「つくる」を、やめなかった人たちへ ──デザインフェスタminiで交差した2人との雑談から
デザインフェスタminiに来た。その日は、にぎやかな会場の熱気のなかで、静かに火が灯るような出来事があった。オノダエミさん、福士悦子さん。別々に歩いてきたようでいて、気づけばまた、この空間に集まっていた。 ふらりと寄ったわけではない。でも狙って集まったわけでもない。
言うなれば、“場”が呼んだのだと思う。デザインフェスタ。。。キャラクターを生み、表現を続け、受け取ってもらうことを諦めなかった人たちが、偶然のような必然の中で顔を揃えた。そこで交わされたのは、武装のいらない、深みのある雑談だった。
ひま太郎の「色」も、再構築の途中にある
最初に、今回の作品を少し触れよう。イラストレーター・オノダエミさん。まず、もっとも印象に残ったのは、ひま太郎。
かなりエッジの効いたキャラクター制作が多かったオノダさん。そこから、挑戦と位置付けて、可愛らしいキャラをうみだしたのが、「ひま太郎」。それは今までにないファンとの出会いを創出した。また、今度はそこでの触れ合いを軸に、新しい取り組みにも着手する。今回は「色」との向き合い方について教えてくれた。
写真を見ればわかるが、今までにない青に寄せた色彩の挑戦、キャラクターのポテンシャルを引き出すための視点。描き直し、リデザイン──それらはすべて、自身のキャラクター「ひま太郎」を通じて、もっと深く“感じてもらう”ための試行錯誤だ。
同じく、福士悦子さんもまた、オノダさんと同様付き合いは長く、長らく、リスのキャラクターを手掛けている。リスの立体物に始まり、文具雑貨系などのアイテムを幅広く、自身が手掛けている。
中でも印象に残ったのは、造形物。新作のリスの造形物は、手縫いのマフラーを巻いている。本当に福士さんが手縫いでやったからこそ、リスに生命が宿る。こうやって、それぞれキャラという素材を通して、様々な視点で創作に向き合ってきたのだ。
「作品の代表は、自分」──自分のキャラを生きるという覚悟
さて、そんな二人はずっと打ち込み続けてきた。ブレることなく。最初に書いた通り、貫いてきたからこそ、紡ぎ出される言葉があると思った。雑談の話に溢れていたので、それがなぜか、作品以上に(苦笑)やけに胸に残っている。
でもそれもまた、作家にとっての生命線なんかもしれない。
「やっぱり、作品の顔をやれる人は強い」
僕がそう思ったのは、福士悦子さんの話を聞いていたときだった。
福士さんは、かつてキャラクター会社で働いていた経験がある。自分の絵は描かず、会社のIPの世界観を守りながら、提案を繰り返す日々。もちろんそれは大切な仕事だった。
でも今は、自分でキャラクターを描き、自分の手でその価値を伝えている。その違いは、表現の解像度に現れる。
「売るため」ではなく「好きだから描く」。でも、結果としてそれが一番強い。自分の名前を出して、自分で接客して、言葉で説明できる。そんな“作家本人がキャラクターと地続きであること”が、今の時代ではむしろ当たり前になりつつある。
その意味を福士悦子さんは強調するのである。
海外が近くなる──言葉より、世界観が届いていた
オノダエミさんの話には、“越境”のリアルが詰まっていた。イベントに出れば、海外からのお客さんがふらりとやってくる。新作を求めて、海外からのファンがやってきた。また。自らも海外に赴くようになって、見える景色が変わったという。気づけば、自らのキャラクターで、中国の文具における独占契約も決まっていた。
「国境があるだけで、感覚は近い」
オノダさんはそう言った。確かに、言語や制度の壁はある。けれど、キャラクターの魅力は、説明しなくても伝わる。むしろ、それが自分たちの強みで、そこで攻めていこうというわけだ。
その感覚が湧いてきたのが、日本人の感性が変わってきたから。実は、以前ほど、日本人の感覚に余裕がなくなっているからだ。これはちょっと僕も気になった言葉だ。つまり、心から面白がってくれる人が以前より減った。
僕は感じたのは、売る側も商売ベースで全開で考えたり、あるいは、来る側も純粋に楽しむ以前に、それが得かどうかという視点で見る機会が増えてきたのではないかということ。
一方で海外は広い。逆に、海外の人との接点が生まれると高く評価してくれる実態も見えてきた。牌が大きいからこそ受け入れてくれる人の数も大きい。 “なんだか気になる”という直感が、世界をつないでいく力を持っていることに気づけたのだ。
「まず現地に行ってみた」「やってみたら声がかかった」──その繰り返しが、海外展開というチャンスにつながっていった。オノダさんが体現していたのは、“SNSでバズる”ではなく、“誠実に続けている人の元に、チャンスが降ってくる”という静かな事実だった。
教えるようになって見えた、「描くこと」の本当の意味
そして、いま、2人は“教える側”でもある。専門学校で学生に向き合う中で感じたのは、「描くこと」をただの課題にしてしまっている若者が多いという現実だった。不思議と上の文脈に通じるところがないだろうか。
「卒業証書を、お金で買っているみたいな子が少なくないような気もする。実にそれは勿体無い」
そんな言葉が漏れたとき、いけないと思いながら、少しだけ頷いてしまった。
ただ出せばいい。最低限のラインをクリアすればOK。そんな空気が蔓延している中で、「もっとこうしてみたら?」というアドバイスは、なかなか届かない。でも、だからこそ──ほんのひと握りでも、こちらの言葉に反応してくれる学生に出会えると、それだけで救われるのだという。
そう二人は教師の立場で、語る。それも貫き続けた故の感想であり、また、それにより自分でつかんだ今の立場であろう。だから、この言葉に帰結する。
「やめなくてよかった」。
やっていれば、必ず何かにつながっていく。その証拠に、この日、この言葉が何度もこぼれたのだった。
デザインフェスタminiという“場”が起こす、静かな奇跡
面白いよね。ふたりの人間性もまた、作品を彩るコンテンツだと思う。振り返ってみれば、この日の会話は、誰かが意図して仕掛けたものではなかった。
やっぱりデザインフェスタminiというイベントの功績だと思う。そして。それぞれが“今もやめていない”からこそ、この交差が生まれた。キャラクターの世界で生き続けてきた福士さん。自分の表現を諦めずに届け続けたオノダさん。この場所、この空気、この雑談。
どれもが、つくる人間の“続ける理由”を静かに照らしていた。
今日はこの辺で。