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都市とアートが触れあう瞬間──「Hibiya Art Park 2025」で公園が変わる

 東京都が主催するアートプロジェクト「Hibiya Art Park 2025」が、今年も日比谷公園で開催される。テーマは、「訪れるたび、アートと出会う1ヶ月」。会場となる日比谷公園は、今年もまた、花と光と、そしてアートが共鳴しあう舞台となる。この日、記者発表に立ったのは、東京都の新村由美子氏。彼女は次のように語った。

 「日比谷公園は、120年の歴史を持つ日本初の洋風公園です。音楽や食事、花や光、そして都市の喧騒──さまざまな表情が重なり合うこの場所で、アートという新たな体験を重ねることで、より多くの方に“公園の新しいかたち”を感じていただきたいと考えています」

 イベントは2期構成で開催される。4月25日〜5月11日の第1期は「Transformed Composition(組み合わせと見立てで遊ぶ)」と題し、日比谷の自然と調和しながら、少しの違和感とともに現れるパブリックアートが登場。5月17日〜25日の第2期は「“Play”ing Catch(集まり方の練習)」として、参加型パフォーミングアーツが公園全体を舞台に繰り広げられる。

アートはどこから生まれるのか──“場所”を読み解くという行為

 第1期の出展アーティスト・小金沢健人さんが手がけたのは、ただ設置された作品ではなく、“場所そのもの”と対話しながら立ち上がっていくような空間インスタレーション。日比谷公園の地に自らの足で立ち、そこに積み重なる時間と記憶をたどるところから、作品制作は始まったという。

「場所って、ただ空いてる空間じゃないんですよ。人の行為があって、初めて“場所”になる。土地があって、頭の中に空間のイメージがあって、でも“場所”っていうのは、その間に立ち上がる“人の関わり”によって生まれてくるんです」

小金沢さんは、日比谷公園の歴史を掘り起こすことで、この地がかつてどんな場であったかを知る。伊達政宗の屋敷があり、戦時中には高射砲が置かれ、戦後はダンスホールとして賑わった。災害時には仮設住宅が立ち並び、人の営みが、幾重にもこの場所に染み込んでいる。

「そういういろんな顔を持つ場所に、“都会のジャングル”を作ろうって決めました。そこに立った瞬間に、過去の記憶と今の身体が、何かを感じ合えるような、そんな“場”を作りたかった」

この作品において、アートは“飾るもの”ではなく、“場所の声に耳を澄ます行為”として立ち現れている。

五感がよみがえる都市──“靴が汚れる”という非日常体験

小金沢さんの作品に足を踏み入れると、そこは都会の真ん中でありながら、確かに“異空間”として存在している。

霧が立ちこめ、煙が舞い、時には雨も降る──そんな五感を揺さぶる演出が仕掛けられている。

「ジャングルって、落ち着けない場所なんですよ。何があるかわからない。音も、湿度も、匂いも違う。それを再現しようとしたんです。だから、あえて土のままの地面も残して、都会で靴が泥だらけになるような体験ができるようにしました」

都市で「足元を汚す」という行為は、どこか非日常的だ。だが、それによって訪れる者の感覚が開き、“いつもの公園”が別の意味を帯びて見えてくる。作品の中心には、共作した西畑健太さんが運営する植物農園で育てられた、多種多様な植物が生い茂る。それらは、ジャングルのような豊かさと混沌を、視覚と身体で受け止めさせる役割を担っている。

西畠清順の力を借りてより植物が生き生きと

このインスタレーションは、アーティスト・小金沢健人とプラントハンター・西畠清順による初のコラボレーション作品西畠氏が世界中から集めた多種多様な植物を用い、密度のある緑が公園の一角を包み込む。その中で、雨・光・煙といった自然現象が織りなす演出によって、空間は刻々と表情を変え、訪れた者を“時間ごと変化する体験”へと巻き込んでいく。この作品は、ただ「見る」アートではない。

むしろ、「通り抜け」「足を取られ」「呼吸し」「眺めながら戸惑う」ことこそが作品の一部となる。それは、都市で失われがちな“身体性”と“即興性”を取り戻すための、緻密に設計された混沌だ。

「美しく整えた空間じゃなくて、“わからなさ”や“ざわつき”がある場所の方が、今の都市には必要なんじゃないかと思うんです」

その言葉には、都市生活で無意識に置き去りにしてしまった“感覚”を、アートによって呼び戻そうとする強い意志が宿っていた。

「なぜ人間だけを演じるのか?」──宝塚から生まれた問い

第2期のプログラムに参加する演出家・上田久美子さんは、これまで宝塚歌劇をはじめとする舞台で、人間の感情を濃密に描く演出に携わってきた。

だが、ある時ふと立ち止まり、こう問いかけた。

「なんで私たちは、こんなに“人間のこと”ばかり演じてるんだろう?植物やバクテリアの視点で、世界を見てみたらどうなるんだろう?」

この疑問が、彼女の創作における大きな転機となった。2023年には、名作戯曲の名場面に登場する“周囲の存在”──たとえば空間にいるけれども名前も台詞もない“小さな生き物”を、観客が演じて体感するというワークを実施。「舞台を見る」から、「見られている場に存在する」へ。

アートの重心をズラすこの発想が、今回のプロジェクトにも通底している。

“小さな生き物”になって、都市を歩く──演じない参加型アートのかたち

日比谷公園で展開される上田さんの演出作品では、参加者が“虫”や“水草”など人間以外の存在になりきり、あるストーリーに身を委ねる。その舞台は、ミッドタウンのビル群。これをシェイクスピアの悲劇『ハムレット』のヒロイン・オフィーリアに見立て、彼女が“沈んでいく”様子を微生物のような目線で見届けるという。

身体を通じて、自分が「人間ではないもの」になっていく体験──それをナビゲートするのは、ダンサーの川村美千子さん。参加者は公園内を移動しながら、“存在の変化”を身体で味わう。

「演じようとしないでほしいんです。むしろ“演技を脱ぐ”ことで、その人自身の動きが自然に現れてくる。それがすごく面白い」

この演目では、参加する市民が“演者”となるだけでなく、その様子を観察するだけの“観客”として参加することもできる。

つまり、人間という立場から距離を取り、都市と自然の“共進化”を体感する、二重構造の体験型演劇なのだ。開催は朝8時から。公園という開かれた空間を舞台に、五感と意識をほぐしながら「人間中心ではない視点」に触れていく。都市のど真ん中で、虫のように息をし、バクテリアのように身を委ねる。

その行為は、ある意味で都市に生きる私たちが、自分たちの“生態”を見つめ直す、静かで大胆な挑戦なのかもしれない。

アンバサダー・山本美月が語る、“違和感の心地よさ”

「アートには正解がない」──そう語った山本さんは、自身も絵を描くという。

 トークセッションの中で彼女が印象的だと語ったのは「藤の花が低い位置で咲いているような作品」。自然と調和しているようで、どこか違和感を覚える──そんな“心地よい違和感”を大切にしていた様子だった。作品名こそ明かされなかったが、あの瞬間、アートとの距離がふと近づいたのを感じた。

山本さんが「違和感が心地よい」と語った作品のように、このイベントでは、ただ美しいだけではない、少し立ち止まって考えさせられるようなアートが随所に点在する。例えば、まさに、山本さんの後ろに映る、、、

彫刻作品「やさしい手」──

水辺に浮かぶ、記憶と祈りのかたち

 水面をやさしくかすめるように、その青い“手”は現れる。まるで誰かに差し伸べられるのを待っているかのように、または、何かにそっと触れて確かめようとしているように──。

 この「やさしい手」は、ブルーシートで覆われた巨大な手の彫刻だ。だがそれは、単なる奇抜な造形ではない。作品に込められた記憶と問いかけは、鑑賞者の無意識に静かに忍び込み、都市と人間の関係性に、そっと揺らぎをもたらす。

 この青い手には、ふたつの原体験が込められている。ひとつは、アーティストが広島で目にした、土砂災害直後の風景。生活の痕跡を飲み込んだその土地を覆っていたのは、どこまでも無機質でありながら、どこか人の手によって守られようとしていた“ブルーシート”の青。

災害と死、仮設と再生──そんな対比を孕んだ素材として、この「青」は選ばれている 。

赤子の手

もうひとつのインスピレーションは、作家が自身の出産を通じて見つめ直した“赤子の手”。視覚が曖昧な新生児が、手を使って世界を知ろうとする姿。その不器用で純粋な「触れる」という行為に、強い造形的な魅力を感じたという。

仏像──とりわけ弥勒菩薩の反り返る指先の造形が、実は赤子の手をもとにしているという逸話に心を動かされ、宗教的な無垢の象徴と、現代に生まれた新しい命とを重ね合わせた。だからこの“手”は、ただの手ではない。

それは、「災害という不確かな時代に生きる私たち」と、「無垢に世界を掴もうとする赤子」と、「祈りとしての仏のしぐさ」が、ひとつのかたちになったもの。中空の構造体は、水面に最小限しか触れないよう設計され、その軽やかさは“重さを背負う”という矛盾と向き合う手でもある。

日比谷という都市の只中、ビル群を背にして水面に浮かぶこの手は、私たちが忘れかけていた「触れる」という感覚を、もう一度思い出させてくれる。

都市公園から始まる、新しい問いかけ

「Hibiya Art Park 2025」は、単なるアートイベントではない。公園という“公共空間”を使い、アートの視点から「都市における人と人の関係」「変化の受け止め方」「日常との再接続」を提示する、思索的なプロジェクトでもある。

そこに込められたのは、“見に来てください”ではなく、“一緒に見つけてください”というメッセージ。都市に住む私たちが、ほんの少しだけ歩くスピードを緩め、何かを感じ取る。そんなきっかけを、このイベントはそっと差し出してくれる。

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