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エヴァ30周年展|制作の舞台裏に触れる「ALL OF EVANGELION」レポート

 展示会場に足を踏み入れた瞬間、まるで時間の流れそのものが後ろから肩を叩いてくるようだった。「エヴァは、こうして作られていたんだよ」と。画面の向こうで見てきたはずのシーンが、セル画や原画という“生の断片”として並べられている。しかし本当に胸を打つのは、その端に残された、少し乱れた文字や、控えめな赤字のチェック、そして消し跡の上からもう一度描かれた線だ。

 30周年記念展「ALL OF EVANGELION」が、東京シティビューで、2026年1月12日(月・祝)まで開催されている。誰かが迷い、描き直し、一本の線を引くごとにキャラクターたちは少しずつ命を帯びていった。その手触りのすべてが、30年経ってもなお “まだ温かいまま” 残っている。そんな展示である。

■ 第1章「始動」

赤く照らされたパネルに「始動」の文字が浮かぶ。その瞬間、1995年のあの日の空気が胸の奥でざわつきはじめる。当時の放送は毎週水曜の夕方。

 透明なセルに手で線を描き、裏側から一色ずつ丁寧に色を置き、背景と重ねてフィルムで撮影する──そんな、ほぼすべてが“手仕事”だった時代だ。“セル画”という薄いシートに描かれた線は、今のデジタルのように自由な修正も効かない。

 線が震えれば震えたまま、色がはみ出せばはみ出したまま。それでも、いや、それだからこそ、絵には描き手の呼吸が宿った。そうやって生まれた全26話のTVシリーズと劇場版2作は、放送当時からただのアニメではなく、アーティストやミュージシャン、学術界まで巻き込み、当時アニメに触れてこなかった層にも波紋を広げ、社会現象となった。

 展示室に並ぶセル画は、テレビで見ていたどの映像よりも色が濃く、陰影が深い。一枚一枚に刻まれた筆圧や塗りムラ、消し跡が、あの時代の“アニメを動かすために必要だった膨大な時間”を証明している。

 アスカの叫ぶあの一瞬も、レイが静かに佇むワンシーンも、ただ“描かれた絵”ではなかった。

 無数の手作業と、無数の判断と、そして「これで本当に伝わるだろうか」と自分に問い続ける書き込みの積み重ねが、ようやくひとつの感情に辿り着いた瞬間だった。線の強弱、ちょっとした角度の違い、そして「ここでは息を吸う」と書かれた短いメモ。あの震える線に、当時のクリエイターたちの呼吸が確かにあった。

■ 第2章「鳴動」

― 崩れ落ちる世界の中で、それでも描かれた“叫び”

 第1章の熱とは一転、黒いパネルに白文字で「鳴動」が立ち上がる。空気が沈む。けれど、その沈み方がどこか美しい。そしてこの章では、映像だけではなく「音」が物語に深く組み込まれていたことが語られている。エヴァンゲリオンという作品は、実は“音”の表現が特別だ。

 一音で情景が立ち上がるあのBGM、胸を刺すようなシンセ音、沈黙の手前で入るわずかな風の音、そして主題歌が背負っていた異様な存在感──それらはすべて、映像を形づくる“心臓”だった。その“音の設計図”が書かれているのが 画コンテ だ。

 展示されていた第1話「使徒、襲来」の画コンテを覗くと、キャラクターの動きやカメラの角度だけでなく、“どこで息を置き、どこで音を切り、どれだけ沈黙を引き伸ばすか”といった、映像の“空気そのもの”を決める演出意図が細かく書き込まれている。一つひとつの文字は小さいのに、場面全体の緊張や温度を左右するような“決断の跡”が、その紙にしっかり残っていた。

 あの息苦しさと迫力は、キャラクターの苦悩ではなく、描く側の痛みをも含んだ“現場の心臓音”そのものだったのだと気づく。作品の奥にあった叫びが、紙の上でも静かに鳴動していた。

■ 第3章「躍動」

―― 新劇場版、技術と情熱がひとつになった“再生の12年”

「原点をもう一度、未来へ運ぶ」――『序』と『破』に宿った再構築の衝動

 

赤黒い光に浮かぶ「躍動」。デジタルへ、共有へ、再構築へ。技術の進化を感じる資料の中で、もっとも目を引くのは、やはり“手書きの赤字”だった。

 新劇場版シリーズは、TVシリーズから12年後の2007年に再び幕を開けた。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』──あの作品は「作り直し」ではなく、“95年当時のレイアウトや画面設計をもう一度、最新の技術で呼び起こす”という試みだった。

 庵野監督が新たに立ち上げたスタジオカラーが、セルからデジタルへ移り変わる時代の最前線を担い、過去の記憶と、未来の表現が同じ画面の中でぶつかり合っている。展示された資料を目で追っていくと『序』ではTVシリーズの1話〜6話をベースにしながら、細部の光、影、質感がまるで別物のように美しく再構築されていたことが分かる。

 続く『:破』では、もはや“再現”の段階をそっと抜け出し、TVシリーズには存在しなかった新キャラクター、異なる物語線、未来へ伸びるレールが大きく敷かれていく。

「技術は心を追い越さない」――『Q』が切り開いた映像の革新

 そして『:Q』──展示資料の前に立つと、この作品が“3DCGという新しい武器”を得た瞬間の熱が、そのまま紙に残っているのが分かる。

 AAAヴンダーの巨大な骨格図や、複雑すぎて手描きでは形にならない曲線の設計図。その脇に添えられた書き込みには、「3Dでないとこの構造は成立しない」「ここから先の動きは要検証」そんな、技術が人の想像に追いつこうとする気迫が記されている。

 VFXの導入で戦闘シーンの規模は飛躍的に広がり、展示パネルにもあった通り、AAAヴンダーの設計と映像化には約2年の月日が費やされた。

 しかし、技術が進化したぶんだけ、手描きの資料には逆に“人間の体温”が濃く残っている。画面のレイアウト、ちょっとした動きのメモ、

赤字で加えられた微妙な修正指示──どれも「もっと良くしたい」「もっと伝えたい」という、昔と変わらない強い衝動の跡だ。デジタルという巨大な器を手にしながら、その中に“手描きの魂”をどう残すか。

新劇場版シリーズは、技術と情熱が互いを高め合い、再びエヴァが“動き出す”ための12年だった。

■ 第4章「結実、そして新たな鼓動」

 ―― “終わり”の先に、もう一度世界を動かす力があった展示空間の奥に進むと、柔らかな光に照らされた「結実」の文字が浮かんでいた。

 ここは、2021年に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』──シリーズがついに“ひとつの終着点”を迎えた時代を扱っている。崩れた世界をどう立て直すのか、何度もループしながら歩んできたチルドレンの物語をどうやって結ばせるのか。その答えを見届けようと、多くのファンが劇場へ向かった。興行収入は100億円を突破し、アニメ映画として歴史に残る成果を打ち立てた。

 単なるシリーズ完結ではなく、ロボットアニメという枠組みそのものの可能性を大きく広げてしまった作品でもある。だが、胸を打つのは数字ではない。『:Q』から『シン』までの9年間、制作現場は“技法そのもの”が静かに進化していった。

 巨大なミニチュアセットを作り、まるで実写作品のようにロケハンを行い、マーカーをつけた役者の動きを収集し、カメラで角度や空気の流れを確かめていく。アニメーションが、実写の身体性を吸い込みながら、“新しい絵の説得力”を生み出そうとしていたのだ。紙の上の線、デジタルの光、そして実写の手ざわり。それらをひとつにまとめていく営みの先に、

 『シン・エヴァ』の映像は立ち上がった。

 1995年に始まった物語は30年を経て、ようやく「結ぶ」ことができたのかもしれない。それでも展示の最後には、静かにこんな気配が漂っていた。―― この作品は、まだ終わってはいない。結実は終わりではなく、新しい鼓動の始まりでもある。

エヴァンゲリオンは、これからも世界に問い続けるのだろう。

 今日はこの辺で。

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