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CRMの原点とZOZO創成期──「顧客の記憶」を軸に生まれたECの本質

ECが当たり前になるより前のことだ。銀座4丁目のビームスでスーツ売り場に立っていた若い販売スタッフ──それが矢嶋正明さんだった。彼が抱いていたのは、ひとつの素朴だが本質的な疑問である。

 「このお客様の“記憶”を、どう次につなげられるだろう?」

 銀座という土地柄、来店するのはエグゼクティブ層。彼らは次に必要なスーツの色、用途、どんな場で着るのかまで鮮明にイメージしている。矢嶋さんは、それらをすべて“紙に手書き”で記録し、次回来店時には完璧に準備した。

 紺とグレーのスーツを探すと言われれば、2パターンを揃えておく。

「今度プレゼンがあるんだ」と聞けば、どの場面でも決まるシャツとネクタイを2案用意する。

そして顧客は、こう言って買っていく。

「やじまくん、両方もらうわ」

 “覚えてくれている”という信頼が、購買行動そのものを変えてしまった瞬間だった。

 この体験こそ、後のCRM思想へとつながる原点となる。そして、ECへの興味を抱く原点でもある。

■ CRM思想の始まり──“記憶の預かり所”としての店員

 手書きメモには限界があった。

 しかし矢嶋さんが気づいてしまったのは、誰よりも早く、誰よりも深い“本質”だ。

「顧客の記憶を預かり、それを次の行動に最適化して返す仕組みが必要だ」

 もしこれを人の手ではなく、

顧客データ × 商品データ で再現できれば、もっと多くの人を幸せにできる──。

 そう考えた矢嶋さんは、社内でCRM部門の立ち上げに携わり、「顧客理解を軸にした小売」の思想を形にしていく。つまり、ここでECとの接点を持ち始めることになるわけである。なぜなら、データを集積し、生かすことができるのがECだと考えたからだ。

■ ZOZOとの出会いは、“音楽”から始まった

 時代は2004年。ECがようやく「盛り上がり始めているらしい」と囁かれ始めた頃だ。

社長の設楽洋さんから突然、こう言われた。

「スタートトゥディって会社のzozotownって知ってるか?」

「はい、知ってます」

理由は実に単純で、そして意外だった。高校の軽音部の友人“ケンゾウくん”が、当時まだ無名だった前澤友作氏とバンドを組んでいたのだ。その縁を辿るように、

「社長を知っているなら、お前が行ってこい」

と言われ、矢嶋さんは幕張にあった社員10名ほどのスタートトゥデイに向かうことになる。そこで“地元の延長線のように対等に話せる人物”として迎えられ、ZOZOの最初期を支えた重要人物となっていく。

■ 初期ZOZOが抱えていた“致命的な弱点”

 当時のZOZOTOWNには二つの大きな欠点があった。

  1. 画像が弱い(魅力が伝わらない)

  2. 接客が存在しない(文章で顧客を動かせない)

 その本質について紐解くと、前澤氏は、こう漏らしていたことからもわかる。

「誰も“洋服を手売り”したことがない。それが弱みだ」

これを聞いた瞬間、矢嶋さんは“ビームス時代のエッセンス”を完全に応用する。

■ 画像改革──「服を着る体験」をオンラインに持ち込む

 当時のZOZOの商品画像は、CDジャケットのような平面的な写真だった。しかし矢嶋さんは倉庫にいた175cmのアルバイトの男性にビームスの服を着せ、立体的に撮影した。

 結果── 売上は5倍

 社内では「こんな写真で売れるはずがない」と言われていたが、初めてオンラインに“人が服を着る感覚”が持ち込まれた瞬間だった。さらに商品説明文にも起承転結を持たせ、“読ませて買わせる導線” を作り上げる。

■ 誰も気づいていなかった、ZOZOの“地味な強さ”

矢嶋さんは、当時から確信していた。

「ZOZOはバックオフィスが異常に強い」

2005年の時点で、物流・在庫回転・システム設計が他社より圧倒的に優位だった。

この“目立たない強さ”こそが、のちにZOZOが躍進する理由になる。

■ ZOZOの始まりは、“音楽仲間を助ける”ための場所だった

 ZOZOTOWNの誕生はよく誤解される。ブランド集合型ECを作りたかった──ではない。

本当の始まりは、

「CDを売る場所が欲しかった」

「音楽仲間を助けたかった」

という、極めて“人間的な動機”だった。

 デビロックなど裏原系ブランドが最初に出店したのも、音楽コミュニティの延長線にあったからだ。壮大な戦略というより、“仲間のために作った場所が、結果としてプラットフォームになった”というのが本質である。

■ 仕入れ型からモール型へ──ZOZOの構造転換

 立ち上げ当初のZOZOは「買い取り型」だった。なぜなら上記の通りだ。自分たちが仕入れた商品を自分たちで売る。最初はCDであり、それに関連して、グッズを販売していたにすぎない。ただ逆にいえば、そういう雰囲気を身に纏った商品を扱っていた。服は服でも、ただ着ればいいのではない。そういう服を。その中で、彼らは商品を仕入れて、自らバイヤーが責任を持って、彼らの売場の世界観を構築した。

 しかしmビームス、ユナイテッドアローズ、ベイクルーズらの大手ブランドが出店すると、一気にラインナップが広がり、ブランド自体がフックになり始めて、何を仕入れるかに重きが置かれなくなった。つまり、“仕入れる必要がない構造” が生まれていく。モール型へのシフトは、“ブランド側の参加”が生んだ自然な進化だった。

■ ビームスが参加した瞬間、市場が動いた

 さて、話を戻せば、2004年12月にZOZOTOWNがスタートし、わずか3ヶ月後。矢嶋さんはビームス代表としてZOZOとの商談に臨む。その瞬間、市場の空気が変わった。

 ファッション業界でZOZOTOWNが“一次情報”として扱われ始め、他ブランドの出店が相次ぐ。プラットフォームは、この瞬間から“ただのECサイト”ではなくなった。

■ まとめ──「人間を中心に置くEC」

 話を聞いて僕なりに思ったこと。矢嶋さんの歩みは、EC黎明期を振り返る単なる思い出話ではない。

そこには、現代のCRM・EC・AIにも通じる“核心”がある。

  • 顧客の“記憶”を預かることが価値になる

  • 顧客を動かす物語は、意思と文脈でつくられる

  • 人の行動の裏側にある“理由”に向き合うことが必要

  • 技術より先に、“人”が存在する

 ECはテクノロジーの世界に見えるが、スタッフとして顧客に向き合っていたことの最大化を果たす先に、ECがあっただけである。一続きだ。つまり、考え方の中心にあるのは、今も昔も“人間の記憶と行動”である。

 矢嶋さんの哲学は、今のAI時代のCRMにもそのまま通用する──

普遍的な価値を持つ物語だ。

 今日はこの辺で。

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