神様』は、書く人たちの物語だ。だからこそ、自分の“書くことへの想い”が、登場人物の姿に重なった。読後にふと思った。
書くことには、ちゃんと意味がある。
誰かに届くかもしれないから。
誰かが救われるかもしれないから。
僕は、これからも書いていく。あの物語のように、迷いながら、でも信じながら。