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追悼・穂積和夫の世界展──“世界をつくる”誠実さと、その距離感から学ぶこと

流行を超えた誠実な軌跡

 歩んできた道を一つ一つ確認して、生きる意味を感じた。「追悼・穂積和夫の世界展」が9/26まで、静かに行われている。

 穂積和夫(ほづみ かずお、1930-2024)さんは、日本を代表するイラストレーターであり、メンズファッション文化の形成にも大きな足跡を残した人物。

 彼の仕事は、単なる「絵を描く」枠を超えて、ファッション、建築、広告、都市風景、モータリゼーション──多岐に渡る表現領域を行き来した。流行にただ乗るのではなく、作品と思想を結びつけ、時代を超えて人の心に残るものを追求し続けた。

 彼の名前と作品を知ると、「なぜ今も穂積という名前が語られるのか」が腑に落ちる。展示に見る軌跡は、クリエイターとしての態度そのものを語っている。

 僕はそれこそ、新卒の頃に“IVY BOY”に出会い、「センスの良いイラストだな」と強く感銘を受けていた。ただ、僕が触れたのはキャラクターライセンスという括りの中でのこと。けれど不思議と、そこに安易に収まるものではないと感じていた。

作品がどれだけ素晴らしくても、万人に受けて大きな儲けを生むかどうかは、また別の話なのだ。

関係者が理解していたこと

 だからこそ、この関係者たちの姿が目に止まった。キャラクターライセンスの知見を生かしながらも、それとは全く違う育みをしていたからだ。彼らが素晴らしいのは、クリエイターの表現は全部を同じ尺度で測ってはならないということを理解していたこと。

 とはいえ、穂積さんが、アートだけをみていたかと言えばそうではない。誘ってくれた知人の奥津彩さんは「(先生は)これじゃなきゃダメ」とガチガチに固めることもなかったと語っていた。要するに、アートだけじゃダメだし、商業だけじゃダメ。穂積さんの魅力はそれだけではなく、いろんな側面があるのだろうけど、僕はその視点での気づきが多かった。

 穂積さんには、そのバランス感覚があったからこそ、必ずしも大きな“一瞬の事象”にはならずに、長く生き延びてきたのだろう。そして、何が大事かをわかっているからこそ、その“ゆとり”が穂積さんの中にあったのだと思う。

ネクタイに込められた思想

 ゆえに、それを手がけるメーカーにもそのイズムは波及する。その価値を受け入れ、自らの価値を高めるために、それらのメーカーは穂積さんのイラストに関心を寄せた。

 例えば、穂積さんのモチーフを扱うネクタイメーカーは、それを理解しようとして試行錯誤しながらも、刺繍や仕様にこだわり、思想を込め続けていることを耳にした。つまり、自らの価値を引き上げようと、奮闘するものを引き寄せる土壌こそ、彼が描いてきたものの価値である。

 それでいて、先ほどのように、縛り付けるわけではない。思うに、アーティストと商業の関係性にとっても、大事な“距離感”がここにはあった。

人間の偉大さ

 変な言い方かもしれないけれど、今、AIが浸透する世の中だからこそ、人間の偉大さを改めて感じた。

「これ、全体を模写したのではなく、一部分から全体を想像して、街並みを描き上げていると思うんですよね」

 そう説明を受けたとき、思わずハッとした。見える世界だけをそのまま描くのではなく、その周囲の空間までも自分で設計して絵に起こす。だからこそ、彼の作品には奥行きと立体感が宿っていた。建築学科を出ながらイラストの道に飛び込んだ彼だから、自ら想像し、世界を俯瞰し、空間ごと捉えて描けるのだろうと思った。

 今はAIでサラッと描ける時代だ。けれどそれは、人間の価値を土台にしたものであって、所詮、デジタルは人間の域を超えない。

だからこそ、穂積さんのような人生の歩みが意味を持ち、我々に大切なことを教えてくれるのだと思う。

クリエイターとしての憧れと悔しさ

 穂積さんの仕事は、これからも息づいていく。

 僕も文章を紡ぎ出すクリエイターの一人として、その姿勢に憧れを抱く。それと同時に、自分の才能を形にできた方への悔しさもある。僕もどうすれば、そこに近づけるだろう。けれど、その感情ごと、また前へ進む力に変えていきたい。

 今日はこの辺で。

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