推し活は“経済圏”になる──ファンプラ(Fanpla)が描く、ファンとアーティストの新しい関係
「推し活」という言葉が定着して久しい。誰かを応援するという行為は、かつては感情の表現にすぎなかった。しかしいま、それが経済として循環し、文化を動かす原動力になりつつある。暗号資産「ファンプラ(Fanpla/FPL)」は、その象徴的な試みだ。これは単にトークンを売るための話ではない。“アーティストとファンが、共に物語を紡ぐ”という思想を、テクノロジーによって現実にしようとしている。
ファンプラが描くのは、「ファンが消費者ではなく共創者となる未来」である。
ファンの想いが“資本”になる時代へ
これまで、アーティストとファンの関係は一方向だった。作品を発表する側と、それを受け取る側。けれど、SNSの普及によって、その境界はすでに曖昧になっている。ファンの声が企画を動かし、トレンドをつくり、アーティスト自身を変えていく。
ファンプラが試みているのは、その「熱量」を仕組みとして可視化し、循環させることだ。「共創プラットフォーム」という言葉に象徴されるように、ファンが投票・支援・ギフティングといった行為を通して、アーティストの活動に“参加する”構造を持つ。
つまり、応援が感情ではなく行動経済の一部になる。これは単なる「投げ銭」でも「寄付」でもなく、ファンが共に作品世界をつくり上げる、“参加型の文化設計”と言っていい。
FPL──想いを流通させる“共創通貨”
その中心にあるのが、暗号資産「FPL」だ。この通貨は、チケットやグッズなどの購入手段であると同時に、ファンとアーティストの間に流れる“想いの可視化装置”でもある。
FPLを使って購入されたデジタルグッズやチケットは、二次流通時にもアーティストへ還元される。つまり、一度の応援で終わらず、応援が波紋のように広がる仕組みになっている。経済の方向が“上から下へ”ではなく、“ファンから生まれ、ファンに戻る”構造に変わる。これこそ、従来のエンタメビジネスにはなかった、共感を基点にした循環型モデルだ。
「ファンが関与する」活動資金──アーティスト・トレジャリーの思想
ファンプラの特徴の一つが「アーティスト・トレジャリー」という仕組みだ。これは、ファンが支援した資金がアーティストごとに貯まり、その使い道をファン自身が投票で決められるというもの。
「次のMV制作に使うか」「ファン企画のイベントを開くか」──。ファンが意思を持って関与することが、活動そのものを支える。これまで、アーティスト活動はスポンサーや企業に依存してきた。
だが、この仕組みでは、“誰に応援されるか”が資金の源泉になる。つまり、経済の主導権が、企業ではなくファンとアーティストに戻ってくるのだ。ファンプラが目指しているのは、まさに“ファン資本主義”の実装と言える。
NFTは「記録」ではなく「記憶」を刻むもの
ファンプラの世界では、投票やギフティング、購入の履歴がブロックチェーン上に記録される。それは単なる技術的な透明性の話ではない。応援の軌跡が「改ざん不可能なデータ」として残るということは、“誰がそのアーティストを支えてきたか”が永遠に残るということだ。
この仕組みは、ファンの行動を「記録」ではなく「記憶」として積み上げる。データが文化の証明になる時代において、NFTは単なるデジタル所有ではなく、“想いの証明”としての意味を持ちはじめている。
メタバースは「距離を超える共鳴の場」
Fanplaはすでに「FANPLANET」というメタバース空間を構築している。そこでは、アーティストの世界観を再現したデジタル空間の中で、ファンがアバターとして交流し、映像や音楽を共有する。
たとえばUVERworldの世界では、ライブの余韻をそのままに、ファン同士が再会し、感想を語り合う。それは単なるバーチャルイベントではなく、“体験の続き”を生きる場所として機能している。
リアルとデジタルが対立するのではなく、リアルの熱狂をデジタルが拡張する──。それが、ファンプラが目指す“推し活の未来”だ。
ファンが主役の時代に──文化が自律分散していく未来
このプロジェクトの本質は、「テクノロジーでお金を集めること」ではなく、「テクノロジーで“想い”を分散させること」にある。ファンプラの構造は、中央集権的な運営モデルからファンとアーティストが共に支え合う“自律分散型の文化経済”へと向かっている。
それは、評価経済でも広告経済でもなく、“共感経済”を基盤とした新しい社会設計だ。ファンが行動し、その行動が可視化され、そのデータが次の創作を生む。この循環が続く限り、アーティストの活動は“誰かの想い”によって支えられ続ける。
推し活とは、もはや一時の熱狂ではない。それは、文化を動かす“共創エネルギー”なのだ。
結びに──「ファンは未来の共同制作者」
ファンプラ(Fanpla)は、アーティストとファンの境界を溶かし、“応援が文化をつくる”時代を象徴している。経済の仕組みを変えるというより、人の関係性を再設計していると言った方が正確だろう。
これからのエンタメは、発信者と受け手ではなく、共に創る“共同制作者”の時代になる。そして、その共創の中心には、技術ではなく、いつも“人の想い”がある。だからこそ、ファンプラが見せているのは、単なるWeb3プロジェクトではない。それは、ファンが文化の主語になる未来の最初の一歩だ。
今日はこの辺で。