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	<title>ネット通販コラムニスト/コンテンツプロデューサー</title>
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	<description>人と人との関係を育むメディア</description>
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		<title>文化はつくるものではない──辻信太郎が人生を通して証明した「みんななかよく」の正体</title>
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		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 23:10:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[キャラ談]]></category>
		<category><![CDATA[ライセンサー｜世界を作る側]]></category>
		<category><![CDATA[ライセンス]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 奥深きキャラクターの背景]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　桜が咲く、晴天の中、実に華やかな幕開けだった。「なんて可愛いのだろう」。タクシーの運転手がそう言いながら、車はロータリーへと入っていく。この日、僕が [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/character-market/2026/04/tsuji-shintaro-minna-nakayoku-culture/">文化はつくるものではない──辻信太郎が人生を通して証明した「みんななかよく」の正体</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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<p class="has-background" style="background-color:#fdf5f7">　桜が咲く、晴天の中、実に華やかな幕開けだった。「なんて可愛いのだろう」。タクシーの運転手がそう言いながら、車はロータリーへと入っていく。この日、僕が訪れたのは、富士山の麓、山梨いちごの王さまミュージアム。いちごの王さま？そう聞いてピンときた人は鋭い。サンリオ創業者・辻信太郎、その人を指す言葉だ。この場所は、彼の軌跡を辿る記念館である。</p>



<p>　だが僕にとっては、単なる取材ではなかった。起業のきっかけとなる言葉をくれた、その人の人生に改めて向き合う時間だった。そしてこの場所で、僕の中にあった「文化」という言葉の意味は、大きく揺らぎ、やがてひとつの確信へと変わっていくことになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-そこにあったのは-企業の歴史ではなく-生き方-だった">そこにあったのは、企業の歴史ではなく“生き方”だった</h2>



<p>　展示を見て最初に感じたのは、サンリオという会社の歴史だけではなく、そこに流れる彼の“生き方”だった。「サンリオ歴史館」と書かれている。</p>



<p>　中に入ると、そこには「いちご新聞」のコーナーがあった。1975年に創刊され、今なお辻信太郎が巻頭メッセージを書き続けているこの冊子は、単なる広報物ではない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" fetchpriority="high" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260402.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58919" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260402.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260402.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260402.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　サンリオを好きでいてくれる人と、直接つながるための装置であり、言葉を通じて関係性を築くための媒体だ。</p>



<p>　実は、僕自身、購読者である。読み始めたのは最近で、起業してからのこと。サンリオにいる親友から、読んでみたらどうかと勧められてのことだが、巻頭メッセージの言葉は、実に感受性豊か。</p>



<p>　花が咲き始める春の訪れを口にしたり、ハーモニカにチャレンジしたりと、優しく、ポジティブである。そして、その根底を流れるのは、「みんななかよく」。</p>



<p>　どこか切実でもあるこの言葉の背景には、戦争体験があることも感じ取れる。</p>



<p>　つまりこの会社は、最初から商品や売上だけではなく、「人と人とのつながりがもたらす体験」を起点にしている。その思想が、時間をかけて形になっていったのだと、この場所は静かに語っていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-幼少期の-贈る体験-が-すべての原点だった">幼少期の“贈る体験”が、すべての原点だった</h2>



<p>　二棟あるうち、奥が「辻信太郎記念館」。彼の執務室を再現した場所があり、彼のヒストリーが展示されていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260403.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58920" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260403.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260403.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260403.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　ここで幼少期のエピソードに触れたとき、僕の中で、すべてがつながった。彼は幼少期、カートメル幼稚園に通っていた。</p>



<p>　ああ、あの話は、ここにつながるのか。実は、僕は、新卒時代に、新聞記者として、辻信太郎さんにこう聞いたことがある。</p>



<p>　「なぜ、サンリオという会社をやっているんですか？」</p>



<p>　すると、彼は子供の頃の経験として、プレゼントの習慣を口にして、こう語った。</p>



<p>　「受け取る人も嬉しいけど、僕の記憶に残っているのは、渡す人の笑顔なんだ」。</p>



<p>　展示の説明にもこうあった。幼稚園で、誕生日にプレゼントやカードを贈り合う文化、不要品を持ち寄って寄付する活動があったと。僕が新卒の頃に本人から聞いた話と重なる。</p>



<p>　つまり、サンリオのビジネスの原点はここにある。ギフトとは単なるモノではない。</p>



<p>　人と人の間に入り、関係性をつくるものだという感覚。それは後から作られた理念ではなく、幼少期の体験として身体に刻まれたものだったのだと思う。</p>



<p>　この時点で、すでに“すべての設計図”は運命的に存在していたのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-戦争が-その思想に-確信-を与えた">戦争が、その思想に“確信”を与えた</h2>



<p>　その感覚は、やがて現実によって試された。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260404.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58921" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260404.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260404.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260404.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　それは、戦争である。甲府空襲、焼け野原、失われた命。展示には、その時の状況が淡々と記されているが、その重みは計り知れない。妹を背負いながら逃げたという話、甲府の7割以上が消失し、1127人が亡くなったという現実。</p>



<p>　僕は起業して5年目のある日、「そのきっかけが辻信太郎さんにある」ことを伝えるお礼の手紙を書いたことがある。そのとき、秘書を通じて教えてもらったテレビ番組のことを思い出した。覆いかぶさるように子を守りながら亡くなった親の姿も見た。そうしたことを口にしていた。</p>



<p>　それらを目の当たりにしたとき、「なぜ人は分かり合えないのか」という問いが辻信太郎さんに生まれる。</p>



<p>　そして、多くが皆こう言ったのだ。「戦争だから、仕方がない」。同じテレビ番組で、「仕方がないなんてことはない。話し合えばわかりあえるはずだ」と。</p>



<p>　その言葉は、フロアでも語られていた。理想論ではない。現実を見た上で、それでもなおそう思いたいという、強い意志だ。</p>



<p>　幼少期に芽生えた“つながりの喜び”は、この体験によって「だからこそ必要だ」という確信へと変わる。ここで、「みんななかよく」という言葉は、単なる優しいスローガンではなく、生き方そのものへと昇華していく。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-付加価値との出会いが-思想を-ビジネス-に変えた">付加価値との出会いが、思想を“ビジネス”に変えた</h2>



<p>　その後、彼は、公務員として働く中で、社会の構造に触れる。きっかけは、山梨県東京事務所への異動。県の特産品を販売する外郭団体の監督を務めることになる。</p>



<p>　そして、彼は山梨シルクセンターを立ち上げる。絹織物の作成にあたり、自らデザインをするなどして奔走し、デザインがもたらす価値に、先ほどの「みんななかよく」の精神が結びつき、戦争体験を経て抱いた自らの問いへの答えが、ここで見えてくることになる。</p>



<p>　商品には、花をあしらった草履、フラワービーチサンダルなどもあった。それを、手がけ、気づいたのは、何気ない商品でも、模様やイラストを加えることで価値が変わることだ。この体験は決定的だった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260405.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58922" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260405.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260405.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260405.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　ここで彼は、“モノそのものではなく意味が価値になる”という構造を理解する。</p>



<p>　だから、グリーティングカードという事業が生まれるのも自然だった。それが、サンリオグリーティングという会社の設立となる。気持ちを伝える手段としてのプロダクトを作り出すためだ。</p>



<p>　それは幼少期の体験とも、戦争で得た確信ともつながっている。つまり彼は、人生の中で得た感覚を、ビジネスという形に翻訳し始めたのだと思う。ここで初めて、「思想が事業になる」という構造が成立する。</p>



<p>&nbsp;&nbsp;かわいいという概念を表すものとして、まず手がけたのが「いちごシリーズ」だったのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-キャラクターは-思想を語るための言葉-だった">キャラクターは“思想を語るための言葉”だった</h2>



<p>　やがて彼は、外部の作家を起用するなどして、その“かわいい”商品の幅を広げることになる。ところが、ここで限界を感じる。作家の気持ちを思えばこそ、他人のキャラでは自らの思いは載せきれない。</p>



<p>　まさに、自社キャラクターの開発へと踏み出すことを決意するに至るのである。</p>



<p>　もはや、いうまでもない。数多くのキャラが生まれた。コロちゃん、パティ＆ジミー、そしてハローキティ。これは単なるヒット商品開発ではない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260406.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58923" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260406.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260406.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260406.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　自分たちの思想を、自分たちの言葉で語るための手段だったのだと思う。キャラクターとは、その思想を運ぶ媒体であり、いわば“人格を持ったメッセージ”である。</p>



<p>　だからこそ、それらは一過性の流行として扱われることはない。何十年前に生まれたキャラクターも、今のキャラクターと同列に扱われる。「生き続ける存在」として設計されているからだ。</p>



<p>　ハローキティが世界に広がったのも、単に可愛いからではない。辻信太郎さんの奥にある信念と執念が、世の中を動かしたのだと僕は思う。</p>



<p>　そして、その大元には、「みんななかよく」思想があって、それが、人の心に触れたからだと考える方が自然だろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-いちご新聞は-読むもの-ではなく-関係性を生む装置-だった">いちご新聞は“読むもの”ではなく、“関係性を生む装置”だった</h2>



<p>　そう考えると、その展示で述べられている、彼の行動が理解できる。</p>



<p>　例えば、やなせたかしさんとの対話をきっかけに、出版を決意したのもそうだ。彼の詩集に胸打たれたからである。山梨シルクセンターという社名からは想像もつかない、「愛する歌」という書物の発表である。</p>



<p>　思えば、「いちご新聞」は読むものではなく、参加するものだった。</p>



<p>　投稿型の編集方針のもと、読者は単なる受け手ではなく、誌面を共に作る存在となる。いちごメイトという呼び名が象徴するように、そこにはすでに「顧客」と「企業」という関係性は存在していない。</p>



<p>　投稿を送り、誌面に参加し、イベントで顔を合わせる。フェスティバルには多くの人が集まり、地方に住む人のためには出張イベントやミニパーティーまで開催される。つまり、距離のある存在としてのブランドではなく、会いに行ける存在としてのサンリオが設計されていたのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-必要ないことだから価値がある">必要ないことだから価値がある</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichihgo260407.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58924" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichihgo260407.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichihgo260407.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichihgo260407.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　ここで一度、立ち止まって考えてみたい。</p>



<p>　もし、単純に商品を売ることだけが目的であれば、ここまでのことをする必要はないはずだ。冊子を作り、投稿を受け付け、イベントを開催し、全国を回る。そこには明らかにコストがかかる。</p>



<p>　だが彼は、それでもやった。なぜか。</p>



<p>　それは、商品だけでは、自分の伝えたいことが伝わらないと知っていたからではないかと思う。だからこそ、商品に込めたメッセージを補完するための手段として、メディアがあり、イベントがあり、関係性そのものが設計されていったのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-売るのではなく-体験させる-ことで価値は最大化されていく">売るのではなく、“体験させる”ことで価値は最大化されていく</h2>



<p>　さらに直営店「サンリオギフトゲート」に目を向けると、その思想はより立体的になる。</p>



<p>　そこでは商品は単に陳列されているのではなく、「どう見せるか」「どう感じてもらうか」まで含めて設計されている。空間に入った瞬間に、その世界観に触れ、商品を通じて何かを感じ取る。</p>



<p>　つまり、売り場は販売の場ではなく、体験の場へと変換されているのである。田園調布に存在した「いちごハウス」もまた、その延長線上にある。人と人が集い、触れ合い、その中で自然とサンリオの思想に触れていく。そこには“買う”という行為を超えた意味がある。</p>



<p>　こうして見ていくと、彼がやっていたことは明確だ。商品を売っていたのではない。</p>



<p>　関係性を設計していたのだと思う。そしてその関係性は、言葉としてのいちご新聞、モノとしてのキャラクター商品、空間としてのサンリオギフトゲート、さらにはイベントや出会いといったあらゆる手段を通して、途切れることなく接続されていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260412.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58929" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260412.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260412.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260412.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　それは、相手の負担にならない小さな贈り物“こまちゃま”を持ち歩いていたという彼自身のエピソードや、リボンの代わりにプレミアムマスコットを添える店頭の工夫にも、よく表れている。</p>



<p>　そして、その積み重ねの先に、文化と呼ばれるものが立ち現れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-文化は結果であって-目的ではなかった">文化は結果であって、目的ではなかった</h2>



<p>　ただ、その文化に対しての印象すらも、この場所を巡りながら、僕の認識は大きく変わっていくこととなる。</p>



<p>　最初は、商品を含めた、文化を作った人だと思っていた。しかし違った。逆説的になるけど、彼は文化を作ろうとしたのではない。</p>



<p>　例えば、<strong>戦争体験のように、自分の中にあるメッセージを、どうすれば届けられるか。</strong>その問いに対して、人生をかけて答え続けてきただけなのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260409.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58926" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260409.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260409.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260409.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　幼少期、戦争、仕事、事業、キャラクター、メディア、空間。</p>



<p>　そのすべてが、「伝える」という一点に収束している。</p>



<p>　一つ一つの経験を無駄にせず、それを自分なりに咀嚼して、次のメッセージを伝える“手段”へと変えていく。その積み重ねの結果として、文化が生まれた。だからこそ、それは強いし、長く続くのだと思う。文化とは、意図して作るものではなく、積み重ねの先に立ち現れるものなのだと、はっきりと理解できた。</p>



<p>　先ほど挙げた「戦争」経験にしても、もしも、ただ反対であることを口にするだけだったら、こうはならない。「仕方がない」ことではなく、話し合えば分かり合える。</p>



<p>　そのメッセージを自らの人生の積み重ねで得てきた一つ一つを丁寧に、自分なりに紡いで、形にしてきたのが、今のサンリオだ。</p>



<p>　会社はそれによって大きくなり、「みんななかよく」は世界に伝えられるものとなったのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-だから僕は-自分の人生でもそれをやりたいと思った">だから僕は、自分の人生でもそれをやりたいと思った</h2>



<p>　それゆえ、思うのである。このオープニングセレモニーで、辻信太郎さんは、98歳で、ハーモニカを器用に弾きながら、皆をおもてなしした。しかし、何度も、表に出て話すほどではないと口にした。</p>



<p>　それは本音なのかもしれない。言い換えれば、もう僕はこれだけやったから、次は君たちの番だと言っているようでもある。不思議と、そんな彼を遠巻きに見ながら湧いてきたのは、自分の人生への想いだった。</p>



<p>　人それぞれに、やるべきことがある。なぜなら、それぞれが異なる人生を歩んできたからだ。</p>



<p>　その人生は、一人ひとりの経験の中で生まれた想いを、誰かに伝えるために使うことができる。積み上げてきた時間を、自分の想いを届けるために翻訳し、未来を切り開いていく。その営みこそが、この場所には確かに現れている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260410.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58927" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260410.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260410.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/04/ichigo260410.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　辻信太郎という人がそれをやり切ったとき、僕たちは何を感じるだろうか。</p>



<p>　可愛いで終わらせてはいけない、大事なメッセージがそこにある。僕は、それを痛感した。</p>



<p>　「己の人生でできることとは何か」。</p>



<p>　そして、この訪問を通して、ひとつの夢ができた。</p>



<p>　自分が何かしらで結果を出したとき、その歴史を振り返った中に、「辻信太郎がいた」と言えるような人生を、自分も歩みたいと。そう思わせる力が、この場所にはあった。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/character-market/2026/04/tsuji-shintaro-minna-nakayoku-culture/">文化はつくるものではない──辻信太郎が人生を通して証明した「みんななかよく」の正体</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>AI時代に残る“非合理”という価値──行動経済学が示す、人間理解という最後の差別化</title>
		<link>https://145magazine.jp/retail/2026/04/ai-behavioral-economics-human-irrationality/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=ai-behavioral-economics-human-irrationality</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 02:37:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[通販/eコマース]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: ボーダーレス─僕らは空間と時間をクリエイトする]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　「これからは、行動経済学が重要になる」シナブル代表取締役 小林裕紀さんとの対話の中で、ふとした一言に引っかかった。AIが進化し、あらゆる意思決定が効 [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/04/ai-behavioral-economics-human-irrationality/">AI時代に残る“非合理”という価値──行動経済学が示す、人間理解という最後の差別化</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" style="background-color:#e7f4fd">　「これからは、行動経済学が重要になる」シナブル代表取締役 小林裕紀さんとの対話の中で、ふとした一言に引っかかった。AIが進化し、あらゆる意思決定が効率化されていく時代に、なぜ“非合理”を扱う学問が重要になるのか。一見すると逆説的にも思えるこの指摘は、しかし、話を深く聞くほどに、むしろ本質を突いていると感じた。そう考えると、AIは合理の極致である。</p>



<p>　だが、僕ら人間は、必ずしも合理的には動かない。このズレをどう捉えるか。そこにこそ、これからのビジネス、そして人間社会のあり方を読み解く鍵があるのではないか。その対話を起点に、AIと人間の関係性を改めて見つめ直していきたい。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-合理的でない行動-が-なぜ重要になるのか"><strong>「合理的でない行動」が、なぜ重要になるのか</strong></h2>



<p>　小林さんが提示した具体例は、極めてシンプルでありながら示唆に富んでいる。小林さんの会社、シナブルはマーケティングオートメーションのサービスを手掛けていて、顧客ごとに“最適なタイミングと内容”で関係性を作り出す。</p>



<p>　そこに関連して、話してくれたのが「クーポン」の話である。</p>



<p>　一般的に考えれば、クーポンは“お得”であり、提示すれば利用される確率は高まる。だが現実には、明確に「使う人」と「使わない人」に分かれるという。しかも、使わない人は、どれだけお得であっても使わない。それどころか、提示されること自体を煩わしく感じ、むしろマイナスに働くことすらある。</p>



<p>　この現象は、合理的な意思決定モデルでは説明がつかない。AIが得意とするのは、過去のデータから「最適解」を導き出すことだ。</p>



<p>　しかし、このクーポンのような振る舞いは、その最適解から外れる。つまり、AIにとっては「ノイズ」であり、扱いづらい領域である。</p>



<p>　だが、ここにこそ本質がある。人間は、常に合理的に動くわけではない。むしろ、面倒だからやらない、なんとなく嫌だから避ける、という曖昧で非合理な判断を日常的に繰り返している。この“揺らぎ”こそが、人間らしさの本質であり、同時にビジネスにおける最大の変数でもある。</p>



<p>　AIが普及すればするほど、合理的な最適化は誰でもできるようになる。だからこそ、その外側にある「非合理の理解」が、逆に差別化の源泉になる。行動経済学が重要になるという小林さんの指摘は、まさにこの構造を言い当てている。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-aiが壊してしまう-内側の世界観"><strong>AIが壊してしまう「内側の世界観」</strong></h2>



<p>　この話を聞きながら、僕は別の場面での会話を思い出していた。それは、とあるデザイナーとのやり取りである。彼は、自分たちが長い時間をかけて築き上げてきたブランドの世界観が、AIによって簡単に壊されてしまうことに戸惑いを感じていた。</p>



<p>　例えば、営業担当がAIで生成したデザインを「これでいきましょう」と持ってくる。しかし、そのデザインは一見整っているようで、実際にはブランドの文脈から外れている。</p>



<p>　なぜなら、それは“外側の平均値”から生成されたものであり、そのブランドが持つ内側の論理や歴史、積み重ねを反映していないからだ。</p>



<p>　ここで重要なのは、企業やブランドには、それぞれ固有の「内側のルール」が存在するという点である。それは言語化されていないことも多く、関係者の間で共有される暗黙知として機能している。そして、この内側の世界観こそが、外部からは再現できない価値を生み出している。</p>



<p>　AIは、広く集めた情報をもとに最適化を行う。そのため、どうしても“外側の論理”に引っ張られる。一方で、人間の関係性の中で育まれる世界観は、その外側とは一致しないことが多い。このズレを無視してAIを前面に出すと、結果として違和感のあるものが出来上がる。</p>



<p>　つまり、AIはあくまで裏側の補助装置であり、前面に立つべきものではない。この前提を見誤ると、価値そのものが崩れてしまう。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-aiは-再現性の外側-を扱えない"><strong>AIは「再現性の外側」を扱えない</strong></h2>



<p>　ここまでの話を整理すると、一つの結論が見えてくる。それは、AIは「再現できるもの」に強く、「再現できないもの」に弱いということである。</p>



<p>　クーポンに対する反応もそうだし、ブランドの世界観もそうだ。これらはすべて、個別の文脈や関係性の中で成立している。そのため、同じ条件を与えたとしても、同じ結果にはならない。つまり、再現性が低い。</p>



<p>　AIは、過去のデータをもとに未来を予測する。そのため、再現性のある領域では圧倒的な力を発揮する。しかし、再現性のない領域に踏み込むと、その精度は途端に落ちる。</p>



<p>　にもかかわらず、AIの出力は一見それらしく見えるため、人はそれを過信してしまう。</p>



<p>　この構造は、非常に危険である。</p>



<p>　なぜなら、「正しそうに見える間違い」が量産されるからだ。しかも、AIのスピードによって、それが一気に広がってしまう。</p>



<p>　だからこそ、人間側には別の役割が求められる。それは、「これは違う」と判断する力である。違和感を察知し、それを言語化し、修正する。このプロセスを担うのは、依然として人間でしかない。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-バグ-を前提にした思考が-ai時代の前提になる"><strong>“バグ”を前提にした思考が、AI時代の前提になる</strong></h2>



<p>　僕はこの構造を、コンピューターにおける“バグ”に近いものだと捉えている。</p>



<p>　通常、人はバグが起きないことを前提にシステムを考えがちだ。しかし実際には、どんなシステムにもバグは発生する。だからこそ、バグを前提に設計し、それに対処する仕組みを組み込む必要がある。</p>



<p>　AIも同じである。どれだけ精度が上がったとしても、必ずズレは生じる。そのズレを「例外」として扱うのではなく、「前提」として受け入れる。この意識の転換が、これからの時代には不可欠になる。</p>



<p>　AIは意思決定を補助するが、その前提となる設計や方向性は人間が決める必要がある。どのデータを見るのか、どの仮説を立てるのか、どこに価値を置くのか。これらはすべて、人間側の責任である。</p>



<p>　そして、この判断の精度を高めるために必要なのが、行動経済学的な視点、つまり「人はどう動くのか」を理解する力なのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-広告は消えない-気づかれない形-で"><strong>広告は消えない。“気づかれない形”で</strong></h2>



<p>　クーポンの話を聞きながら、もう一つ考えさせられたことがある。</p>



<p>　それは、広告のあり方そのものが、これから大きく変わっていくのではないかという点だ。一般的に、AIが進化すれば、無駄な広告は排除され、より最適な情報だけが届けられるようになる、と考えられがちである。</p>



<p>　だが、小林さんの見立てはむしろ逆だった。広告はなくならない。むしろ、形を変えて入り込んでくるという。</p>



<p>　その象徴的なイメージが、AIエージェントによる提案である。例えば、日常の中で「そろそろゴルフに行こうかな」と思った瞬間に、AIが「ボールが少なくなっていますよ」「この商品が良いですよ」と自然に差し込んでくる。</p>



<p>　これは一見すると、ユーザーに寄り添った“便利な提案”である。しかし、その裏側にある構造を見れば、それは紛れもなく広告である。</p>



<p>　つまり、これからの広告は「ここに広告がありますよ」と明示されるものではなく、「必要な情報ですよ」という顔をして、意思決定の中に溶け込んでくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-だから-必要と感じるものは何かが大事">だから、必要と感じるものは何かが大事</h2>



<p>　ここで重要なのは、クーポンの話と同じ構造が存在しているという点だ。</p>



<p>　人は、自分にとって必要だと感じるものは受け入れるが、そうでないものは拒絶する。だからこそ広告は、これまで“目立つ形”で存在しながらも、どこかで嫌われる存在でもあった。だが、AIがその文脈を読み取り、「必要そうなタイミング」で差し込んでくるようになると、その境界線は曖昧になる。広告なのか、単なる提案なのか、その区別がつかなくなるのである。</p>



<p>　さらに厄介なのは、その提案が本当に“最適”なのかどうかが、見えにくくなる点だ。理想的には、AIはユーザーにとって最も価値のある選択肢を提示するはずである。しかし現実には、そこにビジネスの論理が介在する。</p>



<p>　つまり、どの情報が優先されるのかは、純粋な最適化だけでは決まらない可能性がある。結果として、ユーザーは「自分で選んでいるつもりで、実は誘導されている」という状態に置かれることになる。</p>



<p>　この構造は、クーポン以上に“見えづらい非合理”を生む。</p>



<p>　なぜなら、クーポンはまだ「提示されている」と認識できるが、AIの提案はそれ自体が自然な流れの中に組み込まれているからだ。だからこそ、これからの時代においては、「これは本当に自分の意思なのか」という問いが、より重要になってくるのではないかと思う。　広告が消えるのではない。むしろ、人の意思決定の奥深くにまで入り込んでくる。その変化を前提に、私たちはAIと向き合わなければならないのだと思う。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-aiの先に残るのは-人間らしさ-である"><strong>AIの先に残るのは、「人間らしさ」である</strong></h2>



<p>　最終的にこの対話から見えてきたのは、極めてシンプルな結論だった。それは、「AIが進化するほど、人間が問われる」ということである。</p>



<p>　AIは、専門性の壁を越え、あらゆる領域を横断する力を持っている。デザインも、文章も、プログラミングも、ある程度のレベルまでは誰でもできるようになる。だが、その先に残るのは、「何を作るのか」という問いであり、それは人間の内側からしか生まれない。</p>



<p>　経験、感情、直感、そして関係性。これらは、データとして扱うことはできても、完全に再現することはできない。だからこそ価値がある。</p>



<p>　小林さんが語った「行動経済学を学ぶべきだ」という言葉は、単なる知識の話ではない。それは、人間を理解する努力を放棄するな、というメッセージでもある。</p>



<p>　AIを使いこなすということは、AIに任せることではない。むしろ、その逆である。人間が何を大切にするのかを明確にし、その上でAIをどう使うのかを考えること。その順序を見失わないこと。</p>



<p>　だからこそ、行動経済学という視点は重要になる。合理では説明できない人間の揺らぎを理解しようとすること。</p>



<p>　それこそが、AI時代において、最後に残る差別化になるのではないかと、僕は感じている。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
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		<title>顧客満足の正体とは何か　ユナイテッドアローズが示した“感動ドリブンOMO”の本質</title>
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		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 03:26:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[通販/eコマース]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 賢くなろう─商売の教科書]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　デジタルの重要性が叫ばれて久しい。小売の現場でも、EC、アプリ、会員基盤、CRM、広告、データ活用といった言葉は、もはや特別なものではなくなった。顧 [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/04/united-arrows-omo-customer-experience/">顧客満足の正体とは何か　ユナイテッドアローズが示した“感動ドリブンOMO”の本質</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" id="h-" style="background-color:#ddf1fe">　デジタルの重要性が叫ばれて久しい。小売の現場でも、EC、アプリ、会員基盤、CRM、広告、データ活用といった言葉は、もはや特別なものではなくなった。顧客を知り、リアル店舗とオンラインを横断的に捉え、満足度を高めていく。その考え方自体は、すでに多くの企業に共有されている常識である。だが、その一方で、ずっと引っかかっていたことがある。私たちは「顧客満足度」という言葉を、あまりに便利に使いすぎてはいないだろうか。何をもって顧客は満足したのか。何が再来店や継続購入を生み出したのか。その内実は、案外、曖昧なまま語られてきたのではないか。</p>



<p>　その問いに対して、ひとつの具体的な答えを与えてくれたのが、ファッションワールド東京春で行われた、ユナイテッドアローズ OMO本部 本部長・岩井一紘氏の講演であった。そこでは、デジタルを強化すること自体が目的なのではなく、リアル店舗が生み出してきた価値を、データを通して証明し直すという、極めて重要な視点が提示されていた。</p>



<p>　この話が面白いのは、デジタル時代の最前線にいるはずの企業が、最終的にはリアル店の価値へと立ち返っていたことである。だがそれは、時代に逆行しているのではない。むしろ、デジタルが浸透したからこそ、リアルの価値が何なのかを、ようやく解像度高く語れるようになったということなのだ。ユナイテッドアローズのOMO戦略は、単なるチャネル統合の話ではない。企業の個性とは何か、顧客に提供すべき価値とは何かを、改めて問い直す実践なのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-1-顧客満足度-という便利な言葉が-かえって本質を曇らせてきた"><strong>1. 「顧客満足度」という便利な言葉が、かえって本質を曇らせてきた</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-1-1-満足しているのに-何に満足したのかは語られていない"><strong>1-1. 満足しているのに、何に満足したのかは語られていない</strong></h3>



<p>　小売の現場では、長らく「顧客満足度を高める」という言葉が、ひとつの正義として語られてきた。リアル店舗でもECでも、接客でも販促でも、あらゆる施策が最終的にはその言葉へ回収されていく。もちろん、それ自体が間違っているわけではない。</p>



<p>　顧客が満足しなければ、再来店も継続購入も起きないし、ブランドへの信頼も育たないからだ。</p>



<p>　だが問題は、その言葉があまりに包括的であることにある。</p>



<p>　顧客は何に満足したのか。価格なのか、品揃えなのか、接客なのか、あるいは購入までの導線の滑らかさなのか。それとも、言葉にしにくい感情の高まりなのか。こうした分解が不十分なまま、「結果として売上が伸びた」「会員が増えた」「LTVが上がった」といった話だけが残ると、企業は本当の意味で再現性を持った学びを得られない。</p>



<p>　今回の岩井氏の話が優れていたのは、そこを曖昧なままにしなかった点にある。</p>



<p>　ユナイテッドアローズでは、ECやアプリ、ロイヤリティプログラムを整備しながら、その先で何が起きているかを見ようとしていた。つまり、デジタル施策の成果を、単なるオンライン売上の増加で捉えるのではなく、その先にある顧客行動の変化として捉えていたのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-1-2-売上の結果ではなく-感情の中身を見にいく必要がある"><strong>1-2. 売上の結果ではなく、感情の中身を見にいく必要がある</strong></h3>



<p>　そこから見えてきたのが、F2転換率の改善だった。初回購入で終わっていた顧客が、継続的に購入する存在へ変わっていく。その変化がどこで起きているのかを追った時、単にECが便利になったから、アプリが使いやすくなったから、という話では終わらなかった。</p>



<p>　むしろ、リアル店舗が生んでいた価値を、デジタルが可視化し始めたのである。</p>



<p>　ここが重要だ。従来の「顧客満足度」という言葉のままでは、売上と感情のあいだにある重要な因果が飛ばされてしまう。</p>



<p>　しかしユナイテッドアローズの取り組みは、その間を丁寧に繋ぎ直していた。顧客は何によって心を動かされ、なぜ戻ってくるのか。そこを具体的に捉えようとした時、満足度という抽象語ではなく、「感動提供」という言葉が前面に出てくる意味が見えてくるのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-2-デジタルで見えてきたのは-リアル店が継続顧客を生み出していたという事実だった"><strong>2. デジタルで見えてきたのは、リアル店が継続顧客を生み出していたという事実だった</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-2-1-顧客はオンラインとオフラインを分けて生きていない"><strong>2-1. 顧客はオンラインとオフラインを分けて生きていない</strong></h3>



<p>　小売において、デジタル活用が重視される理由は明快である。顧客行動を把握できるからだ。何を見て、どこで離脱し、何を比較し、どこで購入したのか。オンラインは行動が記録される。だからこそ、多くの企業はデジタルを「顧客理解の武器」として導入してきた。</p>



<p>　だが、ユナイテッドアローズの実践が示したのは、デジタルが単独で価値を生むというよりも、リアルの価値を証明する装置として機能し始めているということだった。講演で示されたように、EC商品詳細ページを見た会員の一定割合が、1週間以内に店頭で商品を購入している。</p>



<p>　また、オンラインとオフラインの両方を利用する顧客群が大きく伸びていた。つまり、顧客はチャネルを別物として見ていない。オンラインで検討し、リアルで確認し、納得して購入する。あるいは店で接客を受け、帰宅後にオンラインで再検討する。そうした往復運動が、実際の購買行動として明らかになってきたのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-2-2-f2転換率の改善が-リアル店の価値を証明し始めた"><strong>2-2. F2転換率の改善が、リアル店の価値を証明し始めた</strong></h3>



<p>　ここで面白いのは、その往復の先にある成果が、単なるオンライン売上の伸長ではなく、F2転換率の上昇として表れていた点だ。もともと弱かった継続購入の比率が改善し、LTVが高まっていった。その背景には、リアル店舗での接客や体験が、顧客の記憶に残り、次回購買の起点になっていた可能性が強く示唆されている。</p>



<p>　つまり、デジタルによって見えるようになったのは、「ECがすごい」という単純な話ではなかった。リアル店で生まれた信頼や感動が、その後の購買行動を支えていたということである。</p>



<p>　これまでリアル店舗は、売上を生む場所ではあっても、継続顧客を育てていることまで定量的に語られる場面は多くなかった。だが今や、デジタルの浸透によって、その価値を数字で捉えられるようになった。</p>



<p>　これは時代の変化である。リアルが弱くなったのではない。むしろ、デジタルが進んだからこそ、リアルが本来担っていた役割が輪郭を持ち始めたのだ。リアル店は、単にその場で商品を売るための場所ではない。継続顧客を生み出し、ブランドとの関係を育てる場所である。その事実が証明され始めたことに、私は大きな意味を感じた。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-3-omoとは統合の話ではなく-自社の強みをどこに置くかを見極める話である"><strong>3. OMOとは統合の話ではなく、自社の強みをどこに置くかを見極める話である</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-3-1-仕組みを入れる前に-自社の個性を定義しなければならない"><strong>3-1. 仕組みを入れる前に、自社の個性を定義しなければならない</strong></h3>



<p>　OMOという言葉は、しばしば「オンラインとオフラインの統合」と説明される。もちろん、それ自体は間違っていない。顧客がチャネルを行き来する以上、企業側もそれを分断せず、一体で捉える必要がある。しかし、その説明だけでは足りない。なぜなら、統合はあくまで手段であって、何のために統合するのかが抜け落ちると、OMOは単なる仕組み論に変質してしまうからである。</p>



<p>　岩井氏の話の本質は、そこを超えていた。ユナイテッドアローズは、ECやアプリ、会員基盤、システム、データマネジメントといった機能を整えながら、それらを万能視してはいなかった。むしろ、自分たちのコアコンピタンスは何かを問い直し、その強みを最大化するためにOMOを位置づけていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-3-2-ヒト-モノ-ウツワ-をどう活かすかが戦略になる"><strong>3-2. 「ヒト・モノ・ウツワ」をどう活かすかが戦略になる</strong></h3>



<p>　その強みとして語られたのが、「ヒト・モノ・ウツワ」である。</p>



<p>　人とは接客、モノとは商品、ウツワとは店舗や空間である。ユナイテッドアローズは創業以来、この三位一体で価値を生み出してきた企業だという自己認識を持っている。そして、その延長線上に「感動提供」という言葉がある。つまり、この会社にとってOMOとは、デジタルを強化することではなく、自分たちが顧客に届けてきた感動を、より深く、より広く、より継続的に届けるための方法論なのである。</p>



<p>　ここが非常に重要だ。多くの企業はOMOを導入する際、機能の比較に入ってしまう。何のツールを入れるか、どのアプリを作るか、どれだけID統合するか。しかし、本来先にあるべきは、自社が何で選ばれているのかという問いだ。そこが曖昧なまま仕組みだけ導入しても、顧客体験は表面的に整うだけで、企業独自の魅力には繋がらない。</p>



<p>　ユナイテッドアローズの話が示していたのは、OMOとはチャネル統合の技術論ではなく、企業の個性を見極める経営論だということだ。デジタルをどこまで使うかではない。</p>



<p>　デジタルを使って、自分たちの強みをどのように証明し、伸ばし、再現していくか。そこまで含めて初めて、OMOは企業成長の戦略になるのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-4-感動提供-という言葉が-曖昧な顧客満足を具体的な価値へと変えていく"><strong>4. 「感動提供」という言葉が、曖昧な顧客満足を具体的な価値へと変えていく</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-4-1-満足ではなく-なぜ-また来たい-と思うのかを考える"><strong>4-1. 満足ではなく、なぜ“また来たい”と思うのかを考える</strong></h3>



<p>　ユナイテッドアローズが掲げる「感動提供」という言葉は、一見すると理念的で、やや抽象的にも見える。だが、今回の講演を聞くと、この言葉は決してきれいごとではないとわかる。むしろ、曖昧になりがちな顧客満足を、企業としてどこまで具体的に捉えるかという意思表示に近い。</p>



<p>　小売で「満足」を語るのは簡単である。欲しいものが買えた、価格に納得できた、配送が早かった、返品がしやすかった。それらは確かに重要だ。しかし、長く継続されるブランドであり続けるためには、それだけでは足りない。顧客が「またここで買いたい」と思う時、その背景にはもう少し深い感情がある。</p>



<p>　自分を理解してもらえた感覚、提案が腑に落ちた感覚、期待を超えられた感覚、心地よい記憶として残る接客や空間。そうしたものの総体を、ユナイテッドアローズは「感動」と呼んでいるのだと思う。</p>



<p>　この言葉が強いのは、売上の先にある価値を見据えている点である。売れたかどうかだけではなく、なぜその企業から買いたいと思われたのかに焦点を当てている。しかもその感動は、商品だけで完結しない。人と、モノと、空間が組み合わさって初めて生まれる。だからこそ、この会社においてはリアル店舗が極めて重要になる。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-4-2-感動は商品単体ではなく-人と空間を含めて生まれる"><strong>4-2. 感動は商品単体ではなく、人と空間を含めて生まれる</strong></h3>



<p>　そして、ここでデジタルの役割が逆説的に見えてくる。デジタルは感動そのものを代替するのではなく、感動がどこで生まれ、どう継続されているかを把握するための手段として使われているのである。</p>



<p>　UAクラブも、単なるポイント制度ではなく、顧客を知るための仕組みとして設計されている。レビュー、アプリ行動、各種アクションを含めて、顧客理解を深める。そのうえで、店頭での体験をより良いものにする。つまり、デジタルは感動の周辺を整え、感動が生まれる条件をつくる。</p>



<p>　この構図は、従来の「便利だから売れる」「効率が良いから伸びる」というデジタル観とは少し違う。むしろ、便利さや効率を超えて、ブランドが何によって選ばれ続けるのかを掘り下げた時に、感動提供という言葉が立ち上がってくるのである。ここに、ユナイテッドアローズのOMO戦略の思想的な強さがある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-5-ecが先行しすぎればよいわけではない-データが示したリアル体験の着火点"><strong>5. ECが先行しすぎればよいわけではない　データが示したリアル体験の着火点</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-5-1-ecは売り場である前に-来店のきっかけをつくる場である"><strong>5-1. ECは売り場である前に、来店のきっかけをつくる場である</strong></h3>



<p>　デジタル活用が進むほど、多くの企業は「より早く、より多く、より便利に」という方向へ進みがちである。商品情報は早く出したほうがいい。ECで先に露出したほうがいい。お客様に見つけてもらう機会は多いほどいい。一見すると、これは正しいように見える。だが、ユナイテッドアローズの話は、そこにも慎重な視点を差し込んでいた。</p>



<p>　講演の中で印象的だったのは、商品詳細ページを見た顧客が、その後リアル店舗に来店し、購入に至る割合がかなり高いという話である。これは、オンラインが最終購買の場である以前に、検討の入口として強く機能していることを意味する。顧客はまずデジタルで当たりをつけ、そのうえで店へ向かう。つまり、ECは終着点ではなく、リアル体験の前段にある。</p>



<p>　だからこそ、ECが先行しすぎると問題が起きる。講演でも触れられていたように、店舗発売よりもかなり早くEC上に商品情報を載せてしまうと、顧客は「あるはずだ」と思って店へ行く。しかし実際には店頭にまだ並んでいない。その瞬間、期待は落差へ変わる。企業側から見れば情報を早く出しただけかもしれないが、顧客体験の側から見ると、それは小さな裏切りである。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-5-2-情報を早く出すことが-体験を損なうこともある"><strong>5-2. 情報を早く出すことが、体験を損なうこともある</strong></h3>



<p>　ここに、OMOの難しさがある。オンラインとオフラインを両方やっていればよいのではない。両者が顧客の時間軸の中で、どう繋がっているかまで見なければならないのである。ユナイテッドアローズは、その点をかなり意識していた。ECの役割を「売る場」としてだけでなく、「店頭体験のきっかけをつくる場」として捉えているからだ。</p>



<p>　この視点は重要である。いまや顧客は、ネットで下調べをしてから店へ行くことを当たり前にしている。であるならば、ECの成功とは、EC単体の売上だけで測るべきではない。</p>



<p>　その情報が店頭での感動体験にどう繋がったのかまで含めて見なければ、本当の意味での成果はわからない。ユナイテッドアローズが示したのは、その接続の設計こそがOMOの肝だということである。ECを伸ばすことではなく、ECをどう使えばリアル体験が最大化されるか。その問いの立て方自体が、すでに一段深いのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-6-uaクラブは統合のためではなく-顧客理解を通してリアルの感動を支える装置である"><strong>6. UAクラブは統合のためではなく、顧客理解を通してリアルの感動を支える装置である</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-6-1-ポイント制度ではなく-顧客の行動を知る基盤として見る"><strong>6-1. ポイント制度ではなく、顧客の行動を知る基盤として見る</strong></h3>



<p>　会員制度やロイヤリティプログラムは、多くの企業で導入されている。ポイントを付与し、購買を促進し、アプリへ誘導し、再来店や再購入に繋げる。その発想自体は珍しくない。だが、ユナイテッドアローズがUAクラブをどう位置づけているかを見ると、それは単純な販促装置ではないことがわかる。</p>



<p>　注目すべきは、UAクラブが顧客のアクションを捉えるための基盤になっているという点である。購買だけではなく、レビューを書く、情報を登録する、お気に入りをつける、アプリ上で行動する。そうした一つ一つの動きが、顧客理解のための材料になる。そして、その理解を通して何をするかといえば、最終的にはリアル店での感動体験を高めるために使うのである。</p>



<p>　ここが非常に重要だ。多くのロイヤリティプログラムは、経済的インセンティブによって関係を維持しようとする。割引、ポイント、クーポン、ランク特典。もちろんそれらは有効だ。</p>



<p>　しかし、岩井氏の話を聞く限り、ユナイテッドアローズはそこだけに依存していない。むしろ、経済メリットが効く範囲には限界があることを見据えていた。F1からF2、あるいは初期の継続購入までは、制度や施策が効く。だが、それ以降までブランドとの関係を深くするには、接客や提案、体験といった情緒的価値が不可欠になる。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-6-2-データは販促のためではなく-感動の精度を上げるために使う"><strong>6-2. データは販促のためではなく、感動の精度を上げるために使う</strong></h3>



<p>　だからこそ、UAクラブは「統合」のためのものではない。リアルとネットを同じIDで繋ぐためだけの仕組みではなく、顧客が何を見て、何に迷い、どこで気持ちが動いたのかを知るための仕組みである。そして、その知見をもとに、リアルの場でより良い体験を届ける。つまり、データはゴールではなく、感動の精度を上げるための素材なのだ。</p>



<p>　この考え方は、デジタルの役割を過不足なく捉えている。データで全部解決するわけではない。だが、データがなければ、感動がどこで生まれているかも見えにくい。</p>



<p>　ユナイテッドアローズはその中間を取っている。UAクラブを通して顧客理解を深め、最終的にはリアル店舗の価値を高める。ここに、この企業のOMOが単なるDXではなく、ブランド戦略として成立している理由がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-7-デジタル時代にリアルを重んじるという逆説こそ-これからの小売の核心である"><strong>7. デジタル時代にリアルを重んじるという逆説こそ、これからの小売の核心である</strong></h2>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-7-1-デジタルが進んだからこそ-リアルの役割が鮮明になった"><strong>7-1. デジタルが進んだからこそ、リアルの役割が鮮明になった</strong></h2>



<p>　一見すると、ユナイテッドアローズの話は逆説的に聞こえるかもしれない。ここまでデジタルが浸透した時代に、なおリアル店舗の価値を重視するのか。ECもアプリもCRMもデータも高度化しているのに、結局は店なのか。そう受け取る人もいるだろう。</p>



<p>　だが、僕はここにこそ時代の変化を感じる。以前は、リアルとデジタルを対立的に捉える見方があった。ECが伸びれば店舗は弱まる、デジタルが進めば接客の比重は下がる、といった見方である。</p>



<p>　しかし今起きているのは、そうした単純な置き換えではない。むしろ、デジタルが発達したことで、リアル店舗が担うべき役割がより明確に見えてきたのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-7-2-omoはチャネル統合ではなく-企業の価値を問い直す経営論である"><strong>7-2. OMOはチャネル統合ではなく、企業の価値を問い直す経営論である</strong></h3>



<p>　その役割とは、感動を生み出すことだ。単に売ることではない。商品を試し、会話し、提案を受け、納得し、心が動くこと。その体験が、次の購入へ繋がる記憶になる。デジタルはそれを補完し、支え、可視化し、継続可能にする。しかし、最後の着火点まで完全に代替するわけではない。</p>



<p>　少なくともユナイテッドアローズにおいては、そこがブランドの強みなのだと、講演全体が語っていた。</p>



<p>　だからこそ、この話はユナイテッドアローズ一社の成功談にとどまらない。OMOを考えるすべての企業に対して、自分たちのリアルの価値は何か、自社にとって感動とは何かを問い返している。デジタルを導入することではなく、デジタルによって何を証明したいのか。その問いがなければ、どれだけ施策を打っても成長には繋がりにくい。</p>



<p>　結局のところ、OMOの本質は、リアルとネットをつなぐ技術論ではない。企業が自分たちの個性を見定め、その価値を顧客にどう届け続けるかという経営の問題である。ユナイテッドアローズは、その答えを「感動提供」という言葉で示した。</p>



<p>　そしてその感動は、デジタル時代であるにもかかわらず、いや、デジタル時代だからこそ、リアル店舗の中でこそ強く立ち上がる。そこに僕は、この話の優れた本質を見たのである。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/04/united-arrows-omo-customer-experience/">顧客満足の正体とは何か　ユナイテッドアローズが示した“感動ドリブンOMO”の本質</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>3分半に宿る設計思想──『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』が示したインディーアニメの未来</title>
		<link>https://145magazine.jp/character-market/2026/04/milky-subway-design-indie-anime-future/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=milky-subway-design-indie-anime-future</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Apr 2026 23:39:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[キャラ談]]></category>
		<category><![CDATA[ライセンサー｜世界を作る側]]></category>
		<category><![CDATA[ライセンス]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 奥深きキャラクターの背景]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>©亀山陽平／タイタン工業　© 2022 ミルキー☆ハイウェイ 　一番、痛感したのは、全体設計である。そして、それを、これまでにはない切り口で、大胆に、 [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/character-market/2026/04/milky-subway-design-indie-anime-future/">3分半に宿る設計思想──『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』が示したインディーアニメの未来</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-small-font-size">©亀山陽平／タイタン工業　© 2022 ミルキー☆ハイウェイ</p>



<p class="has-background" style="background-color:#fdeef1">　一番、痛感したのは、全体設計である。そして、それを、これまでにはない切り口で、大胆に、しかも少数で実現できる土壌が整っているという事実だ。本質的に、制作において大事なことは何も変わっていない。だが、それを実現できる環境が変わったことで、ここまで世の中を席巻できる。そのスケールを、少人数で生み出せてしまう。そこにこそ、今回の価値があるのではないかと感じた。</p>



<p>　先日、AnimeJapan 2026のビジネスデーにおいて、「銀河特急 ミルキー☆サブウェイ」に見るインディーアニメの未来と題したセミナーが行われた。それで、強い関心を持って、僕はその場に足を運んだ。そこで語られていた内容は、単なる制作の裏話ではなく、いまの時代において作品がどう成立しているのか、その本質に触れるものだったように思う。</p>



<p>　特に印象的だったのは、亀山陽平監督が明確にそう語っているわけではないが、全体を掴み、その上で必要な要素を的確に当て込んでいく、その設計の力である。3分半という短尺、音と映像の緻密な関係、そして少人数での制作体制。それらは個別の要素ではなく、ひとつの設計思想として統合されている。</p>



<p>　本作は、インディーアニメの可能性を示しただけではない。むしろ、「どう作るべきか」という本質を、極めてシンプルな形で提示したのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-銀河特急-ミルキー-サブウェイ-とは何か"><strong>■ 『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』とは何か</strong></h2>



<p>　<a href="https://youtube.com/@milkygalacticuniverse?si=E0DxDHjZtGlrxAiY">『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』</a>とは、亀山監督が専門学校時代の卒業制作として手がけた自主制作短編『ミルキー☆ハイウェイ』を起点に、テレビ＆配信シリーズ、さらに劇場版へと発展したSF作品である。</p>



<p>　もともとは個人制作に近い熱量から始まった企画だが、その独特な3DCG表現、会話劇のテンポ、そして音と映像が気持ちよく噛み合う演出が注目を集め、続編制作へとつながっていった。</p>



<p>　セミナーでも亀山監督は、卒業制作の段階で「自分がやりたかった演出を全部詰め込んだ」と語っており、さらに『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』では、その根幹となる音楽連動の面白さを最初からシリーズの柱として据えていたことが明かされている 。</p>



<p>　舞台はSF的な世界でありながら、そこで描かれるのは大仰な英雄譚ではない。</p>



<p>　むしろ、少し間の抜けた人物たちが、騒がしく、どうでもよさそうでいて妙に愛おしい会話を重ねることで、独自の空気を作り出していく。</p>



<p>　その意味で本作は、壮大な設定を見せる作品ではなく、設定を土台にしながら“ノリ”や“居心地”そのものを作品価値へと変えたアニメである。個人作家性の強い作品でありながら、商業展開にも耐えうる普遍的なエンタメへと開かれていった点にこそ、この作品の特異さがある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-3分半という制約が生んだ-全体設計-という発想"><strong>■ 3分半という制約が生んだ「全体設計」という発想</strong></h2>



<p>　『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』を語るうえで最も重要なのは、3分半という尺の扱い方である。この作品は、短いにもかかわらず情報量が多いのではない。むしろ、必要なものだけが最適に配置されているからこそ、「濃い」と感じられるのである。</p>



<p>　亀山監督は、もともとこのフォーマットを「成功する型」として選んだわけではない。自分の制作環境でシリーズを成立させるために、「3分半程度が限界だ」と判断した結果に過ぎないと語っている。</p>



<p>　つまり、ここには最初から“正解”があったわけではない。環境を前提に考えた結果として、このフォーマットが導き出されたのである。</p>



<p>　しかし重要なのは、その制約を受け入れたうえで、「では、その中で何をすべきか」を徹底的に設計している点にある。テンポが悪ければセリフを削り、情報が多すぎれば整理し、逆に不足すれば補う。実際に自分でセリフを読み上げ、録音し、映像に並べて検証するというプロセスを繰り返しながら、体感的に最適な密度へと調整している。</p>



<p>　ここで見えてくるのは、「全体を先に掴む」という発想である。先に枠を定め、その中に要素を当て込む。この順序があるからこそ、どの要素も機能として成立する。結果として、短尺だからこそ、観る側にとって“ちょうどいい濃度”が実現されているのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-音と映像の関係を-リズム-として再定義する"><strong>■ 音と映像の関係を「リズム」として再定義する</strong></h2>



<p>　本作における音の扱いは、極めて象徴的である。単に音楽や効果音をつけているのではなく、音そのものが構造の一部として組み込まれている。亀山監督は、もともと「音楽と映像をリンクさせる」ことを目的に作品を制作しており、その思想はシリーズを通して一貫している。</p>



<p>　実際の制作では、音が先に存在するケースと、映像が先に存在するケースの両方が使い分けられている。あるシーンでは音楽のテンポに合わせてアクションを構築し、別のシーンでは映像の流れに合わせて楽曲を組み立てる。この双方向の設計が可能であること自体が、作品の柔軟性を生んでいる。</p>



<p>　さらに興味深いのは、「音を減らす」という判断である。</p>



<p>　効果音は本来、画面上のすべてに付けることもできる。しかし本作では、あえて音を間引き、「どの音を立たせるか」に集中している。実際に、音響担当とともに映像を見ながら、「ここは削ろう」「ここは残そう」と議論を重ねていることが語られている。これは単なる調整ではなく、「どの要素が体験を支えるのか」という設計そのものだ。</p>



<p>　また、リアリズムに対する考え方も特徴的である。宇宙空間であっても列車の音を入れるなど、物理的には存在しない音をあえて採用する。それは嘘ではなく、「観る側の記憶を呼び起こすための装置」として機能している。つまり、音は現実を再現するためではなく、体験を成立させるために存在しているのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-セリフを-意味-ではなく-音-として扱う発明"><strong>■ セリフを「意味」ではなく「音」として扱う発明</strong></h2>



<p>　『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』におけるセリフは、明らかに従来の役割から逸脱している。</p>



<p>　もちろん、ストーリーを伝える機能は持っている。だが、それ以上に重視されているのは「聞いていて楽しいかどうか」である。</p>



<p>　亀山監督自身が語っている通り、本作のセリフの多くは「鳴き声として楽しんでもらう」ことを目的としている。つまり、意味よりも音としての快感が優先されている。実際に、目的を持たないセリフや、同時発話、被せるような会話などが多用されており、それによって独特の空気感が生まれている。</p>



<p>　一方で、必要な情報はきちんと伝えられている点も重要である。例えば、複数人が同時に話すシーンでも、「どのセリフを聞かせるか」は音量や順番で精密に調整されている。ただガヤガヤしているように見えて、実際には意図的に構成されているのである。</p>



<p>　また、テンポに対するこだわりも徹底している。セリフを書いた後、自ら読み上げて録音し、それを映像に配置して検証する。その過程でテンポが悪いと判断すれば、セリフ自体を書き換える。この「テンポ優先」の姿勢が、結果として自然で心地よい会話劇を生み出している。</p>



<p>　つまり、本作においてセリフは、「情報伝達」から「体験設計」へと役割を変えているのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-少人数制作を成立させる-役割理解-という構造"><strong>■ 少人数制作を成立させる「役割理解」という構造</strong></h2>



<p>　『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』は、少人数で制作されたことがしばしば強調される。しかし、その本質は「人数の少なさ」ではない。重要なのは、「役割の設計」である。</p>



<p>　亀山監督は、自身が全体設計を担う一方で、音楽や音響といった専門領域については他者に委ねている。そして、その委ね方が非常に的確である。単に任せるのではなく、「どこまでを自分が決め、どこからを任せるのか」を明確にしている。この線引きがあるからこそ、各分野の専門性が最大限に活かされる。</p>



<p>　また、制作の過程において「運が良かった」と語っている点も示唆的だ。専門学校という環境で、音楽や声優といった他分野の人材と出会えたことが、作品の成立に大きく寄与している。これは偶然であると同時に、「自分一人では作れない」という理解があったからこそ成立しているとも言えよう。</p>



<p>　さらに、プロの現場に入ったことで、ミックスや音響のバランスなど、これまで見えていなかった領域の重要性を学んだことも語られている。</p>



<p>　つまり、少人数であっても「全てを理解しようとする姿勢」があり、それが結果として全体の精度を高めているのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-エンタメであることを成立させる-ビジネス視点"><strong>■ エンタメであることを成立させる「ビジネス視点」</strong></h2>



<p>　本作のもう一つの重要な側面は、明確に「ビジネス」として成立させようとしている点である。亀山監督は、「作品は赤字を出してはいけない」と語っている。これは単なる収益の話ではなく、「継続可能性」の問題である。</p>



<p>　インディー作品というと、自己表現や実験的な側面が強調されがちである。しかし本作では、「多くの人に届くこと」が前提として設計されている。音やセリフの工夫も、最終的には「楽しめるかどうか」に帰結している。</p>



<p>　また、制作を支える構造についても言及されている。プロデューサーの存在、資金管理、報酬の分配など、クリエイティブ以外の要素が作品の成立に不可欠であることが強調されている。実際に、「制作の楽しい部分だけでは成立しない」という認識が共有されている点は非常に重要である。</p>



<p>　これは、インディーと商業の境界が曖昧になりつつある現代において、極めて現実的な視点である。自由に作れる時代だからこそ、「どう成立させるか」という責任が問われているのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-技術ではなく-設計-が時代を更新する"><strong>■ 技術ではなく「設計」が時代を更新する</strong></h2>



<p>　『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』は、しばしば「技術の進化」や「少人数制作」の文脈で語られる。しかし、その本質はそこにはない。本作が示しているのは、「設計の力」である。</p>



<p>　実際に、亀山監督自身も、特定の成功モデルを参考にしたわけではないと語っている。むしろ、自分の持っている環境や条件を前提に、「何ができるか」を考え、その中で最適な形を模索している。</p>



<p>　その結果として、3分半というフォーマットや、音と映像の関係性が導き出されている。</p>



<p>　また、Blenderのようなツールの進化によって個人でも制作が可能になったことは事実である。だが、それだけでは作品は成立しない。どの要素を選び、どのように配置するかという「設計」があって初めて、技術は意味を持つ。</p>



<p>　つまり、本作が示しているのは、「時代が変わったからできた」のではなく、「本質を捉えたから成立した」ということである。だからこそ、この事例は一過性のヒットとして片づけるべきものではない。</p>



<p>　むしろ、これからのアニメーション表現を考えるうえで、どれだけ環境が変わっても、最後に作品を支えるのは設計なのだ。そんな、ごく当たり前で、しかし見失われがちな原点を、改めて私たちの前に差し出した。</p>



<p>　そして、その原点を、いまの時代の環境の中で、少人数でもここまで鮮やかに形にできる。その事実こそが、『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』という作品の持つ本当の衝撃なのだと思う。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
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		<title>都市は「人を運ぶ場所」から「生活を設計する場所」へ──高輪ゲートウェイシティが実装した“都市OS”の正体</title>
		<link>https://145magazine.jp/retail/2026/03/takanawa-gateway-city-urban-os-lifestyle-design/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=takanawa-gateway-city-urban-os-lifestyle-design</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 25 Mar 2026 12:58:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[リアル店舗]]></category>
		<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: ボーダーレス─僕らは空間と時間をクリエイトする]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 潜入イベントレポ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　高輪ゲートウェイシティの説明を聞いていて、ひとつ感じたことがある。ここでは単にショップを並べるのではなく、文化や生活にどこまで寄り添えるかを軸に、商 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" style="background-color:#d8f0ff">　高輪ゲートウェイシティの説明を聞いていて、ひとつ感じたことがある。ここでは単にショップを並べるのではなく、文化や生活にどこまで寄り添えるかを軸に、商業そのものが再設計されているのではないか、という点だ。この日、3月28日のグランドオープンを前に開催されたTAKANAWA GATEWAY CITYの記者発表に参加した。最初に登壇したのが、東日本旅客鉄道株式会社 マーケティング本部 まちづくり部門 品川ユニット TAKANAWA GATEWAY CITY マネージャーの出川智之氏である。氏はこの街を「100年先の心豊かな暮らしのための実験場」と表現する。</p>



<p>　JR東日本はこの場所を「街」として捉えることで、生活に密着した体験を生み出そうとしている。そしてその体験の積み重ねがデータとして蓄積され、最終的にはその人の暮らしを補完する形で返ってくる。そうした循環まで含めて設計されているように見えた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260304.jpg?resize=1024%2C576&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58853" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260304.jpg?resize=1024%2C576&amp;ssl=1 1024w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260304.jpg?resize=300%2C169&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260304.jpg?resize=768%2C432&amp;ssl=1 768w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260304.jpg?w=1200&amp;ssl=1 1200w" sizes="auto, (max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>



<p>　そう考えると、この街における駅の役割も変わってくる。単に人を降ろす場所ではなく、その先の体験や消費へとつなげ、街全体で価値を循環させる起点となる。結果として客単価を高めつつ、関係性を持続させていく。高輪ゲートウェイシティは、その構造そのものを実装しようとしているのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-都市osは-街で起きるすべての事象-を統合する基盤である"><strong>■ 都市OSは「街で起きるすべての事象」を統合する基盤である</strong></h2>



<p>　僕がとりわけ関心を持ったのは、出川氏が語った「TAKANAWA GATEWAY URBAN OS」である。それは、単なるデータ基盤ではない。それは、この街で起きるすべての出来事――鉄道の運行、混雑状況、商業施設の売上、人の移動――を横断的に統合し、街全体を一つのシステムとして扱うための基盤である。</p>



<p>　これまで都市は、機能ごとに分断されていた。交通は交通、商業は商業、医療は医療として、それぞれ独立して最適化されてきた。しかしこの街では、それらがデータによって接続されることで、「街で起きていることすべて」を一つの流れとして扱うことが可能になっている。</p>



<p>　重要なのは、このデータが単に蓄積されるだけではない点にある。ロボットの制御や街アプリと連動し、利用者一人ひとりに対してタイムリーに反映される。</p>



<p>　つまり都市OSは、街を可視化するための仕組みではなく、「街をその場で動かし続けるための仕組み」である。ここで都市は、固定された空間ではなくなる。状況に応じて変化し、更新され続ける“動的な存在”へと変わる。この時点で、街の概念はすでに一段階進んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-suicaと改札が-その人の生活-を起点に街を動かす"><strong>■ Suicaと改札が「その人の生活」を起点に街を動かす</strong></h2>



<p>　さらに興味深いのは、この都市OSの中で最も重要な接点となるのが、Suicaと改札だということである。例えば、僕らがプッシュ通知などで店の情報を受け取る場合、その多くは位置情報をもとに一律に配信される。近くに来た人に同じ通知が送られる仕組みだ。</p>



<p>　しかしそれは「場所」に反応しているだけで、「その人」に反応しているわけではない。だからこそ便利ではあっても、体験としては浅くなりやすい。そこで、高輪ゲートウェイシティが目指しているのは、Suicaという存在を通じて、その人自身を起点にすることだ。Suicaは単なる交通ICではなく、その人の移動や行動に紐づいた存在である。</p>



<p>　その蓄積された情報があるからこそ、「その人がどういう生活をしているのか」という文脈が見えてくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-suicaからドラマが始まる"><strong>■ Suicaからドラマが始まる</strong></h2>



<p>　そして、その文脈が生かされる場所が改札である。</p>



<p>　改札はこれまで、移動の通過点でしかなかった。しかしここでは、街と人が接続される起点として機能する。改札を通る瞬間、その人に合わせた情報がスマートフォンに返される。どこに行くべきか、何を体験すべきか、その人にとって意味のある選択が提示される。</p>



<p>　この設計によって、街に存在するすべての機能が意味を持つ。クリニック、フィットネス、商業施設といったそれぞれの機能は、単に並んでいるのではない。その人に合わせて再構成されるために存在している。</p>



<p>　つまり駅は、人を降ろす場所ではなくなる。その人の状態を受け取り、その人にとって最適な体験を返す場所へと変わる。移動の拠点から、生活の起点へ。この転換こそが、この街の本質である。</p>



<p>　Suicaはもはや定期券ではない。その人自身を起点に、生活を更新していくためのインターフェースである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-生活に密着する機能を-街の中に持ち込む-という設計"><strong>■ 生活に密着する機能を“街の中に持ち込む”という設計</strong></h2>



<p>　もう少し具体例を挙げるなら、クリニックではSuicaを診察券として使い、複数の診療科を横断できる。フィットネスでは個人に最適化されたトレーニングが提供される。さらにレジデンスでは、睡眠や健康データを取得し、それをもとに生活改善の提案がなされる。&nbsp;</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260313.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58859" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260313.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260313.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260313.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　これらは単なる施設の集合ではない。それぞれが「人の生活の一部」に入り込むための機能として配置されている。</p>



<p>　いわばSuica自体が、その人の“今”を映し出す手がかりのように機能する。</p>



<p>　ここで重要なのは、これらの機能が単体で完結していない点である。健康データはクリニックだけでなく、食事や日常の行動とも連動する。つまり、街の中にあるすべての機能が、「その人の生活」という軸で再構成されている。</p>



<p>ここが、従来の商業施設との大きな違いである。従来は、いかに効率よく売るか、いかに坪効率を上げるかという発想で設計されてきた。</p>



<p>　しかしこの街では、その発想が意図的にずらされている。売るための空間ではなく、「生活に入り込むための空間」が優先されている。</p>



<p>　そもそも、データは、生活に紐づかなければ意味を持たない。逆に言えば、生活に深く入り込むことで初めて、その人の文脈が見えてくる。</p>



<p>　つまりこの街は、テクノロジーによって生活を変えるのではない。生活の中に入り込むことで、テクノロジーが意味を持つ構造を作っているのである。ここに、高輪ゲートウェイシティの設計の本質がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-売る場-ではなく-生活が重なり続ける場-として再設計されている"><strong>■ 「売る場」ではなく、“生活が重なり続ける場”として再設計されている</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260311.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58855" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260311.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260311.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260311.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　なるほどと思ったのが、ここから先の説明を担った株式会社ルミネ ニュウマン高輪店 MIMUREエリア担当の加藤真子氏の言葉である。</p>



<p>　JR東日本が都市の骨格を語ったのに対して、加藤氏が語ったのは、その上に何を乗せるのか、つまり「生活の中身」だった。</p>



<p>　印象的だったのは、施設の説明が「店舗」ではなく、「日常」から始まっていた点である。情緒的で本質的な日常を、どう満たすかという問いである。</p>



<p>　そこにあるのは、売上や効率といった言葉ではなく、「どう過ごすか」という問いだった。実際に設計された空間も、それを体現している。ノイズを抑えた空間、自然を取り込んだ構造、そしてその中で人が過ごす時間そのものを価値とする設計。ここでは買うことが目的ではなく、過ごすことが起点になる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-食と営み-を一体として提示する空間設計"><strong>■ 「食と営み」を一体として提示する空間設計</strong></h2>



<p>　その思想を最も象徴するのが「OGAWA COFFEE LABORATORY 高輪」である。加藤氏の説明にもあった通り、この施設は単独のカフェではない。焙煎、抽出、発酵、食材といった各領域が“ラボ”として分かれながらも、全体として一つのフロアを形成している。つまりここでは、コーヒーを提供するのではなく、「食と営みそのもの」を一体として提示している。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260312.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58857" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260312.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260312.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/takanawa260312.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>この構造が重要なのは、単に複数の機能が集まっているからではない。それぞれが連携し、相互に影響し合うことで、単独では成立しない体験を生み出している点にある。コーヒーはコーヒーとして完結せず、食材や人の手仕事とつながり、その場でしか成立しない価値へと変わる。ここでは商品ではなく、「関係性」が価値の単位になっている。</p>



<p>今回試食した「鮨 上ル 高輪ゲートウェイ店」は、単に高級寿司を提供する店ではない。素材や技術の背景、なぜその食材が選ばれているのかまで含めて、味覚だけでなく知的な理解も楽しませる設計になっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/osushi2600301.jpg?resize=1024%2C576&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58851" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/osushi2600301.jpg?resize=1024%2C576&amp;ssl=1 1024w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/osushi2600301.jpg?resize=300%2C169&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/osushi2600301.jpg?resize=768%2C432&amp;ssl=1 768w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/osushi2600301.jpg?w=1200&amp;ssl=1 1200w" sizes="auto, (max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-agrikoが示す-都市に-循環-を持ち込むという試み"><strong>■ AGRIKOが示す、都市に「循環」を持ち込むという試み</strong></h2>



<p>　そして、驚いたのはニュウマン高輪店の齊藤菜那さんの言葉である。</p>



<p>「ここはファームなんです」。</p>



<p>　その場所の正式名称は「AGRIKO×MIMURE BOTANICAL Lab」である。一般的に商業施設を考えるとき、前提になるのは「いかに売るか」であり、どれだけ効率よく店舗を配置するか、いわゆる坪効率の最大化が議論の中心になる。</p>



<p>　しかしここでは、その前提が意図的に外されている。</p>



<p>　実際に設置されているこのボタニカルラボは、売上を生み出す施設には見えない。むしろ「なぜここに農業があるのか」と感じるような存在である。</p>



<p>　しかしその中身は極めて具体的だ。この施設ではアクアポニックスと呼ばれる循環型の仕組みが採用されている。下部の水槽で魚を育て、その排出物が栄養素となって水とともに循環し、上部で栽培される植物の成長を支える。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/agriko260301.jpg?resize=1024%2C576&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58846" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/agriko260301.jpg?resize=1024%2C576&amp;ssl=1 1024w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/agriko260301.jpg?resize=300%2C169&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/agriko260301.jpg?resize=768%2C432&amp;ssl=1 768w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/agriko260301.jpg?w=1200&amp;ssl=1 1200w" sizes="auto, (max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>



<p>　農薬を使う必要がなく、それらの草花と新たな水を織り交ぜて、飲料としても楽しめる。ちなみに、草花の育成に使われた水は再び魚の育成に戻る。この循環が、一つの空間の中で完結している。</p>



<p>　ここで重要なのは、この仕組みが「都市の中に置かれている」という点である。本来であれば農業は都市の外にあるものだが、それをあえて街の中に持ち込み、多くの人が目にできる形にしている。食や自然の循環がどのように成り立っているのかを、知識としてではなく体験として理解できる場が、ここには存在している。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-売らない空間-が-街全体の価値を底上げする"><strong>■ “売らない空間”が、街全体の価値を底上げする</strong></h2>



<p>　しかし、この施設の本質は仕組みそのものではない。ここで本当に重要なのは、「何を伝えるために存在しているのか」という点にある。このボタニカルラボは、商品を売るための場所ではなく、「考え方を伝えるための場所」として設計されている。</p>



<p>　この場所に立つことで、人は単なる消費者ではなく、「循環の中にいる存在」として自分を捉え直すことになる。その気づきは、共感へと変わる。そしてその共感が、人と街との関係性を深くしていく。ここで生まれる価値は売上ではない。しかし、この共感こそが、結果として街に人を引きつけ続ける力になる。</p>



<p>　さらに、この構造は都市OSとも密接につながっている。</p>



<p>　そうした生活に密着した行動がデータとして蓄積され、その人の文脈として理解される。そしてその文脈が、改札という接点で“返される”。もしこの街が単なる商業施設だけで構成されていたとすれば、蓄積されるのは購買履歴に過ぎない。しかしこのような空間が存在することで、その人の関心や価値観まで含めた“生活の情報”が蓄積される。</p>



<p>　つまりAGRIKOは、単なる農業施設ではない。この街において、「その人が何に共感するのか」を可視化する装置であり、その情報が都市全体の体験設計に生かされていく。売らない空間をあえて作ることで、街全体の価値を底上げする。この発想こそが、高輪ゲートウェイシティの設計思想の核心にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-機能ではなく-関係性-を編むことで-体験は価値に変わる"><strong>■ 機能ではなく「関係性」を編むことで、体験は価値に変わる</strong></h2>



<p>　ここで見えてくるのは、商業の役割の変化である。モノを売る場所ではなく、生活の中に入り込み、体験を積み重ねていく場所へ。単発の消費ではなく、「その人の中に残り続ける体験」を提供することが重視されている。</p>



<p>　そしてこれは、前段で見てきた都市OSの構造と直結している。生活に密着した体験があるからこそ、その人の文脈が見えてくる。そしてその文脈が、改札という接点で再び街へと返される。この循環が成立することで、街は一度きりではなく、「重なり続ける存在」になる。</p>



<p>　ルミネがここでやっているのは、商業施設の拡張ではない。生活そのものを設計し直すこと。そしてその設計が、都市全体の価値を底上げしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-都市は-一度きりの消費-から-重なり続ける関係-へと変わる"><strong>■ 都市は「一度きりの消費」から、「重なり続ける関係」へと変わる</strong></h2>



<p>　ここまで見てきた高輪ゲートウェイシティの構造は、単なる再開発とは明らかに異なるものだった。JR東日本が都市OSという骨格をつくり、街で起きるあらゆる事象をデータとして統合する。そしてそのデータは、Suicaという生活インフラを通じて個人と接続され、改札という接点で“その人に返される”。</p>



<p>　このとき、街は初めて意味を持つ。クリニック、フィットネス、商業施設といったそれぞれの機能は、単体で存在しているのではない。その人の生活に合わせて再構成されることで、初めて一つの体験として立ち上がる。つまりこの街は、施設を並べているのではなく、「その人の生活に重なり続ける導線」を設計している。</p>



<p>　ルミネが担う商業の領域もまた、この構造の中に位置づけられている。情緒的で本質的な日常をどうつくるかという視点のもと、空間や体験が設計され、OGAWA COFFEE LABORATORYのように、機能を超えて関係性を編む場が生まれている。そしてそこにある体験は、単なる消費ではなく、その人の中に蓄積されていく。</p>



<p>　ここで重要なのは、「一回きりで終わらない」という点である。従来の商業は、来て、買って、帰るという単発の関係で成立していた。しかしこの街では、生活の中で何度も接続され、その都度体験が更新される。その積み重ねが、その人にとっての街の意味を深めていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-体験の最適化が-そのままビジネスの合理性につながる"><strong>■ 体験の最適化が、そのままビジネスの合理性につながる</strong></h2>



<p>　さらに言えば、この構造はビジネスとしても極めて合理的である。その人に合った提案がなされることで、消費は自然と最適化され、結果として客単価は上がる。同時に、無理に売る必要がなくなるため、体験の質も高まる。つまり、売上と満足度が対立するのではなく、同時に成立する構造が生まれている。</p>



<p>　そしてこの仕組みは、リアルだからこそ成立する。Suicaという生活に根付いたインフラと、改札という日常的かつ強制力のある接点。この二つがあるからこそ、「その人に返す都市」が実現する。オンラインでは実現できない、リアルならではの価値がここにある。</p>



<p>　高輪ゲートウェイシティは、未来を見せているわけではない。すでに始まっている変化を、具体的な形として提示している。この街が示しているのは、都市が人を運ぶ場所から、その人の生活を理解し、支え続ける場所へと変わっていくということだ。</p>



<p>　駅は通過点ではなくなる。商業は消費の場ではなくなる。そして都市は、一度きりの体験を提供する場所ではなく、「関係が重なり続ける場」へと変わる。その変化は、静かだが確実に、ここから始まっている。</p>



<p>今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/takanawa-gateway-city-urban-os-lifestyle-design/">都市は「人を運ぶ場所」から「生活を設計する場所」へ──高輪ゲートウェイシティが実装した“都市OS”の正体</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>比較から“共鳴”へ──ECの変化が問い直す物流の役割と「キミロジ」という選択肢</title>
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		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 Mar 2026 23:18:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[通販/eコマース]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 賢くなろう─商売の教科書]]></category>
		<category><![CDATA[ECshop/WMS]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　ECの入り口が変わっている。かつては価格やスペックの比較の中で商品が選ばれていた。だが、いまはアルゴリズムが個々人の感覚や価値観に寄り添い、「その人 [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/ec-syunwa-logistics-kimiogi/">比較から“共鳴”へ──ECの変化が問い直す物流の役割と「キミロジ」という選択肢</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" style="background-color:#def2fe">　ECの入り口が変わっている。かつては価格やスペックの比較の中で商品が選ばれていた。だが、いまはアルゴリズムが個々人の感覚や価値観に寄り添い、「その人に合うもの」を提示することで消費が生まれている。この変化は、小資本でも成立する商売の余地を広げた。一方で、売れ方そのものが“細かく、分散する”ようになったことで、従来の大量処理を前提とした物流のあり方には、大きな問いが投げかけられている。本稿は、駿和物流で「キミロジ」を担当する佐久間逸人氏への取材をもとに構成している。</p>



<p>　物流側にも新たなスキームが求められる中で、その可能性を考えてみたい。</p>



<p>　駿和物流は、百貨店物流などで培った精度の高いオペレーションを強みに持つ企業。「キミロジ」はその品質を、小さなEC事業者でも扱える形に再設計したサービスである。1件からでも成立する物流を前提に、これまで扱いづらかった“小さな商売”を支えるインフラとして設計されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-比較ではなく-共鳴-で売れる時代に-物流は追いついているのか"><strong><strong>■</strong>比較ではなく“共鳴”で売れる時代に、物流は追いついているのか</strong></h2>



<p>　ECは長らく「比較」の世界であった。価格、レビュー、スペック。その中でいかに優位に立つかが勝負であり、その前提には大量生産・大量販売があった。しかし、TikTokやAIを起点とした購買体験は、その構造を大きく変えつつある。</p>



<p>　ユーザーはもはや商品カテゴリーの中で比較するのではなく、自分の感覚や価値観にフィットするものに“出会う”ことで購入する。つまり、売れる理由はスペックではなく「共鳴」に移っているのである。この変化は、小さなブランドや個人事業者にもチャンスをもたらした。</p>



<p>　一方で、その裏側にある物流はどうか。従来の物流は、大量に、効率よく、均一に処理することを前提に設計されている。そのため、小ロット・高付加価値・多様なニーズに応える設計にはなっていない。つまり、フロントエンドの変化に対して、バックエンドが追いついていないという構図が生まれているのである。このギャップこそが、今後のECにおけるボトルネックになる可能性がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-1件からやる-非効率に見える選択の中にある戦略"><strong><strong>■</strong>「1件からやる」──非効率に見える選択の中にある戦略</strong></h2>



<p>　駿和物流が展開する「キミロジ」は、この構造の隙間に踏み込んだサービスである。特徴的なのは「1件からでも受ける」というスタンスである。一般的な物流会社にとって、小ロットの対応は非効率であり、避ける対象である。実際、取材の中でも「他社がやらないのは割に合わないから」という話が出ている。</p>



<p>　にもかかわらず、キミロジはそこに踏み込んだ。その背景には、既存の大口案件を取りにいく戦略が通用しなかったという現実がある。大手の物流市場においては後発であり、競争優位を築くことが難しい。その中で辿り着いたのが、「誰もやらない領域」に特化するという発想であった。</p>



<p>　結果として、個人事業主や小規模事業者が集まり始め、1日1件という世界からデータと経験が積み上がっていく。この選択は短期的には赤字であるが、長期的には他社が持たない知見を蓄積する戦略でもある。つまり、「非効率」を受け入れることで、新しい市場の土壌を作っているのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-梱包は-コスト-ではなく-体験-であるという再定義"><strong><strong>■</strong>梱包は“コスト”ではなく“体験”であるという再定義</strong></h2>



<p>　キミロジのもう一つの特徴は、梱包や出荷を単なる作業として扱っていない点にある。取材の中でも印象的だったのは、「ただ送ればいいわけではない」という言葉である。顧客がその商品にどれだけ価値を感じているかによって、最適な梱包は変わる。</p>



<p>　過剰な緩衝材はゴミとして嫌われることもあれば、開封体験の美しさがブランド価値を高めることもある。つまり、物流は単なるコストセンターではなく、顧客体験の一部なのである。この視点は、これからのECにおいて極めて重要になる。</p>



<p>　なぜなら、リピートを生むのは商品そのものだけではなく、「届いた瞬間の体験」だからである。商品と体験が一体化した設計は、確実に記憶に残る。</p>



<p>　キミロジは、このような個別最適を、顧客ごとに提案・実装している。これは効率化とは真逆の発想でありながら、結果としてブランド価値を支える重要な役割を担っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-自社wmsが可能にする-個別最適化された物流"><strong><strong>■</strong>自社WMSが可能にする“個別最適化された物流”</strong></h2>



<p>　こうした柔軟な対応を可能にしているのが、自社開発のWMS（倉庫管理システム）である。一般的な物流では、システムが固定されており、荷主側がそれに合わせる必要がある。しかしキミロジの場合、システム自体をカスタマイズできるため、顧客ごとの運用に寄り添うことができる。</p>



<p>　たとえば、SKUの扱い方、出荷指示の形式、備考欄の活用など、細かな部分まで調整が可能である。これは単なる利便性の話ではなく、「物流をブランドに合わせる」という思想の実装でもある。ただし、この柔軟性はコストを伴う。実際、現状は投資フェーズであり、採算が合っているわけではない。</p>



<p>　それでもなお続ける理由は、この積み重ねが将来的な競争優位になると考えているからである。標準化ではなく、多様化。効率ではなく適合。この方向性が、これからの物流の一つの形として浮かび上がってくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-小さな在庫が市場を変える-トライアルを支える物流の役割"><strong><strong>■</strong>小さな在庫が市場を変える──トライアルを支える物流の役割</strong></h2>



<p>　キミロジの価値は、小規模事業者への対応だけにとどまらない。むしろ本質は、「トライアルを可能にするインフラ」である点にある。</p>



<p>　従来、物流は一定量を前提とした効率性の中で設計されてきた。しかし、売れ方が分散し、「小さく試す」ことが求められる時代においては、その前提自体が揺らぎ始めている。</p>



<p>　メーカー直送ではケース単位となってしまう商品も、小分けで市場に届けることができるようになることで、売り方そのものが変わる。これは単なる物流の改善ではなく、ビジネスモデルの拡張である。つまり、物流が変わることで、フロントエンドの戦略が変わるのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-断られてきた商品たちが-ここでは動き出す"><strong>■断られてきた商品たちが、ここでは動き出す</strong></h2>



<p>　では、それは具体的にどのような変化をもたらすのか。</p>



<p>　たとえば韓国コスメの代理店は、多数のブランドを扱う中で、「どれが日本市場で受け入れられるか」を見極める必要がある。しかし従来の物流では、ある程度まとまった数量でなければ取り扱いが難しく、結果としてトライアルのハードルが高かった。</p>



<p>　キミロジを使うことで、1SKU単位で市場に出し、反応を見ながら展開を広げていくことが可能になる。これは単なる物流の効率化ではなく、「試せる環境」を作ることであり、事業の意思決定そのものに影響を与える。</p>



<p>　この構造は、石鹸のような日用品においても同様である。本来はケース単位でしか流通できなかった商品が、小分けで市場に出せるようになることで、消費者のニーズに合わせた販売が可能になる。</p>



<p>　さらに、ふるさと納税の事例も興味深い。従来は3ヶ月程度かかっていた出荷リードタイムが、データ連携と在庫管理の工夫によって大幅に短縮され、実質的には受注後すぐに出荷される体制が実現している。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-試せること-が-新しい市場を生む"><strong>■「試せること」が、新しい市場を生む</strong></h2>



<p>　いずれの事例にも共通しているのは、「小さく試せること」が新たな価値を生んでいるという点である。そしてその裏側には、それを受け止める物流の存在がある。これまで見過ごされてきたニーズをすくい上げることで、新しい市場が立ち上がり始めているのである。</p>



<p>　物流は裏方ではなく、ビジネスの可能性を規定するインフラなのである。</p>



<p>　実際のコスト感も興味深い。取材の中では、出荷作業はピッキング込みで約165円、配送もクリックポストを活用すれば185円程度に収まるケースがあり、トータルでも300円台に収まる水準であることが語られている。商品単価が3,000円前後の商材が多い中で、このバランスが成立することで、小ロットでも十分に成立する構造が見えてくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-人が残る領域-ai時代の物流における-手触り-の価値"><strong><strong>■</strong>人が残る領域──AI時代の物流における“手触り”の価値</strong></h2>



<p>　AIやロボティクスによって、物流は確実に自動化へと進んでいる。しかし、その中でもなお残る領域がある。それが「人の感覚」に関わる部分である。</p>



<p>&nbsp;&nbsp;どのように梱包すれば喜ばれるのか、どこまでこだわるべきか、どのバランスが最適か。これらはデータだけでは判断しきれない領域である。キミロジが目指しているのは、AIを否定することではなく、AIでは補えない部分に人のリソースを集中させることである。</p>



<p>&nbsp;&nbsp;つまり、効率化によって生まれた余白を、「体験の質」に振り向けるという発想である。この考え方は、今後のECにおいて重要な指針になる可能性がある。なぜなら、商品が溢れる時代において差別化を生むのは、機能ではなく体験だからである。物流がその一端を担う時代が、すでに始まっている。<strong>そしてその変化は、静かに、しかし確実に広がっていく。</strong></p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/ec-syunwa-logistics-kimiogi/">比較から“共鳴”へ──ECの変化が問い直す物流の役割と「キミロジ」という選択肢</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>組織改革と物流戦略で掴んだ成果〜アイリスプラザ au PAY マーケット店が総合賞1位</title>
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		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Mar 2026 12:46:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[通販/eコマース]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 店の声─舞台裏での奮闘記]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　戦略転換を推進し、モールの価値を上手に生かすべく、貪欲に施策を重ねながら掴み取った栄光。2026年3月13日、KDDIとau コマース&#38;ライ [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/iris-aupay-bestshopaward-2025-consumables-strategy/">組織改革と物流戦略で掴んだ成果〜アイリスプラザ au PAY マーケット店が総合賞1位</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" style="background-color:#dff2fe">　戦略転換を推進し、モールの価値を上手に生かすべく、貪欲に施策を重ねながら掴み取った栄光。2026年3月13日、KDDIとau コマース&amp;ライフが運営するECモール「au PAY マーケット」において、2025年に活躍した店舗を表彰する「ベストショップアワード2025」が開催された。売上やサービス品質、ユーザー投票などを総合的に評価して選出されるこのイベントで、総合賞1位に輝いたのが「アイリスプラザ au PAY マーケット店」である。</p>



<p>　授賞式後には、<strong>アイリスプラザ 取締役社長 岩崎亮太さん</strong>への取材が行われ、同店の戦略転換の背景や、消耗品を軸にした事業改革、物流を活かした独自のスキームなどが語られた。単なる商品ラインナップの拡大ではない。組織の評価制度から物流設計まで含めた“構造の作り直し”によって成果を生んだ点が、今回の受賞の本質と言えるだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-家電中心の店舗から-消耗品の店-へ舵を切った転換点"><strong>家電中心の店舗から「消耗品の店」へ舵を切った転換点</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/auPay260302.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58784" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/auPay260302.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/auPay260302.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/auPay260302.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　今回の受賞を語る上で欠かせないのが、家電中心のEC店舗から消耗品中心へと舵を切った戦略転換である。</p>



<p>　アイリスグループの取締役会で議論を重ねた結果、「これからは消耗品だ」という判断に至ったことが明かされた。家電のような耐久消費財は単価が高い。その一方で、購入頻度が低く、市場環境によって売上が大きく左右されやすい。そこで同社は、継続的に購入される消耗品カテゴリーへ本格参入する方針を固めた。</p>



<p>　実際、ベビー用おむつなどのカテゴリーにも参入。店舗の性格そのものを変える形で改革を進めたという。この転換は単に商品を追加するだけではない。店舗の戦略そのものを「消耗品を継続的に販売する店」へと再定義するものであり、EC運営の考え方自体を大きく変える決断だった。</p>



<p>　さらに、この変化を実現するためには、社内の評価制度や業績の見方も変える必要があった。消耗品は家電に比べて単価が低く、短期的には売上が縮小して見える。</p>



<p>　しかし同社では、年間単位で見ればリピート購入によって売上が積み上がるというシミュレーションを社内で共有し、戦略の理解を深めていった。つまり今回の成果は、商品戦略だけでなく、組織の認識や評価基準まで含めた改革の結果とも言える。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-au-pay-マーケットを-実験の場-として活用した一年"><strong>au PAY マーケットを“実験の場”として活用した一年</strong></h2>



<p>　もう一つ興味深いのは、アイリスプラザがau PAY マーケットを新しい施策の実験の場として活用してきた点だ。他の巨大モールと比べて「試してみるのにちょうどいいボリューム感」があると語られた。</p>



<p>　巨大化したEC市場では、一度の施策が大きなリスクになることも多い。しかしau PAY マーケットでは、大胆なチャレンジを比較的柔軟に試せる環境があるという。実際、この1年の間にも多くの施策が試された。ライブコマースやサンプル配布といった販売施策もその一つ。正直、成功したものもあれば、投資に見合わない結果に終わったものもあったという。</p>



<p>　しかし重要なのは、その失敗が無駄にならなかったことだ。「それなりの規模で試しながら、失敗も学びに変えることができた」と語る。要するに、それらのPDCAを高速で回す環境があったことが、戦略を磨き上げることにつながった。</p>



<p>　EC運営では、成功事例ばかりが語られがちだが、実際には多くの試行錯誤がある。その意味で、今回の受賞は「成功した施策」だけでなく、失敗も含めた検証の積み重ねの結果とも言えるだろう。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-単価5分の1の世界で求められる組織改革"><strong>単価5分の1の世界で求められる組織改革</strong></h2>



<p>　消耗品戦略のもう一つの難しさは、繰り返しになるが、単価構造の違いにある。実際、具体的なデータを挙げると、家電と比べると、消耗品の平均単価はおよそ5分の1程度。これは大きい。そのため、短期的な売上だけを見れば、どうしても数字が縮小して見えてしまう。</p>



<p>　この問題を解決するため、アイリスプラザでは店長やスタッフの評価制度そのものを見直した。では、それをどのように見直したのだろう。</p>



<p>　従来のように短期売上で評価してしまうと、消耗品戦略は成立しない。そこで同社では、「消耗品を年間で4回購入してもらえば売上はプラスになる」という考え方を共有したのだ。長期的な視点で成果を評価する仕組みを整え、その理解を徹底的に促した。</p>



<p>　つまり、単に商品ラインナップを変えただけではなく、組織の評価指標まで含めて設計し直したのである。このような取り組みは、EC事業者にとっても重要な示唆を含んでいる。ECではどうしても短期の売上が注目されがちだが、リピート購買を前提にした消耗品ビジネスでは、時間軸そのものを変えたマネジメントが必要になる。</p>



<p>　その勇気こそが、結果につながっている。今回の受賞は、その変化を組織として受け入れ、実行できたことの証とも言える。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-物流を横断することで生まれた新しい利益構造"><strong>物流を横断することで生まれた新しい利益構造</strong></h2>



<p>　今回の取材で特に印象的だったのは、<strong>消耗品戦略の裏側にある物流設計</strong>である。彼らは「店舗」でありながら、同時に<strong>商品を生み出すメーカーとしての顔</strong>も持っている。多くのメーカーは、基本的に商品ごとの利益構造で事業を考える。</p>



<p>　つまり、各商品カテゴリーごとに収益を計算する<strong>縦割りの発想</strong>でビジネスが成り立っている。しかし、アイリスプラザの場合、利益の考え方は少し違う。例えば、飲料は重量が重いため、トラックに積むと<strong>重量制限に先に達してしまい、運賃効率が悪くなる</strong>。</p>



<p>　一方で、おむつのような紙製品は、容量は大きいが<strong>重量は軽い</strong>。この二つの商品を組み合わせて配送することで、<strong>トラックの積載効率を最大化できる</strong>というわけだ。</p>



<p>　要するに、「家電で利益を出し、食品で補う」といった<strong>商品ミックスの発想ではない</strong>。そうではなく、<strong>物流効率そのものを高めることで利益を生む構造</strong>を作っているのである。そして、この仕組みは、メーカーとして自ら物流リソースを持つ<strong>アイリスグループだからこそ実現できる強み</strong>でもある。</p>



<p>　自社物流をベースにしながら、ラストワンマイルは外部キャリアを活用する。そうすることで、配送能力にも余力を持たせているという。こうした物流戦略が、消耗品ビジネスの拡大を支える基盤になっている。</p>



<p>　だから消耗品なのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-消耗品と家電のシナジーをどう作るか"><strong>消耗品と家電のシナジーをどう作るか</strong></h2>



<p>　そして最後に興味深かったのが、<strong>消耗品と家電の関係性の捉え方</strong>である。EC業界の一般的な考え方では、消耗品は日常的に必要とされる商品である。そのため、まず消耗品で顧客を獲得し、その後、家電のような高単価商品で利益を取る――。</p>



<p>　こうした戦略はよく語られるところだ。しかし、アイリスプラザの考え方は、<strong>必ずしもその構造に当てはまるわけではない</strong>。これが正直、僕にとっては<strong>大きな驚きをもって受け止めたポイントだった</strong>。同社が重視しているのは、新しいカテゴリーが既存事業とどのようなシナジーを生むかという点だという。</p>



<p>　消耗品を扱うことで工場の稼働率が上がり、メーカーとしての事業にも好循環が生まれる。さらに、上記の通り、物流効率の改善など、事業全体の構造に影響を与える要素もある。つまり、単に売上を積み上げるためのカテゴリー追加ではなく、企業全体のリソースを活かす戦略として消耗品を捉えているのである。</p>



<p>　また、今後の課題としてSNSを通じた顧客接点の強化も挙げられた。ライブコマースなど動画を活用した販売は今後成長すると見ており、段階的に取り組みを進めていく考えだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-組織改革と挑戦が生んだ総合賞1位"><strong>組織改革と挑戦が生んだ総合賞1位</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" width="900" height="675" src="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/iris260302.jpg?resize=900%2C675&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-58787" srcset="https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/iris260302.jpg?w=900&amp;ssl=1 900w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/iris260302.jpg?resize=300%2C225&amp;ssl=1 300w, https://i0.wp.com/145magazine.jp/wp-content/uploads/2026/03/iris260302.jpg?resize=768%2C576&amp;ssl=1 768w" sizes="auto, (max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p>　今回の総合賞1位は、単なる売上の結果というよりも、<strong>組織と戦略を作り直した成果</strong>と言えるだろう。家電中心の店舗から消耗品へと舵を切り、評価制度を見直し、物流設計まで含めて戦略を組み直す。</p>



<p>　しかもそれは、<strong>自社の強みを改めて見直した結果</strong>によるものだった。見直したからこそ、これまで向き合ってこなかった課題に直面することも多かったはずだ。それでも彼らは、そこに果敢に挑んだのである。</p>



<p>　そして、<strong>au PAY マーケットを実験の場として活用しながら、PDCAを回し続けてきた</strong>。</p>



<p>　そうした一つ一つの取り組みの積み重ねが、今回の結果につながったのだろう</p>



<p>　EC市場が成熟する中で、単なる商品戦略だけでは差別化は難しい。だからこそ、組織、物流、販売施策を一体で設計することの重要性が、今回の受賞から見えてくる。アイリスプラザの取り組みは、EC事業者にとっても多くの示唆を与える事例と言えそうだ。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/iris-aupay-bestshopaward-2025-consumables-strategy/">組織改革と物流戦略で掴んだ成果〜アイリスプラザ au PAY マーケット店が総合賞1位</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>LINEヤフーはどこへ向かうのか──AIとLINEが変える「次の購買体験」</title>
		<link>https://145magazine.jp/retail/2026/03/line-yahoo-ai-commerce-future/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=line-yahoo-ai-commerce-future</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 06 Mar 2026 09:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[通販/eコマース]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 賢くなろう─商売の教科書]]></category>
		<category><![CDATA[ECshop/オンラインモール]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　ECの世界はいま、静かに構造を変え始めている。これまでオンラインショッピングは、「検索して、比較して、購入する」という流れの上に成り立ってきた。ユー [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/line-yahoo-ai-commerce-future/">LINEヤフーはどこへ向かうのか──AIとLINEが変える「次の購買体験」</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" style="background-color:#def0fb">　ECの世界はいま、静かに構造を変え始めている。これまでオンラインショッピングは、「検索して、比較して、購入する」という流れの上に成り立ってきた。ユーザーが商品を探し、ECモールが売り場を用意する。その中から選ぶという構造である。しかしAIの登場やSNS・メッセージアプリとの接続によって、購買の入り口そのものが広がり始めている。商品は「探すもの」から「提案されるもの」へと変わりつつあり、コマースは従来の売り場の枠を超えようとしている。</p>



<p>　そんな変化の中で、LINEヤフーはどこへ向かおうとしているのか。ここ数年、フルフィルメントの終了や出店モデルの見直しなど、同社の戦略は外から見れば試行錯誤の連続にも見えた。だからこそ今回、ベストストアアワードの場で語られた2025年の振り返りと今後の展望には、注意深く耳を傾けたいと思った。</p>



<p>　話を聞きながら見えてきたのは、LINEヤフーがECモールそのものを強くするというより、LINEという巨大なコミュニケーション基盤を起点に、AIとデータを使って購買体験そのものを再設計しようとしている姿だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-1-lineヤフーは-ecを強くするのではなく-ecの入り口そのものを変えようとしている">1. LINEヤフーは、ECを強くするのではなく、ECの入り口そのものを変えようとしている</h2>



<p>　今回、杉本さんの話を聞いていて、まず整理できたのは、LINEヤフーが目指しているものは、(言葉を選ばず言えば）従来型の意味で「Yahoo!ショッピングを強いモールにする」ことだけではないということだった。</p>



<p>　ここ数年のLINEヤフーは、外から見れば揺れていた。そう僕は見ている。フルフィルメントの終了もそうだし、無料出店モデルからの転換もそうだ。だから、店舗側からすると「結局どこへ向かうのか」が見えにくかったのも無理はない。だが、今回の話を通じて見えたのは、彼らがECそのものを磨き込むより、ECに人が入ってくる“入口”を作り変えようとしていることだ。</p>



<p>　LINEという、日常の中で最も接触頻度の高いコミュニケーション基盤を起点にする。そして、その中で自然に商品と出会わせ、そこからYahoo!ショッピングへつなぐ。つまり、コマースを「検索の先にある売り場」から「生活の中で立ち上がる体験」へ変えようとしているのである。</p>



<p>　ここを読み違えると、LINEヤフーの最近の動きは場当たり的に見える。しかし、ECで覇権を取るという発想より、グループアセットを使って購買体験を再設計するのだと捉えれば、かなり筋が通って見えてくる。そこに、ようやく彼らの色が見えた気がした。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-2-2025年の成長は-派手さよりも-構造を回した-ことに価値がある">2. 2025年の成長は、派手さよりも「構造を回した」ことに価値がある</h2>



<p>　Yahoo!ショッピングは2025年、注文者数が前年比110％、流通総額が108％と、着実に成長したと説明された。</p>



<p>　実際、マーケティング施策の成果として、新規ユーザー数は前年比118％、ヘビーユーザー数も110％と伸びている。単なる流通額の拡大ではなく、ユーザーの層が厚くなり始めていることが見て取れる。</p>



<p>　杉本さん自身も、市場の自然成長を上回る伸びとして評価していた。&nbsp; ただ、この数字の意味は、単に「堅調でした」で終わらせると浅い。むしろ大事なのは、その成長が何によって支えられたのかだ。話の中で杉本さんは、期間限定ポイントやランク制度など、マーケティングの構造改革が回り始めたことを強調していた。&nbsp;</p>



<p>　Yahoo!ショッピングがやろうとしていたのは、単なる値引き競争ではなく、ユーザーの行動そのものを習慣化させる設計だった。ポイントを付けるのではなく、ポイントを起点に再訪を生み、ランク制度で関係を深める。それは派手な変革ではないが、モール運営としては本質的だ。</p>



<p>　だからこの2025年の数字を、成長率そのものより、「構造がようやく回り出した一年」として読むべきだろう。ECの世界では、見た目のインパクトに目が向きやすいが、本当の強さは、地味でも再現性のある仕組みに宿るからだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-3-aiトラフィックがまだ小さいことよりも-すでに-効き始めている-ことが重要だ">3. AIトラフィックがまだ小さいことよりも、すでに「効き始めている」ことが重要だ</h2>



<p>　また、AIが叫ばれる世の中だが、実際、AI経由のトラフィックが現時点でどれほど実態を持っているのか。杉本さんの答えは慎重だった。現段階でAI経由のトラフィックは「とても多いわけではない」。</p>



<p>　しかし、少ないながらも、そこを経由したものについてはポジティブな数字が出ているという。&nbsp; </p>



<p>　つまり今は「量」の話ではなく、「質」の話をするべき局面だということだ。</p>



<p>　AIを経由したユーザーの方が購買意欲に近い場所にいるなら、今後インターフェースとしてのAIが普及したとき、ECの導線全体が書き換わる可能性がある。検索窓にキーワードを打ち込む時代から、対話によって目的が整理され、商品が提案される時代へ。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-4-aiの本質は-効率化ではなく-ecに-接客-を取り戻すことにある">4. AIの本質は、効率化ではなく、ECに“接客”を取り戻すことにある</h2>



<p>　AIの話になると、多くの場合は省力化や自動化の文脈で語られる。もちろんそれも一面では正しい。ストア運営において、分析や問い合わせ対応、販促提案などをAIが支援する意義は大きいだろう。</p>



<p>　だが、今回の話からより本質的だと思ったのは、AIがECに「接客」を持ち込む可能性である。これまでのECは、便利ではあったが、どこか突き放した体験でもあった。膨大な商品の中から、ユーザーが自力で探し、比べ、判断する。その効率性がECの価値だった。しかしリアル店舗の価値は、本来そこにはない。相手を見て、文脈を読み、何が合うかを一緒に考える。その行為こそが接客であり、購買体験を深める要素だった。</p>



<p>　AIがもし購買履歴や行動履歴を踏まえて、一人ひとりに合わせて提案を行うなら、それは単なるレコメンドではなく、接客に近づいていく。杉本さんが語った「ロイヤルカスタマーのような接客」が全員に対して可能になる、というイメージは、まさにそこだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-出店者に対しても">・出店者に対しても</h2>



<p>　そのための仕組みとして、ストア側には「Yahoo! EC Pilot」と呼ばれるAI支援機能も用意される予定だ。問い合わせ対応や競合商品の分析、販促データの整理など、ストア運営の裏側をAIが支える構想も示されていた。</p>



<p>　AIは無機質な効率化の装置ではなく、失われていた文脈をECに戻す媒介にもなり得る。ここに、検索型コマースから対話型コマースへの転換の本質があると思う。便利さだけなら、これまでもECは十分便利だった。そうではなく、ユーザーが「分かってもらえている」と感じること。その感覚をテクノロジーで再現できるかが、次のECの分かれ目になるのだと思う。</p>



<p>　LINEショッピングタブの話も、単に掲載面が増えるという理解では足りない。</p>



<p>　杉本さんの説明では、Yahoo!ショッピングに出店している商品が、特別な作業なくLINE側にも表示されていく形になるという。そしてその際、ただ全商品を並べるのではなく、ユーザーにマッチするものを選定して出していく、かなり高度なパーソナライゼーションを前提にしている。&nbsp; </p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-5-lineショッピングタブは-売り場の拡張ではなく-生活導線の中への侵入である">5. LINEショッピングタブは、売り場の拡張ではなく、生活導線の中への侵入である</h2>



<p>　ここで重要なのは、LINEはそもそも「買い物しに行く場所」ではないということだ。</p>



<p>　会話をし、連絡を取り、日常のコミュニケーションを支える基盤である。</p>



<p>　実際、その接点の大きさは圧倒的だ。説明では、LINEのアクティブユーザーからの導線は、Yahoo!ショッピング単体と比べて日次訪問者数で約12倍の規模になるという。またショッピングタブの利用ユーザーの約87％は、Yahoo!ショッピングでの購入経験がないユーザーだという。</p>



<p>　つまりこれは、既存ユーザーを回す仕組みというより、新しい顧客と出会う入口として機能する可能性を示している。</p>



<p>　その中にショッピングが入るということは、コマースが売り場の中で待つのではなく、生活導線の中で立ち上がるようになることを意味している。これは大きい。なぜならLINEの中にショッピングが自然に差し込まれるなら、人は「買うために来た」のではないのに、商品と出会ってしまう。</p>



<p>　その偶発性が購買を生むようになる。</p>



<p>　LINEは、日本国内で圧倒的な接触頻度を持つ。だからこそ、ここにコマースが接続される意味は大きい。これはLINEの拡張であると同時に、Yahoo!ショッピングの再定義でもある。モールが独立した売り場である時代から、生活基盤の中に溶け込む時代へ。</p>



<p>　その転換の入口として、ショッピングタブはかなり象徴的な施策だと感じたのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-6-外部aiに対してlineヤフーが持つ優位性は-説明しなくていいこと-にある">6. 外部AIに対してLINEヤフーが持つ優位性は、「説明しなくていいこと」にある</h2>



<p>　戦略共有会での後、質疑応答の中で僕が問うたのは、外部AIとYahoo!ショッピング上のAI体験は何が違うのか、というものだった。</p>



<p>　これに対して杉本さんは、将来的には差が縮まるかもしれないとしながらも、現時点では決定的な違いがあると説明した。それは、プラットフォーム側にはすでに購買行動や履歴のデータがあり、ユーザーが「いちいち自分のことを説明しなくても使い始められる」ことだという。&nbsp; </p>



<p>　これは非常に本質的な指摘だと思う。</p>



<p>　外部AIがいくら賢くても、初回の会話ではユーザーの背景を知らない。</p>



<p>　好みも、予算感も、過去の購買も、何を重視するかも、結局は入力してもらわなければならない。しかしYahoo!ショッピングの中なら、それが最初からある程度分かっている。さらにLINEと結びつけば、より日常に近い文脈も含めて理解できる可能性がある。ここで言う優位性は、AIの頭の良さそのものではなく、土台となるデータと接点の深さだ。言い換えれば、ユーザー理解のコストが圧倒的に低いのである。</p>



<p>　だからLINEヤフーの強みを「AIを持っていること」ではなく、「AIが働く前提条件をすでに持っていること」だと考える。</p>



<p>　外部AIとの競争は、モデル性能だけでは決まらない。誰がより自然に、より少ない摩擦で、ユーザーの文脈に入れるか。ここをどう活かすかが、今後の勝負どころになるはずだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-7-フルフィルメントの失敗は-後退ではなく-どこで勝つか-を定め直した出来事だった">7. フルフィルメントの失敗は、後退ではなく、「どこで勝つか」を定め直した出来事だった</h2>



<p>　今回、あえてフルフィルメントの話も杉本さんにぶつけた。</p>



<p>　というのも、昨年のその終了は、店舗側から見ると単なる施策撤退以上の意味を持っていたからだ。以前のYahoo!ショッピングには、楽天を意識しながらECモールとして総合力を高めようとする気配があった。だから物流を整える方向に行くことも、ある意味では自然だった。</p>



<p>　だが、杉本さんは今回、それがうまくいかなかった理由を、戦略そのものの否定というより、座組みでうまく回せなかったことにあると率直に語った。</p>



<p>　さらに、配送に課題がある認識は持ちつつも、今これだと思える解が見つかっていないとも話した。その一方で、差別化や優位性を考える中で、LINEのような他にはないタッチポイントを活かす方向は近年強まっている、と明言した。&nbsp;</p>



<p>　このやりとりを聞いて、むしろ前向きな整理だと思った。何でも楽天やAmazonのように揃える必要はない。物流で勝つには、相当な資本とオペレーションの強さが必要になる。しかしLINEヤフーには、別の強みがある。巨大なコミュニケーション基盤と、そこから得られる生活接点のデータである。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-8-多モール併用時代に店舗が考えるべきことは-どのモールで何を最大化するか-である">8. 多モール併用時代に店舗が考えるべきことは、「どのモールで何を最大化するか」である</h2>



<p>　最後に、耳の痛い話かもしれないが、Temuのような新興勢力の台頭も無視できない。</p>



<p>　質疑応答でも、消費者の節約志向が強まる中で、安さがフィットしているモデルとしてTemuの話題が上った。杉本さんも、可処分所得が増えにくい時代背景の中では、より安くという傾向は止められないだろうと認めていた。そのうえで、自分たちも総合モールとして、そうした戦い方や商材をどう取り入れるかは網羅的に考えていると述べている。</p>



<p>　ただ、ここで大事なのは、Temuに対抗するかどうかそのものではないと思う。もっと本質的なのは、ECモールごとに「何が最大化される場所なのか」を、店舗側が理解することだ。</p>



<p>　Amazonは物流と利便性が強い。楽天は経済圏と販促の厚みがある。</p>



<p>　Temuは価格破壊力ばかりが語られがちだが、実際には、その価格を成立させるビジネスモデルこそが本質だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-9-lineヤフーが描く次のコマース">9. LINEヤフーが描く次のコマース</h2>



<p>　では、LINEヤフーは何か。</p>



<p>　杉本さん曰く、LINEという接点を起点に、データとコミュニケーションによってLTVを高めていく場所だという。LINE公式アカウントがリテンションに最も効果的であり、結果としてLTVを最大化できることが特徴になるはずだと話していた。</p>



<p>　まさにこの部分こそ、未来に示されるLINEヤフーの姿なのだろう。彼らはLINEという巨大な接点やメディアとしての側面を活かしながらデータを蓄積し、ユーザーごとにより快適な購買体験を作り出していく。その積み重ねによって生まれる提案力こそが、他のモールや外部AIからの流入では簡単には再現できない強みになる。</p>



<p>　ECの競争は、単なる売上の競争ではなくなっている。どの接点でユーザーとつながり、どんな体験を積み重ねていくのか。その設計こそが、これからのコマースの価値になる。LINEヤフーは、まさにその接点を取りに行く戦いを始めているのだと思う。</p>



<p>今日はこの辺で。</p>



<p>関連：<a href="https://145magazine.jp/event/mtg-yahoo-shopping-best-store-awards-2025/">「Yahoo!ショッピング大賞」 2025</a></p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/line-yahoo-ai-commerce-future/">LINEヤフーはどこへ向かうのか──AIとLINEが変える「次の購買体験」</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>ユーグレナ出雲充が語る挑戦の本質──“前提”を超えるDX×GXと500回の失敗</title>
		<link>https://145magazine.jp/goodsnews/2026/03/euglena-izumo-omnichannel-day2026-challenge/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=euglena-izumo-omnichannel-day2026-challenge</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Mar 2026 00:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[プロダクトアウト]]></category>
		<category><![CDATA[モノ談]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: ものづくりのセオリー]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　本稿は、オムニチャネルDay2026に登壇した株式会社ユーグレナ代表取締役・出雲充氏の講演を受けての考察である。ユーグレナ（ミドリムシ）は、植物と動 [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/goodsnews/2026/03/euglena-izumo-omnichannel-day2026-challenge/">ユーグレナ出雲充が語る挑戦の本質──“前提”を超えるDX×GXと500回の失敗</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-background" style="background-color:#fbefcc"><strong>　</strong>本稿は、オムニチャネルDay2026に登壇した株式会社ユーグレナ代表取締役・出雲充氏の講演を受けての考察である。ユーグレナ（ミドリムシ）は、植物と動物の両方の性質を併せ持つ微細藻類で、59種類もの栄養素を含む特異な存在だ。2005年創業から20年、同社は売上500億円を超え、初配当を実施する転換期を迎えている。だが、この数字だけでは出雲氏の本質は見えない。</p>



<p>　彼の話は、成功談というよりも“失敗の連続”だった。教科書に「大量培養はできない」と書かれたミドリムシに挑み、500回以上の実験を繰り返す。2年間まったく売れないサプリメント。資金の逼迫。それでも撤退しなかった理由は、合理的な計算では説明がつかない。</p>



<p>それは、栄養失調に苦しむ人々を目の当たりにした原体験にあった。</p>



<p>　そして彼が語ったのは、挑戦の本質である。DXがGXを動かす。挑戦は共創によって加速する。そして、イノベーションは「試行回数×科学技術」で決まる。</p>



<p>　予定調和ではない。むしろ“ぶっ飛んでいる”。だがそこに、AI時代にこそ必要なヒントがある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-1-バングラデシュで人生は変わった"><strong>1．バングラデシュで人生は変わった</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-1-1-バングラデシュで突きつけられた現実"><strong>1-1．バングラデシュで突きつけられた現実</strong></h3>



<p>　出雲充氏の挑戦は、研究室から始まったわけではない。原点は、大学1年の夏に訪れたバングラデシュである。当時、世界最貧国と呼ばれていたその国には、人口1億7000万人が暮らしていた。そのうち6000万人が農家で、1日中働いても日収はおよそ100円。だが彼が衝撃を受けたのは、単なる所得の低さではなかった。</p>



<p>　人々は米を食べていた。空腹ではない。むしろ、日本人の約4倍、年間200キロもの米を口にしている。それでも栄養が足りない。カレーの鍋に具がない。肉も魚も卵も牛乳もない。慢性的な栄養不足が、子どもたちの成長を止めていた。</p>



<p>　栄養失調は、あとから取り戻せない。子どもの時期に欠けた栄養は、身体的な発育だけでなく、知的発達や免疫力にも影響する。将来の選択肢そのものを奪ってしまう。目の前の現実は、「かわいそう」という感情ではなく、「このままでいいのか」という問いを突きつけた。</p>



<h3 class="wp-block-heading" id="h-1-2-理屈ではなく-前提から始まった挑戦"><strong>1-2．理屈ではなく、前提から始まった挑戦</strong></h3>



<p>　ここで彼が立てた問いは、ビジネスとして成立するかどうかではなかった。どうすれば、少ないコストで、効率的に栄養を届けられるか。貧しい地域でも持続可能な形で広げられる食材は何か。</p>



<p>　その答えとして浮かび上がったのが、ユーグレナ（ミドリムシ）だった。植物と動物の両方の性質を持ち、59種類もの栄養素を含む微細藻類。理論上は理想的な食材だ。だが教科書にはこう書かれていた。「屋外での大量培養はできない」。</p>



<p>　合理的に考えれば、ここで諦める。研究テーマとして選ばない。投資家も銀行も首を縦に振らない。</p>



<p>　だが彼は飛び込んだ。それは、理屈よりも先に決意があったからだ。栄養を届けるという目的が、前提になった。この時点で、すでに彼の思考は「勝てるかどうか」という土俵に立っていない。社会課題を解くという前提の上で、挑戦を選んでいる。そしてこの選択が、のちに500回を超える失敗を受け入れる覚悟へとつながっていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-2-できない-と書かれた教科書に飛び込む"><strong>2．「できない」と書かれた教科書に飛び込む</strong></h2>



<p>　ユーグレナという素材に辿り着いたとき、出雲氏の前に立ちはだかったのは、希望ではなく“否定”だった。教科書にははっきりと記されていた。屋外での大量培養はできない、と。</p>



<p>　つまり、研究としては成立しても、産業にはならないという宣言である。</p>



<p>　大量培養ができなければ、価格は下がらない。価格が下がらなければ、途上国に届けることはできない。社会課題の解決という目的は、机上の理想で終わる。合理的な判断であれば、ここで撤退する。別の研究テーマを探す。投資家の目線で考えれば、成功確率の低い領域に時間も資金も投じないのが正解だ。</p>



<p>　だが出雲氏は違った。彼が立っていたのは「成功確率が高いかどうか」という土俵ではない。「本当に必要かどうか」という土俵である。</p>



<p>　大量培養はできない、と書かれている。それは“できなかった”という事実であって、“できない”という真理ではないのではないか。もし誰も本気でやり切っていないのなら、その前提自体が更新されていない可能性がある。</p>



<p>　ここで彼は、現象をいじるのではなく、不思議な話、同日、聞いたDG TAKANOの高野さんの話にも通じるように見えた。前提を疑う。技術がないのではなく、方法が見つかっていないだけではないか。研究が足りないのではなく、挑戦の回数が足りないだけではないか。</p>



<p>　その結果が、500回を超える実験である。成功率は1％にも満たなかった。だが試行回数を重ねれば、成功確率は累積していく。2回目は1.99％、3回目は2.97％。理論上、459回挑戦すれば99％に到達する。</p>



<p>　この発想は、単なる楽観ではない。失敗を“コスト”ではなく“確率の蓄積”として捉える思考である。教科書に書かれた「できない」という前提は、試行回数を重ねることでしか覆せない。ここに、出雲氏の挑戦の本質がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-3-500回の失敗は-無駄-ではない"><strong>3．500回の失敗は“無駄”ではない</strong></h2>



<p>　出雲氏は「試行回数×科学技術＝イノベーション」と語った。</p>



<p>　この式は、一見すると単純だ。だがその前提には、常識と真逆の姿勢がある。通常、失敗は避けるものだ。効率を高め、リスクを減らし、成功確率を上げる。AI時代においてはなおさらである。データを分析し、無駄な挑戦を排除し、最短距離で成果に辿り着く。合理的に考えれば、それが最適解だ。</p>



<p>　しかし、出雲氏の歩みは違う。ユーグレナの大量培養は、初期段階ではほとんど成功しなかった。資金はショートし、銀行からの融資も止まり、会社存続の危機にも直面する。それでも撤退しなかった。</p>



<p>　なぜか。</p>



<p>　彼にとって失敗は“無駄”ではなく、成功確率を押し上げるデータだったからだ。1回の成功率が1％でも、2回、3回と重ねれば確率は累積する。100回挑戦すれば63％に届く。459回で99％に達する。数学的に見れば、失敗は確率を高めるための過程である。</p>



<p>　ここで重要なのは、成功を「当てにいく」発想ではないという点だ。挑戦を重ねることでしか見えない景色があると知っているから、止まらない。合理の外側に踏み出す覚悟が、試行回数を支えている。</p>



<p>　そしてこの姿勢は、単なる根性論ではない。科学技術と組み合わせることで、失敗は学習データに変わる。だからこそ「試行回数×科学技術」なのである。</p>



<p>　無駄に見える挑戦を許容する設計。それが、イノベーションを生む土壌になる。合理だけでは、到達できない場所がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-4-gxはdxと結びついたときに力を持つ"><strong>4．GXはDXと結びついたときに力を持つ</strong></h2>



<p>　出雲氏が強調したのは、GX（グリーントランスフォーメーション）は単独では成立しないという点だった。環境に良いことをする、社会に優しいことをする。それ自体は尊い。だが、それだけでは選ばれ続ける企業にはなれない。</p>



<p>　今のミレニアル世代やZ世代は、デジタルネイティブであると同時に、ソーシャルネイティブでもある。彼らにとって、デジタルで可視化されていないものは存在しないのと同じであり、グリーンでないものは選択肢に入らない。</p>



<p>　ここで重要なのは、GXが理念にとどまらないことだ。DXによってデータ化され、数値化され、透明性を持つとき、GXは初めて実体を持つ。環境負荷を減らす取り組みが、具体的な数字で示され、顧客と共有される。その循環があって初めて、持続可能なビジネスになる。</p>



<p>　ユーグレナの歩みも同じ構造だ。バイオ燃料、栄養食品、化粧品。社会課題を軸にしながらも、ECやデータ活用によって顧客基盤を拡大し、売上500億円に到達した。理念だけで走っていない。DXによって事業として成立させている。</p>



<p>　GXは理想、DXは実装。この両輪が噛み合わなければ、持続しない。そして若い世代は、この両方を同時に求めている。だからこそ、挑戦は社会とつながったときに力を持つ。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-5-トランスフォーメーションは-変態-である"><strong>5．トランスフォーメーションは「変態」である</strong></h2>



<p>　出雲氏は、トランスフォーメーションを「変態」と表現した。</p>



<p>　幼虫がさなぎになり、蝶へと姿を変える。生物学でいう変態は、形が少し変わることではない。まったく別の存在へ移行することである。企業のDXやGXも同じだという。既存事業の延長線上で少し改善することは“平時の挑戦”である。しかしトランスフォーメーションは、氷が水に、水が水蒸気に変わるような相転移だ。過去の成功体験が、そのままでは通用しなくなる瞬間である。</p>



<p>　この局面で必要なのは、巨大なアセットや経験値ではない。むしろ、それが足かせになる。過去にうまくいった方法ほど、手放しにくいからだ。</p>



<p>　そこで氏が挙げたのが、「よそ者・若者・変わり者」である。外から来た人間、成功体験に縛られていない世代、常識に違和感を持つ人間。彼らに権限を渡し、何百回もの試行を許容できるかどうかが分水嶺になる。</p>



<p>　トランスフォーメーション期には、3回やってダメなら撤退、という発想では足りない。100回でも足りないかもしれない。459回やって初めて確率が反転する。そこまで挑戦を続けられる設計を、リーダーが用意できるかどうか。</p>



<p>　競争よりも共創。内向きよりも外向き。変態は痛みを伴う。だがそれを経なければ、蝶にはなれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-6-ai時代にこそ-人間の-無駄-が価値になる"><strong>6．AI時代にこそ、人間の“無駄”が価値になる</strong></h2>



<p>　出雲氏の話は、終始ぶっ飛んでいた。</p>



<p>　合理だけで測れば、やらない選択ばかりだ。教科書に「できない」と書かれたテーマに飛び込み、500回失敗し、売れないサプリメントを抱え、資金が尽きかけても撤退しない。</p>



<p>　だがそこに通底していたのは、感情的な無謀さではない。前提の外に立つ覚悟だった。AIは合理を導く。最短距離を示す。無駄を削ぎ落とす。</p>



<p>　しかし、その合理の枠内に未来がないとき、どうするのか。</p>



<p>　出雲氏は、理屈よりも先に「やる」と決めた。バングラデシュで見た現実が、判断の出発点になった。そこから先は、試行回数を重ねる。失敗を積み上げる。共創を広げる。AIは答えを出す装置かもしれない。だが、その問いを決めるのは人間である。問いが既存の前提に縛られていれば、AIはその枠内で最適化するだけだ。</p>



<p>　だからこそ、無駄に見える挑戦が必要になる。合理を飛び越える決断が、未来の種になる。AI時代において必要なのは、完璧な戦略ではない。</p>



<p>　未開な領域へ踏み出す勇気と、それを許容する設計だ。ユーグレナの20年は、そのことを証明している。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/goodsnews/2026/03/euglena-izumo-omnichannel-day2026-challenge/">ユーグレナ出雲充が語る挑戦の本質──“前提”を超えるDX×GXと500回の失敗</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>経営の設計図を書き換える──キタムラが挑んだ「暗黙知」の再設計</title>
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		<dc:creator><![CDATA[石郷　学]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Feb 2026 23:45:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[リアル店舗]]></category>
		<category><![CDATA[買い談]]></category>
		<category><![CDATA[DEEP DIVE: 賢くなろう─商売の教科書]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　AIを入れた、という話ではない。効率が上がった、という話でもない。オムニチャネルDay2026で、株式会社キタムラ代表取締役・柳沢啓氏が語ったのは、 [&#8230;]</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/kitamura-implicit-knowledge-management-ai/">経営の設計図を書き換える──キタムラが挑んだ「暗黙知」の再設計</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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<p class="has-background" style="background-color:#e5f5ff">　AIを入れた、という話ではない。効率が上がった、という話でもない。オムニチャネルDay2026で、株式会社キタムラ代表取締役・柳沢啓氏が語ったのは、AIを使うかどうかではなく、<strong>どこでAIを使うことが企業にとって本当の価値になるのか</strong>という問いだったように思う。</p>



<p>　キーワードは「職人の暗黙知」である。ここでいう暗黙知とは、マニュアル化できない経験則や直感の集合体だ。長年の現場経験によって培われ、一瞬の判断のなかに宿る知恵である。</p>



<p>　だが、同社が本当に向き合っていたのは、その価値そのものではなく、暗黙知が特定の人に集中することによって生まれる“属人化”という経営構造の歪みだった。それは確かに強みである。他社には真似できない専門性であり、長年積み上げられた資産でもある。</p>



<p>　しかし同時に、それは成長を制限する“構造的負”にもなり得る。強みが、組織の壁になる。その矛盾にどう向き合うか――そこに、このセッションの核心があった。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-1-現場力-改革力-鳥瞰力-三つの力が交差する場所"><strong>1．「現場力・改革力・鳥瞰力」──三つの力が交差する場所</strong></h2>



<p>　キタムラを表す三つの言葉として示されたのは、現場力、改革力、鳥瞰力である。全国に広がる数百の店舗網は、単なる販売拠点ではない。写真を通じて人の人生に寄り添う接点である。そこには、長年積み上げられた接客の知恵と、地域との関係性がある。</p>



<p>　だが同社は、現場力に安住してはいない。PHOTO MARCHEのような新業態を立ち上げ、「カメラ会社」から「PHOTO市場」へと視座を広げている。市場がフィルムからデジタルへ、さらにスマートデバイスへと移るなかで、縮小ではなく再定義を選んだ。</p>



<p>　ここで重要なのは、自社を「カメラ販売業」と狭く定義するのではなく、「写真」という行為そのものが生み出す市場全体の中で捉え直す視座である。</p>



<p>　自社を「カメラを売る会社」として定義してしまえば、市場の縮小とともに自らも縮むことになる。デジタルカメラが売れない、市場が縮小している──そうした認識の延長線上には、負のスパイラルしかない。</p>



<p>　だがキタムラは、そうは考えなかった。カメラという“モノ”ではなく、「写真を通じた自己表現」という“体験”の側に軸足を移したのである。</p>



<p>　市場がフィルムからデジタルへ、さらにスマートフォンへと移るなかで、ハードの減少を嘆くのではなく、人が“撮る”という行為そのものに向き合い直した。そこに同社の鳥瞰力がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-2-1-の専門性が-事業の未来を握っていた"><strong>2．1％の専門性が、事業の未来を握っていた</strong></h2>



<p>　しかし、その再定義を進めるなかで、避けて通れない壁があった。それが、中古カメラ査定という高度に属人化された業務である。中古カメラ査定を担える人材は、全社のごく一部に限られていた。数千人規模の組織のなかで、実質的に専門的な目利きができるのは数十名に過ぎない。</p>



<p>　この事実は、二つの意味を持つ。</p>



<p>　一つは誇りである。長年の経験に裏打ちされた知見であり、他社には容易に真似できない本物の専門性だ。そこには、職人としての矜持がある。</p>



<p>　しかしもう一つは、経営上の重みである。専門性が特定の人材に集中しているということは、事業の成長もまた、その人材の存在に依存してしまうということでもある。</p>



<p>　強みが、同時に制約になる。この構造をどう捉え直すかが、次の問いとなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-3-属人化は誇りか-リスクか"><strong>3．属人化は誇りか、リスクか</strong></h2>



<p>　査定ができる人が限られるということは、買取拡大にも広告展開にも限界が生じるということである。店舗は「怖いからやりたくない」と消極的になり、挑戦は止まる。結果として事業の成長は、1％の伝承に依存する構造となる。</p>



<p>　ここで問われたのは、「職人を守るか否か」ではない。専門性を温存するか、効率化するかという単純な二択でもない。</p>



<p>　本質的な問いはこうである。職人の知を、どうすれば組織の資産へと変換できるのか。誇りを失わせることなく、構造的負を解消する方法はあるのか。</p>



<p>　この問いこそが、AI導入の前に立てられた経営の問いであった。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-4-分解という経営判断-暗黙知を構造に変える"><strong>4．分解という経営判断──暗黙知を構造に変える</strong></h2>



<p>　柳沢氏がまず行ったのは、AI導入の決断ではない。査定という行為そのものを分解することであった。</p>



<p>　カメラの機種特定、状態確認、市場価値の照合。職人の判断は、一瞬のうちに行われる。しかしその裏には、積み重ねられた工程がある。</p>



<p>　三万を超える機種のスペック理解、レンズ内部のカビや曇りの見極め、手触りや質感からくる微妙な違和感の察知。これらを“丸ごと神業”として扱う限り、共有は不可能である。</p>



<p>　だが、それは工程単位で捉え直せばどうか。再現可能な部分と、経験に依存する部分が見えてくる。この分解こそが、経営のOSを書き換える行為であった。職人の価値を否定するのではなく、その知恵を形式知へと翻訳する。</p>



<p>　AIはここで初めて登場する。主役ではない。媒介装置である。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-5-育てるai-対立を共創へ変えた循環構造"><strong>5．育てるAI──対立を共創へ変えた循環構造</strong></h2>



<p>　AI査定は数秒で結果を提示し、精度も高い。しかし、この成果は、単なる技術の勝利ではない。重要なのは、循環構造にある。店舗で商品を撮影し、AIが判定する。その結果を人が確認し、誤りがあれば修正する。そのフィードバックが再び学習データとなり、精度が高まっていく。</p>



<p>　そこで、現場出身の柳沢氏らしいのは、これをスタッフの士気を<strong>上げつつ</strong>やろうとしたことである。元々、生え抜き社員の多い企業である。逆に職人という資産を、店舗のスタッフに還元していくことで、スタッフのやれる幅を広げ、モチベーションを上げたのである。</p>



<p>　これこそがAIで完結しないということである。店の持つ価値をAIで底上げできるかという部分である。だから、だからこそ、不慣れなAIも、スタッフを巻き込みながら、まるで新人を育てるように現場で鍛えられていった。</p>



<p>　当然、AIは完璧な答えを持たない。だから、最初は反発もあった。「こんなものは間違っている」という声も上がったのも事実だ。しかし、それが自分たちのやれることの幅が広がるのだと浸透すると、それを教えて、使いこなすことに価値を見出したのである。</p>



<p>　だが、自分の知識が組織全体に広がる体験を通じて、意味が変わる。AIは専門性を奪う存在ではなく、拡張する存在へと変わった。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="h-6-葛藤の先にある転換-目的がぶれなかった理由"><strong>6．葛藤の先にある転換──目的がぶれなかった理由</strong></h2>



<p>　この転換点において、人的資本経営は理念ではなく、実践となった。スライドには「葛藤」という言葉があった。課題を解決しようとすれば、必ず摩擦が生じる。職人の誇り、評価への不安、仕事の再定義への戸惑い。だがこのプロジェクトが進んだのは、目的が明確だったからである。AI導入は目的ではない。</p>



<p>　現場が自信を持って査定できる状態をつくること。品質を均衡化し、事業を拡張可能にすること。</p>



<p>　ゴールが共有されていたからこそ、葛藤は破壊ではなく転換へと向かった。結果として、査定は一部の特権ではなくなり、全店で扱える業務へと広がった。</p>



<p>　それは単なる効率化ではない。構造改革である。</p>



<p>　そして、最後に提示されたのは、分担の意思決定であった。査定の不安を取り除くことはAIに任せる。そうすると、自ずと、顧客と向き合い、会話を楽しみ、関係性を築くことがもっとできるようになる。キタムラにおいて、人が担う役目が拡張した瞬間だ。</p>



<p>　どこまでを任せ、どこからを人が担うかを決める覚悟があるかどうかである。暗黙知は消えたのではない。形式知となり、再び現場へ還元された。それが、「現場を生かす経営」の正体である。</p>



<p>　今日はこの辺で。</p>
<p>投稿 <a href="https://145magazine.jp/retail/2026/03/kitamura-implicit-knowledge-management-ai/">経営の設計図を書き換える──キタムラが挑んだ「暗黙知」の再設計</a> は <a href="https://145magazine.jp">145MAGAZINE</a> に最初に表示されました。</p>
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