日記:手帳は日記をつけるものじゃないか

先日、ゴリラの生態に関して研究している山極壽一さんが「最近の手帳には「予定」しかない」そう言っていました。その言葉の意図するところは、「本来、手帳は日記をつけるものじゃないか」ということなんですよね。
この話が深いのは、今という時間を「未来に預ける」だけに費やしていたら、今この瞬間には何も残らないということを言っているからなんです。
だから、寧ろ一日一日、振り返ることで、人は幸せの実感を見逃さずに済むはずなのだと。それは生きる上で、とても大事なことだというわけです。
確かに、右肩上がりでなければいけない。そう言われ続けて、疲弊している人が多いですよね。
僕は未熟ゆえに、いろんなコンプレックスがあって、結果を急ぐあまり、ずっと前へ前へといくばかり。だから、得られたものはあるけど、どこか深みがないという実感がありました。進んでいないと感じられることが多いのは、恐らくそのアウトプットを怠っていたからかもしれないと思うのです。
今こうして起業して、腰を据えて物事を考える時間ができた。それは本当によかった。書く文章にも深みが出たし、自分の文章に自信が持てるようになった。
作業として記事を書くのではなく、また、編集するのではなく、自分が得られた「豊かさ」を自分以外の人にも伝えることの楽しみを実感できるようになった。
アウトプットを大事にしたら、結果、それによって僕の人生が豊かなものだったことに気づけたというわけです。右肩上がりじゃなくて、肩の力を抜いて、振り返るのも良いと思います。
というわけで、少し話がそれたりもしましたが、それもご愛嬌。