完成品の、その手前へ──商談会で出会った四社の話
今月の頭、東京・青山のスパイラルホールで開かれた「ててて商談会2026.9」へ足を運んだ。9月2日から4日までの3日間、全国各地から78組の作り手が集まる商談会である。主催はててて協働組合。「ててて」という少し不思議な名前は、作り手・使い手・伝え手という三つの「手」から来ている。この三つが共鳴し合える場をつくる、というのが組合の掲げる考え方で、実際この商談会も、単に商品を並べて売り買いする場ではない。バイヤーだけでなく、コーディネーターや建築家、デザイナー、ライターといった伝える側の人間が呼ばれている。今年のテーマは「まじわる、つくる、ひらく、ててて。」だった。
会場を回り、名刺を交換し、商品を手に取る。そうやって一日を過ごしていると、頭の中には脈絡のないものが並んでいく。白いTシャツ。焼き海苔。茶色い綿の実。ざらざらした粉。

1.三つの「手」が集まる場所で、僕らはものを「商品」から見ている
一見、何の関係もない。業種も違えば、産地も違う。ところが、あとで取材した時のメモを読み返していて、妙なことに気づいた。どの会社の話にも、商品そのものの説明が、それほど多く出てこないのである。Tシャツを作っている会社は、糸の話をしていた。海苔を売っている会社は、海の話をしていた。服のブランドは、畑の話をしていた。粉を作っている会社は、祖母の食卓の話をしていた。
僕らは普段、ものを「商品」になったところから見ている。色はどうか。味はどうか。値段はいくらか。当然といえば当然で、店に並んでいるのは完成したものだけだからである。だが、完成品というのは、長い工程の最後の一枚でしかない。その手前には、素材があり、加工があり、それを担ってきた人と時間がある。そして、そのほとんどは、商品になった瞬間に見えなくなる。良い仕事であればあるほど、完成品の中へきれいに溶けていく。
今回話を聞いた四社は、いずれもその「溶けてしまう部分」を、あえて表に出そうとしていた。大阪で糸を焼いている会社。福岡で海苔を選んでいる会社。東京で綿を育てている服のブランド。雑穀を粉にして届けている人。やっていることはまるで違う。それでも、話の構造がよく似ているのである。どの会社も、自分たちの商品を説明するために、その手前へ遡っていく。そして遡った先にあるものを、そのまま商品の形にしている。
思えば、それは「伝え手」を呼んでいるこの商談会の性格とも、どこかで重なっている。順番に書いていきたい。
2.綿の糸を、一本ずつ火の中へ通していく
最初に手渡されたのは、一枚の白いTシャツだった。
触ってみると、確かに綿である。けれど、僕らが普段触れているTシャツとは、少し違う。表面が妙に滑らかで、光に当てるとほのかに艶がある。そして肌に触れた瞬間、少しひんやりする。
「これ、糸を火で焼いているんです」
え、焼く?綿の糸をよく見ると、表面には細かな毛羽がある。それが柔らかさや温かさを生む一方で、肌にまとわりついたり、チクチクしたり、熱を抱え込んだりすることもあるという。その毛羽を火で焼き取るのが「ガス焼き加工」である。生地になってからではない。糸の段階で、一本一本をガスバーナーの炎に通す。火が強すぎれば糸そのものを傷めてしまう。弱ければ、毛羽が残る。だから糸の種類や太さ、状態を見ながら調整していく。
この加工を手がける豊田絲業株式会社の公式サイトには、二代目の言葉として「火加減は、目で見るんじゃない。音で聞くんだ」と紹介されている。炎が糸に当たる音まで聞き分けるというのである。そこまでして毛羽を取り除くと、綿の表情が変わる。表面が滑らかになり、自然な光沢が現れる。染めたときの発色も良くなる。目の前にある白いTシャツも、ただ白いのではなく、どこかすっと澄んで見えた。
ひんやりするのにも理由がある。毛羽による空気の層が少なくなることで熱がこもりにくく、肌から離れる際にも空気が抜けやすいのだという。
化学繊維で機能を足しているわけではない。素材は、綿である。何かを加えて機能を作るのではなく、もともとそこにある毛羽を取り除く。それだけで、僕らが知っているはずの綿が、まるで別の表情を見せる。そもそも、この技術の始まりは150年ほど前のヨーロッパに遡るという。当時の憧れの素材はシルクだった。ならば、綿も毛羽をなくせば美しくなるのではないか──そういう発想である。
機能から逆算したのではない。もっと美しい糸にしたい。その結果として、滑らかさや肌離れの良さがついてきたのである。
3.裏方に回った会社が、一度消した名前を持ち出した
面白いのは、この会社の来歴である。豊田絲業は、最初から糸の加工会社だったわけではない。1937年、創業者の豊田林三氏が大阪で縫製場を構えたのが始まりで、戦後には大阪・船場でミシン糸やカッターシャツ、セーターなどを販売する店を展開した。
その頃に生まれた自社ブランドが「HIMARAYA LION」だった。つまり彼らはもともと、完成した服を作り、売る側にいたのである。
その後、1959年にミシン糸製造へ販路を広げ、1975年にガス焼き加工を始める。1988年には高速ガス焼き機を導入し、1998年に現在の大阪府南河内郡河南町へ工場を移した際には、ミシン糸の製造を縮小して、ガス焼き加工へ力を注いだ。
気づけば、仕事の主戦場は商品の表側ではなく、そのずっと手前へ移っていた。
ところが、世の中は逆方向へ進んでいく。化学繊維が生まれ、薬品による加工が進化し、アパレルは大量生産へ向かった。一本の糸にこれだけ手間をかける工程は、当然、減っていく。かつて各地にあったという仕事は、今では国内でもごくわずかになったという。
効率を求めたからこそ、僕らは安く、便利に服を買えるようになった。その裏側で、なくなっていった仕事もあるのである。そしてもう一つ、裏方には裏方の難しさがある。
アパレルブランドの服を手に取っても、その糸を誰が加工したのかまでは普通わからない。良い仕事をすればするほど、完成品の中へ溶けていく。商品を持たず加工技術だけを紹介していても、出られる展示会は限られるという話も出た。
技術を残したい。でも、そもそも知られていない。そこで持ち出したのが、かつて自分たちが持っていた「HIMARAYA LION」だった。新しいブランドをゼロから作ったのではない。一度消えた名前に、その後何十年も磨いてきた技術を載せて、もう一度世に出したのである。
昔へ戻ったのではない。89年の時間を連れて、戻ってきたのだ。
4.海の中に「畑」がある。海苔漁師だったから見えているもの
次は、海苔である。海苔というと、どんな姿を思い浮かべるだろう。おにぎりに巻かれていたり、朝食の端に添えられていたり、ふりかけの中に細かく入っていたり。いつも身近にいるのに、海苔そのものについて考えることは、それほど多くない。
「海苔畑って、海にいきなり出てくるんですか?」
江の浦海苔本舗の話を聞きながら、僕はそんなことを聞いてしまった。日頃から食べているにもかかわらず、海苔がどう育ち、どう収穫されるのかを、ほとんど知らなかったのである。海には網が張られ、そこに海苔が髪の毛のように伸びていく。それを船で摘み取る。
だが、一度摘んだら終わりではない。また伸びてきたものを摘む。それを繰り返す。同じ網から何度も収穫され、多いものでは10回ほど摘み取ることもあるという。
さらに海苔は、潮の満ち引きの中で育っている。海水に沈んでいる時間もあれば、潮が引いて空気に触れる時間もある。ずっと同じ環境に置かれているわけではない。その変化、言ってみれば適度なストレスが、海苔のおいしさにもつながっていくという。
江の浦海苔本舗の背景には、そうした海を知る経験がある。もともと海苔漁師として、自ら海苔を育て、海と向き合ってきたからである。そして、その中でも最初に摘み取られるものを「一番摘み」と呼ぶ。若く柔らかいうちに摘まれるため、口溶けがよく、香りや旨みも感じやすい。同社は、この一番摘みを商品の軸に据えている。
ここでも構造は同じである。
商品を見ただけでは、その背景まではわからない。けれど、一枚の海苔ができるまでを知ると、話が変わる。僕らが何気なく口にしている薄い一枚の向こう側には、潮が満ち、潮が引き、また海苔が伸びていく時間がある。ここで売られているのは、単に加工された海苔ではない。海を知っている人が選んだ海苔なのである。
5.産地名ではなく、選ぶ目。そして「ふりかけ」ではなく「海苔かけ」
面白かったのは、「福岡産だからいい」という単純な話ではなかったことである。もちろん地元の海苔は大切にする。だが、自然を相手にしている以上、毎年同じように良い海苔が採れるとは限らない。福岡で十分なものが採れなければ、佐賀や熊本など、有明海の他の産地にも目を向ける。
最後にものをいうのは、産地名ではなく、実際に海苔を見て選ぶ目である。社長自身が目利きをして、商品に使う海苔を決めていくという。魚屋が魚を見るように、八百屋が野菜を見るように、海苔にもプロにしか見えない違いがある。
その片鱗が、雑談の中で少し見えた。ホテルなどで朝食に海苔が出てくると、つい品質が気になってしまうらしい。家族で食べながら「ああ、これは……」などと話してしまうこともあるという。ホテル側からすれば、まさかそんな目で一枚の海苔を見られているとは思っていないだろう。ちょっと恐ろしい。
でも、それだけ日々の基準が違うのである。「一番摘み」という言葉以上に価値があるのは、その違いを見抜ける人が選んでいるという事実の方かもしれない。その海苔を使って、焼き海苔、味付け海苔、塩海苔などが作られている。中でも妙に引っかかったのが「海苔かけ」だった。
最初は、ふりかけの一種だと思っていた。ところが、少し違う。
一般的なふりかけなら、さまざまな具材が入っていて、その一つとして海苔がある。でも、これは逆なのである。一番上に来るくらい、とにかく海苔がたっぷり入っている。だから「ふりかけ」ではなく「海苔かけ」。言葉遊びではなく、商品の主役が違うのだ。有明海苔は口溶けがよいため、たくさんご飯に載せても食べやすい。そのままかけてもいいし、お茶漬けにもできる。納豆を組み合わせた商品では、粒感のある納豆を選ぶなど、合わせる側にもこだわっている。
新しい味を足して目立たせたのではない。脇役だと思われていた海苔を、真ん中へ動かした。それだけである。
6.Tシャツになる前、綿は植物だった
三社目は、服のブランドである。「余白」という。Tシャツを見ていて、その原料がどんな姿をしていたのかまで想像することは、あまりない。ところが「余白」のTシャツを前にして話を聞いていると、時間が少しずつ巻き戻っていく。縫製の話でもなければ、生地の話でもない。その前である。
見せてもらったのは、日本の和綿、その中でも茶色い綿をつける「茶綿」だった。一見すると、園芸店に置かれていてもおかしくない植物である。花が咲き、実がなり、その殻が弾ける。すると、中から僕らが知っている「綿」が現れる。当たり前なのだけれど、改めて見ると不思議である。「綿100%」という文字だけで見ていたものは、もともと畑で育っていた植物なのだ。面白いのは、最初から大きな畑を持って始めたわけではないということである。
もともと余白は、カットソーを中心に服を作ってきた。だから綿という原料にはずっと触れてきたわけだが、その綿がどこで、誰によって作られているのかまでは、自分たちの手の中にない。
そこで、「だったら、自分たちで育ててみよう」となった。始まりは、東京・鳥越にあった事務所兼店舗のビルの屋上だったという。畑ではない。プランターである。これがいい。壮大な構想があって、広大な土地を押さえて始めたわけではない。まず、種を植えてみた。そこから始まっている。
もちろん、自分たちで収穫した綿だけで大量に作れるわけではない。商品では、育てた和綿を一部使いながら、海外の綿と組み合わせている。それでも、原料を自ら育てる意味は大きい。「綿」という文字でしかなかったものが、種を植え、芽が出て、花が咲き、実をつけるものとして見えてくるからだ。
効率だけで考えれば、ずいぶん遠回りである。だがその遠回りによって、「服を作る」という言葉の意味が変わってくる。物語が後から付け加えられているのではない。作る過程そのものが、物語になっているのである。
7.全部を自分で抱えない。だから、人の顔が見えてくる
では、綿を育てたあと、すべてを自分たちで作るのか。そうではない。むしろ、ここも余白らしい。Tシャツであれば和歌山、靴下であれば奈良、タオルであれば愛媛・今治。それぞれの商品に応じて、そのものづくりを得意とする国内の工場へ託していく。
原料を自分たちで育てると聞くと、「何から何まで自社でやる」という話を想像しがちだ。しかし、そうではないのである。自分たちがすべての技術を持つ必要はない。大事なのは、どんなものを作りたいのかを自分たちで理解していることだ。そのうえで、その素材を最もふさわしい形にしてくれる人へ渡す。
ここには、妙な無理がない。
自分たちは原料に向き合う。生地にする人がいる。縫う人がいる。靴下を作ることに長けた人がいる。タオルを作ることに長けた産地がある。それぞれが、それぞれの場所で力を発揮する。すると、一枚の服の向こう側に、人の顔が見えてくる。
これは「国産だから価値がある」という単純な話ではないと思う。どこで作ればいいのかを考え、その理由を持って相手を選んでいることの方が重要である。大量生産の中では、工場はとかく「製造先」という一言で片付けられてしまう。けれど原料から見ていけば、製造もまた商品の途中にある大切な工程である。
そして、この構造は一社目とも重なる。
豊田絲業がやっていたガス焼き加工も、まさに「途中の工程」だった。誰かの服の中に溶けて、名前が出ないまま消えていく仕事である。余白は原料の側から、豊田絲業は加工の側から、同じものを見ていることになる。誰が育て、誰が糸にし、誰が形にしたのか。その一本の線が切れずにつながっているかどうか、ということである。
8.「溶けない」粉。便利にするほど、素材から遠ざかる
四社目は、雑穀の粉である。「香ばしパウダー」という。それを飲んでみると、まず感じるのが、少しざらっとした舌触りだった。一般的な粉末飲料を想像していると、意外かもしれない。お湯に入れても、すっと溶けてなくなるわけではない。口の中に穀物の感触が残り、どちらかといえば、少し噛みながら飲んでいるような感覚に近い。
でも、それは失敗ではない。むしろ、そこにこの商品の考え方がある。一般的なパウダー商品では、飲みやすくしたり、溶けやすくしたりするために、デキストリンなど別の素材を加えることがあるという。しかし、ここではそれをしない。見せてくれた原材料が、そのまま粉末になっている。
だから、残る。そして、その残る感じこそ、「飲み物」というより「食材」に近い。本人も、これを機能性食品のようには捉えていなかった。何か特定の効果のために飲むのではなく、朝の食事に加えたり、味噌汁に入れたり、ヨーグルトにかけたりする。普段の食事の中に、雑穀という素材を少し足す。説明の起点も「この成分が何mg」ではない。栄養の数字だけを取り出すのではなく、いろいろな食材を一緒に食べる。その組み合わせを大切にしたいという。
原点にあったのは、祖母だった。祖母が入れ歯になり、それまでのように食事を楽しめなくなったという。そんな祖母に、自分が好きだった雑穀屋のものを渡したところ、おいしそうに飲んでくれた。そこから発想が生まれていく。ただし、何でも細かくすればいいわけではない。玄米はそのままではなく蒸したものを使い、ごまも油分を減らしたものを使うという。高齢者が口にすることを考えながら、素材の状態まで変えている。
もう一つの背景が、開発者自身のルーツである韓国の食文化だ。穀物や豆などを粉にして飲む文化が古くからあり、特別な健康食品というより、家庭に置かれている身近な存在なのだという。便利にすれば、もっと溶けやすくできる。けれど、便利にするほど、元の食材から離れていく。その逆を選んだから、粒が残っているのである。
9.「その前」を語れることが、そのまま価値になる
この商品で、もう一つ面白かったのが配合である。30種類、40種類とある雑穀の中から選び、商品によっては約20種類を組み合わせる。だが本当に難しいのはそこから先で、開発を始めた2019年から、定番となる一つの配合を決めるだけでも、およそ2年をかけたという。
雑穀はどれも同じではない。香りも違えば、食感も違う。豆やごまが加われば、一つ増やすだけで全体の味が変わる。身体によさそうなものを全部入れればいい、という話ではないのである。しかも、季節ごとに配合を変えている。定番は変えず、その季節に合わせて二つほど素材を加える。冬に採れたかぼちゃを春の商品へつなげる、といった具合だ。
一年中同じ原料で同じものを大量に作る方が、よほど効率はいい。まだ暑いのに秋の商品が並ぶのが普通の世の中で、本人は「旬って何だろう」と思ったという。ここまで書いてきて、四社に共通するものが、はっきりしてきた。糸を火に通す。海を知ってから海苔を選ぶ。綿を種から育てる。素材を素材のまま粉にする。
どれも、効率で考えれば省ける工程である。そして、どれも完成品を見ただけでは絶対にわからない部分だ。モノが足りなかった時代は、とにかく作ることに価値があった。やがて商品が並ぶようになると、デザインや価格、機能で違いを作るようになった。しかし、それも簡単に似せられる時代になった。
では、その次に何が残るのか。
一つは「背景」なのだと思う。この綿はどこで育ったのか。なぜこの素材なのか。なぜこの工場なのか。なぜ自分たちがこれを作るのか。そこまで語れる商品は、強い。何より、それは広告コピーを考えて後から作れるものではない。実際にやってきたことしか、語れないからである。
2万2000円のシーアイランドコットンのTシャツも、800円ほどの海苔も、屋上のプランターから始まった服も、ざらざらした一杯も、値段や形はまるで違う。それでも、手に取ったあとに見えてくるものは同じだった。完成品の手前にある、長い時間である。