「スロウハイツの神様」辻村深月著
たまたま、「スロウハイツの神様」という本を読んで、思いのほかのめり込んだ。時間を忘れるほどで、「あっそうか」とかそんなことをぶつぶつ言いながら、その世界に熱狂していたのである。
この本を読んでいて、思う。人間は何かしらで、つまづくけれど、一方で何かしらで救われる。苦しみが大きいほど、そこから救ってもらえた要因は、自分にとってかけがえのないものとなり、それは、苦しかった経験を飲み込んで、人をきちんと前へ駆り立てる。
共感を覚えたのは、この中で描かれるのが、小説、脚本、そうしたものに賭ける人たちの人生だからだろうか。それを、なんだか自分になぞらえていた。そういう書くということが人に対して、どれだけの価値をもたらすのだろうか。そんなことを思いながら。ただひたすら、のめり込むように読んでいた。
そして、読み終わった時、僕はそれらは価値をもたらすのだな、という結論に達した。
僕は遡ること、大学時代に、インターネットの掲示板を通して、文章にしてみることの面白さと、人に見てもらうことの楽しさに気づいた。
だから、親が望んでいたような、典型的なサラリーマンではなく、小さな業界紙の記者となった。その選択肢こそ、言い方を悪くすれば潰しの効かないもので、正しかったのか、と思っていたし、将来これで、僕はやっていけるのか、と不安だった。でも、他の何かに秀でたわけではない、というよりは自信がなかったから、これしかない、と思って、記事を書き続けた。
そこから、本当にいろいろ経験して、今また僕が選んだのは、やっぱりメディアであった。そして、文章には価値がある。そう信じて、書き続けている。
書くことの素敵さをこの本で読み、実感しつつ、「書く」への向き合う魂は、この本の登場人物への想いと相通じるものがあったのだ。