「手の倫理」伊藤亜沙著
些細なことなんですけど、「手」というものの価値を考えました。というのも、「 手の倫理」という本を読んで、そんなことを思ったんです。
結構、難しい本で、なかなか理解が追いつかなかったんですけど、「手」と「倫理」の紐付けがなかなか面白い。
同じ「手」を使うのでも『触る』と『触れる』とでは、まるで印象が異なりませんか?そこについて触れているのです。
『触る』はどこか直接的でちょっと距離感を置きたくなりますが、『触れる』というとそこに優しさが伴い、寄り添う感じがあります。
でも大元は「手」で変わらない。
この本のタイトルにある「倫理」というのも実はそれに近い。『倫理』という言葉と対比して浮かぶ言葉は『道徳』です。
でも大元にあるものはそこまで変わらない。なのに『道徳』は「こうあるべきだ」とやや強いる部分があります。それに対して『倫理』は各々に存在し、認め合うイメージがあります。
だから読んでいて思ったんです。結局、人と自分との向き合い方に起因するのかなと。 人と人とが触れ合う時に、お互いがどういう心持ちでいるかを考えると、それが『触れる』に近くなる。
僕は「手」を操作するアタマでは、各々の『倫理』を尊重して持たせて、人とは『触れる』関係性を築こうと。
『倫理』に近い感覚で、手と手を取り合うその姿勢を大事にしたいなと考えたわけです。
あなたは、その手を差し伸べる時、その手にどれだけ、相手への配慮があるでしょうか。
『触る』になっているか『触れる』になっているかはあなた次第。そこを乱暴に考えちゃうと、『触る』になっちゃう。物をどう使うかというのと同じことな気がします。僕はその『手』を使って、互いに『手』を取り合う関係でありたいなと思います。